第四話
睨み合う、一匹と一人。
「零夜君……颶虎は神術で四肢を振ると爪から風の斬撃を飛ばすことが出来ましゅ……では……なんとかしてくらさい……」
「そういうの先に言って欲しかったな……」
「しゅ、しゅいません……れも、あまりにも自信満々らったのれ……言い出せずにいたんです」
「……俺が悪かったです。すいませんでした」
零夜の自業自得だった。反省で敬語になるくらい紫苑には非が無かった。
「というか呂律が回らなくなるくらい痺れて動けないならこれからどうするんだ?巻き込まれない?」
「ああ、ああう……ど、どうしよ……」
「……シグ、肩貸してあげて」
「了解。ほい、紫苑とやら」
「うう、面目ない……あと情け無い……」
二人は刀を松葉杖にように使って団子屋の軒下にのろのろと入って行く。それを視界の端で確認しながら、零夜は再び抜刀───せず、柄に手を掛けるに留めておく。その状態で互いに様子を伺う。
──そして、颶風の名を冠する虎が、先に動いた。
前足が斜め上に振られると同時、空気が引き裂かれる音が耳朶を打つ。
(不可視の斬撃───攻撃が見えないのか──)
音を立てずに目の前の地面が抉れていくのを見て零夜の全身に鳥肌が立つ。
幸い今回の攻撃は地面を見ればタイミングを図ることが出来るが、次からはどうなるか分からない。
「……模倣神術:夜叉骸纏」
詠唱と共に現れた黒い包帯のような布が零夜の右腕にびっちりと隙間なく巻きつき、無骨に変形させる。そして紫色に光る【不倶戴天・魑魅魍魎】の文字が二の腕の辺りに刻まれた。
模倣神術とは、名前の通り、人間でも使える神術の劣化版である。よく陰陽師等が使っていた系統の物だ。錬金術や魔術もこれにあたる。神術と同じく、人間はこれを一種類しか使用できない。
模倣神術は神術の下位互換であるため、それに比べると威力が乏しい。先程のシグの神術:鉄砲水を模倣したところでせいぜい水鉄砲程度の勢いでしか水は噴射されない程だ。
その代わりに、汎用性が高く、二つ以上の模倣神術を掛け合わせて全く新しい模倣神術を作成することもできる。
零夜が使う模倣神術は冥界から魑魅魍魎の類を呼び出す模倣神術と物体や力を封印する模倣神術を掛け合わせた、彼にしか使えない神術である。
能力は冥界にいる魑魅魍魎の内一体の能力を封印した聖骸布を纏うことで纏った箇所の身体能力を向上させる。その悪鬼に体を乗っ取られることが無い様「不倶戴天」の文字を刻んでいるが、長時間の使用はシグに禁じられている。
そのようにして強化された右腕でタイミングを合わせ抜刀、刀身で不可視の斬撃を受ける。右腕を振り抜いて、その勢いで風の斬撃を打ち消した。凶器としての力が無くなった突風が前髪を撫でて吹き抜けるのを感じながら地面を踏みしめる。
零夜は、左手によりも格段に重くなった右腕をだらりと降ろしたまま、地面に刃の跡を刻み込んで颶虎に迫る。
「uuuuuuuuuuuu………uuuuuuurrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr!」
対して颶虎が、大きく叫びながらその超質量を武器に土煙をあげ零夜に突貫する。
────その姿を見て彼の脳裏に蘇ったのはホワイトタイガーという生物に餌をやった時の記憶。幼少期、両親に連れて行ってもらった動物園で、棒に突き刺した生肉を檻の隙間から差し込んで餌を与えるイベント。
目の前で貪られる元は何の動物だったのかも解らない生肉に同情をしていたな、そう思っていると、記憶の中の生肉が徐々に自分の頭に変化していくのに気付く。
───あれ?もしかして……俺、喰われる?ってかこれ走馬灯……
「う、うおおおおお、喰われてたまるかあああああああ!!!」
脳裏に閃いた未来予想図を回避する、その為に食物連鎖を覆せねばならない。そう、殺らなきゃ殺られる。糧にさせる。何というか、いただきますされてしまう。喰われた上でいただきますと感謝されても嬉しくも何とも無い。
何故か戦闘中なのに喰われる側に回った事でいただきますという言葉の裏にあるエゴに触れている零夜だった。
仕方ないと言えば仕方ない。神に触れていようが何だろうが、虎と殺し合った経験は彼には無いのだから。
ぐちゃぐちゃになった思考をも振り払うが如く超質量の右腕を力を振り絞って大きく振り回す。黒い残像と共に地面を半円形状に削りつつ力強く振り上げ、首筋に渾身の一太刀を叩き込んだ。鈍い音が鳴り、ぱっくりと開いた大きな裂傷から血潮が吹き出し颶虎は倒れかける──が、それは四肢を踏ん張って堪え、その間に首の傷は再生。更に素早く爪を真横に振るって反撃を仕掛けてくる。
至近距離で吹き荒れる風の刃に、零夜は一か八か即座にスライディングで対応。遅れた髪の毛数本がはらりと落ち、耳が刮げて血が溢れる。後ろで木製の壁が抉れた。
「あーもー、痛っいなぁクソ野郎が!!」
理不尽とは理解していても悪態をつきつつスライディングの勢いを借りつつ後ろで炸裂する粉塵を吸い込まぬよう離脱、倒れ込んだままついでに足払いをかけ、更に素早く体を捻り更に胴体に一突き。前足の一本がぐちゃりとした感触と共に吹き飛び、バランスを崩した颶虎が倒れる。
渾身の一撃でも首の切断に至らなかったことから作戦を即座に変更、首を落とす方向から頭を叩き割る方向へスイッチ。立ち上がって頭の方へ素早く回り込んで雨御護闇切彌を振りかぶり叩こうとして───前足が復活しているのに気付いた。
「嘘だ……ろ!!!」
悲痛な叫びと同時、咄嗟に大きく後ろに跳び退き、体勢を立て直そうとする様子を見せるが、そこに颶虎が爪を向けて容赦なく跳びかかってくる。
(行ける!!!)
その瞬間偶然に訪れた好機。必殺の一撃を放つ為の布石が整った。
───恐怖は薄れている、と思いたい。体は結構震えているけど。
───間合は相手のもの。自分は刀を下ろしている状態。普通であれば確実に刀は届かない。
───それでも。腰刀三尺三寸を以て九寸五分に勝つ。それが彼が基盤とした剣術。
明鏡止水。精神を落ち着かせろ。彼の中で時間が際限なく引き伸ばされる。力、固定。上体を沈め、捻る。
(力を寄越せ阿須羅叉牙)
心から憎悪する羅刹に心の中で告げる。それに呼応するかの様に包帯から霊力の波動が迸った。それが彼の肉体をより強固な物にする───
そして放つ。神夢想林崎流の流れを汲む、零夜だけの居合術。必殺のカウンター攻撃。
ただひたすらに速さに特化した一撃。近づく標的、太刀筋はただ一点に収束する。
「───零穿」
爪が届くよりも早く一歩、踏み出す。それを切っ掛けに留めていた力が解き放たれ、黒い一閃が風切り音を唸らせ、凄まじい速度で吸い込まれるが如く颶虎へ。
そして───
その一撃は前足二本に阻まれ、勢いを失い、頸を両断するには至らず、胸元を浅く抉っただけで止まった。
「零夜君危なっ……おおお!!しゅっごい!!ああ、惜っしい……ううう、やきもきしゅるぅ……」
「よし、そこに座っておれ。アレが効かないならいよいよ危ないじゃろうし、儂は零夜をアシストしてくるからの。ってか馬鹿っぽいからあんま喋らん方がいいと思う」
「ええ……行っちゃうの?がんば!」
「テンションの振り幅どうなっとんじゃ……?」
団子屋に紫苑を担ぎ込んだ後、観戦をやめたシグはそう言いつつへたりこんでいる零夜に走り寄る。
「しっかしねえ……災厄神を従えてるとなると……零夜君は一体何者なんでしょうか……まあ、その辺は飛燕さんに任しぇればいっかぁ……うう、舌が回らないでしゅ……」
足をぶらぶらさせて彼女は呟いた。
「零夜、零夜。どうしたんじゃ、この世の終わりみたいな顔して」
「分かってる癖に……零穿通じなかったんだよ。そういう事だ」
「知ってる。見てた。今までで一番良い太刀筋じゃった」
「褒めるなよ、そこ褒めたら最高の一撃が通用しなかったことになるんだぞ。ってかそう考えたら紫苑さん強すぎだと思うんだけど」
「話は後じゃ、とっとと片付けるぞ」
シグはそこまで言うと、左右に首を傾けた。どうやら首を鳴らしたかったらしいが、何の音も立たなかった。
「……それあくまで漫画の演出だから」
「策はあるか?」
誤魔化す様にそう問う。
「ある。簡単に言うと、ヒドラ作戦だ」
「ほう……傷を灼くのか」
「察しが良いな。傷口を低温火傷させたらギリシャ神話のヒドラみたいに再生を妨害できると思って」
「零夜クレス、なら先に四肢を封じて傷口を狙える様にするべきじゃ。多少時間が要るから何とかしてくれ」
「俺はヘラクレスみたいな大英雄にはなれねえよ……所詮ただの高校生だよ。で?具体的にはどんくらい時間要る?」
そこで彼女は人差し指と中指を立てた。
「二分」
「よっしゃ任せろ」
示した二本の指をそのまま突き出し親指を直角に立てて霊力を練り始め詠唱を開始したシグを守る為、時間稼ぎの為に零夜は走り出す。
背後のシグの放つ莫大な圧を感じて流石に焦ったのか、颶虎は先程よりも荒々しく猛攻を仕掛ける。零夜も必死に体に迫る爪を捌き、不可視の刃を飛び越えて、噛みつかれそうになれば開いた口に蹴りを入れる。
激しく刀身と爪がぶつかり合い、金属音に近い音が何度も何度も響き渡った。
ゼロ距離での殺し合い、戦況は五分五分───だが。
徐々に零夜の体に傷が増え始めた。神経が摩耗しきり、体力も底をつき始め、集中力が途切れたその結果、徐々に攻撃を何度か通し始めたのだ。そしてそのせいで増えた生傷が更に動きを鈍くさせる。
対して颶虎は零夜の攻撃を受けても即座に傷が修復する。
互いの能力の差は明確───如実に零夜が劣勢。
「あと一分!!頼む零夜、なんとしてでも耐えろっ!!」
「おらああああああああああああああっ!!!」
それでも何も言うことはない。ただ叫んで喝を入れる。気合だけではどうにもならない事は分かっている。だが今は叫んで体中の激痛を紛らわせたい。今までの戦いよりも大分辛い。何の為に戦っているのかは分からない。それでも、後輩の過去のとある言葉を原動力として切り合いを繰り広げる。今まで背負って来たものを思えば、負けられない。
「いってえええええ!!ああもう嫌だああああ!!」
抉り抉られ血飛沫を散らし返り血を浴び殴り斬りつけ蹴りつけ斬りつけ殴られ殴られ噛みつかれ抉って抉って抉って抉られて抉られて抉られて───
全身の神経を陵辱する激痛に耐えられずにみっともなく泣き喚く。自棄になったよう叫ぶ。それでも前へ進む。
爪を上体を反らして躱し、噛みつきは鼻っ面を柄で殴って妨害して、斬撃を紙一重で避ける。
全身から血飛沫が飛んで、痛みに涙が溢れ、鼻水を啜って、それでもなお刀で胴体を抉り額を削り前足を斬り続ける。
「uuuuuuurrrrrrrrrrrrrrr!!」
「うるっせえいい加減黙ってろ!!」
黒い右腕が疲れを訴えるのを両手で太刀を握り直すことで誤魔化し、攻撃の合間を縫うように顔面を真一文字に斬りつけた。勿論直ぐに再生するが───
がづん!!
という一際大きな音が響き、まるで鍔迫り合いを行う様に虎の両足と零夜の刀がぶつかり合って、双方が至近距離で動きを止める。
「……体力と引き換えに再生能力を得ているんだろ!!やっぱり力が弱くなってん、ぞ!!」
目の前の獣の顔面にヘッドバッドを叩き込み、そして続けざまになけなしの全身全霊で虎の巨駆を押し返す。
互いの額が割れて血が流れる。
霊力が尽きたことで右腕の術が黒い霧になって霧散した。
脳震盪を起こしたようにふらつきながら大きく後退する颶虎、その瞬間零夜の脳内のストップウォッチが丁度二分を告げる。
「避けろ零夜!!」
「よっしゃあやっちまええええ!!」
血液が垂れて目に入り霞んだ視界。その中真横に跳び退き射線を空けた。そして背後で霊力が爆発的に高まる。
「神術:氷蝕葬送!!」
颶虎の四肢全てに氷割れの文様が浮かび上がると、足元から順に付け根辺りまで一気に広がる。
「零夜の仇!!」
そして霧払驟時雨が右腕を握った刹那、文様の筋をなぞる様に薄い氷刃が突き出し、その刃が四肢を吹き出した鮮血諸共氷漬けにした。
「uu……uurrrrrrrrrr!!」
その雄叫びを無視して、零夜は震える足を奮い立たせ夜叉骸纏の解けた右腕に蒼の太刀を持って静かに虎の横に走り寄る。
血にまみれたその腕を振るい、首を切り付ける。
そして、出来た裂傷に冷気が漂って、肉が焼ける音と共に霜が張った。
───もう、虎は何も叫ばなかった。
焼けて死んだ細胞は再生しない。
そして逆手に持ち替えた零夜の渾身の一撃が、一気に頸を刈り取った。
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