第二話
二人が大通りに出て街を見渡すと、舗装されていない道路の両端に木造建築の建物がずらりと並んでいた。軒下に野菜が出ていたり、料理のメニューが書かれているらしい看板が立っていたりするところから推測するに、どうやらここら一帯は繁華街らしい。
ビル等の大きな建物は見当たらない。頭上に電線も通っていない。それは二人に少なくともここが現代日本では無いと確信させるに足りる街並みであった。
むしろ、この光景は───
「俺の記憶の中では日本史の教科書に載ってた江戸時代の街の挿絵に一番近いような気がするんだけど、どう思う?ていうかこれマジで大事になってきてないか?」
「どうかの……江戸時代にタイムスリップしたということなのかの?でもだとしたらちょいちょい矛盾点があるんじゃが……」
「おーい、こっちですよー」
淡いピンク色の髪によく似合う紫色の着物を着た団子少女は誘う。その誘導に従い、戸惑いながらも零夜はその少女の隣に座った。
「すまんが零夜、少し周りを見てきても良いかの?」
「分かった。あんま遠くに行くなよ」
一方霧払驟時雨は座ることなく、零夜にそう告げてすたすたと歩いて行った。
「取り敢えずはアイツに任せておいて良いかな」
そう小さく独りごちた後、それとなく自分を呼んだ少女の容姿を伺う。
桜を模した髪飾り。
真っ白な手首に、赤紫色のブレスレットのような鋼鉄のアクセサリー。
というか袴まで桜色なため本当の本当に全身ピンク色。
肌が白いのでそれらの色が美しく映えている。いかにもファンシーな物が好きな女子の恰好といった感じか。
「……紫とかピンクが好きなんですか?」
「はい!」
〈ピンク〉という単語が伝わったため、シグが言った通りタイムスリップしたわけでは無さそうだ、と零夜は確信した。それはそれで謎が深まった気がするが、一旦無視しておく。
「んで、お二人さん、戒厳令が出てる中、あんなとこで何をしてたんですか?」
彼女は天真爛漫な笑顔で一番聞いて欲しくない事を聞く。───まあそれを聞かない訳は無いので、零夜側も覚悟はしていたのだが。
「あ、えーと、戒厳令ってそもそも何なんですか……?」
なんとか論点をずらそうと零夜が問うと彼女は合点がいったといった様子で一つ頷き、
「あー、もしかしてここに来るの初めてですか?」
「……はい。田舎で暮らしてたんですが、先日親父に勘当されまして。刀一本だけ掴んで家出してここまで来たんですよ」
「あらら。そりゃあ大変ですねー!」
金も持たず、所持品として刀一本だけ掴んで家出、というのは正直なところ自分で考えといて何だが随分とイカれた設定なのだが、事実それ以外所持品が無いのだから仕方が無いと割り切った。突然すぎてスマートフォンすら持ってこれなかったのである。強いて言うのなら履いてきた靴下ぐらい。既に不審人物にも程がある。
だが、重畳なことに少女はあまり細かいことを気にしない質らしく、無理矢理な設定を気にすることも無いままそのまま彼女は質問を重ねた。
「田舎って言ってましたけど、大体どの辺りから来たんですか?」
「んーと、あーと、に、西国の方から。山を一個超えて」
「わー、結構遠いですね!お疲れさまです」
「いやー、はい。ありがとうございます」
手を合わせて可憐に微笑むその少女の追及は止まらない。
「此処へは何をしに来たんですか?」
「と、とにかく田舎暮らしに飽き飽きしまして、栄えているところに行きたいと一念発起したんです」
「私は良いと思いますけどねー、田舎暮らし。長閑で、静かで、おいしいものいっぱいで。まあそこらへんは私が何も知らないからそう思ってるだけなんでしょうけどね。因みに今までは何をして生活してたんです?」
「あーっと、その、猪を狩ったり?」
「……おい零夜、嘘吐くの下手にもほどがあるじゃろ。そんなひょろっこい体で猪捕れるか」
「誤魔化せてんだからちょっと黙っとけ……で、何か分かった?」
「おん、儂らが今どういう状況に置かれておるのかは分かった」
いつも間にやら帰ってきて隣に座って来たシグと会話をする一方、ピンクの彼女は二人のやり取りを意に介さずに、今度はシグに話しかけて話に交じってきた。
「そっちの神様は?何て名前ですか?」
「ふっふっふ、よくぞ聞いた。儂は雨を司る災厄神。クールでビューティフルでパーフェクト。その名も霧払驟時雨じゃ!!」
「わっわわわ、災厄神様だなんて初めて見ましたよ」
と、一瞬驚いたものの彼女はシグの手を握って
「では、よろしくお願いします」
と、礼儀正しく挨拶をした。
「……クールでビューティフルは良いとしてもパーフェクトは無理あるだろ」
「クールとビューティフルはアリなんじゃな」
「まあ割とリアリストだし、あと見た目も正確もお前かなり可愛いしね」
「ちょ……待て零夜、割と照れるからやめい」
「ほんとにかわいいよ?驟時雨ちゃん」
(待って、流されそうになったけどさっき神様って看破した上で名前を聞いたよねこの人?)
不意に今までの発言に零夜は猛烈な違和感を感じ、改めてピンク少女の様子を伺ってみる。が、その視線の先の彼女には不審な点は見られない。ずっと一貫して裏表のなさそうな天真爛漫な笑顔で喋っている。とてもいつものような気が狂っている神にも、廃人にも見えない。
零夜側にいる人間というのは基本的に何かが破綻しているものなのだが。
「?お兄さん、どうかしましたか?お団子一個食べます?」
疑問のあまり凝視しすぎのたか、彼女はいつの間に追加したのか今度はみたらし団子を両手に持っており、その内一本を不思議そうに彼の方に差し出す。傍目には微笑ましい光景だった。
……しかし実際のところその表情はさっきの優しい発言と相反するように、何というか、その団子食ったら殺すぞ的な感じであり、零夜がイエスという回答をすることを暗に封じていた。視線は食い入るように団子に一点集中していて、その有り様がテレビで観たことのある、自分の子供を守る虎の母親を彷彿とさせ、猛烈な恐怖を感じた零夜はその団子を丁重に断った。
彼女の食い意地の凄まじさを深く理解した瞬間であった。
そして、彼女に抱かせた不信感を払拭するために彼は取り繕うように、
「あ、え、えーといや、名前」
と言う。
「え?」
「ほ、ほら、お姉さんの名前、聞いてなかったなって」
「お姉さんと言われると少し照れますな。うん、でも言ってなかったですね。私の名前は八重霞紫苑。漢字は八重の霞に、お花の名前と同じ紫苑です。今という時代を謳歌中の十五歳!そんで、お兄さんの名前は何と言うんです?」
「粗櫛の粗、剃刀の剃。あと零れる夜で粗剃零夜、十七歳です。よろしくお願いします」
「ええ!?年上だったんですね!!全然気付きませんでした」
「…………まあ、仕方ないですね」
零夜は紫苑の身長が自分の身長より頭一個分ぐらい高いことから自分よりも年上だと踏んでお姉さんと呼んだのだが、実際は二歳も零夜の方が年上であることが判明し、前々から気にしていた低身長問題に彼の精神が抉られる。それに気付いたらしい紫苑は慌てて話題を変換する。
「あっ、年上なら全然敬語じゃなくていいですよ!何て呼んだらいいですか?」
「……八重霞の好きなようにしてくれて構わない」
「じゃあ、零夜君って呼ばせてもらいます!あと零夜君も私のこと「八重霞」じゃなくて「紫苑」って呼んで下さいな」
「分かった。紫苑ね」
そこでふと零夜はあることを思い出した。
「確か紫苑って漢字にも入っている通り紫色の花の名前だったよな。だから紫系統の色が好きなのか?」
「まあ、それもあるんですけど。紫というか桜が好きなんです」
それから、彼女は。
「あと、この子が私の守護神、付喪神の宵桜です」
何でもないようにそう言い、隣に置いてあった薄紅色の刀を膝の上に置いて零夜に見せる。
「これと契約したから、名前にも入ってる桜が好きになったんです。お母さんが紫苑という名前は、宵桜に似合う名前っていうのでつけられたんだと、言ってましたし」
そしてにっこりと笑った。
「──────っ!?」
「……うーむ、やっぱりか」
が、その笑顔を見る余裕も無く、零夜は絶句し、覗き込んだシグは目を険しい顔でそう呟いた。
何故なら──その付喪神、宵桜には莫大な量の霊力が感じられたからである。その量は、現在の霧払驟時雨と同等であった。
現在において、霧払驟時雨はこの世で最強の神の一角である。
それと同等の霊力を神の中では最低ランクの付喪神が持っているという異常事態。
そしてあたかも───神の存在が日常的であると言うような彼女の態度。
混乱したまま零夜は、
「何なんだよそれ……。なあシグ、これってマジでどういうことなんだ?それももうお前には分かってるのか?」
シグに縋る。
「ああ、零夜。それは分かった。いや、分かっておったが更に確証を得た、といったところじゃ」
紫苑にジェスチャーで少し断りを入れ、こそこそと額を寄せて小声の会議を始める。
眉間に皺を寄せた険しい表情の彼女が、苦々しげに言った。
「良いか、よく聞け。ここは、恐らく────儂らの生きていた世界とは違う世界。お前に伝わりやすいように表現すると、つまり異世界ということじゃ」
「………マジで?まあ妥当か。そんぐらいしかあり得ないよな……こんな和風とは思わなかったけど」
「…………少し軽すぎんか、零夜」
「そりゃあお前に会う前まで異世界転移したいってのは俺の口癖だったんだからな」
「マジかお前……なんじゃ、心配して損した」
呆れたようにシグは言う。
「ちなみにその説って実際信憑性どんぐらい?」
「付近にいた付喪神に聞きまくった結果それ以外無いと判断した。間違いない」
「聞きまくったって……この世界どんだけ付喪神いるんだよ……」
「儂がさっきの時間でコミュニケーションを取ったのが二柱なんじゃが、そいつらによるとこの世界では付喪神は一家庭に一柱ぐらいは当たり前にいるらしいぞ」
「一家庭に一柱……家電かよ。さしずめルンバってか?凄いなそれ。流石異世界」
そう呟いた直後だった。
何の脈絡もなく突如として────至近距離から何らかの生物の咆哮とおぼしき重低音が響き渡る。
「uuuuuuuuuuuuuuuuurrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr!!!」
耳の中でその音は何度も反響し、鼓膜を疼かせた。
「どしたどした、なんかのイベントか?というか、声の方から何かヤバい量の霊力を感じるんだけど」
「よし、来ましたね……え、二体……?」
紫苑がすっくと刀を持ち、立ち上がった。音の発生した方向を見ていると、小さな影がどんどん迫って来るに従い、巨大化していく様子が見て取れた。零夜が目を凝らせば、そこには怒涛の勢いで疾走する白い体毛の生えた二メートルほどの獅子のような動物が二匹。
「あんな化け物、儂も見たことがないのう……」
「って、あれ?災厄神の驟時雨ちゃんも知らないの?アレは神獣と言って、災厄神に仕える馬鹿強い獣です。偶になんでか外界に来ては迷惑をかけるので、処理しないといけないんですよ。迷惑な話です」
「儂、あんなんに仕えて欲しいとは全く思わんのじゃが!?最早こっちが喰われる気がするんじゃが!?というかここの災厄神は人間にちょっかいかけてどうしたいんじゃ!?」
「神様が考えることなんて、所詮人間には分からないんですよね。それが高位な神様なら、なおさら。シグちゃんならわかるでしょ」
そう言うと、
「あれらが少し前からこちらに向かって来ていることが分かっていたので戒厳令という体で外出規制を出してたんです。被害が出る前に私が迅速に殺せるように」
まるでスイッチを切り替えたかのように天真爛漫な表情が消えて、代わりに氷のように冷えた表情に豹変。二人の方へ向き直って早口にまくしたてる。
「それから、危ないので私の後ろから出ないで下さい。守る者も守れま……」
せんから、と彼女が言い切る前に、零夜は紫苑の隣に立っている。
その眼には挑戦的な輝きが宿っていた。
「ってえ!!何のつもりですか!?」
「そういうことなら、是非とも協力させてくれ。一匹なら俺たちが殺れるし」
「怖いんじゃが……零夜喰われんか?やめとこ?」
「……喰われないように援護射撃してくれよ?そこんとこお前頼りだからな?ほら、最強の風格を見せてやろうぜ」
「お前今テンション上がっとんじゃろ……まあ放置するのも零夜の信条に反するか。助けてやろう」
上から目線で言いながらシグも零夜の隣に並んだ。これはなんだかんだ互いが互いを信頼し合っている証拠である。
獣の咆哮が再び轟いて、大地が大きく震えた。
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