第一七話
────その戦国時代には珍しく、仲睦まじい兄弟であった。
明来家の家督を継ぐのは頭脳明晰で温厚な兄。それを支えるのは豪胆で明るい弟。
政が無ければいつも二人で色々な体験をして過ごした。ある日は武芸の稽古をし、ある日は茶道を嗜み、ある日は軍略を練っていた。
弟の成長は目覚ましかった。すぐに彼は兄の身長を越し、力も強く、周りの人々から逸材と呼ばれ、褒め称えられた。
彼ら明来家の領地は誇れるほどの大きさでは無かったが、だからこそ領地内の人間の間には深い絆を築くことができた。若くして当主となった兄も飢饉があれば年貢は免除したり、病が流行れば医者を呼んだりと、民思いな政策を続けていたおかげで領民からとても慕われていた。
皆で手を取り、支え合い、少しぐらい貧しくても、満たされた日々を送っていた。
「兄上兄上、このような素晴らしい甲冑を、果たして私なぞが使っても良いものなのでしょうか?」
「ああ、勿論だ。寧ろお前が使わないで、一体誰が使うというのだ。お前のような素晴らしい武芸者に使われた方が、父上や母上、それに何より、この甲冑自体も喜ぶだろうさ」
彼の兄、路尭は三つ年の離れた弟の侲善の武芸の実力を認めていた。彼が当主となる前まで両親は家督を継ぐ訳でも無い彼が武功を挙げるなどもってのほかだと反対していたが、路尭はきっと弟なら天下一の武将になれるはずだと本気で思っていた。弟の才能を伸ばすために武士たちに稽古をつけさせたりと、彼はとても兄弟想いな人物だった。また、侲善も兄の期待に応えるべく必死に稽古に取り組んでいた。その甲斐あって、侲善の二刀流剣術はめきめきと上達していった。
弟が元服し、彼が戦場に出ることについて改めて隠居した両親について語った矢先に届いたこの甲冑一式。それは、まさしく彼らがようやく侲善を認めた証だとも確信していた。
自分には為政者としての才能は有れど、武人としての才覚は無いという事は自覚していた。
しかしそれを補ってくれる弟がいるからこそ、自分は政に専念できる。
そのことのなんとありがたいことか。
良く似合うであろうその甲冑を纏った弟が戦場で駆ける姿が早く見たかった。
そしてその数年後に、待ちに待った弟の初陣は起きた。そこでの彼は兄の期待を大きく超えて───苛烈で勇猛で、何より、華々しかった。
領地でたびたび侵略行為を行っていた浅田康久を打倒するため、一時的に被害に遭った領地の主同士での同盟を結成し、その連合軍と浅田家の全面対決。大きな平原での合戦だった。
敵方の兵は侲善一人の攻撃で半壊した。平原を縦横無尽に駆け回り敵兵はただその二対の刀に蹂躙されていった。その上先祖代々継承してきた矢の神の加護により弓兵の矢は届かない。まさに戦国無双といった様相を呈していた。
本隊から見えた、白い甲冑を輝かせ、鮮やかな手並みで稲妻のように戦場を駆け抜けてゆく弟。その姿の、なんと頼もしかったことか。
その戦は結局一時間で浅田家の陣形が崩壊し、彼が完全に降伏するまでは刀を交えた瞬間から四時間もかからなかった。
そこから彼の伝説は始まる。彼の戦闘のセンスは全国の武士と比較してもやはりずば抜けており、海での戦であろうが山での戦であろうが、どんな場所であっても常勝無敗というとんでもない功績を挙げた。それによりいつしか彼は他の領地の武将から「迅雷の侲善」と称され、畏怖されるようになる。後に天下人となる蜻蛉家の総大将にして最強の武人と名高かった蜻蛉幹鳴ですら彼の存在を畏れていたとも言う。
そう、その時代のあらゆる武将の生涯の明暗を分けた、その日までは。
下天万象分割の戦────蜻蛉家率いる東軍と、それに対抗する勢力を寄せ集めた西軍による大戦争。
西軍総大将の大名と親交のあった明来家の二人は、西軍に入り戦った。西軍と東軍の戦力はほぼ五分五分、それもそのはずその大戦乱は全国の全ての武将たちが集まり、血で血を洗うかのような戦いを繰り広げていたからだ。
それは歴代最後の戦争にして最悪の被害を出した戦乱だった。
その戦争の結末を結論から言うと─────
西軍は呆気なく大敗した。
途中までは接戦ではあったのだ。が、開戦から2時間の辺りで西軍は急速にその勢いを落としたのだ。
開戦から約3時間半。西軍は壊滅状態、ほとんどの西側の武将は戦死するか、もしくはほうぼうの体で逃げ出したのだ。
勿論、明来家の面々もその例外ではなく……
「畜生、畜生!!!」
「侲善、愚痴を言ってる暇などない!!走れ!!」
馬を走らせ、疾走。
ただひたすらに、なおも追ってくる東軍を振り払う為に、領地へと駆ける。
捨て奸────謂わばトカゲの尻尾切りだ。主君を守るためだけに殿から小部隊が敵陣に時間稼ぎにしかならない特攻をしかけ、その部隊が全滅すれば次の小部隊が時間稼ぎに打って出るという、執念と忠誠を狂気がごちゃごちゃになったような、まさに狂気的な作戦である。
現在逃げている明来家の残りの人数は二百人余り。合戦で戦死した兵達が約千人、敗走から今までこの捨て奸で自決しに行った人数が約二千人。何万人との死傷者を被った陣営もいる中、人数だけ見るのならば被害はそこまで深刻には見えないが、兵力のパーセンテージ的には大損害だ。その上領地までにはまだまだ距離がある。……明来家が壊滅するのは時間の問題。
侲善は背後を振り返って歯噛みした。
今自分たちを追っているのは浅田家の次期党首、康久の息子の浅田桐芳。温情を望もうにも彼らは我々に対しての復讐心だけでここまで走っている。犠牲となってくれた皆はよくやってくれたが流石に多勢に無勢、疲弊も相まって時間稼ぎも半ば効力が失われてきている。しかも彼らは勢いに乗っており、疲弊が無い。こちらの決死の攻撃もそれを上回る狂気で叩き潰していく。
状況は最悪でしかない。
一騎当千と呼ばれた自分ならばあるいはこの状況を打開できるかもしれない───しかし、戦況が傾きだしたあの瞬間から、何かの呪いに罹ったかのように体がうまく動かない。きっと西軍の人間は皆同じ症状が出ているだろう。それでも並の兵よりは強いだろうが、恐らく、今の自分にはいつものように一人で戦況をひっくり返せるような力は無い。
「どうした、迅雷!!父を殺した時のように我々を殲滅してみれば良いではないか?」
「貴様こそ矢を射掛ければ済む話だろうに……舐められたものだな」
「馬鹿なことを。敗者に矢を射掛けて止めを刺すなど武士として恥ずべき行為!そんなことをしては天の父に顔向けが出来ぬわ!」
(ここまで執拗に追い詰めておいて、今更武士の恥を語るか……)
嘲るような調子の桐芳の声に憤りを覚えるも、今のまともに戦うこともままならぬ自分に腹が立つ。
呪う。呪う。呪う。嘆かわしい。嘆かわしい。憎たらしい。憎い、憎い、憎い───
「俺は、一体、何をっ……やっているのだっ!!」
何をやっている?愚問だ。生き恥を晒し逃げている。仲間も部下も全て全て犠牲にして、尚のうのうと生きている。
俺が強ければ、俺がいつも通りに戦えていれば、誰も死ななかったかもしれないのに───!!
もし仮に生きて帰ったら、このまま帰ったら、なんと思われるだろう。なんと言われるだろう?
───誰も守れなかった、口だけの弱者?
それだけでなく今までの武功も全て水泡に帰す可能性だって───
「不味い、不味い、それだけは、それだけは何とかして避けないと……」
彼は初めて追い詰められていた。
人生で初めての経験に魂が壊れかける。脳味噌が委縮し、思考回路が狭まる。
彼が今ここで殺されれば自身が極め抜いた二刀流剣術も、誇りも、全て汚されてしまう。
自害するわけにもいかない。
どうにか、どうにかならないのか───
その時、彼の目の前に、まるで天啓の如く、大きな古い吊り橋が現れたのは、偶然だったのか、必然だったのか───
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