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異世界雨神様  作者: 獏儡霤夢
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第十六話

 兜に隠れてその表情は見えない。

 だが零夜は何故か察することができた。──あそこに立っているナニカは、声も出さずに、慟哭しているのだと。

「零夜……」

 青い顔をする仕事仲間。彼らを庇う様に、彼は鎧武者の視線の先に立ち、睨み合っていた。

 厳密にいえば相手が零夜を見ているかは分からないのだが。

 庇うのはその場にいる人を守るため、などと大層なことを言うつもりは無い。ただ単に自分以外に戦える人間がこの場にいないから。

 自分がやる以外の選択肢が存在しないから──

 それ故、彼は柄に手を添える。

「……親方、前回ってどうやって対応したんですか」

「前は橋を落とそうとしてたから先に俺が叩き切ってアレごと橋を落とした。だが今回も同じ手が通用するとも思えない。それに、これ以上は橋に損傷を与えたくない」

「誰か、シグを呼んで来てください。それまでは自分で耐えるんで」

 親方の言葉にはそう答える。


 そして無言の自己分析を開始。


 四肢の筋肉痛の痛みは半ば慣れてきている。動きに支障はあまり無い筈だ。そう思いたい。

 ゴワゴワの作務衣は脱ぎ捨て、動きやすいいつもの服装。草履を履くのもいい加減慣れた。目立った外傷はどこにも無い。

 つまり、肉体的なコンディションはそこまで悪くない。

 精神的に言えば、逃げれば親方の話が真実であるならば後ろの人たちは間違いなく死ぬだろうし、そうしたら橋も落ちるだろうし、そうなれば後輩の思いに背くことになる。

 間違いなく、零夜は逃げることができない。そうなるようにたった今自分で自分を縛り付けた。


 そこまで確認した彼は、ぎしり、と軋んだ音を立てながら標的を見据えたまま背筋を伸ばして歩みより、長大な橋の上に立つ。

「模倣神術:夜叉骸纏」

 その詠唱と共に、再び右腕に巻き付く漆黒の包帯。それが黒い霧のようなオーラを放った瞬間、今まで微動だにしなかった白の甲冑の鎧武者がおもむろに腰から脇差を抜いた。

 これもまた眩しい程の純白の刀。切っ先から柄までびっしりと美しい意匠が施されており、その刀身には一点の曇りも無く、まるであらゆる汚れを拒んでいるかのように光り輝いていた。

 それを宣戦布告と捉え、零夜は全身を引き絞る。相手の実力が未知数である今、彼の少ない手札の中では現在は零穿が最適解だ。なにせ本来零穿とは防御不可かつ絶対必中のカウンター。今までの戦闘では通用しなかったが、あの後もほぼ無くに等しい空き時間で猛特訓したため、抜刀の速度は上がり、太刀筋の鋭さにも磨きがかかっている。橋の上で相手の行動範囲が一定に絞られている現在の状況であれば、実質的に最強の初見殺しの技だ。

 対岸側から切り落とすようなら刀をぶん投げる覚悟だ。

 明鏡止水。

 雨垂れが水面に静かに零れ落ち波紋が広がる。そんなイメージ。

 精神統一により練り上げられた零夜の霊力が灰色の靄となり彼の全身を薄く包む。これは彼の独自に創った模倣神術……にも至らない神術もどきの術(彼は勝手にアルスと呼んでいるが)であり、能力は触れた者の行動を若干遅らせるといったものである。その効果範囲が彼の体表からごくわずかな距離であるため使いどころがあまり無いのだが、今は有効であると判断。


 向かい合う二人の間で緊張が高まり、びしりとその場の空気が張り詰める。


 その空気を先に壊したのは鎧武者だった。

 名も名乗らず、その大きな図体にそぐわない俊足で、草摺をがしゃりがしゃりとかき鳴らしつつ零夜に迫る。二メートルはあるであろうその巨躯を目前に零夜はただただ待ちの姿勢。タイミングをずらさぬように澄んだ感覚で標的を見定め続ける。

 そして、鎧武者が自身の間合いに入った。

 その刹那に空を切りながら、芸術的と表現さえできる程に冴えた剣筋をなぞる白い唐竹割りが高速で閃く。零夜は極限までの集中により引き延ばされた時間感覚の中で密かに瞠目した。その鮮やかな斬撃は、どれだけ修練を重ねたのか───間違いなく武芸を極めた一部の者にしか辿り着くことのできない次元にあった。

 だが、その一撃が冴えていればいる程、彼の零穿はその真価を発揮する。

 靄に刀の切っ先が振れた刹那、その斬撃の速度が低下する。その隙を逃さずに彼は電光石火の零穿を解き放つ。零夜の脳天に鎧武者の唐竹割りが突き刺さるよりも尚速く下から切り上げられる袈裟斬りが残像を描きながら白い甲冑のがら空きな胴体に容赦なく喰らいつく。


 一瞬の黒い太刀筋と白い太刀筋の交錯。その果てに、地に赤い液体が滴り落ちる。


 格闘技のカウンターの威力が高い理由として、相手の攻撃の勢いがそのまま上乗せされる為に自身の攻撃力が倍加するというのが通説であるが、これは厳密に言えば正しくはない。勿論物理的な衝突速度の増加も要因の一つではあるのだが、それよりも大きな要因として防御反応の有無がある。通常人間は攻撃されるときに歯を食いしばる、筋肉を硬直させる、手をかざすといった何らかの防御行動をとる。しかし自分が攻撃しているときには、その反射神経は鈍り、場合によれば皆無になってしまうのだ。その結果、カウンターでダメージが入った時に防御機構が働かず無防備なままダイレクトに攻撃を貰ってしまい、クリーンヒットになってしまう。

 零穿はそれに加え、抜刀から攻撃に移るまでが凄まじく早いため、受ける側には太刀筋が全く見えない。その為必然的に意識外からの斬撃となり、より防御されにくくなるのだ。


 だからこそ、零夜は失念していた。


 防御反応が鈍るのは、零夜側も同じこと──それどころか、必中であると確信してることで防御機構は最早働かなくなってしまうということを。


「あ?」

 有り得ない事態が発生している。零夜が踏み込んだことで一歩分頭からズレた座標である左肩に、激痛が走っているのだ。

「う、うああああああ!!!!」

 理解不可能なその現象に対する脳の処理が追いつき全てを理解した刹那、絶叫が響いた。肩に深く食い込んだ白刃から溢れる鮮血。骨の髄まで響いた衝撃によって目の前が真っ白になり、脳漿に焼き付いた痛みが零夜の感覚全てを凌辱する。

 滲む視界。その先にあるのもう一対の短刀に攻撃のベクトルを変えられた、絶対必中だったはずの雨御護闇切彌の刀身が。

 つまるところ、零夜のカウンターは鎧武者の左腕に隠し持っていたもう一本の刀と合わせたカウンターみ完全に合わせられて返されたということだ。

 零夜はとにかく自分の技がまたも不発に終わったことに対する鬱屈たる思いはどこかに捨て去り、意識を切り替えて次手を講じなければならないのだが、現在の彼の脳細胞が感じられるのは「痛い」というただその一点のみであり、そうやって委縮した状態ではまず高等な思考回路は望めない。状況は圧倒的に最悪。

 それでもなお、思考の埒外にある第六感の作用で動くことができた辺り、戦士としての粗剃零夜も案外捨てたものでは無かったらしい。

 脇腹への追撃により確実に零夜を屠ろうとする鎧武者の左手を脊髄反射で蹴り上げ、バランスを崩したところへ続けざまに、痛まない側の右肩で全身全霊のボディタックルを叩き込んだ。

 最初に鎧武者が駆け出してからここまで、実際は数秒にも満たない。まさに疾風怒濤の目まぐるしい攻防。

(軽い?)

 その体格からは想像できない程の右肩への手ごたえの軽さに零夜は思わずよろめいた。無防備極まりない体勢を晒していることにはたと気づき戦慄が走るが、心配する必要は無かった。その鎧武者は二度、三度とバウンドして、橋の中腹の辺りまで逆戻りしていたからだ。

 がしゃりがしゃりと、鎧は再び立ち上がる。

 その隙を逃してなるかと、零夜は駆け出す。その軽さの違和感も先程の冷静さも既に消え失せ、ただただそこには受けた痛みへの復讐心があった。

 左肩から溢れる血潮を意に介さず、揺れる橋の上を疾走。脚には模倣神術によるブーストはかかっていないが、今までの労働による脚力の根本的な強化によりそれなりの足の早さを誇っている。

 ビームが出る訳でも、炎が出る訳でも無い彼の斬撃にあるのは、どこまでも野蛮で粗暴な、敵を叩き潰すためだけの暴力。

 零夜の力任せな横薙ぎの一閃が深く突き刺さり、鎧に大きな傷を作る……が、致命傷には程遠い。

 そして、雨中の魂と魂の削り合いが始まる。

 火花を散らしヒットアンドアウェイの繰り返し。脇差二本の鎧武者と太刀一本の零夜は明らかに攻撃の間合いが食い違っている。よっていかに自分が得意な攻撃の範囲に入ることができるかというところが焦点になってくる。鎧武者は追いすがり、零夜は下がる。とはいえ一本道の橋の上での戦闘では下がるのにも限界が来る。

「クッ……ソが……」

 思うようにいかない展開に、火花を散らしながら歯噛みする。鎧武者の繰り出す二本の短刀による連撃は、飛燕の攻撃よりも手数の多さから捌きづらい。集中力を削ぐ訳にもいかず、思考に意識を割くこともままならない。このぎりぎりのバランスで均衡を保っている天秤だっていつ崩壊するのか。今は断言できないが、そう遠くない内であることは自明の理……せめてさっきのようにボディタックルで弾き飛ばして対岸で戦えれば良いのだが、その隙はもう訪れないだろう。

 シグさえいてくれれば。

 今ここにあの雨の女神がいてさえくれれば、と零夜は無意識のうちに仮定してしまう。

 無意味だ。今彼がやるべきことはその過程が現実となるまでの時間稼ぎなのだから。

 ───と、そんな無意味なことばかり考えていたせいだろう。文字通り、足元が疎かになってしまったのは。

「──────!!」

 雨に濡れてヌルヌルになった生乾きだった防腐剤に、足を取られた。

 全身が崩れ落ちる。───よりにもよって、敵の眼前で。

「心臓と腹部を押さえてせめて即死だけはいやいや肩がこれ以上抉られると痛みで気絶するだろうちょっと待て足が切り裂かれたらその時点でお終い機動力は確保しろ死ななければ何とでもなる踏ん張れいや刀を突き出して落ちろ掴め耐えろ起き上がれ……

 喧々囂々に騒ぐ脳細胞。だが、鎧武者がとった行動は零夜の想定とは全く違ったものだった。

 零夜の髪の毛を強引に掴んだ鎧武者は、そのまま腕を上げ、足を浮かせる。そして喉を強く掴んだ。

 無骨な小手が、零夜の喉仏を握りつぶそうと力を込めていく。

「うううう……あああ」

 掠れた声を上げながら足を必死でジタバタさせるも意味が無い。右腕から刀が滑り落ちる。

 その時、ふと兜の奥から何かが見えた。

 それは何故か、まるで虫を寄せ集める誘蛾灯の如く零夜の意識に介入し、その存在を強く主張しているように感じられた。

 息継ぎを忘れて見入る。魅入られたように、喰いつくように、吸い込まれるように、襲い来る死への恐怖すらも置き去りにしてその薄く淡い何かを────











「兄上、兄上。侲善(しんぜん)はここにいます。今日は拙者と仕合をする約束でしたでしょう?」

「その前に。まずはこれを見よ。父上と母上が、お前にこの甲冑と刀を送ってくれたぞ」


 そこには、それはそれは白い脇差がニ本と甲冑が一式。

読んで下さり、ありがとうございます。感想・評価をして下さると幸いです。

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