第十三話
その後、準備を終えた二人に抱き合ってるのを見られてしまい、無事に女神様の発言のフラグを回収する零夜であった。
「違う、違うんだって!!合意の上だし、大体俺等こういうことは何度もやってて、ほら日常茶飯時って奴なのよ、ほらシグだって俺に甘えたいお年頃」
「殺すぞ」
正座のまま必死に弁解する零夜であったがその弁解の内容がは本当に気分を害するものだったのか、物騒なセリフを殺意を剥き出しにした表情で言ってくるシグである。正直言って何が地雷なのか未だによく分からないという点が非常に怖い。
多分甘えたいお年頃を少し過ぎて大人ぶりたいお年頃なんだな、などと零夜が考えているとそれが伝わったのか再びジト目で見上げてくるシグ。以心伝心も場合によればただの呪いである。
そして不幸なことに、その態度は目の前の少女二人に誤解……とは言い切れないものの実際の事情よりはもう少し行き過ぎた解釈をさせるには十分な態度であった。
「いや、そういう問題では無くて、そういう変態的なスキンシップを取る時は時と時間と場合を弁えて下さい、というかこういうのを何度もやってるって情報は本当に必要だったんですかね不審度が増しましたけど」
「べ、別に私は零夜さんが幼くて無垢な女の子にしか愛情を注げないようなそんな歪み切った性癖の持ち主だったとしても特段それで差別するようなことはありませんけど……できればもう少し人目を気にするべきだと思います……あと、私は互いが好き合ってるなら、否定はしませんから、寧ろ応援しますから……ね?でも、相手の気持ちを考えるのも大切なこと……ですからね?」
「畜生……人の話を聞いてくれ、誤解なんだって、俺はロリコンでも何でも無いんだよ分かってくれよ」
にべもなく早口で辛辣な言葉を投げかける紫苑と優しく諭すように毒吐く蜉華。二人の息はぴったりで、その取り調べにも使われる手段と言われている、「言葉に緩急をつける」口撃はただ一方的に責められるよりもなお強く零夜の精神を抉る。
ほんの少しだけでも築けていたと思っていた信頼がガラガラと音を立てて崩壊していくような気がした。
「なんというか、まぁ、やりすぎたな。すまんの」
「こればっかりはその程度の謝罪で許してやる訳には行かねーよ!!」
基本的には彼女に絶対服従の姿勢を見せる零夜だが、彼とて譲れないものはある。
というかこれから信頼を積み重ねようとする相手にロリコン野郎の称号を植え付けてしまったのだから、それをこの程度の謝罪でつるせるとしたらそれはもう聖人君子の類であろう。そして聖人君子ならそもそもこのような誤解を招く行為には出ない。要するに誰も許せないと言う事である。
「そう言われてものう、こればっかりは儂にはどうにもできない事象じゃからなあ」
「いやいや、お前だけはこの状況をなんとかできるんだよ!早く二人の誤解を解いてくれ、もうこの冷たい視線に耐える余裕が俺には無いんだよ!」
「死ぬほど面倒じゃから断る」
「後生ですから!!さっき幼児みたいな扱いしたのは撤回しますから!!」
半泣きになりながら額を思いきり畳にこすりつける。つまるところ怒涛の土下座であった。
部屋の中心で機嫌を損ねた白髪幼女に対し知り合って間もない女子二人が虫けらを見るような目を向ける中、異様に清々しく美しい土下座をする元高校二年生。
傍観者たちも当事者も誰も幸せにならない地獄絵図が、そこには展開されていた。
その場にいた全員が、零夜本人も含めてドン引きしていた。
「ま、まぁ誤解だというなら、まぁそういう風に思っておくので、そろそろ顔を上げて下さいよ。自分の女神様に迷惑をあまりかけないで上げて下さいな」
顔を上げていない零夜にも今言葉を発した紫苑が引き攣った笑みを浮かべているのがありありと想像できた。しかも肝心なその擁護のセリフには欠片ほども誤解が解けているとは思えない程感情が籠っておらず、唯一シグへの同情の念は籠められていたようにいたようには思えたが、それはつまり誤解を解くことがより難解になったと言う事で。
零夜は本気で頭が痛くなってきた。
「いやー良かったなぁ零夜。誤解は無事に晴れたようじゃぞ?」
厭味ったらしく顔を歪めて皮肉を吐きながら自分の顔を覗き込むパートナー。その姿に反射的に首をへし折りたいという感情が沸き右腕が動き出すのを必死でを抑え込むように零夜は奥歯を噛み締める。
ゴリィッ!!!という壮絶な音が響いた。
最早闇落ち状態のまま放っておけばよかったのではなかろうかと彼が死んだ目で考えていると、
「あの、もう気にしないでいいですよ?お腹……すいてるでしょ。早く行きましょう?」
その目の前に白い手と慈愛に満ちた救済の言葉が差し伸べられた。
それは勿論のこと、蜉華の物である。
「ああ……女神様……」
「いやいや、大袈裟ですよ……?」
困惑したように彼女が言うが、それに構わず目の端に涙すら浮かべ、零夜はよろよろと立ち上がる。そしてその手を離すことなく勢いよく反転、おもむろに後方に並んで立っている二人に指を指す。
「どうだ、これが本当の女神ってやつだ!見てみろ蜉華さんだけだ俺に優しいのは!ちったあ見習え!」
「あの、手、離してくれませんか?」
「ウィッス」
言った矢先に拒絶されて変な声が出た。
手を離して分かりやすくしょぼんとする零夜の様子に、その場にいた全員が爆笑する。
「いやー、ちょっと、もう、お腹痛い……ふふっ」
「もう勘弁してくれよ……」
「ごめんなさいごめんなさい、いやいやちょっとからかっただけですからそこまで悲観しなくても良いじゃないですか」
目尻の涙を拭いつつ零夜の肩を叩きながら、あっけからんと放たれた言葉に彼は怒りを通り越してがっくりとうなだれる。
「冗談は人が笑ってくれるから冗談で許してもらえるんだよ……」
「私たちはいっぱい笑いましたけどねー?」
「あー言えばこー言う……」
にへらっと笑う彼女の顔を見ているともう説教を垂れるのも馬鹿らしく思えて、感情の行き場を失くした零夜は結局困ったように苦笑を返しながら部屋から出る。その様子にまた紫苑が笑った。
「まぁまぁ、腕によりをかけて料理しますんで、許してくださいな」
「じゃあまあ期待しておこうかな」
空腹で悲鳴を上げる胃袋をさすりつつ、先の大乱闘で若干すり減った蜉華作の草履を履いて外へ出た。
夕日が差し込んでくるのを手で塞ぎつつ、隣のシグと無意識に手を繫ぐ。ひんやりとした冷たい感触を感じながら階段へ歩いていく。
「ふふっ、本当に仲が良いんですね」
黒い巫女服をちょいとつまみ上げながら石段を下りてゆく蜉華が笑いながらからかうように言う。零夜はもう今更だと言わんばかりに言葉を返さず空いた左手で頭を押さえた。
「もう癖になってんな……もう諦めようか」
「ここまで見せられたら流石にからかう気もなくなりますよー。なんかこう見てたら仲睦まじい兄妹にも見えますしね」
本当に、羨ましい。
そう締めくくった紫苑の表情にはいつもの微笑の代わりにどこか悲しげな表情が写っているように見えた。
「ちょ、どうしたんですか……」
どうにもその表情に違和感を覚え、問いただそうとしたが、その前に当の彼女はいつもの笑みに戻って、
「せっかくだし、駆けっこでもしますか?よーい、どん!!」
と、勝手にそう言って駆け出してしまった。そのままオリンピック選手もかくやとも思えるほどの速度で見えなくなってしまう。
「蜉華さん、アレ追わなくていいんですか!?なんか行っちゃったんですけど!?」
「大丈夫ですよ、私たちはゆっくり行きましょう……ね?」
焦る彼とは正反対に、どこまでも落ち着き払ってはんなりと微笑む蜉華の様子に頭に疑問符を浮かべながら並んで歩いていくと、すぐに彼女の言葉の意味を理解した。
「コヒューッ……コヒューッ……」
紫苑は走り始めた地点から三十メートルも行かない辺りで、四つん這いになりながら呼吸困難に陥っていた。
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紫苑を背負った零夜が彼の代わりにシグと手を繫いでいた蜉華に案内されること約十分。香楽庵と暖簾の架かった店は虎と戦った繁華街の真ん中あたりに設置されていた。
「飛燕さーん?いますかー?」
暖簾をくぐる蜉華に続いて、おずおず零夜も中に入る。
若干蒸し暑い外とはうってかわって冷えた店内では、もう既に大量の客が入っていた。老若男女関係なく、いかにも場末の居酒屋といった印象を受けるテーブル席やカウンター席に所狭しと並んで、酒を飲んだり御通しと思しき小皿に乗った料理を食べていた。
「すまないな、皆が待っていたから御通しだけ先に出しておいた。注文はもう既にとってあるからもうすぐに入って貰って……いや紫苑お前何があった?」
「いやー……不覚不覚……ちょっと走っちゃいまして……」
後ろから背負われた状態で出てきた紫苑に、そのセリフだけで何かを察したように溜息をつきながらも頭をやれやれと振る飛燕に彼女は苦笑いを返す。零夜がゆっくりと彼女を背中から降ろすと、飛燕が厨房から出てきた。
小学生が給食当番で着るような真っ白な割烹着を着ていた。
「君が運んできてくれたのか。怪我はもう大丈夫……君は君でなんでそんな変な顔を?」
零夜をねぎらうように飛燕がそう言うが、言われている彼はそれよりも絶望的に似合ってなさすぎる割烹着に笑いを堪えるのに必死だった。
「怪我は……お陰様で、頬が多少痛む程度だけまで……回復しました……」
「?まあ良い、それは僥倖。君も何か食べていくだろう?あっちの隅に座っていてくれ」
腹筋を押さえながら半笑いで言う零夜に不信感を抱いたような表情をしながら奥のカウンター席を指し示す飛燕。その仕草自体はとても様になっているのだが、いかんせん割烹着のせいでギャップが生まれシュールな光景となっていて、もう堪えきれずに吹いた。
それを無かったことにするべくそそくさと示された席に座る。
ついてきたシグも後ろでニマニマしていたから同罪だ。
「いや、ちょ、あれはマジでなんなの?あれはこちらでは普通のことなの?普通に飛燕さんがおかしいの?どっちなの?」
「いや知らんし……ただ普通にあれは反則……っ」
「ご注文をお伺いいたします、お客様」
「「ひゃい!?」」
音もなく背後に忍び寄っていた黒髪の少女に声を掛けられ、笑っていたところを見られたかと焦る二人に対しその少女は抑揚のない声で、
「ご注文はお決まりですか?」
と繰り返す。
「あ、はいえーっと……」
慌ててメニュー表と思しき紙を捲る。
『・鳥醤揚
・鮭白根
・芋肉揚……』
思わぬ障害、料理名が全く分からない。
写真や絵があればなんとかなるはずだが、それもない。というか漢字は読めるのにそれが合わさって作られた単語の意味が分からない。
「……おすすめって、分かりますか?」
「今日は良いサバが入りました。茶豆煮などいかがでしょうか」
またもや良く分からない単語が飛び出してきたが、それ以上の詮索は諦め、
「じゃあ、それを二つお願いします」
すると、彼女は静かに首を傾げる。
「二人分、と言う事はそちらの女神様も?」
「あ、はい。そうです」
「かしこまりました」
全く抑揚のない声で受け答えを終えると、彼女は制服だと思われる紺色の着物を翻す。そして足早に去って行った。
「……サバとか鶏肉とか、原材料の名称は一緒なのにの」
「本当だよ」
もう一度読み返してみるが、やはり既知の名前の料理は見つからない。解読を放棄し、元あった場所に紙を戻した。
「御通しです」
ほどなくしてやって来るさっきと同じウェイトレス。完全に気配を感じられ無いのでやっぱり心臓に悪い。
「枝豆です」
「枝豆……の?」
「枝豆です」
「枝豆ね、分かりました」
青い小鉢に盛られたどこからどう見ても枝豆以外の何物でもない緑黄色野菜を摘み、こわごわと口元に運ぶ。
「……どうじゃ?」
「旨いよ?お前も食う?」
「いや儂は草を食む趣味は無いといっておるじゃろう……本当に本当の枝豆?」
「の、塩茹でだわこれ」
警戒して損したと思いつつ、塩加減が絶妙な枝豆を堪能する。煮るという言葉がある以上、茹でるという言葉も存在していてもおかしくは無いのだが。そこら辺の基準が良く分からない。
シグが湯飲みに注いでくれた水を飲んでいると、またもや同じ女性が、
「茶豆煮二人前です。どうぞ」
想定していたよりもずっと早くお盆を運んできた。
「ではどうぞ」
果たして二人の目の前に並べられた料理は。
白米。お吸い物。
そして。
サバの味噌煮だった。
茶豆とは味噌のことだった。
「まさか味噌だとは思わなかったの……てっきり筑前煮とかだと……」
「まあよく考えりゃ味噌って原材料大豆だし茶色だし……今まで全く持って気付かなかったが味噌ってなんで味噌って名称なんだよそっちのがよっぽど違和感あるじゃねえか」
ここにきて味噌という概念に対する真理を垣間見た零夜とシグだった。
食べてみると味は今まで食べてきた味噌よりもかなり濃厚且つ上品な風味が感じられる。白米にベストマッチしていてとても旨い。
二人で舌鼓を打っていると、厨房でドヤ顔をして直角に伸ばした親指と人差し指を顎に蜉華が這わせる。恐らくこの世界でのガッツポーズか何かだろうと判断し、こちらは親指を立てる。
彼女は飛燕とは違い、緑色の曼陀羅柄のエプロンを身に纏い、深緑色の髪は後ろで結って三角巾の間から垂らしている。もとの素材が良いことも相まって、とても様になっていた。
「ちょっと良いかな」
と、そこにさっきの冗談のような割烹着を脱いだ飛燕が声をかける。
「何ですか?」
昼間のことを思い出して声が幾分か硬くなるが、それに構わず飛燕は後ろに立っている体格の良い中年の男性を右手で示しながら、
「君と君の女神はこれから行く当ても職も無いだろう?実は今君たちに適性のある仕事があるんだけど、頼まれてくれるかい?」
「はい?」
読んで下さり、ありがとうございます。感想・評価をして下さると幸いです。




