第十二話
きっと、彼女は二人から事の顛末全てを聞いたのだろう。
零夜がボロボロになった理由も、零夜がどこまでも子供の用にみっともなく喚いていたことも。
それらが例え零夜からすれば彼の自業自得で、他に誰の責でもないと思っていたとしても、霧払驟時雨が彼と同じように思っている訳がない。元来これは彼女が零夜の意思を振り切り、勝手に提案を承諾してしまったことから始まった試合であった、その上、普通に素手の飛燕による蹴り一撃だけで序盤に戦線離脱してしまったのだ。とっくに戦いは終わったころに目覚め、その後全身傷だらけで、疲労困憊、満身創痍の零夜の姿を見たとき、何を思ったのか───想像するのは難くない。
彼女は零夜のことを思って、そして零夜に改めて自分の存在意義を認めて欲しくて、この勝負を持ち掛けたというのに、全てが裏目に出てしまったのだ。間違いなく自責の念に駆られたのだろう。
彼女は幼い。
彼女の精神は不安定で、どこか幼くて、どこか大人びていて、きっと彼女自体そんな自分を制御することができないのだと思う。
平安の世に生を受け、蝶よ花よと愛でられ、神に召し上げられ、暇を持て余し孤独で潰されて。そんな彼女のメンタルが強いはずもない。どうして早く気にかけてやらなかったのか。
どれだけ悔いても遅い。
もう既に彼女は、闇落ちしてしまっている───
「体は大丈夫かな」
「大丈夫だから心配しなくて良いけど俺はお前が心配だわ!!ていうかその口調は一体何なの!?」
声のトーンが女声の最低音域のアルトよりも低い……
呼吸するだけで瘴気にやられそう……
零夜の心労は絶えそうにない。
「儂があんだけカッコつけて始めたのに速攻でダウン……ダサいよね。その挙げ句自分の信者にだけ無理させて自分は無様に気絶とか、死んだ方が良いんじゃないのかな」
「いつもの威風堂々としたシグはどこに行ったんだ!?」
「威厳?ほら、どっか行っちゃったよ。冥界とかに行ったんじゃね?」
「まさかアイツのとこまで行って持って帰れと……?」
腐っているとはいえまさかの発言に絶望しつつ戦慄。神は死んだ。いや事実雨神のメンタルが死んでいるのだが。
「もーいやあー……死にたい……これはもう零夜が儂の頭をよしよしするしか無いよ」
「はいはい、仰せのままに」
どさくさ紛れに甘えに来たシグにお決まりのセリフを返して、零夜は少し近寄ると彼女の細い胴に優しく手を回し、抱き締めた。抵抗なく抱かれる彼女の頭が胸に当たるのを感じながら右腕をずらし、ゆっくりとシルクのような手触りの白髪に指を埋めて頭を撫でる。
「はい、大丈夫大丈夫。」
「すーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「尋常じゃない呼吸音!?何吸ってんのお前!!」
「至福」
そんな爆裂に馬鹿げた妄言を本当に幸せそうに言うのだから、本当にこの女神は救えない。
「と、まぁ冗談はさておき」
すると不意に彼女はぴょこんと飛び跳ね立ち上がる。その眼光には鋭さが戻っていた。
「あやつらは行ったようじゃな。やっと建設的な会話ができるの」
「建設的な会話?」
どうやら何が引き金になったかは不明だが、ともかく彼女のテンションはいつも通りに回復したらしく、それについては安堵するものの、話の切り出し方が不穏であり、なおかつ、霧払驟時雨の眼がいつにもなく剣呑であることに新たな不安を覚える。
というより先ほどまでのテンションとの落差が急激すぎて風邪ひきそう。
「確認だが、さっきの阿呆みたいなテンションは演技だったってことか?」
「儂がたかが零夜のために一々落ち込むとでも思うたか?残念じゃのう?ちょっと期待しちゃった?期待しちゃった?」
「その割には目が真っ赤っかですよシグさん?ってかもうそのキャラ無理じゃない?」
「うっさいわ」
そして零夜も彼女の正面に向かって胡坐をかく。
「じゃあ何の話か聞こうじゃないか」
「ふむ、では、儂が考察したことを順を追って説明しようかの。まずはこの世界線に飛んできてしまった理由について」
いきなり核心を突くような議題に零夜は静かに息をのむ。その様子を見たシグがここぞとばかりに彼の顔面を自慢げな表情で覗き込んだ。
「どうじゃ?少しは驚いてくれたかの?儂がただそこで泣き喚いていただけだと思ったら大間違いじゃからな?」
「もう泣いてたことは否定しないんだな」
「うっさいわ」
「泣いてたのはもう否定しないんだな」
「やめい」
見た目は煩わしそうに、しかし分かりやすく照れたようにあしらう女神様である。だがすぐに彼女は咳ばらいを一つして脱線した話を戻す。
「まずな、違和感が幾つかあったろう」
「ほうほう。例えば」
すると彼女はさながら推理を集まった関係者に対して自慢げに披露するクライマックスの探偵の如く、書院造も正方形の部屋を零夜を中心としてぐるぐるぐるぐると周り始めた。
「一つ目。ワープゲートが押し入れの中にあった。儂ら以外に、他の者が落ちてしまう可能性だって十全にあったというのに、じゃ。二つ目。召喚者が現在になっても出てこない。三つ目。これが最後じゃが、神獣が来るタイミングが丁度良すぎた。以上じゃな」
そこで彼女は零夜の正面に来て足を止めると共に一度言葉を切る。
零夜は一気に開示された情報をゆっくりと反芻する。
そして、慎重に言葉を選んで、口を開いた。
「そもそも俺たちが選ばれたという前提は大丈夫なのか?たまたま俺の家に出てきて、たまたま俺たちが引っ掛かった……」
「それで、たまたま引っ掛かったのが片や天地神明で最強無比の女神様、片や国士無双且つ剽悍無比の高校生、それらがタッグを組んだ現代最強のコンビ、か?そりゃあ出来過ぎたたまたまじゃの」
皮肉っぽく口の端を歪めて彼女は言う。そしてつかつかとまっすぐに零夜の目の前まで歩み寄る。
「御託はここまでじゃ。結論から言おう」
「了解。推理を聞こうじゃないか」
「恐らく、これが触媒というか……目印となったんじゃろうよ」
そう言うと零夜の腰から雨御護闇切彌をゆっくりと引き抜いた。
美しく輝く刀身を突き出し、零夜の表情を映しだす。
「雨御護闇切彌が、目印」
「そう。そもそもワープホールが押し入れの中にあったということ自体から疑問に思っておくべきではあったのじゃな。不遜極まりないことに零夜、お前はこの稀代の名刀を押し入れに放置しておった。よく考えれば……というか後で説明するが、明らかに神の領分に達しているナニカがワープホール付近にあってしかるべきじゃったのじゃな」
「成程。しかもこの情報は俺らをここに送り込んだ輩は俺たちの素性とかは全部知ってると言う事も証明している訳だ。大体納得は行くが」
「問題はこれからでな。実はこの辺りで大きな矛盾が発生してしまうのじゃな」
彼女は困った風に肩をすくめる。
「このワープホールを作るという荒業──成しえるのは、あちら側の神には絶対的に不可能なのじゃ。よってこちら側の神が……いや、これは表現がなかなか難しいな。とにかく、あちら側というのは儂らの出身の世界線であり、こちら側というのは今儂らがいる世界線ということで統一するぞ」
「分かった。では、その通りに……ってああ、なるほどね。矛盾ってそういう事か」
胡坐をかくのにもいい加減秋が来た零夜は立ち上がり、刀の峰で肩をポンポンと叩くシグを中心にぐるぐると歩く。人間は思考するとき手持ち無沙汰になって練り歩くことが多々あるというトリビアが手に入った瞬間である。
「俺らのことを知ってる神しか呼べないが──」
「そう。呼んだ神はこちら側、今まで接触は一度もされておらず、よって召喚者側も儂らのことを知らないと断言することができる。この時点でこの理論は完膚なきまでに破綻させられておるのじゃ」
険しい表情を崩すことなく、霧払驟時雨は零夜の言葉を引き継いだ。零夜は間を空けずに意見を重ねて述べる。
「どっちの前提を崩すべきなんだろうな……本当にあちら側の神にはワープゲートは作れないのか?俺からしたらこっちの前提条件の方が崩しやすそうに思える」
「いや、厳密にいえば不可能では無い。まったくもって簡単な仕組みじゃからの。極論、儂にもできなくは無いしの」
そこで一度、小さく息を吸った。
「空間に穴を空け、異なる世界線を繫ぐ。そういう表現をすればなかなかの荒業に思えるじゃろうが方法自体は単純明快。自身の霊力を束ね、圧縮し──ここまでの工程は儂がこの秋水を鍛造した時と寸分違わず同じじゃが──それ以上に濃度を上げ、虚空に砲撃の如く打ち込めば空間に孔を作ることは可能なはずじゃ。この世界線がある以上複数の世界線が存在するはずじゃしそれがどういう風に対応しているかは定かではないがの」
「ふむふむ。それができない理由は?」
「純粋に霊力量の問題じゃの。儂の今ある全霊力をつぎ込んで行けるかどうか五分五分。儂以上の霊力を持った神はおるかは定かでは無いが、いたとて命を張る必要がある。なんせ人間とは違い神は霊力が肉体じゃからな」
長ゼリを終えて彼女はそこで一息ついた。零夜は足を止めずにぐるぐると歩き回りながらひたすらに思考し続ける。
「誰かが命賭けて俺らを落とそうとした、と仮定したら?」
「いやいや、神は大概頭おかしいが、唯一真っ当なポリシーがあってな。あやつらは一貫して自分だけは死にたくないと思っておる。じゃからそんな命懸けみたいな真似はまず選択肢に浮かぶことすらないじゃろうよ」
「そっか……あー駄目だこれ詰んだわ……」
これ以上特に案が出るわけでも無く、呆気なくギブアップした零夜は勢いよく畳にごろりと転がり熱暴走した脳をクールダウンさせる。
「まあ儂もそうだしゆっくり考えなきゃならんの。ただ、これだけは伝えさせて欲しいんじゃ」
霧払驟時雨はその隣に向かい合う形で寝転がる。
「三番目の疑問で言ったが、儂らがここに転移した直後に神獣とやらが殺しに来たじゃろう」
「ああ、アイツか。飛燕さんとの戦闘が凄すぎて忘れてたわ」
「それについては同感。分かりみが深いという奴か?」
その若者言葉は平安貴族が言っていいセリフでは確実に無いのだが、それは置いておく零夜。慣れとは恐ろしいものだ。
「なんだっけ、タイミングが良かったって言ってたか?」
「うむ。儂らが転移してすぐにここに来たじゃろう。まあ、単にあるあるイベントと考えても良いのじゃが、もっと現実味のある理由が思い浮かぶ。二つ目の召喚者が現れない、というのにもつながってくるがな」
「……殺し?」
「その発想がポンと出てくるのが零夜の恐ろしいところじゃが……そうじゃの。儂ら二人の内片方だけ呼ぶつもりだったのに要らないのがついてきたから殺さないと、という発想に至ったっておかしくは無いじゃろう」
深刻な表情で彼女は言いながら、ごろりと一回転して彼の腕にしがみつく。
「俺とお前のどっち狙いだったんだろうな」
「まあそこは考えても詮無いことじゃから良いとして、儂が言いたいのはなるべく二人で行動しようと言う事じゃ。一人でいるときに狙われでもしたら確実に死ぬぞ」
不安げに見上げる彼女に言われ、何を大袈裟なと返そうとして、さっきまでの2回の戦い思い出したせいで何も言えなくなってしまった。
「そうだよな……もう俺たちは無敵コンビじゃなくなったのかぁ」
胸に劣等感が灯るのを感じながら、零夜はしみじみと呟く。
久方ぶりに帰ってきた感情、今まで慣れ親しんできた感情、雨の神に出会うまで自分を苛んでいたその感情を思い出し苦笑する。
「シグ」
「なんじゃ」
「離れないでくれよ、俺から」
「……当り前じゃ」
粗剃零夜は、弱いから。
誰かが隣にいないと、支えてくれないと、この劣等感に押し潰されてしまう。
それを霧払驟時雨は知っているから。
彼女が弱いことを零夜が知っているように、彼の弱さを霧払驟時雨は知っている。
「儂もお前も、元々弱かったんじゃから、今更無敵じゃなくなっても変わらんよ。お前がやりたいように生きろ。誰がそれを認めずとも、儂だけは零夜を守るからの」
「ありがとよ」
万感の思いを一言に乗せ、手の中の幼女を彼は抱き締める。
「いつも思うがの。お前は抱き締めるしか能がないのか」
「悪かったな」
「儂は最高に幸せじゃが、傍から見ればただの犯罪にしか見えんぞこれ」
「うるせえよ」
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