第十話
帰ってくる。
冥界から、死線へ。
どうやらここでは、何処へ行っても常に命を賭けて生きていかないと行けないらしい。普通よりちょっと異常を齧った程度の高校生が生きるには厳しい世界だ。
目の前には最早親しみすら覚える位に慣れてしまった威圧を備える六本腕の仁王、そしてその前に刀を鞘から引き抜く飛燕。
「えっ……どうしたんですか?何か急にげっそりしてませんか?」
「大丈夫ですよ、ちょっと嫌いな奴に会って来ただけだから」
あのやりとりを現実に引きずりたく無かったのだが、表情には出てしまっていたらしい。ほぼ見ず知らずの人間に対しても心配してくれる紫苑の優しさが心底憎悪する相手との邂逅で腐りそうかけた零夜の心に染みて感動で少し泣きそうになる反面、どこに行っても、人の温情を受けなければ生きていけない自分の弱さを痛感し、情けなくなる。
「持続時間少ないから早く始めようぜ。アイツの顔は暫くは見たくないんだ」
その感情を悟られたくなくて、彼は抜刀しながら勝負の開始を促す。
「……分かった」
「ではでは。仕切り直しと行きましょう……もうカウントも面倒ですし、開始の合図はよーいどんで良いですよね?」
「了解」
「じゃあよろしくお願いします」
紫苑の提案に二人は賛同。
「じゃあ、始めまーす」
気の抜けた様な声で紫苑が宣言する……いや、実際に少し気の抜ける言い方をすることで、互いの戦意を削ごうとしているのかもしれない。彼女からすれば、この闘いでどちらにも怪我をして欲しくないのだろうから。
既に満身創痍気味の零夜からすればその気遣いの今更感は否めないのだが。
「よーい……ど」
ん、の声は地面を叩く轟音に掻き消された。
先の試合では氷山に先手を譲った飛燕だが、今回はそれを許さず、闘神の鉄槌が荒れ狂う。しかし手応えは感じない。それを判断した瞬間に発生した土煙を刀を振り払い、視界が晴れるや否や疾走し始める。
開戦直後、零夜は後方に大きく跳躍して攻撃を回避したのだ。鳥居の下まで約二十メートルの距離を大ジャンプし、その衝撃を抑えるためにしゃがみ込みながら凄まじい速度で着地。地面を滑って石階段から転げ落ちそうになるが、踏ん張って堪えた。
───その刹那、襲い来る殺意。
「速すぎんだろ!!」
「喰らえ」
そして叩きつけられる一本プラス六本の破壊。
鍔迫り合いを繰り広げながらもその間にも金剛杵も襲ってくるため、難易度の高さは今までの物の比ではない。
たまらず反転、からのバックステップ──それを逃さぬと言わんばかりに、前方で鳥籠のように大きく腕を開く紅蓮を直視……失策を悟る。
「覚醒しやがれ俺の反射神経動体視力、あと両足!!!!」
未だ恐怖に震える精神に、肉体に、大声で呼び掛け気合を入れる。そして、襲いかかる闘いの神の猛ラッシュ。
「全て、躱し切れと……?」
「そうだ、やってみせろ!!」
絶望に満ちた声に、律儀に飛燕は答えた。──その声には、どこかそれを期待しているように零夜には聞こえて。
「仕方ねえな……」
その言葉は口の中で転がした。そこまで言われたからには、また自分がそう思ってしまったのなら。
やってやらねば気が済まない。
「オオオオッラアアアアアアアアア!!!!」
雄叫びを上げ。左方向から横薙に振るわれる金剛杵を飛び越え、次に逆方向からの金剛杵に手をついて後方に飛び降りる。そこに振るわれる次の一撃を地面を転がって躱し先程自分がいた場所が抉られていくのを見て戦慄しながらも、今度は背後から再び迫って来た鉄槌を身を躱して避け、後頭部と側頭部へほぼ同時に迫る攻撃をしゃがんで避け、前方に向けて走る。
「────!」
地を叩くテンポが容赦なく一気に上がっていく。当たれば即死、掠めたところでも大怪我必至の猛攻の間を凄まじい速度で縦横無尽にステップを踏んで避ける、避ける、避ける。
そして極限状態が続くこと数秒、紅蓮が溜めを行い、地面を打ち鳴らす破壊音が止まったコンマ数秒の間で反転、再び再開する止まらない猛攻を息をつく暇も無く這って飛んで跳ねてしゃがんで回ってひたすら回避。身を捻り杵と杵の間をぎりぎり通り抜けて疾走、最初と同じように距離を取って一時的に戦線離脱。
息を整えながら、
「くっ……来るなら、」
来い、と言おうとした。
その時、紅蓮が六本の腕を大きく振りかぶったのが零夜の視界に入ってくる。
頭に疑問符を浮かべるのも束の間──その行動の意味を彼は即座に理解させられることとなる。
その金剛杵達は、思いっきり真下に振り抜かれたのだ。
爆音が轟く。
その金剛杵の軌道の終着点にあった石が、地面が、砂利が。それら全てがその暴力的な一撃で吹き飛ばされ、即席の弾幕を形成し、高速で飛来。
派手に飛び散った砂利を躱せるわけもなく、成すすべなく零夜の全身に粒子が撃ち込まれる。そのうちの一つが頬を掠め、患部から血が垂れる。それを乱暴に拭って──全身に痛みを背負いながらも、社の正面にある石段に左足の裏を添えて踏ん張り、刀を納め、両手は地面に触れた状態、前傾姿勢を作る。
そう、クラウチングスタートの構えだ。
強化された左足で一気に踏み込み、スタートを切る。
そして、黒い疾風のように低姿勢のままで神社を黒い風の如く駆け抜ける。
全身傷まみれで、血まみれで、埃と汗でぐちゃぐちゃになったまま、それでも妄執の如く前へ、前へ、ただただ自分に刃を向ける目の前の青年の元まで、絶えず鳴り響く雷鳴の音の様な音と音の隙間ををくぐり抜け、全てを置き去りにするが如く走り抜ける。ステップを踏み、冷静に冷静に数秒後の自分が無事でいられる場所を探り出しそこへ身を躍らせる。
「あああああああああああああああ!!!!」
特に理由はなく、ただ叫んでいた。最早その眼には狂気すら浮かばせ、血が滴るのも気にせず両足を交互に駆動させる。ただその余裕の笑みを歪ませる為に、窮鼠が猫を噛むように。
そして辿り着く。──紅蓮の鉄槌の攻撃範囲外の領域、転式飛燕の懐へと。
飛燕も紅蓮の能力が今は無意味だということを悟ったか、合図を出し、紅蓮を掻き消した。同時、抜刀された雨御護闇切彌と飛燕のまだ名の知らぬ太刀が激しくぶつかり合い、金属音が鳴り響く。
下から、零夜は睨み付ける。
「……どうだ、追いついたぞ……アンタに」
「二人称は統一したらどうだい?……それからその程度で満足されては困る」
だって、ここからが本番だろう?
彼はそう言って獰猛な笑みを浮かべる。
苛烈極まる、最後の鍔迫り合いの火蓋が切られた。
▲▼▲
刀を交えれば相手を理解できる分かるとはよく言ったもので、相手の太刀筋や戦い方で、その人間がどんな人間なのか、飛燕には大体見当がつく。
その人間が何を重きとして戦っているのか、どれくらい鍛錬を積んだのか、何を信念としているのか。
幼少期から誰かと手合わせをするときはいつも、それらを感じ取って、そこから相手の弱点や癖を探すのが彼流の戦い方で、事実それは彼が最高の剣士たる要因の一つである。
が、そんな彼は今、混乱していた。
彼が分析した零夜の刀、それは受ける刀に近かった。霧払驟時雨がいたときは自ら積極的に攻撃をしていたが、彼女が戦線離脱した後は自分から向かってくるのではなく、攻撃を躱した後隙をついて一気に攻める、といった戦い方だった。それに『視て』いたときに颶虎に使っていた零穿という技もカウンター技だった為、総合的にそう判断した。
それが分かってからは、興味を失くした。
だが。
───今の彼は、何なんだ?
互いに足を止め、鈍い金属音を響かせ、零夜の斬撃を払いのけながら、思考する。
彼とて懐に入られ、本気の鍔迫り合いに持ち込まれれば紅蓮の援護を受けることは出来なくなることは分かっている。
零夜がそれを狙ってくることも予想していた。
しかし。ひたすら無言で飛燕から離れず、今までとは比べ物にもならない精度で自分と応酬を繰り広げる零夜の鬼気迫る表情が、今までのどこか達観した表情とは違いすぎて、予想外過ぎた。
更に零夜の攻撃が加速する。それに応じて飛燕はもう一段階ギアを上げる。既に飛燕もかなり消耗している。これ以上加速するのであれば、考えている余裕も無くなる。
───必死で勝とうとしている風に見えるなら分かるが、今の彼は負ける訳にはいかないと叫んでいる様に見えるのだ。
負けず嫌いだとか、自尊心がどうとかの次元では無い。何かに駆り立てられるかの様に、刀を振るっている。
「……何が、君を、そこまで」
焦りからか、好奇心が抑えられなくなったか。ほぼ無意識に、彼はそう漏らしていた。
「……俺って、努力してないんだよ」
刀を握った右腕は変わらず躍動させたまま、零夜は答える。斬撃に勢いが少しだけ上乗せされる。
「この足も腕も借り物……その上、手に入れる時も犠牲を払ったのは俺じゃない」
零夜は耳障りな金属音が響く中、続ける。
「刀って本来、扱いが難しいんだろ?折れやすいし、物を切るにも角度とかが大事になるってどっかで読んだ。でも俺はシグが作った絶対に壊れない、チート武器……ほとんど反則みたいな刀を、何の対価も払わずに貰った。その癖に刀を振る練習もほとんどやってないし、手の皮が剥けただけで諦めたし……俺は努力が嫌いなんだ。人間として弱すぎるから。努力せずに楽な方に逃げるから」
「確かに、そうだね」
彼の刀の扱いが荒いことは飛燕も不自然に思っていた。刀に何らかの仕掛けがあることは何となく分かっていたが、そもそも零夜が鍛錬を積んでいないとは意外な事実だ。
「頭は悪くないから、どうすると効果的なのかとかは感覚で掴んでいったけど、多分それは俺じゃなきゃ出来ないって訳じゃない……多分最初から、俺の立場って俺以外の人間がいたとしても成り立つんだよ。シグに会ったのも偶然だし、なんなら努力できる人間だった方が良かった」
剣戟と剣戟が嵐を巻き起こす中、強い自己嫌悪を込めて、零夜は自嘲する。
借り物の力だけで戦う自分を唾棄して、嘲笑する。
「だから、せめて、逃げるわけにはいかないんだよ。努力からは逃げてる、やりたくないことは誤魔化す、そんなんだから負けるのは当たり前だ、怖いのも痛いのも勘弁してほしい。でも、それでも、俺が他人から借りた力を使うときだけは──逃げることは赦されない!!」
喋るに連れ、彼の膂力が増していく。
本当は、一杯努力して、飄々と沢山の人を救えるようになりたかった。
それができないのであれば、借り物の力だとか、そんなことを意に介さず、生きていければよかった。
結局、彼は中途半端なのだ。努力できない癖にそれを常に気にして、周りに犠牲を強いるのは自分じゃなくても良かっただなんて気に病んで、どっちつかずで宙に浮いている。
だから、勇気も根性も努力も意地も信念もない彼は、その代わりに、罪悪感を人質にとって自分で自分に枷を創り上げて縛り付ける。
自分勝手に諦めたときには、もう二度と後輩に、なにより愚かで弱い自分を受け入れてくれる雨の女神に、合わせる顔が無いのだと────
「確かにこれは手前勝手な理論だ。努力できませんけど頑張るだけ頑張るんで赦してくださいって妥協させてるだけだ。そうでもしないととてもじゃないが立ちあがれないんだよ!!」
「そうか」
火花が散る。手首も肩も腰も足も、全身が泣き叫んでいるにも拘らず未だ食い下がる零夜に惜しみのない賞賛と侮蔑の視線を送りながら。
「よく分かった……僕と君では、存在する世界が違い過ぎる」
冷たく言い放つと、飛燕は強く踏み込んで横薙に刀を振るう。
「もう終わりにしよう」
「……っ」
殴りつけられるような感覚が右腕に響き、踏ん張りが効かなくなった両足がもつれ、たまらずよろける。その瞬間、流れるように飛燕が突き出した剣先ががら空きとなった鳩尾に鋭く突き刺さった。呼吸が止まり、体がくの字に折れ曲がり──、だが、倒れない。
「紅蓮、止め」
そしてその必死で絞り出した根性を完膚なきまでに叩き潰すが如く、絶望の六本腕が顕現する。
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