第零話 プロローグ
──それは紫陽花が美しく咲いていた梅雨の時期のことだった。
辺り一面が真っ白に見えるほどの土砂降りの雨の中で、白髪の彼女は、全身ずぶ濡れのまま──涙を流し、僕に懇願する。
僕の戦友。僕の親友。僕を愛してくれた者。
無邪気で、幼くて、無垢で、我儘で、健気で、気弱で、冷酷で、残酷で──誰よりも優しい彼女。
「もう……もう独りは嫌じゃ……だから……儂と一緒に、永遠の刻を……儂は、もう、零夜、お前がいないと……」
僕の視界はぼやけて霞んでいた。
顔を濡らす雨水を手で拭おうとして、自分の顔に触れるとソレがすごく熱くて、そこでようやく僕自身も泣いているのだと気付いた。
ゆっくりと、震える手が差し出される。
そして。それでも、僕の答えは決まっている。
「……ごめん。俺は、人間だから───お前の手を取ることは、出来ない」
信者である僕は彼女を拒絶する。
その言葉は何よりも強い神と、その魂を認められた人間による究極の二人組───その崩壊を決定的にする。
大きく目を見開いた彼女は裏切られたような表情と共に、差し出したその手を僕の胸に押し当てた。
───あの運命の日から、もう一ヶ月が経とうとしている。
▲▼▲
日本という国には八百万の神が存在していると言われている。
それは「神」という超常概念が古くからこの国に深く根付いているということを指し示すことの証明に他ならない。
もっとも、機械化と情報化が進み、科学文明の先進国と化した現代の日本において、神様の存在を本気で信じるかどうかの街頭調査を行えばその結果はノーという回答に天秤が傾ぐに違いない。そのような非科学的なオカルトは既に急速に進化した科学文明に根底から否定され、淘汰された概念であり、せいぜいが小さな商業戦略に利用されるだけのイベントとなっている。過去にこの国を支配していた神様信仰は時代の変遷によるその存在を信じていた老年層の減少に伴い、若年層によりライトで楽しい催し物のレベルと認識される程度にまで堕ちてしまった。
しかし、その実。
この世界には神様が存在する。
ここで言う神様とは、この世の万物万象に宿っている感情を動かす力、通称「霊力」を莫大な量獲得することで生命……否、魂のレベルを上昇させた超常の存在のことである。
神はこの世のすべてを慈しみ、保護する存在だ。僕たちが思うより、神の存在は僕らの生活に大きく関わっている。
なんなら───
「なあなあ、零夜。このポテチに使われとるじゃがいもは本当にいつも儂らがポテトサラダや肉じゃがとして食っとるものと同じ芋なのか?ちょっと信じられんのんじゃが?味が全然違うぞ?」
「そりゃそうだ味付けが違うんだから……というかいつもいつもお前何一つとして野菜食わねえじゃん。どうやって比較してんだよ」
「なんとなく?」
「なんとなくって……そもそもピーマンとか人参とかゴーヤとか味に癖のあるような野菜が苦手ならならまだ分かるよ。何なんだじゃがいももキャベツもレタスも嫌いって。お前の食卓いつも肉肉肉で茶色オンパレードなんだけど」
「神様にそこらに生えてる草を食わせる気なのかお前。不敬オブ不敬じゃぞ」
「なるほどカインとアベルの事件の原因は根本的に神様の好き嫌いから始まったんだな、カインが不憫で不憫で仕方ねーわ」
「ところで零夜、この対面どう思う?」
「勝ち筋ほぼ皆無じゃねーか……もう交代読み決めるしかないだろこれ」
「ミスったら負けなんじゃが」
「ここで勝負に出なけりゃどっちみち負けだろ」
……普段どこにでも居る……とは言い難い高校二年生の僕、粗剃零夜の目の前にて、ソファに寝っ転がりゲームをしている外見年齢八歳程度の青いフリルつきの豪奢なワンピースを纏った幼女。彼女も実際に神様だ。
「……うっわマジかホントに決まった、ってか、アレ……?わーい勝った!ありがと零夜!」
「それ俺のデータだから負けられたら困るんですけどね……まあ良かったな。ところで昼飯は何がいい?」
「あ、今日は焼きそばが食べたい。野菜抜きで頼むぞ」
「色彩ナッシングじゃねーか……というか今更だけど神は食事しないんじゃなかったっけ、口にするのは酒だけって昔言ってたろ」
そう言いつつ視線だけで野菜を食えと伝える。
「あの時の儂は無知だったからのお。まさか下界にこんな旨いものが溢れておるとは露知らず……はあ、一体何をやっとったのじゃ昔の儂。因みに言われなくともちゃんと野菜も食べとるぞ。ポップコーンとか、ほら今もポテチ食べとるじゃろ?」
彼女はその視線を流し目で無視しながら、僕に見せつけるようにポテチを一枚齧る。
その幼女は彼女の存在を知らせないように必死に生きている僕を嘲笑うように、僕の両親の不在を狙っては居間で僕のデータでダラダラとゲームに興じる……そんな女神である。
そんな退廃的な生活を送っている白髪碧眼美少女の神様は、雨を司っている。
彼女の名前は、霧払驟時雨。
彼女は平安時代の没落貴族の娘だったところ、当時の雨を司る神、闇御津羽神から幼かったのにも関わらず後継者として指名され、神となる資格──通称神格と呼ばれるが──を与えられたことから、人間から神へと成り上がり、そこから千年以上もの期間、雨神として仕事をしていたという。
なお補足説明をしておくと、日本における神のランクは三段階存在する。
一番下(それでも十分我々下界の存在とは比較できない程の生命としての格の差がある訳だが)が、物質が何百年もの間使用され続けることで霊力を一定以上蓄積させ、それにより神格を獲得した、俗に言う付喪神。これは日本のあらゆる場所に点在しており、伝承も多く残っているので名前だけなら聞いた人も多いだろう。九十九神とも書かれる。
二番目が付喪神からランクアップした存在、概念神。これは付喪神が更に霊力を手に入れることで進化した神様だ。その二つの神の大きな違いは、付喪神がただ物体が神に昇華した存在であるというのに対し、概念神はその物体という概念全てを包括的に表す神であるということである。例えば「柄杓の付喪神」はその一つの柄杓が付喪神に昇華した神であるのに対し、「柄杓の概念神」はこの世全ての柄杓全体を表す神になるという寸法。また、「旅の神」等の実際に形として存在していない物事の守護神もこれに類する。あと、このクラスになると人間とコミュニケーションがとれるようになる。
そして一番上が、災厄神。人間が畏れる、自然、天候、病等を司り、それらから人を護る神様のことだ。これらは日本の歴史が始まったときから一柱ずつ存在し、死ぬ間際にの素質ある者を後継に指名することで、脈々と受け継がれて来た。その後継に選ばれるのは、人間だったり、下位の神だったり、道具だったりする。
先程も言ったが、彼女は雨の神。つまり最高レベルの神様──災厄神に値する存在なのである。
「ポテチうまーい」
そんな威厳など普段の様子からは微塵も感じられないが。そもそも幼女だし。
彼女の雨の神としての仕事は日照りが酷いときに局所的に雨を降らせる、大雨が降ったときに被害を抑えるため降水量を抑制する、等々、基本的に雨に関する天災が起きるとき、それが外界で甚大な被害を出さぬように調整するといったもの。そのため有事に備えいつもだらだらすることで英気を養っていると本人は語る。
なお僕は有事に備えているという言葉は絶対に彼女が自分の都合の良いように虚言を述べているだけだと思っている。余談だが彼女は成り上がってから僕に出会うまで、ずっと一人で黙々と仕事だけして生きていたので、実際の年齢に反し精神年齢は外見相当ぐらいである。つまり平気で嘘を吐くし、その嘘も下手くそなのだ。
僕の掃除が一段落ついたのを見計らい、霧払驟時雨、愛称シグが視線だけをこちらに向けて何やら僕に話しかける。
「うーん、それにしてもポテチはやっぱりコンソメこそが至高じゃのー。海苔塩も悪くはないが、コンソメには劣る。あ、零夜は海苔塩派じゃったのー。コンソメの良さの分からん愚物じゃったの」
暇を持て余したために煽ってきただけであった。
「おいこら、煽ってんじゃねーよシグ……俺はいいけど海苔塩を貶すな、あと頼むからソファにポテチを落とすな。親にバレたらこっちが困るんだよ」
「うむ、分かった分かった」
掃除用具を片付けた僕は疲れを癒やすべく、寝っ転がるシグの足を手でどけて座ろうとする。
が、その足が動かない。
「おいロリ野郎。抵抗すんな。座るとこ開けろ」
「嫌じゃ。そもそも仮にも神様をロリ呼ばわりした礼儀のなっとらん信者に譲るソファは無いわ」
「お前のさっきの言い草も相当酷かったしお互い様だ。わかったらさっさと足どけろ」
「いーやーじゃー、儂を軽んじる奴には譲らなーい」
シグは頑なに足をどかそうとしない。反抗期真っ盛りな幼女だ。
「いや仕方無いだろ。お前の今の姿誰がどう見ても神だとは思わねえよ、って言おうと思ったけどそういやお前自分で仮にもって言ってたな。自分のだらしなさに自覚あったんだな」
「どーしても座りたいのなら膝枕しろ」
「結局それが目的かよ」
相変わらず腹芸が下手な女神様だ。異様に人間臭い……元人間だから仕方のないことなのだが。
彼女の艷やかな長い髪の毛に手を入れて、頭を持ち上げる。
そしてソファとその頭の間にできた空間に膝を入れて、膝枕の完成である。
「ふみゅー。落ち着く」
「相変わらず軽いなお前」
名は体を表すとよく言われるが、彼女の名前に入っている驟雨という言葉の通り気まぐれなので、こうやってじゃれてくることはよくあることだ。髪を軽く撫でると、シグは小さくあくびをした。
うん、猫っぽい。
ほのぼのしていると彼女は傍らのポテチの袋に手を入れて、中から一枚を取り出してこちらに差し出す。
「あーん」
……そしてボロボロとポテチの破片が落ちる。
「あっ、すまんの」
「あーあ、折角何かいい気分だったのに」
前にも言ったが彼女の存在は僕の親には内緒にしているので、痕跡を残す訳には行かないのだ。というかそれ以前にこのソファは割と値段が張ったらしく汚すと怒られる。忘れないうちにポテチの破片を処理するべく、
「シグ、ちょっと頭浮かせろ」
そう一言告げ、立ち上がり粘着テープをコロコロする名前も知らないあの掃除用具を取るため、押し入れまで歩いていく。そのまま引き戸を開けて一歩足を踏み入れようとした、まさにその時だった。
「……はっ!?」
謎の浮遊感を感じた刹那、僕は大きくバランスを崩した。
慌てて足元に目をやると、そこには大きな黒い孔がぽっかりと口を開けている。
ブラックホール。
ワープホール。
そんな単語が頭に浮かんでは消えていった。
「ちょっ……クッソ……」
腕を振り回したり周りの棚にしがみついたりといった抵抗も虚しく、その黒い洞は僕をずぶずぶと飲み込んでいく。
「シ、シグ!!助けっ……」
彼女の名を叫んだのを皮切りに、僕はじゃぼんという音と共にその空洞の中へ一気に引きずり込まれ滑り落ちていった。
そこで一旦、粗剃零夜の意識は途切れた。
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