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無口な男のはかない純情

作者: 上坂 梅花




「期末の出題範囲だが……。3年で習った範囲全部と……」


 世界史の授業が終わった。

 チャイムがキンコンと鳴る。

 まだ席についたままだが、みんなザワついている。


 無理もない、この言い方だと出題範囲は山のようにあるパターンだからだ。

 ただでさえ覚えるのが億劫(おっくう)な世界史で、オール出題、問題箇所(かしょ)の指定無し。

 これでは平均点が40点代になるのは、火を見るよりも明らかだ。

 みんなザワついても、仕方がない。


『オカセン絶対出るとこだけせめて教えろよ~!』

岡田(おかだ)センセー4択で出して~!』


「今月やったところは必ず出すし、16世紀からも必ず出すからな!はい、お昼行くぞお昼~!」


 先生は荷物をまとめて教室を出て行った。


 もうこの感じだと、テコでも先生は教えてはくれないだろう。


 教室のみんなもこれ以上は食いついても仕方がないと諦める。

 各自、お昼休憩にザワザワとおしゃべりしながら、歩みを進めて教室を去って行った。




 さて、ボクもお昼に行くとしよう。


 ギィ、とイスを引いて席を立とうとした。


「うぉーっすモッちゃん!ちょっといいか?」


 話しかけてきたのは、クラスは違うが同級生のリノア。宮田(みやた)莉乃愛(りのあ)だ。

 コイツは自分と同じく、世界史の授業を受けている。



 コイツは正直なところ、少し苦手だ。

 小学校の時からの腐れ縁なのに、接し方を変える気配がまるで無い。

 いつも他人のプライベートの事などお構いなしに、ズケズケと自分の用件を話しては時間を奪っていく。

 そのおかげで、いつも時間を()かなければならないハメになっているのに、注意してもちっとも真面目に聞く耳を持たない。

 指摘しても、平謝りするだけだ。

 明らかにコイツにナメられている。



 だが、グッと苛立(いらだ)ちを(こら)える。

 コイツとの、面倒なやり取りを乗り切らないと、『彼女』を助けられない。




 高嶺(たかね)の花、『リンカさん』を。


「なぁーモッちゃんさあ。1週間、テスト前には絶対返すからさあ、世界史のノート貸してくんない!?」


 少し頭を下げて、こっちをうわ目で見てくる。


 別にリノアを助けるつもりは毛頭(もうとう)ないし、どうせ向こうも感謝なんてしていないと思うが……。


 黙ってノートを手渡す。


「さっすがモッちゃん!いいやつだから絶対貸してくれるって思ってたし、マジ嬉しいわ!じゃ、後で返すからまったな~!」


 アイツは廊下で待つリンカさんの元へ、あっという間に向かって行った。

 もう2年生を過ぎてから、アイツも、ありがとうの言葉すらかけなくなったが、そんな事はささいな事だ。




 アイツが彼女に手渡すと……。

 そう、お決まりのアレが返ってくる。


 イスに座っている自分に、リンカさんが目を合わせてくれる。

 そして、ニコリと微笑(ほほえ)んで、軽く1つおじぎをしてくれる。


 これがノートの代償。

 自分が彼女を助けられる唯一の接点だ。


 廊下の向こうへ去りゆく彼女は、軽く手を振り消えて行った。




 実にささいなできごと。

 彼女にとってみれば、ほんの小さな、ただノートを借りるという学校生活の一幕に過ぎない。



 だが、それだけで実に幸せな気持ちで満たされていた。


 自分はずっと、(あわ)く、決して届く事はない片思いをしている。

 リンカさんは優しい。

 どんな人とも、接する時には興味を持った姿勢で臨んでくれる。

 それに、笑顔がすごく良い。見ていて、笑ってくれるだけで心が安らいでいくのが分かる。


 彼女に、明らかに恋をしている。


 だけど、そんな素晴らしい人には、既にお似合いの彼氏がいる。

 そんなの当たり前だ。いない方がおかしい。


 相手はサッカー部のキャプテン。

 ただの、何の経験も役員の肩書きも無い自分とじゃ、到底(とうてい)並ぶ事すらできないスクールカーストの超上位。

 彼女にとって、実にベストで最高なパートナーだ。

 それだけ自分とリンカさんとは、あまりにも取り巻く世界も、景色も違う。


 だが、それでも良い。

 あのちょっとした微笑みは、大きな大きな喜びに繋がっている。

 彼女の勉学の(わず)かな力になれた、という事実だけで充分な見返りになる。

 とてもとても接点すら持てない彼女に、ほんの一瞬だけ、人生に関わり合える、ささやかな至福(しふく)の時だ。




 ああ良かった、ノートを無事貸す事ができて。


 穏やかな気持ちで、お昼を無事迎えられそうだ。

 弁当片手、魔法瓶(まほうびん)片手に、教室の陽あたりの良い(すみ)の定位置に移動すると、1人でゆっくり食事を摂る事にした。

 今日は尋ねて来る人も、一緒に食べようと誘う人も居ない。

 誰かが尋ねて来ない限りは、基本1人ぼっちだ。


 だが、それで良い。

 その方が気楽にのんびり、自分のペースを確保できる。


 パカリとタッパーの(ふた)を開ける。

 サンサンと降り注ぐ、ガラス越しの温もりを感じながら、ゆっくりとサンドイッチを噛みしめた。




 *****




 お昼休みがあと10分で終わろうかという頃。

 次の授業を受けるべく、また別の教室に向かっていた。

 次の教室は校舎の一番奥、各階を(つな)ぐ階段の前にある。


 少し早く、予鈴(よれい)の鳴る5分前に着席するのがいつものルーティン。

 さて、これから教室に入ろうと、あと数歩分まで近づいたところで、何かの話し声に気づいた。

 上の階に繋がる、階段の踊り場から声は聞こえている。




 声を聞いた瞬間、なぜかヒヤリと胸を締めつけられる思いがする。

 自分の名前が、その声の中から聞こえた気がしたからだ。


 だが、とても踊り場にまで顔を覗かせて確認する勇気は、とてもとても、毛ほども無い。

 教室には入らず向きを変えて、下の階に向かって2段ほど降りる。

 そして、また向きを変えて教室の方を見ながら、ソッと壁に寄り添い聞き耳を立てる。


 怖いけれど内容が気になったので、階段を上がるフリをして、話しを伺う事にした。




『ねー、やめなよリンちゃん。なんでまだアイツのノート借りてんのよ』


『そーそー。ガリ勉のキモモギのだよ?ウチらが貸してあげよっか?』



 ギュウッと胸が締め上げられる。

 バクバクと轟音(ごうおん)を立てる心臓を、ソッと押さえつけるように手を当てる。

 とにかく呼吸を落ち着けようと、努めた。


「いいじゃん別に、モッちゃんのノート分かりやすいし。てかなんでよ、これまでずっとモッちゃんのノートでやってたじゃん」


『そ、そうだけどさ……。でもキモモギのノートなら……ねえ?なんかさ……嫌っていうかさ……』


 踊り場に居るのは、リノアにその友だち。

 そして、リンカさんだろうか……。


 最初から聞いていた訳では無いが、内容からして期末テストの勉強についての事なのだろう。

 階段越しに、薄々(うすうす)察する事ができた。



 話す事は苦手だ。

 女子と話す事は、特に苦手だ。

 うまく会話は続かないし、いつまで経ってもどんな話しをしたらいいのか分からない。


 入学したばかりの時は、そんな反応を面白がって、みんな色々と話しかけてくれていた。

 だけど、ちっとも話しも対応も進展しない自分の姿に、みんな(あき)れたり気味悪がったりして、今じゃリノアぐらいしか、女子は話しかけてくれない。

 そして、嬉しい事があれば人知れず笑っている変わった(くせ)


 そんな雰囲気と様子から、女子連中は『キモモギ』と、陰でそう呼んでいる。



 今、たまらなく辛かった。

 キモモギと、自分が陰口を叩かれている事では無い。

 自分のノートのせいで、リンカさんが嫌な思いを味わっている事が辛かった。


 だけど、とても『やめろよ!』なんて言う勇気は、無い。

 勇気が湧いても、いつまで経っても一歩を踏み出せない。

 一歩を踏み出したら、自分の周りが、これからが大きく嫌な方向に変わっていきそうな気がして、怖くて怖くて仕方が無かった。


 だから今日も、一歩も踏み出せずに、階段越しに、壁越しに盗み聞きする事しかできなかった。




『ねー、なんでよリンちゃん。リンちゃんなら他のキレイなノート、色々借りれるし、みんな貸してくれるじゃん』


『リンちゃんだって、ノートキレイなのに。どーしてキモモギのノート借りてんの?アイツのノート、借りてても何かさ……怖くないの?アタシは怖いよ、何かキモいもん』


 胸が痛い。

 張り裂けそうな気分とは、きっとこんな気分の事なんだろう。

 友だち連中に好き放題言われているうちに、なんだか目尻が熱くなってきた。


 リノアも、リンカさんも友だち連中にはなぜか言い返していない。

 気がついたら、壁越しでふるふると自分は震えていた。



 なんでこんなに涙が(あふ)れそうなのか。

 なんで自分が(こら)えているのか。

 なんでこの場を離れずに、突っ立ったままなのか。



 自分でも分からなかったが、今、すごく辛いという事だけは、はっきりと噛みしめていた。


 長い沈黙。

 廊下(づた)いに向こうから聞こえる、みんなの声や足音が良く分かる。




 そんな、長い沈黙を破ったのは、リンカさんの言葉だった。




「私さ……。茂木(もぎ)くんのノート、すごく気に入っているんだ。先生から、うんうん……。自分の中の家庭教師さんに、教えてもらっているみたいでさ」


 友だち連中は、は?とか、えっ?とか返事をしている。

 自分の心臓も、思わず一瞬ピタリと止まった。


「ほら、ノートって、普通授業中に聞いた事とか、黒板の内容を書くじゃん。茂木くんのは違うんだよね。ほら、ちょっとこれ。莉乃愛(りのあ)ちゃんから借りたんだけどさ」


『……見やすい』


「でしょ?最低限っていうか、無駄な事は一切書いていないからさ、すごく書いている内容が頭に入ってくるのよ。でもね、『ここ大事だぞ!』ってヤツは、ちゃんと抑えているし……ほら、例えばこことか」


「……なんで奈良とか平安時代の事も書いてんのこれ。この時って唐についてだったじゃん」


「違うの、イメージ付けよイメージ付け。ほら、こことかこことかさ……。数字だけじゃなくて、絵とか他の出来事と絡めて書いてくれているからさ、なんて言うか……」


「歴史の流れ!ってヤツだろ?」


「そそ!すごく(つか)みやすいし、こんな流れなんだーって分かりの!数学とか、化学もやってる事難しいのにさ、おんなじように流れで分かりやすく書いているの。それが見返して、借りて勉強しているうちにさ。復習した時に、また自然と内容を思い出す事ができてさ……」




 ……なぜだろう、すごく嬉しかった。


 自分のノートを()めてくれている事がじゃない。

 自分のノートが、彼女の助けになっていた事が本当に分かって、すごく嬉しかった。




『……そっか。ま、リンちゃんがそう言うなら良いんだけどさ……』


『でもさ、ウチらはもう放課後一緒に勉強はしないよ。キモモギのノートで何か勉強してるってのは、ちょっと……』


「そっか……。分かった、じゃ、またこれから勉強する時があったら、その時は茂木くんのヤツは使わずに、私のノートで勉強しよっ」


「あ、ウチのヤツでもいいぜ!ちゃんと教えてやっから!」


『あ、リノアのはパス。バカが移るから』


「なんだよそれー!こー見えても学年30位には入るバカなんだぞ!」


 4人は踊り場で笑い合っている。

 そうこうするうちに、予鈴のチャイムが鳴った。

 慌しそうに、友だち2人はお別れの言葉を言い、階段を登って行った。




「じゃ、ウチらも行こっか!」


「……リノちゃん、さっきの勉強のくだり、あれ茂木くんのノートのヤツ丸写しで教えるつもりでしょ」


「あ、バレたか」


「だって、リノちゃんのノート、すごくカラフルでチカチカしてて見づらいもん……」


「え~、メッチャかわいいのに~」


 2人もコツコツと、階段を降りて行った。

 幸い2人はそのまま廊下の方を進んで、こっちには降りてくる事は無かった。




 すごく今は、グッとガッツポーズをしたい気分だ。

 1日に2回も、すごく嬉しい気持ちに……。


 心臓のバクバクはすっかり収まっていたが、その代わり全身はすごく熱くなっていた。


 これはダメだ。

 何ボクは勝手に舞い上がっているんだ。


 次の授業で粗相(そそう)が無いようにと、赤くなった顔を手で(ぬぐ)う。

 涙の痕跡(こんせき)が誰にも気づかれないようにしてから、まっすぐ教室へと歩みを進めた。




 *****






 期末テストが残り1日と迫っている、ある日の放課後。

 夕焼けで西の空が染まる頃、ボクはロッカーの近くでリノアを待っていた。


 この期末で3年の成績はほぼ確定する。

 全国共通テストも残り5ヶ月を切っている。


 正直、自分のノートがあった方が、やっぱりやりやすい。

 今回は、リノアのヤツも本気のスパートをかけるべく、世界史だけじゃなく数学ⅢCのほか6科目を借りて行っている。

 本当は2日くらい前に返して欲しかったけれど……。

 黙っていても一向に返す気配が無いので、仕方なく呼びつけて返してもらう事にした。


 今日こそはちゃんと返してもらう為に、もうあらかじめラインで連絡はしておいている。






 それにしても、遅い。

 もうすぐ6時になる。

 自主の為の教室開放時間は7時までだが、そんなに長くはこっちも待てない。



 早く返してもらい、すぐにおうちに帰りたいのに……。



 やっぱりアイツに、なめられているんじゃないのか。

 こうやって、アイツは人の時間を奪っていくから苦手だ。

 本音を言うとアイツには何も貸したく無いし、時間も共有したくない。



 だが、今はとにかく待たないと。

 ハア、と大きくため息をつき、少し中腰になった。






 ダメだ、全然来る気配が無い。

 少しイラだってきたが、アイツが来なければ帰ろうにも帰れないので、催促(さいそく)のラインを送ろうとスマホを開いた。




 その時、何かが聞こえた。


 廊下の向こうの(すみ)の方から、女子の泣き声。

 そして、それを(なぐさ)めるように誰かが話しているようだ。



 いったい何だろう……。



 妙な興味がなぜか湧いてきた。

 リノアとの約束をほったらかしにして、声のした方向へと進んでみた。






 声のした場所は、階段近くだった。

 もっと、もっと歩みを進める。



 やがて声自体は、あの教室の前の、階段の踊り場から聞こえていた事が分かった。

 聞こえているのは、上の階へと(つな)がる踊り場。

 また、例の階段の2段目のポジションについて、こっそり盗み聞きをする事に。




 そして、声を聞き、内容を聞いているうちに、強い後悔を味わう事となった。


「……やだぁ……。なんで……?別れたくないよ……」


『ホントごめんって……。言ったじゃん、推薦(すいせん)で大学が遠いからさ、もう付き合えないって……』




 にわかに理解はしたく無かった。

 泣いているのは、リンカさんだった。


 バクバクと心臓が鳴る。


 怖い、すごく怖い。




 だけど、この時はいつもの怖いとは違った。

 もし自分の勘が当たっているのなら、相手はリンカさんの彼氏さんだ。




 現実を見たくない怖さと、なぜか止まらなく湧いてくる好奇心から、階段をゆっくりと登ってみる。


「なんで……。遠距離でもいいじゃん……。連絡少なくなってもいいからさぁ……」


『いや、ホントごめん……。オレ、なんて言うか……。その……』


 1段上に足をかけて、目線を踊り場に向ける。

 背中のシルエット、髪の毛のカタチ。


 リンカさんの彼氏さんだ、間違いない。

 慌てて足を下ろして、ピタリと壁に横向きに寄り添う。

 下から覗かれても気づかれないように、いつものポジションについた。


「……知っているよ、後輩のマネの子と付き合っている事」


「……ごめん」


 なぜだか吐きそうになる。

 必死で口を抑える。

 けたたましくなる胸を抑えて、ギュッと丸くなる。




 ここから聞く言葉は、聞きたくは無かった。

 だけど、気になって気になってなぜか仕方がない。

 この場を離れたくない。


 ドクドク響く鼓膜(こまく)の振動に耐えながら、ジッと話しを聞き続けた。


「別に付き合ってもいいからさ……。どうして別れようとか言うの……。友だちでいようよ、ライン消さないでよ……」


「……いや、何て言うかさ。……ホントごめん。オレ区切りつけたいって言うか、ほら。もうお互い進路別々じゃん。リンカは国立大だし、オレスポーツ推薦でじゃん。な?分かるだろ?」


「分かんないよお……!どうして、どうして……。ライン消さないでよ……!」


 もう耐えられなかった。

 彼女の泣いている声を聞くうちに、自分は泣いていた。

 肩を震わせていた。

 懸命に鼻をすする音も、声も殺していた。




 でも、その場を離れたくは無かった。

 最後まで、なぜか話しを聞き続けたかった。


「マジでごめん……。リンカを捨てるつもりじゃないんよ……。でもさ、ほら……。ミアとちゃんと付き合っているって、オレが区切りつける為にもさ……な?」


「意味分かんないよお……!じゃあライン消さなくてもいいじゃん!友だちでいいから残してよ!もう大学行ったら会わないからさ!」


「だから!それは無理って前言ったじゃん!……絶対、会いたくなるって。オレもう……リンカと区切りつけたいんだよ。別れたいんだよ……」


「……グスッ。会わないからさぁ……消さないで……。ゥェエェ……」


 もうやめてくれ。

 そんな言葉が頭をよぎる。


「……ホントごめん。オレ、帰らないと」


「や、やだぁ……!待ってよ……ライン!ライン消さないで……!」


 彼女はえずきながら、必死で呼び止めている。

 だけど、足音は止まらない。


 とっさに廊下の方をクルリと向き、慌てて少し逃げた。


 元彼氏さんに、自分の盗み聞きを、存在を気づかれないように。




 足音は階段を降りて行き、そして聞こえなくなった。

 踊り場からは、彼女の鼻をすする音だけが聞こえていた。




 彼女をとにかく慰めたかった。

 少しでも早く、この苦しみから助けたかった。


 でも、話す言葉も励ます言葉も無かった。

 いや、彼女との接点も無かった。

 あくまで自分は、彼女にノートを貸しているだけ。


 高嶺(たかね)の花には手は届かない。




 ただただえずいて、泣いているだけの彼女を黙って聞いている事しかできなかった。




「……モッちゃん。行ってあげなよ」


 ソッと後ろから聞こえた声に、ハッと振り返る。


「……リノア……」


「ノートはちゃんと返すからさ、ほら。行ってあげなよ」


 何も言えない。

 うつむく事しかできない。


 この状況下でボクの言葉なんて、何を言っても薄っぺらい上っ面だけの言葉になってしまう。

 きっとそうだ、言ったところで……。


「ウチが見てるからさ。自分の言葉で言ってあげなよ。……好きだったんだろ?リンちゃんの事がさ」



 胸がドキリとした。


 リノア、オマエ気づいていたのか。



「ウチを経由してさ、ノートをダシに使ってもごまかせないぜ~。いっつも嬉しそうだったもんね~、リンちゃんの笑顔見てるアンタさ」


 …………。




 うん、嬉しかったよ。すごく。

 でも、不安だった。

 ここで声をかけたら、下心からの慰めなんじゃないのかと、そんな事を思われそうで。


 いや、下心ももちろんあるかもしれない……。

 でも、今はそういうのじゃなくて。



「ほら!話しかけておいで!まずは行動行動!」


 ドンとリノアに背中を押された。

 おっとと、とバランスを崩し、1段目に手をついてしまった。




 ソッと顔を上げる。



 リンカさんが、(ひとみ)を濡らしてこちらを見つめていた。




 口がガクガク震える。

 言葉がでない。

 せっかくリノアの背中を押してもらったのに、何も言えない。


 頑張れ、勇気だせ。


 ふーっ、ふーっと何度も呼吸しながら、震える足を抑えて、一歩一歩、階段を登っていく。


 言わなきゃ。

 背中押してくれたんだ。


 これが言葉にして、本音を伝えるチャンスなんだ。

 自分からアクションを起こす、一世一代のチャンスなんだ。




 とうとう、彼女と一対一となる。

 ジッと、涙を手で拭わず、彼女はこっちを見ている。




 沈黙。

 鼻をすする音した聞こえない沈黙。




 ガクガクと震える口を、ギュッと噛みしめ大きく息を吸う。


 言うんだ。

 本音を言おう。

 彼女を思うのなら、アクションを、自分から起こさなきゃ。




 真っ白な脳で、口を開く。




「ボ、ず、ずっと……。リンカさんの事が、好きでした……!」





 やっと、やっと言えた本音。

 自分から、勇気の一歩を踏み出せた。


 この状況で、言えるのは上っ面の励ましなんかじゃない。

 率直(そっちょく)な自分の、心の本音と思いなんだ。




 彼女は何も言わない。

 表情も、瞳の様子も変わらない。

 ジッと、黙って見ている。


 もう一度、深く呼吸をして、言葉を懸命に(つむ)ぎ出していく。






ノートをいつも借りてくれて、ボク、すごく嬉しかったです。


本当はずっと不安でした。

ボクのノートや気持ちが、リンカさんの邪魔になってくれていたんじゃないか、って思って。


でも、リンカさんの助けになっていたって事が気づけて、すごく嬉しかったんです。


ボクのノートは、邪魔なんかじゃなかったって分かって、すごく幸せだったんです。


だから、ボク、リンカさんの力になれて、とっても幸せでした。

今日、こうやって本音を人に話す事ができたのも、きっと、ノートの、リンカさんのおかげだと思うんです。


だから、ありがとう……。リンカさん!


ずっと、好きでした。






 息がハアハアとあがっている。

 全身の血が、隅々を巡りまくっているのが分かる。

 鼓膜のドクドクはすごくうるさいし、頭はギュウギュウ締めつけられるように痛い。

 それに顔は真っ赤っかですごく熱い。



 だけど、言えた。

 リンカさんに、本音が言えた。


 やっとひと呼吸できるような気がして、ふーっと、大きく息を吐いた。




 彼女は、涙を軽く(ぬぐ)った。

 そして、ニコリと、あの笑顔を見せてくれた。


「ありがとう、茂木くん……。本音が聞けて、私も良かった……!」




 びっくりした。

 彼女が、ボクに、ボクを……!


 優しく包み込んで、抱きしめてくれた。


 ダメだ。

 すっかり硬直して、動けない。

 全身のバクバクも全然聞こえない。

 ど、どうなってんの。




「ありがとう茂木くん……。…………じゃあ、私も帰らないとね!……私も、私の道を進まないと……ね!」


 パッと腕を解放した彼女は、またニコリと微笑んでくれた。

 そして、タッタッタッと、リズム良く階段を降りて行ってしまった。






 ぼうぜんと、立ちすくむ。

 これが、脱力感ってヤツなんだろうか。


「あーあ。フラれたな、モッちゃん。でも良かったじゃん!本音伝えれてさ!」


「……フラれたの?」


「ったり前よ!アレがフラれたじゃなきゃ、上手くいったは何だと思ったのさ」


「…………」


「分かんねえだろモッちゃん!だって上手くいった試しが無いもんな!へへっ」


「う、うっせえ……。それが、さっきまで泣いていたヤツにかける言葉かよ……」


 リノアにからかわれながらも、ボクは一緒に階段を降りていく事に。



 自分も学校を帰らないと。彼女の言った通り、道を進まないと。



 真っ赤な顔をゴシゴシと、手で拭い涙を取り払った。


「モッちゃん!ノート返すわ!今回もめっちゃ勉強になったわ!」


「……いや。ここで返されても……。ボク、まだ勉強できてないし、その……」


「……なんだよ~そのもったいぶった言い方~。なんか(たくら)んでんのか、モッちゃん~」


「も、もったいぶってねえよ。こ、こういう言い方なんだよ、こういう……」




 すごく新鮮な気持ちだ。

 こうやって、自分の本音を伝えるという事ができて。




 階段を降りきり、カバンを持ちながら校舎を離れていくたびに、だんだん勇気と気力が湧き上がってきた。

 すごく不思議な気持ちになってきた。


「でさ。なに~モッちゃん?勉強できてなくて?の後はさ」


「ノ、ノートはまだ返さなくていいからさ……」


「……さ?」



 きっと、生まれて初めて、大きな一歩を踏み出し、自分からアクションを起こす事ができたから。

 だからだろうか。


「な、久しぶりにさ……。勉強、教えるから一緒にやっていかない、かな?」


「お、個別指導ってやつ!?テスト前にガッツリ気合い入ってんじゃん!いいよ、どっかスタバとかでやろうぜ!」


「……うん。でも、飲み代は折半(せっぱん)だからな」


「んだよ、ケチケチすんなよー!モッちゃんセンセー!」


 なんだか晴れやかな気持ちで、学校を後にする事ができた。



 足取りは軽い。

 本音を伝えるという、自分にとってとても疲れる事をやり()げたのに。




 いつもとは……いや、これまでの自分とは、もう違う。

 今日はすごく、まっすぐ前を向いて帰りたい気持ちでいっぱいだった。




 沈んでいく夕陽は、サンサンと背中を、黒い影の向こうに消えていくまで。

 いつまでも、いつまでも照らしていてくれていた。




 -完-


・とあるスレに上がっていた、ちょっとした提案から題材にして1本書いてみた作品。

 初めての青春モノになりました、買いているうちに思いのほか熱が入って楽しかったです。

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