結婚斡旋よろしくお願いします、魔王様。
「わたくしの婚約者は、そこはかとないクズですの」
「唐突なディスり」
一目で1級品と分かる、だが決して嫌味にならない程度の品の良いアンティークが至る所に並び、床にはこれまた1級品のふわふわした長毛絨毯がひかれた広間。
そしてそこに佇む少女がひとり。
彼女はその可憐な容貌にふさわしい、鈴の鳴るような声で困ったようにそう言った。
こんなことは魔界の建国史上初である。
魔界とは魔族が住んでいる国のことを指す。
その魔界と人間界を隔てる険しい道のりを転移で一瞬にして越え、その国境から魔王城までをまたもや転移で短縮し、普通の人間ならばとっくに死んでもおかしくない程の魔力を使っているにも関わらず、なお余りある魔力で城の門兵を吹っ飛ばし、その勢いのまま城の中を一気に駆け上がって魔王のいる会議室の扉を叩き開けて乱入した挙句、困ったように頬に手を添えて自身の婚約者をディスる女性は過去一人としていなかった。
というか何人もいたら嫌だ。
年に一度来る勇者ですらもっと苦労してるんだぞ。
広い部屋になんとも言えない空気が漂う。恐らく会議中だったのだろう、大きなテーブルを囲んでひときわ立派な椅子に座った見目麗しい男性とその他の高位貴族らしき方々の前には資料と思わしき書類が置かれている。ただ、今となっては誰一人としてその資料を見てはいなかった。
彼らの視線は、会議中の緊迫した雰囲気をぶっ壊して現れた美しい金髪碧眼を持つ女性に集中していた。歳の頃は16、7くらいだろうか。この女性が魔界をひとっ飛びし、門兵を吹っ飛ばしたなど誰も信じられなかった。
人間……だよな?
人間なのに種族を疑われるなんてこと、またもや魔界の建国史上初である。声無き声が聞こえるような混乱ぶりだ。
特に広大な魔界を治める王のはずの魔王はこのぶっ飛んだ乱入者に対して呆けることしか出来なかった。
こんなん、聞いてない。こんなんあるって知ってたら絶対魔王業引き受けなかった。
正直引退したいと思った魔王だった。
そんな数々の心の内をものともせず、魔界でもトップに君臨する重鎮たちの視線を一斉に浴びてなお怯まないその少女は優雅で美しいカーテシーを披露した。
「皆様、突然お邪魔して申し訳ございません」
((あ、自覚、あるんだ))
「わたくしはイーダ王国公爵ガーゼルが娘、リゼット・ガーゼルと申します。実は先日、耐え難い屈辱を味わわされまして。聞いてくださいます?そう、全てはあの男がわたくしの婚約者であること、そしてあの女が王立学園に来たことから始まったのですわ──……」
「え、待ってこのまま回想入る感じ?」
**
リゼットが自身の婚約者、フェリクスと初めて顔を合わせたのは5歳の時だった。
彼はイーダ王国の第2王子で顔だけは良いものの性格は傲慢、横暴と救いようのないクズで、子供だからと許されるレベルを超えていた。講師から逃げ回るくらいならまだいいが、メイドに当たり散らしたり物を投げつけたり直ぐに癇癪を起こしたりと可愛げの欠片もないクソガキだった。
そしてリゼットは婚約者として、その兄は未来の側近候補としての顔合わせがリゼットの屋敷で子供たちだけで行われた時、フェリクスがリゼットに向けた第一声が「まあ見てくれだけは合格だな。この俺の婚約者になれるんだから光栄に思えよ。俺に相応しい女でないならなんの価値もないんだから俺のために行動しろ」。
誰でも「は?」と思う。何をほざいていらっしゃるのかしらこのお馬鹿さんは脳みそが干からびてるの?と口から漏れ出そうになるのをとっさに我慢しただけで偉い。淑女教育の賜物である。まあ代わりに手は止められなかったが。
「リズううぅ!?」
奴のみぞおちにクリーンヒット。魔力をたっぷり纏ったから中々いい突きだったように思う。げほげほ噎せてるけど自業自得だから気にしない。
「リズ!おまっ、なんてことを……!」
「大丈夫ですわお兄様、少し黙ってて下さいませ。──殿下」
「なっ、なんだ!?」
にっこりと、リゼットは可憐で無邪気な笑み──を装ってフェリクスに問いかけた。
「わたくし、可愛いでしょう?」
「……は?」
「もちろん、努力しておりますもの。立派な淑女になる為に日々研鑽を積み重ねていますのよ。淑女の『可愛い』は容姿だけでは足りません。所作、マナー、ファッションセンス、豊富な知識、これらによってされる会話。すべてを加味して可愛い、美しい、賢い、が成り立ちますの。まあわたくしは顔もよろしいですけれど、それだけに胡座をかいていては社交界から爪弾き者にされましてよ。さて殿下。俺にふさわしい女でないならばなんの価値もない、と仰るならばそれはそれは素晴らしいお方なのでしょう?けれど申し訳ないことに、わたくし殿下が優れているというお噂を耳にしたことがございませんの。陛下の性癖から末端の下女の素性までなら把握しているのですけれど、わたくしの力不足ですわ。……あら、もしかして本当におありにならない?わたくしが知らないだけでなく?
まあっ、だとしたらなんて情けないのかしら──ねえ、フェリクス第二王子殿下?こちらこそ言わせて頂きますわ。あなたなど願い下げです、と」
言いたいことをこれでもかと言い切ったリゼットは満足気にフェリクスを見下した。ただしその目はまるで虫けらを見るようであったけれど。
ぷるぷる震えるフェリクスはしばらくリゼットを睨みつけていたが、急に立ち上がったかと思えば真っ赤な顔で捨て台詞を吐いて去っていった。
「お前なんて魔族に食べられてしまえ!」
「まあ、怖い」
リゼットは悠然と微笑んだ。
この世界には人型をとった2種類の種族がいる。
ひとつは人間で、微量の魔力を持つ。魔力とは世界を循環しているエネルギーであり、それらを凝縮・放出することで様々な事象を起こすことが出来る。例えば雷や嵐などがその例だ。魔力が上手く循環せず、1ヶ所に溜まってしまうと膨大なエネルギーがそこにどんどん凝縮されていく。それが限界を超えると爆発的に放出され、これを魔力災害と呼んでいる。そのまんまである。
論理的に言えば魔力さえあれば人為的に同じような現象を起こすことが出来るが、人間には微々たる魔力しかないため到底足りない。
そこで主に人間は魔道具と呼ばれるものを作り、それに魔力を注いで増幅、動かし、使う。魔道具と言っても魔力災害のような大規模のものでなく日常生活に必要なものが多い。具体的なものを挙げると夜に灯りをともすランプ、髪を乾かす送熱機など。つまり人間の生活は魔道具中心と言っていい。
それに比べ、もうひとつの種族である魔族は潜在魔力量が圧倒的に多い。機械を通して増幅させずとも魔力を使って様々な現象を起こすことが出来るし、特に魔力が多い者なら擬似的な魔力災害を再現することも出来る。故に彼らは魔道具など必要とせず、全て自らの魔力で事足りる。さらに身体的な特徴で言えば彼らは皆、紅い目をしているという。
国によっては魔族の色だからという理由で紅が忌み嫌われている所もあったり、教会の力が強い国では魔族は忌避すべきものとして年に一度勇者を送り出したりするようだが、うちの国はそういうの気にしない主義なので平和なものである。
これらの違いから、人間界では『魔族』という言葉を得体の知れない、恐ろしいという意味でよく使う。例えば大きな災害のことを「魔族の息吹」、感情が高ぶってむしゃくしゃしているような状態を「紅になる」などという。
だから先程フェリクスがリゼットに向かって投げかけた言葉は、酷い侮辱の言葉とも取れるのだ。
まあ、当の本人はこれっぽっちも気にしていないのだが。あと魔族の人に失礼だと思う。彼らは魔界というひとつの国で暮らしているらしいので、彼らを見たというものは少ない。よって恐ろしいとは言われていてもどれだけが事実なのかは分からないのだ。
「あらあら、子兎のように逃げ帰ってしまって。ご覧になりまして?わたくしちゃんと撃退出来ましたわ!ただ暴力だけに訴えるのは二流の使う手段ですのよ」
「いや、ちょっと論点ちがう……」
くすくす笑うリゼットを見てドン引いたお兄様は正常である。フェリクスが情けないように見えても、この場合不敬罪で罰せられるのはリゼットだ。いくらリゼットの方が優れていたとしても、王族に暴力、暴言を吐いてお咎めなしでいられるはずがない。彼はもしかして一家断絶かと遠い目になった。
「安心してくださいませお兄様、あの方はプライドだけは無駄にエルベルト山脈より高そうですので、女の子に負かされただなんて言えるはずありませんわ。それに万が一告げ口したとしてもこの部屋にはわたくしの専属の侍女しかおりませんので、あの方がいくら騒いだところでただの癇癪として処理されます。護衛すらつけないなんてこの国の危機管理が心配ですわ。これで一念発起して向かってくるようなら潰しがいもあるのですけれど」
いや子供たちだけにしたのは緊張しないようにとの陛下のお気遣いだったと思うのだが。護衛を外したのもこの家を信頼しているというアピールだった気がする。というか殿下のお腹に殴られたあとが残ってるんじゃないのか?
「治癒済みです」
「完全犯罪」
お兄様は頭を抱えた。
そしてこの日からリゼットとフェリクスの間には世界一深いとされるマリマリ海溝をも超える溝が出来上がった。
一応リゼットは公の場ではお互いの体裁もあり良き婚約者としてフェリクスに寄り添っていたが、あのクソガ……おぼっちゃまは空気の読めない正真正銘のお馬鹿さんだった。救いようがない。
例えばその一、フェリクスの誕生日プレゼントとして幼いリゼットが用意したクッキーを、色が好みでなかったとその場で捨てる。
いやクッキーの色が好みじゃなかったって何だよ。味ならまだしも色って。色?ふざけてる。もう庭の砂でも食ってろよ。
ただ不思議なことに、何故か翌日からしばらく奴にだけお菓子が王宮で出なくなったとか。大変胸のすく思いであった。
またその二、リゼットの誕生会の時には何も用意せず俺が来てやったことが1番のプレゼントだとのたまい、やれお前のドレスは品がないだのやれお前の性格は可愛げがないだのとにかくうざい。なんて自意識過剰。
あとお前が来たところでなんにも嬉しくない、この自己中ナルシストが。
だが不思議なことに、翌日その場にいなかったはずの彼の専属講師にリゼットと出来を比較されて、彼の劣等感を煽る結果となったとか。大変胸のすく思いであった。
不思議も不思議、摩訶不思議である。
そんなイラつく様々なことがある度に笑顔の仮面を貼り付けて、その場をやり過ごすのがどれほど大変か。
こんな生産性の欠けらも無い無駄な日々が続くと、さすがにリゼットも疲れてくる。このまま彼と婚約者として過ごすという事に不安を覚えるようになった。いや最初から不安しかなかったか。彼と結婚して平穏無事に過ごせるだなんて微塵も思わないし、ずっと彼のお守りもごめんだ。リゼットは彼との未来に少しの価値も見いだせなかった。
ぶっちゃけると、さっさと婚約破棄したい。
リゼットの思いはその一択。むしろ誰か引き取って欲しい。景品とセットで売れないだろうか。
彼女にも最低限の愛国心と貴族としての自覚はあった為なんとか婚約者の座に留まっていたが、限度というものは誰にでもある。むしろよく持ったほうだと思う。褒めて欲しい。
のだが。
「学園に入学してきた庶子の女性に殿下が現を抜かしてる?」
やっぱり馬鹿はいつまで経っても馬鹿なもので。
「はい、あの、先日殿下と彼女が密着しているのを見てしまったんです。し、失礼かと思ったのですが、リゼット様にお伝えしなければと思って……」
「はあ……ありがとう、確認してみるわ」
あいつは真性の馬鹿じゃあるまいか。いや分かってた。5歳の時から分かってた。正真正銘の馬鹿なんだ。いつまで経っても成長しないおぼっちゃまは、どれだけ厄介事を持ち込めば気が済むのだろう。リゼットがわざわざやってあげている尻拭いからすらも溢れ出る量の面倒事、拭っても拭っても漏れ出るのだからいっそオムツでも履けばいい。
ピチピチの白タイツにカボチャパンツの中身はオムツ。あ、笑えてきた。いつか絶対やらせたい。この件が片付いたら合法的に履かせる計画を考えよう。
「教えてくれてありがとう。あの馬……いえ、高貴な方の失態を口に出すなんて、とても緊張したでしょうに。あなたの勇気に感謝を」
リゼットは教えてくれた女子生徒に礼を言い、教室を出る。ちょうど今はお昼休みの時間である。
多分教室にいるだろうと当たりをつけて向かおうとしたが、ふと窓の外に目をやると中庭にフェリクスがいるのが見えた。そして余計なものも見えてしまった。
報告通り、恥ずかしげもなくイチャつく2人である。
……あはは、潰していいかな?
探す手間が省けたことよりもリゼットは湧き上がる殺意が押さえられなかった。
いや、別に盗られて悔しいとか悲しいとかは一切感じない。むしろ感心している。あの馬鹿を恋愛対象として認識出来るなんて信じられない。尊敬に値する。
しかしそれとは別に、ただただ腹が立つのである。
そう、まるで頭の悪い犬の首輪が外れた途端人に迷惑をかけ、不本意ながら世話を任された自分が処理をしなくてはならないと悟ったような。
リゼットが忌々しげに彼らを睨み、どう料理してくれようかと思い巡らせていると、ふとフェリクスの膝の上に乗る庶子の女の子がこちらに気が付いた。膝に乗るなんてはしたない。淑女としての自覚はないのかと呆れ返っていると、リゼットのその表情をどう捉えたのか、その女の子はなんと、ニヤ、と笑ったのである。フェリクスからは見えないよう計算された位置から、勝ち誇った笑みで。
リゼットは──キレた。
よし、その喧嘩高く買おう。骨も残さず葬ってやる。
庶子の目に入るよう立てた親指で首を掻っ切る動作をした後、朗らかな笑みを浮かべたリゼットはそのまま踵を返して去っていった。
その夜、ガーゼルの屋敷にて、リゼットは兄に今日の出来事を愚痴……報告していた。
「……お兄さま、わたくし今まで彼のことを誤解していたのかもしれません」
「リゼット……」
お兄様は学園での話を聞いて胃に穴が空くような気持ちになっていた。リゼットがキレたら喧嘩なんて可愛いものじゃ済まない。そう、戦争である。
「わたくし、ずっと彼は春先に湧く羽虫のように鬱陶しく1週間放置した生物のように腐敗した存在だと思っておりました」
「……」
「ですがそれすら生ぬるいほどだったようです。まさかピーーをピーーーーーのような」
「ほとんど伏字!どこで覚えるんだそんな言葉」
「軍に混ざって遊んでいると自然と耳に入ってくるものですわ」
「……今日から禁止。行くなら第3騎士団にしなさい」
「いやですわ!あんななよなよした顔だけの部隊!軍の採用基準も満たしていないのではありません?縁故採用もいい加減にして欲しいですわあの役立たずども」
「……お兄ちゃん、どこで教育を間違ったんだろうなあ……」
「育てられた覚えはありません。けれどもお兄さまがまともだからこそこうなったのですわ。何分反面教師が我が婚約者ですので」
「ああ……」
そこで納得するくらいだから彼もフェリクスが馬鹿だと思っていることは一目瞭然である。
一通り愚痴り……報告し終わったリゼットは、真剣な顔で兄に向き合った。途端、彼は嫌な予感しかしないと思った。リゼットの信用が窺える場面である。
「ねえお兄様、これが今日の学園での報告ですわ。以上のことを踏まえてわたくしの話を聞いてくださいな」
「なんだ?」
「今日少し耳に挟んだのですけれど、来週フェリクス様がガヴィラ卿の領地へ視察に行くらしいですわ」
「そうか」
「行ったところであのゆるゆるの脳ではどれだけ理解できるのか知ったことではありませんが。お金と時間の無駄だと思いませんこと?それになんと庶子の方も連れていくとか言うんですのよ?公務に、ですわよ?なんの関係もないただのクラスメイトを、ですわよ?このわたくしを差し置いて!誘う方も誘う方ですけれど受ける方も相当なゆるゆるさんですわ」
「そうか」
「その時にちょうど整備し終わったばかりの崖下の道を通るそうですけれど、もしかしたらまだ不十分な所があるかもしれませんわね。あの方々は蟻と押し合いをしても負けそうなほど弱っちいから心配ですわ」
「そうか」
「そこでわたくしの部下が偶然その道の近くにいるのを思い出しましたの。崖崩れなどでフェリクス様やお連れの方に万が一のことがあっては大変ですから、学園から指示を飛ばして見張っておくように言っておきましたわ。ですのでちゃんと『事故』になります。あと必要なのはお兄様のGOサインだけですわ」
「はーいストップこれ以上お兄ちゃんの胃痛のタネを増やさないで欲しいなあ。公にできない歴史を作ろうとするのも却下の方向で」
彼は早口でそう言った。慣れたと思っていた妹の爆弾発言の衝撃で床に散らばってしまった大切な書類を集めながら。というか偶然部下が道の近くに居るってなんだ。
「もう、お兄様ったら事故だと言ってるじゃないですか。時には思い切りも大事ですのよ」
「その思い切りはもっと他のことに使うべきじゃないかなあ」
「ですが、このままいくとあの真性の馬鹿との結婚が待っているんですのよ?しかも愛人付きで。わたくしにみすみす不幸になれとおっしゃる?薄情ですこと」
これ見よがしにため息をつくリゼットを見て、彼はため息をつきたいのはこっちだと思った。なんでこう、うちの妹は思考回路が普通じゃないんだろうか。男女別の教育などで多少の違いはあれど、大体同じように育てられたはずなのに何故こんなに性格に差が出るのか不思議である。そしてぶっ飛んだ性格の人間が賢いとなお厄介で、行動力まであるともう手に負えない。よよよと項垂れるフリのリゼットを尻目に、彼は書類を整理しながらハッキリ言い捨てた。
「アレごときでお前は不幸にならない」
「お兄様それ不敬」
「お前が言う!?」
散々不敬どころか刑罰ものの発言をしてきたリゼットに王子をアレ呼ばわりしたくらいで責められるなんて理不尽すぎる。
「まあわたくしにあの方が釣り合わないのは承知の事実ですものね。あのレベルの人間がわたくしの道を妨げようだなんて身の程知らずもいい所ですわ。ご存知?あのお馬鹿な方はわたくしとの婚約破棄を計画しているらしいですわ」
「えっお兄ちゃん急展開過ぎてついていけない……。何なの今の若者ってみんなこんなんなの?意味がわからなくなってきたんだけど。ていうかさっきこのままだと殿下との結婚が待ってるって言ってたじゃないか」
「このまま、というのはわたくしがこれまでのように殿下の企みを全て潰した場合のことですわ」
「じゃあ何もせずに婚約破棄を受け入れたら解決じゃないか?GOサイン、別にいらないんじゃ……」
「そんなのわたくしが破棄される側だなんて嫌だからに決まっているじゃありませんか。解消ではなくて破棄ですのよ?わたくしの経歴に傷が付きましてよ。破棄される前に殺れ、ですわ」
「まとめると?」
「馬鹿が庶子に惚れた。わたくしとの婚約破棄を計画中。わたくしは馬鹿の暗殺を計画中」
「やめて」
まだ名前すら出てきていないのに胃痛キャラで定着しそうなお兄様はまた、胃薬に手を伸ばした。本当勘弁して欲しい。
リゼットはフェリクスと結婚したくない。だからといって向こうから婚約破棄されるのは嫌。なら殺るしかないと?極端すぎる。じゃあこっちから破棄すればいいんじゃないか?
「そんなことをすれば王家からの信頼は地に落ちますわ。そうなれば大変なのは次期当主のお兄様ですのよ?」
「いやリズに暴れられるより信頼を失った方がまだマシじゃないか?証拠隠滅とか嫌だからな?」
「お兄様、わたくしの座右の銘は『バレなければやってないのと一緒』ですの。お兄様の許可を得に来ただけ偉いと思いませんこと?」
「思いません」
「もう、いけずですわ」
話し合いは平行線である。もう終わりたいと思っているお兄様だが、ここで自分が諦めてしまえば確実にこいつは殺る。フェリクスだけでなく恐らく庶子の方も殺る。2つのお星様を出さない為にもここは自分が頑張るべき、なのだが。
「暗殺……」
なおやりたそうに呟くリゼットに、お兄様はついにキレた。仏の顔も三度までである。
「あああもうだったら魔族とでも結婚してしまえば誰も文句は言えないだろうよ!できるならだけどな!」
「まあお兄様ってば、そんなフラグっぽい発言……」
リゼットは直ぐに否定の言葉を紡ごうとした。
「……リズ……?」
だが突然ピタリと止まったリゼットに危機感を覚えつつ問いかけるも。
「……アリ、ですわ」
お兄ちゃんはそっと胃薬に手を伸ばした。
「ということで魔王様。どなたか良い方を紹介して下さいませ」
「いやお前も大概だな!?」
魔王は叫んだ。叫ばずにはいられなかった。あと回想が意外と長かった。
確かにリゼットの婚約者はクズだったが、リゼット自身もやる事やってる。なんか素直に同情できない魔王だった。あと結婚云々は完全にその場の思いつきじゃないか。
「わたくしの希望と致しましては顔が良く年収も高い男性がいいですわ。女性では跡継ぎが問題となりますし、ある程度の水準の生活もしたいです。ですが多少の性格の悪さは譲歩いたしますわ。バツイチでも可」
「案外たくましいんだな……」
「いやですわ魔王様。魔王城に1人で来る時点でたくましくない訳がないではありませんか」
それに貴族社会は魔窟ですのよ、何を当たり前なことを……と呆れられても知らない。
本物の魔王城にいながら貴族社会を魔窟に例えるなんてたくましいよりむしろ図太い……いや図々しいなんて魔王様は思ってない。相手の顔がいいことや年収が高いことがちゃっかり条件に入ってるなんて気付かない。
「まあお前の気持ちは分かるが……いや分から……分か………まあいい。とにかくすぐ結婚しなくてもいいんじゃないか?ほら他にも色々あるだろう、相手の女を調教して手駒にするとか、相手を王族という地位から失脚させるとか。お前の兄がなんと言おうと消す方法もあるだろう?」
「わあ、魔王様が魔王様」
「茶化すんじゃない」
「はーいお母さん」
「お母さんじゃありません!」
「わたくしの中ではもうオカンですわ。それと、わたくしもそれは初めに考えましたのよ?ですが、お兄様に暗殺を止められたことで考え直しました。相手を消してしまってはダメなのだと。わたくしは自分の気持ちに気づきましたの──生きて、あの馬鹿の顔が屈辱で歪む所を見たいと」
「うわあ……」
もうこいつが魔王でいいんじゃないか。魔族よりこの席が似合いそうなんだけど。魔族は人間界で恐れられていると聞いたけど、明らかにこっちの方が怖くない?
彼は思った。これ、すぐさまお引き取り願いたい。もしくは彼女の兄を召喚したい。誰か止めて。
「現場を目撃してからの数日間、わたくしが何度彼らをお呪い申しあげたことか……」
「お祝い申しあげたみたいな感じで呪うな。というか数日で魔界に来るって行動早いな!?」
「動ける時に動きませんと。あのお馬鹿さんたちを放っておくと周りまでお馬鹿になりそうなんですもの。皆のため国のためわたくしが動くしかないでしょう?」
「清々しいまでの建前だな」
「?」
「ここで淑女スキル使わなくていいから。もうみんな知ってるから。ヤバい奴って知ってるから」
数日という驚異的なスピードの行動は一刻も早くフェリクスを潰したいからだって知ってるから。これがよくこの歳まで婚約に耐えたな。魔王はちょっと感心した。不良が過去にちょっといいことをしたと知ったら感心するのと同じ原理である。
国王は何を以てこれを息子の婚約者にしたのだろうか。国を荒らしたかったのか?
「わたくしの淑女モードが通じないようですのではっきり申し上げますけれど、その通り、わたくしはすぐにあの方々に屈辱を与えたくて仕方ありませんの。今後がどうなろうとわたくしは一切興味がありませんわ。今、あの顔を歪められれば満足ですので」
「うっわあ……」
「それにわたくしと魔族の方との婚姻が認められれば、我が国と魔界の繋がりができます。今まで未知の領域であった魔界との繋がりは人間界にとって大きな利益となりますわ」
「未知ってお前一日で到達して……」
「つまりその手段を得た我が国は他国に対して無視できない存在となり、外交において優位に立つことも可能という訳ですの。イーダの貴族として我が国のためにもぜひ、こちらの国の方と結婚したいのです」
「本音は?」
「馬鹿よりいい男を捕まえてお馬鹿さんズを嘲笑いたい」
「素直でよろしい」
「あちらから婚約破棄されるなんて裸で踊るより屈辱的。心が狭いと言われようとあいつらの勝ち誇った顔なんて一瞬ですら見たくもない。いっそ廃嫡されればいい。お似合いの二人ですわ」
「そこまで言えとは言ってない」
ちょくちょく建前を挟むのやめて欲しい。しれっとへえそうなんだ、とか思ってしまいそうだからこの子怖い。
魔王様は、反抗期真っ盛りの10歳児を相手にしている気分になってきた。自由度のメーターが振れ切ってる。ここは託児所だったか?
「けれどわたくし、顔はいいですわよ?プロポーションも常に気を使い最高だと自負しておりますし、愛人も堂々と囲わなければ何人いてもOKですわ。お買い得な妻だと思いませんこと?」
いや、間違えた。10歳児はこんなこと言わない。魔王は魔王なのに、王国の教育制度が心配になってきた。どうやったらこんな歩く爆弾みたいな令嬢が出来上がるのだろうか?この子が特殊なだけだと思いたい。もし王国全ての令嬢がこんなんだったらものすごく困る。というか泣ける。王国の男が憐れすぎて。
「不憫……」
「安心なさってくださいませ魔王様、王国の皆がわたくしのような感じではございませんわ。どうやら祖母似のようですの。母も大概ですけれど、お兄様は胃薬とお友達でしてよ。お父様曰く慣れが大切なんだとか」
魔王は心底お兄様に同情した。この時の彼がお兄様を思う気持ちは世界一深いと言われているマリマリ海溝を超えたに違いない。
「……お前の兄に強く生きろと伝えてくれ」
「わたくしがこちらの方と結婚すれば魔界で式を挙げる時に家族を呼ぶので会えますわよ」
抜け目ない。思わず頷きそうになった魔王だった。本末転倒である。
「いや、あのな?よく考えてみろよ。こんな歩く爆弾みたいな令嬢を娶りたいなんて勇者がいると思うか?いないだろ」
魔族が勇者とはこれ如何に。ちなみにこの魔界には年に一度、とある国から勇者が送られてくる。大抵側近の返り討ちにあって心が折れ、何故かこの国に住みだすのだが。
「そこは顔と体と家柄でカバーを」
「出来ると思ってるのか?」
「……」
「ほら見ろ。誰だって面倒事は避けたい。俺だってお前が来るって知ってたら魔王業なんて引き受けなかったんだからな」
「まあ、魔王ともあろうお方が情けないですわ」
「いやお前のせいだからな?」
リゼットは心底不思議そうな顔をした。どうして不思議な顔が出来るのか不思議である。不思議が過ぎたら不思議なことも不思議じゃなくなるのだろうか。不思議がゲシュタルト崩壊である。
魔王はそろそろ頭痛が酷くなってきた。が、目の前の美しい少女は魔王から目を離さない。寝癖ついてる?というくらいの凝視っぷりであった。
冷や汗がでた。嫌な予感しかしない。この少女の信頼が窺える場面である。
「……あまりこっちを見ないでくれるか」
「まあ、つれないですわ。ところで魔王様、奥様はどちらに?」
「……まだいないが」
「でしょうね」
「でしょうね!?」
「魔王様ってお顔が整っていらっしゃいますのね」
「……そうらしいな」
「加えて地位もお金も権力もある、と」
「なあこの後の展開に不安を覚えているのは俺だけか?そろそろこの話題を終わらせよう。そうだ、お前の兄もきっと心配している。余り遅くならずに帰るべきだ、そうしよう」
魔王は焦っていた。次にくる台詞が悲しいことに予想出来てしまうからだ。いやまさかそんなはずは無いさすがにそこまでぶっ飛んではいな……うん、いないと信じたい。
「お顔がよろしくて、年収も地位も高い男性。……魔王様、わたくしをお買い上げ致しませんこと?」
「やっぱりか!?くそっ、信じた俺が愚かだった!」
そう、リゼットは気付いてしまったのである。魔王の顔がよく、年収も高そうであり、更には第2王子のあの馬鹿がどう頑張っても手に入らない地位である『一国の長』という肩書きを持っていることに。彼らを嘲笑うには申し分ない相手であるということに。リゼットの目はもはや、狩人のそれであった。
「さあ、こちらにサインを。わたくしの証人欄は既に記入済みでしてよ」
「なんで婚姻届があるんだ!分かった、いい相手を用意してやる!だから人の話を聞け!」
「今のところ魔王様以上のお方はいませんわ。わたくしの条件に当てはまり、なおかつ王という最高の肩書きまでお持ちだなんて感動で目眩が致しますわ」
「自分の欲望に正直すぎる!」
「それがわたくしの長所でしてよ」
どんどん近づいてくるリゼットをみて焦った魔王はとっさに周りを見渡し助けを求めようとしたが、既にこの部屋には魔王とリゼットしか残っていなかった。そう、先程まで会議中だったにも関わらず。原因は目の前の少女しか考えられない。リゼットを見返すと、彼女は麗しい笑みで言った。
「皆様にまでお時間を取らせてしまっては申し訳ないので、この部屋から出て頂きましたわ。だから」
ダンッ!とリゼットは壁ドンをかました。いや、椅子だから椅子ドンである。
「ごちゃごちゃ言わず頷きになって、愛しのダーリン。大丈夫ですわ、優しくして差し上げます」
あっ、抱かれる。
そう思ったと、魔王は後に語る。
「いやいやいや人生の決断はもっと慎重にするべきだ!!一時の気の迷いで結婚なんてするもんじゃない!」
「まあ心配して下さるの?なんてお優しい」
「違う!いや自分の心配はしてるけども!魔族との結婚なんて家族が許さないだろ!ノブレス・オブリージュを大切に!」
「結婚相手を自由に選ぶくらいできますわ。それが許されるだけの利益を上げておりますので。それに国の利益になると申し上げましたでしょう?わたくしのことを考えて下さるなんて素敵。わたくし達、きっといい家庭を築けると思いませんこと?」
「思いません!方向性が違いすぎる!知ってるか、夫婦の離婚理由第一位は『性格が合わない』なんだぞ!?」
「ではわたくしは貴方に合わせていく努力をしなければいけませんわね。どんなタイプがお好みかしら?できればありのままのわたくしを受け入れてくだされば嬉しいのですけれど、愛するダーリンの為ですもの、いくらでも貴方の好みの女性になってみせますわ」
「す、すまない!だがどれだけかかってもお前を扱える気がしないんだ!この手の令嬢は青のコードを切ろうが赤のコードを切ろうが爆発するタイプだろ、取り扱い説明書があっても無理だ!頼む見逃してく────むぐっ」
まだ暴れる往生際の悪い魔王のセリフは、リゼットのぽってりとした唇に吸い込まれていった。
ポカン、とした魔王はしばらくされるがままになり、リゼットの顔が離れるまでしばらく呆然としていた。じわじわとこの状況を理解し始めると共に動揺が魔王の感情を支配する。
「な、なな何を……」
「わたくしに捕まったのが運の尽きでしてよ」
そんな魔王を愛しげに見つめたリゼットは真っ赤に染まった魔王の頬を包み込み、ペロ、と濡れた唇を蠱惑的に歪めて言った。
「不束者ですがどうぞよろしくお願いしますわ、旦那様」
魔王は、陥落した。
その後、どこかの国で胃薬の需要が高まったり、カボチャパンツを履いた王子の悲鳴が上がったりしたとかしなかったとか。
ただ、後に『カボチャの変』と呼ばれるこの出来事は、子供たちがカボチャパンツを履いて女性に頭を踏んでもらえば1年間無病息災で過ごせるという風習となって後の世に残っていくことになる。
そして、人間界に新たな慣用句がもたらされた。
『紅にする』
──恋愛において男性が女性に押されてたじたじになる、という意味である。
「魔王様って人が羨むものを沢山持っていらして明らかに勝ち組なのに、そう見えないのは何故かしら」
「十中八九お前のおかげだろう」
「まあそんな。照れますわ」
「褒めてないからな!?」
**
「と、いうわけでお兄様。わたくし魔王様を釣ってきましたわ」
「!?!!??」
3/20 誤字訂正しました。教えて下さった方、本当にありがとうございます。
3/21 日間異世界[恋愛]ランキング3位頂きました。
三度見しました。ヤバいですね、嬉しすぎて吐きそうです。