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名探偵は千夜を駆ける  作者: 夜鳥
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第三話 「天国の塔殺人事件 その3」


 死体発見から間もなく警察が天国の塔に到着した。


「まさかあなたにお会いできるとは思いませんでしたよ。復活の名探偵さん」


 担当刑事の高柳周はニヤニヤと笑みを浮かべて俺に握手をもとめた。刑事の癖に髪を肩まで伸ばし、ちゃらちゃらした服装をしている。耳にはピアスの穴がボコボコ開いていた。


「ご活躍はかねがね伺っております。名探偵殿。ですが話を聞く限り、あなたの出番は残念ながらなさそうですね」

「そうかな」

「そうでしょうとも。犯人は花嫁の友井明美に決まっていますよ。被害者は塔の天辺から落っこちてきた。落ちる前にネクタイで首を絞められて死んでいた。そして、塔の天辺にいたのは花嫁ひとりだけで、他には誰もいない。隠れる場所だって存在しないし、塔の周囲には少ないながらも人目があった。ロープかなにかを使って悠長に天辺から下りたりすることは難しいでしょう。百歩譲ってそれが可能だったとしましょう。ですが、式場のスタッフが塔の中に誰も潜んでいないことをあらかじめ調べてあったというじゃありませんか。花嫁以外に犯人がいるというのなら、いったいどこから忍び込んだというのですか。お分かりになったらここは我々に任せて、名探偵殿は密室殺人や鉄壁のアリバイでも調べていてください」


 分かった分かった、きみの手柄を横取りする気はないよ。


 俺は苦笑を浮かべて高柳のよく動く舌から逃げ出した。警察の能力に不信を抱いた世論の産物が名探偵という制度であり、刑事の中には名探偵が自分たちの仕事の領域に入ってくることを嫌うものも多い。高柳もそのタイプらしい。


 しかし、彼の云ったことは間違いない事実だ。ちょっと不自然なくらい花嫁以外に犯人がいないというような状況になっている。


「先生。小林さんが呼んでいますよ」

 麻耶華に云われて塔の中に戻ると、小林が興奮気味に近寄ってきた。


「千夜さん! 兼弘氏がこ、殺されたっていうのは本当なんですか」

「ああ。そうだ」

「こうしちゃいられない。今すぐこの特ダネを新聞社に売り込みにいかないと。ああ、そうだ。事件の詳しい概要について教えていただけませんか。もちろん、タダでとは云いませんよ」


 ううん。このまま小林を警察が黙って解放するとも思えない。小林に限らず、塔の中にいる人間は全員警察によって出入りが制限されている。俺と麻耶華は名探偵だから自由に出たり入ったりできるが、小林はそうもいかないだろう。


「大丈夫ですよ。役に立たない警察の監視なんて、ちょっと賄賂をつかませたら簡単に抜けられます」

「そうだろうな。だが、もうちょっと記事を書くのを待つ気はないか」

「待てませんよ! 情報は鮮度が命なんです。ゼンジョーの社長が披露宴の最中、花嫁に殺害されるなんて他の記者連中もすぐに嗅ぎつけてくるでしょう」

 

 俺は周囲の人間に聞こえないよう声を抑えて小林に囁いた。


「犯人は別にいる」


 小林は目を見開いて声を出さずに口だけを動かして「ほんとうに?」と訊いてきた。俺は自信を持って深く頷いた。


「しかし、断片的に聞こえてきた情報からすると、それはありえないはずでは」

「だから、俺の代わりに外に出て行って調べてほしいんだ。警察はもう結論を出してしまっている。時間がないから、俺は現場を離れられない」

「……分かりました。他の誰でもない、千夜真名探偵のいうことです。信じましょう。勇み足で記事を書いた他の記者連中の鼻を明かしてやれるかもしれませんしね。でも、ぼくはなにを調べればいいのですか」

「さしあたっては塔の外にいる人間で兼弘が落下する瞬間を目撃した人物のこと。警察はさして重要視していないが、これは大事なことだ。あと、久我淳史。もし犯人が別にいるとしたらその筆頭容疑者は彼だ。もしこれが路上で起こった事件で犯人がここまで限定されるような状況じゃなければ、捕まったのは彼だろうしな。彼のことなら何でも構わない。今どこにいるのかまで分かれば助かるのだが、そこまではもとめない」


 小林は話を聞くとさっそく塔から抜け出していった。さすがはフリーランスで動いている記者だけあって行動力は一流だ。これで調査の方も優秀なら嬉しいのだけれど。


 麻耶華は幼い顔を澄ましてこちらを見上げてきた。


「もちろん――トリックはすでに見当がついているのでしょう? 先生」

「まあな。それでも、外堀を埋めていく必要がある」


 再び俺と麻耶華は塔の外に出た。周囲を虎目のロープで囲い、弥次馬が現場敷地内に入って来られないようにしている。塔の外壁に沿って一周ぐるりと回ってみた。北側が被害者の落下地点。西側には結婚式場の教会があり、天国の塔から50メートルと離れていない。南側が天国の塔の正面入り口にあたる。東側には塔のすぐ傍に大きな池があった。水草が繁殖しているためか緑色になっていた。


 池の周囲を丹念に見ていくと、近くの地面の一部がびっしょりと濡れているのを発見した。


 次に被疑者となっている友井明美に会いに行った。


 明美は二重の瞼の大きな目、高くて形のいい鼻、美人と紹介されて良い顔立ちの女性だったが、犯人扱いを受けて相当ご立腹らしく捜査員に見境なく噛みついていた。


「あたしが犯人なわけないでしょ! どこの世界に結婚式で自分の婿を殺す花嫁がいるっていうのよ! ジョーシキで考えなさいよ! ジョーシキで!」

「ええ。俺も常識で考えてあなたが犯人ではないと思っていますよ」


 おそらく事件が起きてから初めて自分の主張をキチンと聞いてくれる人間に出会ったのであろう。明美は目を輝かせて俺の質問に従順に答えてくれた。このまま預金口座の暗証番号を尋ねたとしても素直に教えてくれそうな勢いであった。


 というか、結婚相手が死んだというのにまったく落ち込んでいる様子ではない。捜査員の話によると、彼女と兼弘はまだ出会って数か月のスピード婚だという。表には出ていないが、できちゃったからというのが本当の婚姻理由らしい。その話を聞いた時からどうにも目の前の女に対して偏見を抱いてしまう。端から金が目当ての結婚だったのか、それとも容疑者扱いされていることへの怒りが悲しみを上回っているのか。


「ええ。大変だったわ。花嫁姿のまま塔の長い階段を上るのは。でも、珍しくあの人がそこだけは譲らなかったから」

「あなたは花嫁姿のまま、兼弘さんもタキシードに白いグローブを片手に持って、黒の革靴を履いた格好で屋上へと向かった」

「ええ。間違いないわ。花嫁衣裳って着るのも脱ぐのも大変なのよ。動くのも大変。だから塔に上るのは披露宴が終わって着替えてからを予定していたのに、式場から塔へ移動する途中であの人、兼弘がしばらく姿を消していたと思ったら勝手に段取りを変えてしまって。まあ、そういう強引なところは今までにも何度かあったから驚きはしなかったけれど、正直勘弁してほしかったわね」


 式が終わって披露宴会場の塔へ移動するまでに兼弘はしばらく姿を見せなかったという。警察の調べではちょうどその時間に塔を出入りする姿が目撃されており、スタッフに訊くと披露宴前に塔の屋上の様子を確認したいといって兼弘は一度屋上へ上がっていたのだという。


 そして、実際にふたりで塔へ上ってからについての彼女の証言は極めて興味深かった。なんと、自分は急に兼弘によって気絶させられたというのだ。


「屋上へ上がってすぐ、あの人がいきなりあたしの鼻にハンカチを当ててきて、変な刺激臭がしたと思ったら意識が遠のいたのよ。それで目が覚めたらあの人がいなくなっていて、妙に塔の下が騒がしいからのぞいてみたら、あの有様よ。あとはもう警察がやってきて。誰も信じちゃくれませんけれどね。あの人の衣服からハンカチなんか見つからなかったらしいですし」


 彼女から聞くべきことはこれですべて聞いたといえるだろう。あとは小林の報告だけだったが、それもさほど間をおかずに聞くことができた。


 小林は戻ってくるなりデジカメを取り出した。


「千夜さん。警察のいう目撃者は捕まりませんでしたが、ちょうど野鳥観察をしていた学生が近くで撮影をしていて、兼弘氏が塔から落下する瞬間をビデオで撮影していましたよ。見てください」


 そういって彼はビデオカメラを自前のパソコンに接続し、映像を再生した。


 映像は鳥を撮影するため必然的に空ばかりを撮っていた。そこに偶然天国の塔の屋上あたりが映っていたのだ。


 素人のカメラさばきなのであまり撮り方はよくないが、確かに天国の塔の屋上右側の胸壁から人が落下する瞬間を捉えていた。誰かに胸壁から押し出されたとも、自分で乗り越えたとも判断がつかない映像であった。撮影場所が塔から距離があるのではっきり兼弘と判別もできないが、確かにこれは人だろう。前後の映像から判ずるに、撮影者はちょうど天国の塔の正面玄関のある方角に立っていたようだ。


「これはいつごろ撮影したものなんだ」

「それがちょっとはっきりしないんですよ。映像のデータがすでに編集されていて、撮影の正確な時刻が記録されていないんです。この塔から人が落下する場面を映してはいますが、撮影者は最初このことに気が付かず、帰宅してデータを編集している途中で事件のことを知り、もしかしたら落下の瞬間が映っているかもと調べたら本当に映っていたという次第で。撮影自体は午前の十一時から午後二時くらいまでやっていたらしいんですが」


 ちょうど結婚式の最中から屍体の発見される一時間ほど前まで撮影していたことになるのか。


「あと、久我淳史のことですが、すみません。今いる場所までは分からなかったです。ただ、相当酷い生活状態だったみたいですね」


 二年前に久我の妻が精神を病んで以来、妙な宗教に没頭するようになり家の金をほとんど貢ぐようになった。いつのまにか莫大な借金をこしらえるようになり、久我が働いているにもかかわらず借金の督促状が毎日のように届いていて、今や電気まで停められているという。


「久我自身も兼弘からのパワハラで身体の調子が悪く、借金に対してなんらかの対策をする精神的、肉体的な余裕がまったくない状態だったみたいです。素人のんぼくから見ても、久我の背負った借金の大半はキチンと対処すればほとんど返済義務のないものばかりだったと分かりますよ。でも、そんなこともできないくらいに忙しすぎたんですね」

「それでついに自殺を考えたが、なにかがあって急遽取りやめた。そして蒸発」

「久我の妻は今、閉鎖病棟にいるそうです。宗教からは手を引いたんですが、追いつめられた現実に直面して絶望してしまったようですね。今や抜け殻のようだと関係者の人間は云っていましたよ」


 これだけの短い時間の中でまさかここまで情報をかきあつめてくるとは思わなかった。しかも閉鎖病棟の件など、かなり聞き出すのが難しいような話も混じっている。小林という記者はもしかしたら思いのほか優秀なのかもしれない。


 これまで得た情報をまとめてみた。


・被害者は式場から披露宴の会場に移動するまでの間、屋上へ一度上がった。


・結婚式の服装のまま屋上へあがることを提案したのは被害者自身である。


・被疑者の明美は被害者によってなんらかの薬品を嗅がされて意識を失ったと証言している。


 俺の推理の仕方は特殊だ。言うなればまず結論を考える。トリックを考える。犯人を考える。そしてそれが正しいことを証明するために調査を行う。直感と予断、それが俺の思考の中枢にある。すると不思議なことに証拠や手がかりがイモづる式にズルズルと集まってくるのだ。


 真実は仄暗い部屋の隅に転がっていた。今だからこそ思い出されるあの場面。間違いないと思う。この世に絶対なものなどないが、蓋然性は極めて高い。いずれにせよ、少し調べれば分かることだ。幸い、犯人はミスを犯している。


 俺はその証拠を携えて高柳に推理を話した。最初、俺の云うことを狂人でも見るような目で聞いていた高柳だったが、鑑識の結果が俺の云った通りだと判明した瞬間、急に態度を改めて異様に卑屈な対応になった。


 この事件の不可解な事柄にすべて理由を与え、今こそ真実を白日の下に晒し出そう。推理をして証拠を探し出し、犯人を捕らえて見せよう。


 すべて日暮れまでには片付くだろう。




《読者への挑戦状》


 犯人は久我淳史です。


 ヒイロの研究を読んでくださった方なら、すぐに分かったことでしょう。彼は北目園に唆されて自分を精神的に追い詰めた社長の兼弘を殺害してしまったのです。


 ただ、どうやって? 


 今回の事件ではそれが問題となります。ミステリの用語でいえばハウダニットってやつですね。推理のための手がかりはあからさまな形ですでに出されており、それらを正しく解釈することによって犯人のトリックが明らかとなります。


 わたしは推理小説の読者への挑戦と云うものは、国語の読解問題と同じだと思っています。唯一無二の正解、というものはありえない。だけれど文脈を読むことで自ずと出てくる推理、真相というものはあるでしょう。


 久我淳史はいかにして禅定寺兼弘を殺害できたのか。


 その具体的な方法と、そう考えるにいたった根拠を是非聞かせてください。この文章を書いているわたしの最大の喜びは、自分の用意した謎に対して誰かが真剣に取り組んでくれることなのです。


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