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名探偵は千夜を駆ける  作者: 夜鳥
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第二話 「天国の塔殺人事件 その2」


 


 今日まで俺は結婚式の披露宴というものに参加した経験がない。しかし、目の前のこれが普通とは異なる様子であることは分かる。


 ほとんどがおそらく会社関係者。友人や縁者といったものはまるで見当たらない。堅苦しいことこの上なく、どいつもこいつも気を張って他人の顔色や言葉に神経を遣っていて、局外者の俺まで疲れてしまいそうだ。


「先生。今のうちに沢山食べておいた方が良いんじゃありません。こんな豪勢な料理、普段じゃとてもお目にかかれないでしょう。見てください、あそこにキャビアが」

「そんなみっともない真似できるか」


 立食形式で、食事をとるテーブル自体は最初に決められているが、会場内の人間はみんな自由に動き回っている。新郎の男に挨拶をしにいく連中で列ができているが、老人は疲れているのか先刻からずっと居眠りしている。


「珍しいな。あの老人が居眠りなんて」


 そういう小林は供された料理すべてをたいらげる勢いで皿に料理を乗せていた。


「もう結構な年齢だし。疲れて眠くなっても不思議じゃないだろう」と俺は答えた。

「禅定寺兼弘って人を知っている者なら、そうは思いませんよ。あの老人の精力の底知れなさは誰もが知っています。たかが結婚式程度で疲れるような人じゃない」


 だとすると、どうしてあんなに眠そうなのだろうか。


 その間、小林はどうでもいい兼弘のプロフィールについて熱弁をふるってきた。


「元々ゼンジョーって会社は一族経営で、あの老人はそこに婿入りで入って来たんですよ。最初の奥さんは結婚してすぐに亡くなっちまって、それから何度も再婚を繰り返しているんですがどれも長続きしない。女の趣味にはすごくやかましい人なんですよ。最初は奥さんが亡くなったことで会社から締め出される流れだったそうです。高卒でずっと土木作業ばっかりやってきた人で、会社経営なんてできる人じゃなかったんですからね。でも、粘り強さと押し出しの強さであっという間に経営の梶を握っちまった。小さいころから野球をやっていて、サウスポーの名投手だったそうですよ。ゼンジョーが一時実業団チームを持つって話が出た時も、一番乗り気だったのは社長でしたね」


 その後もずっと続く兼弘の逸話。とにかくタフで精力的な男だというのは分かるが、だからこそ社員にも自分と同じだけの仕事を要求したのだろう。ブラック企業などと云われる会社の社長は大抵そうだ。


「久我淳史」


 小林は小さくその名をつぶやいた。


「最近になって突然蒸発したゼンジョー社員の名前です。相当ひどいパワハラを日常的に受けていたみたいです。突然無断欠勤をするようになり、連絡も取れなくて心配になって家に様子を見に行った同僚が、首吊りするためのロープが梁にくくりつけられているのを見つけたらしいです。これはまだ、表に出てきていない情報ですが」

「でも、死んでいない」

「ええ。どうやら踏みとどまって、そしてどこかに消えてしまった。あの老人が神経質になるのも無理ありません。久我を率先して追いつめたのは社長の兼弘氏ですから」


 その久我という男が復讐のために兼弘を殺害するかもしれない、ということか。


 しかし、この披露宴で事を起こすのはあまりにも無謀だろう。正面玄関は出入りが厳しくチェックされている。食べ物に毒物を混ぜるという方法も、こういう立食形式では標的のところまで持って行かせるのは難しい。誤って他の人間が毒を口にするおそれがある。そこまで自暴自棄になっていたら、やるかもしれないが。


「きみが……名探偵の千夜君かね」

 

 しわがれた声が背後から響き、振り返ると新郎の男が立っていた。


「はあ。お初にお目にかかります」といって俺が名刺(普段は面倒で渡さないだけでちゃんと持っている)のひとつでも出そうかと懐に手を入れたところで制止を受けた。

「いや。堅苦しいのは無しだ。風邪気味でね、喉の調子がよろしくない。声もおかしくなっている。あまり長々と話もできんのだが」


 老人はそういうと深くため息を吐いた。どうやら相当精神的に追い詰められているらしい。若いころの彼であれば、自分の命が狙われているかもしれないと噂になっても跳ね返すだけの気概があったかもしれないが、もうこの年にもなるとそうはいかないのかもしれない。


「君に話と云うのはほかでもない。わたしが命を狙われているのは知っているね? 従業員から恨みを買っている。だからこの披露宴にもウチの人間は本当に少数しか呼んでいないし、基本裏方に回ってもらっている。そこで、だ。もし、もしも、わたしが殺されるようなことがあったら、犯人は追わないでほしいのだ」

「どういう意味ですか、それは」

「天命だ。諦めることにする。わたしは死にたくないが、殺されても仕方がない。それだけのことをやってきた。だが、なんの抵抗もせずにただ殺されるのは妻にも悪いので、君にはわたしが殺されないよう尽力してもらいたいのだが、もしそれが防げなかったら、犯人を追ってもらわなくても結構、ということだ」


 なんともおかしなことをいう。傷害未遂事件以来、自分が殺されることおそれているのだろうが、それにしても少々気弱すぎるような。妙に悟りきっているというか、小林から聞いている兼弘の人物像とかけ離れすぎている。


 だがまあ、人間なんてものはそういうものなのかもしれない。


「申し訳ありませんが、約束できませんね。名探偵には捜査権があり、なおかつ現場に居合わせた事件に関しては解決努力義務が生じるのです。俺の望む望まないにかかわらず、解決のために手を尽くすことになります」

「そうか。そうなのか。まあ、それなら仕方ない」


 席に戻る途中で老人はスーツの男にサインをもとめられ、震える右手で著書にサインをしていた。どうやら自伝を自費出版しているらしく、小林も自慢げに一冊のサイン本を俺に見せてきた。


「現役で働いているやつの書いた自伝なんざ、ロクなもんじゃねえよ」

「先生はそもそも自伝を出すような人間が嫌いですものね」

「ああ。福澤諭吉にアドルフ・ヒトラー、自伝書くやつに真面な人間がいない」


 それから三十分後、司会進行役の男がマイクを持って宣言した。


「さてみなさん。それでは新郎新婦に天国の塔へ入場していただきましょう。ご存知の通り、結婚を約束したばかりのふたりでこの塔の天辺までのぼると、天国まで一緒に行けるという話です。まずはその塔への扉をおふたりに開けてもらいましょう」


 塔の階段へ続く扉は非常に大きく、観音開きで扉板一枚の幅が2メートル以上あり、天井近くまで高さがあった。おまけにバネ仕掛けになっているため、開いても放っておくと勝手に閉まってしまうらしい。


「この扉は両側の二枚の板を同時に押さなければ開きません。しかも、かなりの力が必要になります。自然、新郎新婦それぞれが一枚ずつ扉を開けるのを担当しなければいけないわけです。夫婦はじめての共同作業、ってわけですね」


 ケーキ入刀の代わりってわけか。なんとも下らない仕掛けだ。というかこの塔、外から見る限り窓もなかったようだが、絶対に消防法に違反しているだろ。大丈夫なのか。そのうち取り壊し指示とか出そうだな。


 かなりの力、と司会は大げさに云ったが老年の男と若い女に開けられる程度のものらしい。ただ扉板の幅が広く、二枚同時に押さないと開かない性質からひとりでこの扉を開けるのは難しそうであった。


 長い階段をのぼるというのにふたりとも動きにくそうな結婚式の衣装を着たままで行くらしい。男はタキシードに革靴、女はドレスにレース、指先まで覆ったウエディンググローブで、靴はなにを履いているのか分からんがとにかく躓かないようにかなり用心しないといけないだろう。


「俺がもし久我で、この披露宴で事を起こそうとしたならば……」


 ぼんやりと考えていた。犯人の心理になって。恨みが強ければ強いほど、相手を深く傷つけたいと思うはず。結婚披露宴という人生の大イベントの最中で殺害し、すべてを台無しにしてやれたらきっとスカッとするに違いない。


 俺が久我なら、あの扉の向こうに控えている。

 立ち上がろうとした俺の肩に小林が手を置いた。


「まあまあ。千夜さん、安心してくださいよ。塔の階段の先に誰かが待っている、なんてことはありえません。さっき、スタッフの人間がキチンと調べていましたから。さあ、ふたりが戻ってくるまで飲んで食って楽しみましょうや」

「あの扉以外に塔へ行く術はないのか」

「ありません! ついでにいえば、あの塔は窓もありやしません。螺旋階段が延々と屋上まで続いているだけです。あらかじめ扉の向こうで待ち構えている可能性が潰れた今、誰であっても塔の屋上へ向かう兼弘氏を殺害することは不可能なんですよ。われわれの視界から離れてはいますが、一番安全なんです。あの扉の向こうが。まあ、ヘリコプターでも使って屋上に降り立ったら話は別ですがね」


 ヘリコプターが使われる可能性も0ではないだろう。そう思ったが、さすがに考えすぎだと思って席についた。だが、誰かがあの扉に近づかないかだけは目を光らせておいた。


 しかし、誰も扉には近づかなかった。それだけなら良かったのだ。す、それだけで済めば。一時間経って、扉は一度も開かなかった。


 そう、一時間経っても兼弘氏と花嫁の明美は戻ってこなかった。そのことに不審を抱く人間は誰ひとり出てこなかったのは、後の捜査のことを考えると痛かった。俺はこの塔にのぼって、なんらかの儀式のようなことをするのだと考えていた。まさか本当に塔に上って、下りてくるだけだとは思わなかった。だから一時間経って、さらに三十分近く経って周囲が「遅すぎる」と云いだすことになったのだ。


 そして


「大変です!」


 正面玄関から受付をしていた女性が披露宴の会場に飛び込んできた。


「新郎が、新郎が塔から落ちたのを見たという人が。それで見に行ったら、新郎が塔の裏手の芝生に」


 俺は椅子を蹴って立ち上がり、玄関を飛び出した。あとをついてくるのは麻耶華ひとりだけで、他の人間は動揺して動けないらしい。


 塔の裏手とはどこか、尋ねなくともすでに弥次馬が集まり始めていたため、場所はすぐに分かった。ちょうど塔の北側、象牙の円筒の根本であった。


 禅定寺兼弘がうつ伏せになって芝生の上で潰れていた。塔の天辺から墜落したのは疑いようもない。首や手足が妙な方向へ捻じれて、まるでヨガの難易度の高いポーズをとっているかのようだった。顔面が砕けて血が四方八方に飛び散り、悲惨な有様であった。俺はすぐさま脈をとり、瞳孔の反射、呼吸の有無などを確認したが、とっくに息絶えているようで、手遅れであった。


 だが、このような状況でも名探偵の俺は冷静に状況を分析していた。だから、それを見逃すことはなかった。


「先生……! これって」

「ああ。どうやら厄介な話になりそうだ」


 兼弘氏はどうやら墜落死したのではないらしい。首には襟で隠れているがネクタイが巻きついており、それが深く喉に食い込んでいた。


 絞殺。それから塔の天辺から落とした。


 誰が。どうやって。


 俺は天を見上げた。すると、胸壁から身を乗り出した人影が目に入った。


 人影の頭からなにかが外れ、風に揺られて地面にゆっくりと落ちてきた。俺はそれを右手で受け止めた。花嫁の真っ白なベールであった。


 この塔には花嫁と被害者しかいなかったはずだ。

 ならば、犯人は花嫁しかありえない。


 ――馬鹿な。そんなわけがあるか。どこの世界に自分と標的しかいない状況を衆人が認めている中で殺害するヤツがいる。


 罠だ。これは周到に計画された、殺人だ。きっとあの男、北目園日色が裏で糸を引いているに違いない。


 ――引きずり出してやる。この事件を解決して、お前を日の下へ。


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