第一話 「天国の塔殺人事件 その1」
《天国の塔殺人事件の主な登場人物》
・禅定寺 兼弘…総合商社ゼンジョーの社長。齢56にてまだまだ精力絶倫。
・友井 明美…兼弘の再婚相手。
・久我 淳史…ゼンジョーの元社員。兼弘のパワハラで精神を病み、退職。
・小林 幸彦…フリーライター。
・千夜 真…名探偵。
・久利 麻耶華…真の助手。
・高柳 周…刑事。
宵待町。N市にある人口4万6200程度のその町で、ここ数年凶悪犯罪が増加している。殺人など今まで滅多に起こったことがなかったのに、今年だけですでに二件発生しており、さらにそのどちらも犯人は未だ捕まっていない。
「先生。次の駅で降りるんでしょ? 起きてくださいよ」
助手の久利麻耶華が俺の肩を揺さぶった。半分意識が覚醒していたので、すぐに反応して身を起こす。車内には俺たちふたり以外に誰もいない。平日の中途半端な時間帯とはいえ、利用客の少なさに軽く驚く。
小学生のように小柄な麻耶華は、黒のキュロットスカートからのびた脚をブラブラと揺らした。
「田舎ですねえ。さっきから窓の外には田畑しか見当たりませんよ。本当にこんなところにアイツがいるんですかぁ」
「間違いない。あいつが自分でこんなものを送りつけてきたんだからな」
数日前、俺の事務所に差出人の名前のない手紙が送られてきた。名探偵という職業柄、届く郵便物の中には危険なものが混じっていることがある。便箋にリシンが塗りこめられていたり、封を切ると爆発したりする小包なんてものがリアルに手元にやってくることがある。そのため、その手紙も丹念に安全を調べてから開封した。
それはある調査結果が記されたレジメであった。N県の小さな町、宵待町にてここ数年凶悪犯罪が増加しているということが簡潔に書かれていた。奇妙なのは、手紙は俺にこの不可解な現象の原因を突き止めてほしい、などとは書いていなかった。ただ、一文。
《これらの犯罪はすべてわたしがプロデュースしたものである》
そこで香った悪意。間違いなくあの男、北目園日色のものだった。
「いったいなんのために先生にそんな手紙を送ってきたんでしょうかね」
「挑戦状のつもりだろう。あいつの弱点は自分の仕事を理解してもらえないと気が済まないプライドの高い性格だ。だから、本当なら完全犯罪にできることでもわざとどこかに手を抜いて俺たちをキリキリ舞いさせたがるのさ」
数年前、俺は日色の計略で誤った推理を公表し人を死なせた。以来、俺にとってやつを捕まえることはどうしても成し遂げなくてはならない一大事となっていた。
《次は宵待通り前、宵待通り前でございます。右側のドアが》
車内アナウンスを聞いて俺と麻耶華は立ち上がり、ドアの前に立った。
「まずはどこに向かうんですか」
「しばらくは知り合いの刑事の家にやっかいになる。ええっと、行き場所は」
ドアが開き、電車を降りようとしたところで網棚にカバンを置きっぱなしであったことを思い出して取りに戻った。腕を伸ばしてカバンを下ろすと、すぐに違和感を覚えた。妙に重いのだ。しかも、微妙にカバンのデザインが違っているような。
「先生! あの人!」
麻耶華が指差した先を見ると、俺が今もっているのとそっくりなカバンを持った男が駆け足で駅のコンコースを抜けて行った。まさか、と思ってカバンを開けると中には大型のカメラやクリップボードなど、明らかに俺のものではない所持品でいっぱいだった。
「そこの君! 荷物を間違えているぞ!」
しかし男は自分が呼ばれていることなど耳に入らない様子で走っている。
くそッ! この町に来てそうそうつまらないトラブルに遭うとは。
カバンの中には携帯電話らしきものもあった。こうなるとすぐに連絡をつけて男と会うのは難しいだろう。ここで捕まえなくては。
俺は全速力で走って男を追いかけた。途中で何度も人にぶつかりそうになったけれど、お構いなしだ。麻耶華はそのロリ、もとい小柄さを利用して人ごみの間隙を縫って俺より先に男へ向かって行っていた。
だが、男が今にも発車寸前といったバスに駆け込み乗車したところで俺と麻耶華は諦めざるを得なくなった。ようやく停留所についた頃にはバスはとっくに走り去った後で、タクシーも走っていないし、こうなるとあの男がどこに向かって行ったのかカバンの中身から特定するしかない。
「まあ、貴重品の入ったカバンを電車の中に置き忘れる先生のような名探偵なら、朝飯前のしごとでしょうけれど」
「……いや。別に名探偵でなくとも朝飯前の仕事だな」
カバンの中身を漁ると一枚のハガキが出てきた。読んでみると、どうやら結婚式の披露宴の招待状らしい。場所もきっちりと記されていて、ちょうど今日の午後一時からとなっている。
「おそらくこの場所に向かえばさっきの彼と会えるだろう。面倒なことになったが、あのカバンには財布やなんやかんやが全部入っているし、取り戻さなければなるまいな」
やれやれ、ほとんど自業自得とはいえ幸先がよくなさそうだ。
住所を見ると式場はそれほど遠くなく町内にあるようなので、タクシー代を節約して歩くことにした。ある程度この町の地理を頭に入れておきたいというのもあった。
宵待町は市町村区分でいうところの町だ。平成の大合併の際にN県にあった四つの町を合わせて市とする計画が持ち上がったが、結局そのうちのひとつの町が計画を離脱し、市となることもできず、中途半端な規模の町となってしまった。かわいそうに。特産品は布団とボタン。図書館や美術館があり、大きな音楽ホールもある。どれも俺には興味も縁もないモノばかりで、映画館やゲームセンターやCDショップひとつない、退屈な町だ。
知っているのはこの程度。下調べらしいことはほとんどしなかった。町章は白い曼珠沙華を俯瞰した図。なぜこの場所を日色が新しい狩場としたのかは不明だが、ヤツのことだからロクでもない理由に違いない。
そうそう、今から俺たちが向かう場所はどうやらこの町の数少ない名所のひとつらしい。途中で麻耶華から聞いたのだが。
「なんでも結婚したばかりの男女だけで上ると、天国までずっと一緒にいられるという話があるらしいですよ。その塔は」
「それで天国の塔。なんとも陳腐な話だな」
「まあ先生ならそういうと思いましたよ。しょーじきわたしもそう思いますし。でも、若い女性の間ではそれなりに有名で、概ねロマンチッチだと評判だそうです」
「まあロマンで目を眩ませでもしないと結婚なんてできないだろうな。仕事以外でも赤の他人と生活空間を共有して一生を送るなんて、俺ならゾッとする」
「さすが友達0人の名探偵は云うことが違う! コミュ障の鑑ですね。万一、まあ金輪際ありえないでしょうが、先生が結婚するようなことがあったら、是非披露宴に呼んでくださいね。きっとわたし以外全部空席で、壮観でしょうから」
その天国の塔で行われる披露宴にあの男は向かっているらしい。持ち物から察するに、どうやらカメラマンのようだ。仕事道具が無ければ彼も困ってしまうに違いない。
X
天国の塔は五階建てのビルくらいの高さで、一階はパーティ会場で大きな建物になっているが、二階からは円塔の外壁がのびているだけで、一見すると塔というより体育館に長い煙突が生えているような外観であった。象牙色のレンガがスッと青い天まで屹立している様は、髙さとは無関係に天国まで届いているという妄想に浸らせるには十分な効果を示していた。
正面扉の入口には受付の女性がふたりいて、入館する人間ひとりひとりに招待状を見せるようにもとめている。そのすぐ近くで頭を抱えているあの男がベンチに腰を下ろしていた。どうやら、カバンを間違えてしまったことに気づいて、なすすべもなくここにいるらしい。追いかけてきて正解であった。
カバンを見せて事情を話すと、男は喜色を満面に湛えて何度も礼を云ってきた。
「ありがとうございます! ボクはこういうものです」
そういって差し出された名刺には《フリーライター 小林幸彦》と記されていた。カメラマンではなく記者だったのか。「フリーなんで写真も自分で撮るんですよ」といってカメラを大事そうに撫でた。
「知り合いのコネを使ってなんとかこの披露宴に参加できたのに、まさかカバンを間違えるなんて。ホント、どうしたもんかと思っていたんですが」
「コネ? この結婚披露宴は誰か有名人のものなんですか」
「ご存知ないですか。禅定寺兼弘。宵待出身で総合商社ゼンジョーの社長ですよ」
ゼンジョーの名前はもちろん聞いたことがある。経済に疎い俺でも知っているということは大企業なのだろう。どこで知ったのかは分からないが。
「こういう結婚披露宴っていうのは極々身内と会社のお得意様ばかりが集まるものですからね。それでいて見知らぬ顔がひとりくらい混じっていても目立たたない。きっと特ダネにつながる情報が聞けますよ」
「なるほど」
「ああ、ところで親切な人。あなたのことを訊くのを忘れていましたね。いったい、どなたなのですか」
どうやら小林は俺のカバンの中身をそれほどかき回していないようであった。あえて名乗る必要も感じなかったけれど、拒む理由も思い浮かばない。
「千夜真です」
「千夜、どこかで聞いたような……ああっ! あの復活の名探偵の」
復活の名探偵。そんなあだ名がついているのか。
確かに俺は一度名探偵資格をはく奪され、通常ではなしえない方法で再び名探偵の資格を再取得した。その経緯について様々な筋からあることないこと云われ、少々うんざりしていたのだが。まさか復活なんて大層な言葉がつけられているとは知らなかった。
「あなたならきっとゼンジョーの社長も披露宴に参加してもらいたがると思いますよ。どうですか、一緒に」
「どうしてですか。兼弘氏は名探偵に頼みたいことでも」
「いやあね。というのも、ずっと前にあったじゃないですか、ゼンジョーの社長が社員に過酷な労働環境で働かせていることが問題になって。労働者代表と兼弘氏の議論の場で社員のひとりが兼弘氏を刺そうとした事件。以来、こういう大勢の人間の集まる場では神経過敏になっているんですよ」
思い出した。どこでゼンジョーの名前を知ったのか。たしかブラック企業ランキングとかいう記事で見たのだ。堂々の一位であった。上からの異様な圧力と無理難題に押しつぶされ、身体と精神を壊した人間が何人もいるのだとか。それを率先して行っているのが社長の兼弘氏自身であるとも記事には書かれていた。
「兼弘氏は今回で三度目の再婚でしてね。こんな場所で披露宴をする柄じゃないんですよ、あのご老体も。しかし再婚相手がなんと30歳も年下の女で、これがまた頭も股もゆるそうな、おっと!」
急に小林が口を押えたのでなにかと思っていると、天国の塔の玄関前に新郎新婦と思しき男女がやってきていた。
「見てください。あれが兼弘氏と再婚相手の明美さんです」
確かに若々しい花嫁に対して新郎は異様に年老いた姿の男だった。パッと見た感じだと親子どころか孫と祖父といった感じだ。よくもまあ結婚なんて考えに至ったものだ。
「あの明美さんがこの塔での披露宴を望まれたんだそうです」
俺はカバンさえ取り戻したらさっさとこの場を立ち去るつもりだったが、どうにも気になった。名探偵の能力のひとつに事件の発生をあらかじめ察知するというものがある。その事件に対する俺の嗅覚が今鋭く働いていた。杞憂であればいいが、そうでなかったら取り返しがつかない。
ふと見下ろすと麻耶華が口元に手を当てて眉をひそめている。
「……先生。わたしもやっぱり嫌な予感がするよ」
「分かった。じゃあ、小林さん。ちょっと融通してもらえないか。俺が披露宴の会場に入れるように」
小林は首肯すると新郎の方へ近寄って行った。タキシード姿の初老の男はしばらく小林と何か話をしていたが、やがて大きく頷くのが見えた。
「千夜さん。むしろこちらからお願いしたいくらいだそうですよ。会場に入ってもらっても構わないそうです」
「ああ、そうか」
――もしかしたら、もう手遅れかもしれない。
何気なく、そう思って天国の塔へ俺は足を踏み入れた。