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遠く彼方のあなた様へ


遠い昔に出会ったあなた様が神格を得ると知ってしまった。

わたしとはもう関わり合いのないお方。

わたしには縁を結んだひとも、かわいい御子もいるというのに、どうしても伝えたい言葉があった。

なのでわたしは筆を取った。


娘時代に出会った神格を得る前の神様へのお手紙






拝啓

 牡丹の花が咲き誇り、行く春が惜しまれる今日この頃。あなた様はお元気でいらっしゃいますか。

 さて、このたびはあなた様が神格を得ると由承りました。心よりお祝い申し上げます。

 長き間に渡り筆不精を重ねておりました、わたしからの突然の手紙。きっと、大変驚かれたことでしょう。本来ならば、わたしももう、あなた様へご連絡をすることは無いと思っておりました。けれど、風の便りであなた様のことを耳にしてしまった日より、胸の奥底に隠したはずの、あなた様への思い、記憶が、溢れて止まらないのです。そうして震える手で、こうして文字を綴るに至りました。

 ねぇ、覚えていらっしゃいますか? わたしたちが初めて出会った日のことを。わたしは今でも覚えております。星と月が輝く夜でしたね。

 月明りに照らされた桜の美しさに、わたしは見惚れては歩みを止め、それに慌ててまた歩き出しては、舞い散る桜花の美しさに足を止め。傍から見れば、なんと可笑しな娘だったでしょうか。そうやっていたわたしは、小石に足を捕られて転んでしまい、草履の鼻緒を駄目にしてしまいました。

 まだまだ家までは遠く、人通りのない場所でした。手にはおつかいを済ませた着物が包まれた風呂敷を抱え、わたしは途方に暮れて、ああそうでした、泣く寸前でしたわ。もういっそ、草履は脱いで足袋で帰ろうかしら、なんて、家人に叱られることを考えていたとき、「大丈夫かい?」そう言って、あなた様がお声を掛けてくださいました。

 絹のようなサラサラとして艶やかな稲穂色の髪の毛、とろりとした翡翠の瞳。まるでお話の中で聞く、異国の美青年。一瞬で恋に落ちました。だって本当に素敵だったのですよ。お姿もですが、お声も素敵で。初恋すらしたことのなかった初心な娘でしたもの。一目惚れしてしまうのもしようがないでしょう?

 あなた様はふむと一つ頷き、そっとその長身を屈めると私の足首に手をおやりになりましたね。

「鼻緒が切れている。でもこれくらいなら僕にも直せるよ。さぁ、直してあげるからそこに腰掛けなさい」

 そう言って羽織を脱いで桜の木の下に敷いたあなた様は、優しく、けれどわたしに否定する隙を与えることなく、わたしをそこに座らせました。年月を重ねて幾度か似たような光景を目にする機会もありましたが、あなた様以上に素敵に鼻緒を直してくださった方にお会いしたことはありません。

 あなた様はご自分の手拭を歯で引き裂くと、あっという間に鼻緒を直してくださいました。しゃがんだあなた様の肩をお借りして、あなた様の手の温かさを感じながら草履に足を通した瞬間の胸の高鳴りは、今思い出しても頬が熱くなるようです。

 何度もお礼を言うわたしに、あなた様は微かな笑みを浮かべて手を振ると去っていきました。わたしはその笑みを何度も何度も思い出しては、胸を弾ませて。そうして家路に着いたわたしを待っていたのは帰宅の遅くなったわたしを心配した、父の厳しい叱責。冷える玄関先で叱られながら、わたしはどうしたらあなた様にお会いすることができるだろうかとばかり考えておりました。

 けれど現実はそんなに甘くはありません。わたしがあなた様に会うことができましたのは、春が終わり、夏が過ぎた、秋のこと。

 やはりあの時もわたしはおつかいの帰り道でした。わたしは桜の時と同様に、空と地面を赤や黄色に染める紅葉を立ち止まっては見上げ歩き出し、また数歩先で空を見上げて立ち止まり、を繰り返しておりました。ただ、あの時と違ったのは、まだ空には太陽が輝いていたことでしょう。

 その日、午前中に父の使いを済ませた後は、わたしの好きにして良いと言われていました。今時分でしたら、女学生が一人で喫茶に入ることや、食事処に行くことも珍しくはありませんが、当時はまだまだ保守的な時代。女学生が一人でそのような所に行くなんて、到底許される風潮ではありませんでした。

 一人で使いを果たしに出掛けたわたしが昼食を得るためには、家に帰るしかなく。けれども久方振りに持ちえた自由なひと時を目一杯楽しみたくて。わたしはいつもより遠回りをして家路につくところでした。







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