九話 仕事依頼
自宅四階にある運動ルームで俺は走っていた。
部屋にはルームランナーが二台並び、少し離れた所にエアロバイク。更に全身を鍛えることのできる、マルチトレーニングセットやストレッチマットがある。
部屋の壁には大きな鏡もあり、ちょっとした家庭内ジムだ。
週に三日はここへ来て軽く運動する。
体育や仕事の手伝いがない日が、特にそういう日になる。
汗をかいてからのお風呂はクセになる。
お爺ちゃんはサウナが好きで、いつかこの場所に小さな個室サウナを設置したいと計画していた。
「そうか~、丸く収まったならいいんじゃねぇ~か。結果良ければ、すべてよし。ところで章和は、今度の日曜日暇か?」
「あ、ダメダメ。今度の日曜日は予定があるんだ。仕事でしょ? その日は無理」
佐伯と子犬を見に行く約束になっている。
子猫を諦める条件として、そう約束した。
というか、佐伯いわく、猫アレルギーらしく、元々飼えなかったと笑っていた。
……でもだったら、なんでこの子猫争奪戦に参加したんだって話だが、ホント、女の子って分からない生き物だ。
家族に一人でも女性がいれば、少しは分かるかもしれないけど。
「おい、それは困る。予定変更できないか? こっちは人生かかってるんだぞ」
トレーニングマシンを使って、背筋に負荷をかけているお爺ちゃんがいう。
俺はルームランナーの速度を落とし、詳しく話を聞くことにした。
「人生って、何かあったの?」
「ほら、前にもあったろ。新しい現場に入るんだよ来月の頭から」
なんでも中野駅付近のビルを壊し、そこに新たなビルを建てるらしい。
毎回新しい現場に入る時は必ず特権争いが生まれる。それは仕事場での優先順位や車の駐車、細かなトコで言えば、着替えなどのロッカーに至るまで。
いくつもの専門業者が入るから、当然、色々ルールや序列が必要となる。
で、今回の争いの主格は、三社。
小さな所も、それぞれ小さな小競り合いは在るようだが、手っ取り早く、腕相撲などで決めたらしい。しかし、大所帯になるとそういうワケにはいかない。
お爺ちゃんいわく、今回の現場をスムーズに完了すれば、次ぎの建築予定された現場起用も自ずと決まるという。それも二か所。
「いやな、一つはコッパにしてやったが、もう一つがな……」
お爺ちゃんは例の如く、重機対決をしたらしい。
お互いに自慢のホイールローダーを出し、牽引用ワイヤーを数本装着し引き合う綱引き勝負。いつものように圧勝だったらしい。
更にショベルカーを使った神業対決。
最後はお互い新人を出してのフォークリフト対決。障害物が置かれ、入り組んだ通路でいかに早く荷を運び積み上げるかというレースだ。
それもまた圧勝だったようだ。
それもそのはず、お爺ちゃんは様々な重機が操りたくて、わざわざ、この世界に飛び込んだのだ。会社の殆どの者もその熱さに魅かれている。
なにせ自分らをロボットのパイロットだと思っている。
社員も、とにかく資格や免許を取得しパイロットを目指す。
普通なら、一つの物を乗り続けて、上手くなり極めるのが職人のセオリーだが、お爺ちゃんは違う。ありとあらゆる重機を乗りこなす。
それこそ街でロボットを操縦している気になっている。
若い頃は、特に破壊作業が快感だったらしい。
エレキギターをかき鳴らしてシャウトする人生から、どこでどうなったか重機とモノづくりに魅入られてしまったようだ。
ロックスターと天秤にかけて選んだこの道で、負ける訳がない。
「でな、重機での勝負じゃ嫌だと。鳶の連中が中心になって野球で勝負だとぬかしやがってだな。しかも向こうは、腕に覚えがあるヤツが何人かいるらしい」
まぁ居るだろうな。ワルでやんちゃで野球好きってのはお決まりだ。
どこの学校にも数人はいる。
大抵、運動神経が良くてガタイも良い。けど勉強は苦手的な……。
「それで俺に試合に出ろと言うこと? 俺一人じゃ無理だよ」
「無理なことないだろ。章和は、超の付く強肩だし、盗塁なんて、絶対ゆるさないだろ? お前のランナー『さす』ところは天下一品だ。子供の時、確か都大会でMVP貰ったよな?」
ん? なんか最近どこかで聞いたような気がする? どこだったかな?
小さな時からいつもお爺ちゃんとキャッチボールしていた。
でも俺はコントロールも悪く相手まで届かないという理由で、キャッチャー役をしていた。させられていた、かな。
お爺ちゃんは、俺が暴投した球を取にいくのが面倒だっただけかもしれない。
だけどそれからずっと俺はキャッチャーだった。
本当はピッチャーがしたかったけど、お爺ちゃんに言いくるめられて、仕方なくいつもキャッチャーをこなしていた。
まだ幼稚園児なのに容赦ない投球。
それを見かねて、お父さんが子供用の防具を買ってきてくれて、なぜか本格的な格好にされた。
お父さんとお爺ちゃんが交互にピッチャーをするのをみて俺もとお願いしたが、膝が悪くて座れないだとか、言い訳されて却下され続けた。
よく考えれば、途中からは俺のボールは届いていた。
しかも、座った状態で返球していた。まだ小さなガキなのに……。
小学校に上がりソフトボール部に入った。これで晴れてピッチャーになれる、と思いきやキャッチャーになった。
理由は簡単だ。
俺のグローブがキャッチャーミットだった事と、防具の一式を持っていたこと。それとすでに上手かったこと。
俺は仕方なく町内の野球クラブにも入りそこでピッチャーになるべく動いた。
もちろんグローブは内野用を持参した。が、なぜかキャッチャーがヘタな奴で、俺の球が取れない……。
グルグルと守備役が回り、誰がどこを守るか慎重に審査されていく。
俺は演技でヘタなフリをした……にもかかわらず、俺が適任となった。それから中学二年までずっとキャッチャーをしていた。
「それじゃ、ほら、惣汰君は?」
日浦惣汰。俺とずっとバッテリーを組んでいた友達だ。
ソフトボールも町内の野球も、両方ともにピッチャーだ。
俺と惣汰で色んな大会を総なめにした。
おかげでトロフィーやメダルが山のようにある。学校に寄付しても余りあった。
俺は惣汰が転校して、……野球を辞めた。
「惣汰か、会ってないけど連絡は取っているから相談してみるよ」
「本当か、それじゃ早速、惣汰君にも伝えてくれ。それと試合に勝ったらボーナス出すって。原付くらいなら試合に出てくれただけで、参加賞であげるってな」
お爺ちゃんが嬉しそうに立ち上がる。
そして、スイムタオルで汗をしっかり拭きとり風呂へと向かう。
この部屋以外で汗を垂らすと掃除が大変だから、スイムタオルを使う。
一方俺は、十五分ほど走り、大きなモップで床に落ちた汗を拭きとり、換気扇のタイマーを押す。で、スイムタオルで拭きながら俺も風呂場へ向かった。
翌日、俺は学校で佐伯と日曜日の話をした。
「それじゃ相楽君試合するの? どこで? 私、見に行ってもいい? 良いよね」
やけにテンションが高い。でも怒られたり嫌な顔されるよりは、よほどいい。
「六郷土手分かる? そこの多摩川グランドだと思う。もしかしたら、平和島公園グランドかもしれない」
「一緒に行きたい。ね。お弁当作ってくからさ。それで、試合の後、午後からさ、見に行けばいいじゃん、子犬」
なら着替え持ってかないと、さすがにユニホームでは街を歩けない。靴もか。
「そうそう日浦って覚えてる? 日浦も来るよ、昨日連絡したんだ」
俺が佐伯と話していると、なにやら教室がざわつきだした。
もちろん、学校のカリスマと話しているからだ。
そんな中、チャイムが鳴り佐伯が隣のクラスへと帰っていく。
「日曜絶対だよ。約束だからね」そう言って佐伯がドアから手を振る。
俺は分かったと言って微笑んだ。