四話 コネコ
「ただいま。ちょっと相談したいことが、あってさ」
俺はお父さんの部屋の襖を開けた。
途端に動物の匂いと色々な鳴き声が俺を拒絶する。
「何か用か章和。んむ? お前それ?」
「ね、猫だけど。ちょっとワケあって拾ってきた」
ちょっと見してみろと言って、俺の手から小さな子猫を抱き上げた。
「お~よちよち、可愛いな~お前。おろ、この子オスかぁ」
そう言うと俺に戻してきた。
猫を受け取りこの子猫を自分が飼ってもいいかと尋ねた。
すると即答で、ダメだと返答された。
「なんでさ。ちゃんと面倒見るからいいでしょ?」
「ダメだ。この家にはもう数え切れないくらいペットがいるだろ」
そう言うと部屋中を指さす。
大きな水槽にアロワナや名も知らぬ巨大魚。
コツメカワウソというラッコみたいなのや、ショウガラコなる不思議な生き物、フェネックという耳の大きなキツネみたいなものもいる。
コガネメキシコというインコやよく分からない爬虫類的なものもいる。
「本当は俺だって猫が飼いたかったけど、我慢してるんだぞ。正直この家じゃ猫は無理だな」
「なんで? こんなにいるし一匹増えたって平気でしょ」
お父さんは首を振り、お前は何も分かってないという。
いっぱい居るように見えて、実は半分しかいないと訳の分からないことをいう。
「どういうこと。半分ってなんだよ? 訳が分からないよ」
「いいかよく聞け。俺がお前に猫を飼っちゃいけないって言ってるのはよ、お前が責任を持って面倒みれる状態にないからだ。よその家はお母さんや家族がいてな、お前が学校に行ってる間も、外で遊んだり用事がある時も、お前の代わりに誰かが居るんだよ」
確かに……朝の七時から夕方六時頃まではいない。そうか……。
「お父さんはどうしてるの?」
「俺は仕事場に連れてってるよ。離れたくないしな。それとさっきも言ったけど、よく周りを見てみな。こいつは水槽だから掃除と餌やりだけだろ。そんでこっから向こうは夜行性だから昼間は寝てる。つまりこいつとこの子だけをお店に――」
なるほど。それで半分って言った訳か。
「あのさ。お父さんの店って飲食店でしょ? 生き物連れて行って平気なの?」
「ダメに決まってるだろ! 店と言っても控え室だ。そんな不衛生なことするか。店内はお前もバイトで来て知ってるだろ。大きな水槽だけだ」
壁一面に埋め込まれた大きな水槽がぐるりと一つ、他は、アクリルで出来た水槽テーブルの二つ。片方に熱帯魚、もう片方に海水魚が綺麗に泳いでいる。
それ目当てで来るお客さんも多い。ちょっとしたデートスポットだ。
「それじゃ、昼間はお父さんの職場に連れてってよ」
「だから、章和は、帰って来ても面倒みる時間ないだろ? 全ての時間をペットに注ぐほど飼いたいのか? 違うだろ。無理すればその猫ちゃんが可哀そうだぞ」
お父さんはそういうと、お前の役目は、責任もってその子の里親を探すことだと教えてくれた。他人任せにしたり投げ出すなと念を押された。
捨ててこいとか元の場所に戻せとは絶対に言わないんだなと思った。
「ところで章和。その子とはどこで、どういう経緯で出会ったの?」
「いや、その、北中の裏の神社あるでしょ、ちょっとそこでお参りでもしようかなと思ってたまたま寄ったら、カラスがこの子猫を虐めててさ、そんでつい助けたらなつかれちゃって……それで連れてきた」
お父さんは、逆にお前が子猫の魅力にやられただけだと笑う。自分もその子猫がメスだったら危なかったと、冗談とも本気とも分からない感じでいう。
「それよりお前、なんで神社なんて行ったんだ? また学校でなんか嫌なことでもあったか? 章和は昔から、嫌なことや勝負事になると神頼みすっからな。少しは自分の足で踏ん張って、切り抜ける強さを身につけろな」
図星だ。本当は本門寺も行くつもりだったけど、子猫と出会って、しかたなしにまっすぐ帰ってきた。
今の俺の運勢は最悪だ。仲根が三位をキープしたというのに、俺は二つも順位を落とし六位。
この株価下落はショックだ。
「章和。何をボケっとしてんだ。分かったのか? ちゃんとその子の貰い手を探してやるんだぞ。適当じゃなく。ペットが好きで、優しくて、最後まで面倒みてくれそうな人を見つけてあげろよ。その子猫ちゃんの為にもな」
「分かったよ」
里親が見つかるまではと、とりあえず一週間だけ、お父さんが面倒をみてくれることになった。もちろん学校に行っている間だけの世話。
今朝も『善は急げ』だと念を押された。
「というワケなんだよね。仲根君ちって、ペットとかどう?」
「うち? ウチは無理。実はもう、妹がうさぎ飼っててさ。でも、猫は難しいよ。楽に飼えそうなイメージあるけど、聞いた話じゃ、爪研ぎとかで、壁とかボロボロにされるって。トイレのしつけが楽だという以外は、結構大変らしい」
仲根の話いわく――。
猫独特の気まぐれさやワガママさ、人に服従しない気質は、猫が好きという人にはドンピシャだが、犬のようなしつけで他人にあわすことができない分、実は相当飼い主が限定されるという。
確かに言われてみればそんな気はする。
もちろんもっと気楽に飼っている人はいるが、俺が仲根に話した飼い主の条件がシビア過ぎた。
「妹が飼ってるウサギもさ、柱とかコードとか平気でかじるんだよね。俺、中学の体操着とか穴開けられてさ、妹とよく口論になったよ。ちゃんとできないなら部屋で遊ばすな的な」
「あのさ、仲根君って……妹と同じ部屋だったの?」
「昔だよ。俺が中二くらいかな? 妹は三つ下だから五年生くらいまで」
妹と二人の部屋。どんなんだろう。何を話すんだろう。
「兄妹で何話すの?」
「え? 話さないよ」
「何も?」
「うん。何も」
「じゃあ二人で何してるの?」
「何もしないよ……って相楽君気になるの? 猫の話はいいの?」
俺としたことが。つい気になって根掘り葉掘りと。でも……いいな兄妹。
なんの進展もないまま時間だけが過ぎる。ホームルームの時間がきて、連絡事項などが告げられ、プリントが配られた。
すると例の如く担任の先生が俺を前に呼ぶ。
「相楽君。今日の放課後空いてる? 体育科の先生がね――」
「先生、俺困ります。今回のテストも成績下がったし、部活してる余裕なんてないというか。先生から断ってもらえませんか?」
「いや~。私も言ったのよ。だけど、しつこくて。正直あ~ゆう先生苦手なのよ、学生の頃からね。だから相楽君、直接自分で言って」
「そんなぁ。俺、毎日断ってますよ。先生から言って下さい」
無理だわと謝ってくる先生。確かにいかつい体育科の先生と、いかにも新人ですという若い女性担任じゃ、到底古株に物言えると思えない。
「ところで相楽君、成績が下がったって悩んでるみたいだけど、先生ちょっと色々先生方に聞いて回ったんだけど、下がってないわよね?」
「超下がりましたよ」
「えっと~、具体的に何が下がったの?」
俺はまず、四位から六位に落ちたことを告げた。
そして理科が九十三から八十八へとなり、社会科は九十五から八十六へと落ちたことを告げた。
「でもね、今回特進の問題は相当難しかったらしくて、クラスの殆どがもっと成績落ちてるのよ。今回の平均点数、どの教科も六十くらいよ。でも、相楽君、英国数満点でしょ。逆に上がっているじゃない」
分かってない。じゃあなんで俺は四位から六位になったんですかって話。
答案用紙に八十台の文字を見た時、どれほど恐怖におののいたか。順位が二つも落ちた時、どれほど絶望したか。先生……分かってない。
俺の無念さは分かってないみたいだけど、優しい言葉と背中をトントンとして、励ましてくれたことでチャラだ。
先生と少し雑談をしていると、突然俺を呼びだす放送が流れた。
「あら、相楽君呼んでるわよ」
「もぅ~ヤダぁ。行きたくない」
本当に面倒くさい。肩を落とす俺の背中をさすりながら「ガンバ」と笑う。
俺はしかたなく体育教官室へと向かった。
話は分かっている。
例の如くサッカー部に入りキーパーをやってくれという話だ。久保真と勝負した次の日から今日までずっと勧誘されている。
最初は部員がうちのクラスまで来ていたが、かたくなに拒絶する俺に音をあげてくれた。しかし、サッカー部の顧問の先生がそれならばと出てきたのだ。
もちろん俺は断り続けている。
俺が特進クラスでなかったら、強制的に入部させられていただろうと他の先生方が笑う。そして今日もまた勧誘だ。
「相楽~、どうしてもダメか?」
「はい。俺、特進クラスですよ。部活してるヤツなんていませんから。塾とか色々あって部活に参加する時間なんてないですし。ホントすいません」
「いやいや、だから試合だけでいいんだぞ。練習なんて出なくていいの。キーパーだし、チームワークとかコンビネーションとか必要ないだろ? 頼む。俺の賞与がかかってるんだ。ま、それは冗談だけど」
冗談に聞こえない。
ウチは私立校、学校の名誉になる活躍をした者、それに関与したものがどれほどの待遇を受けているかはそれなりに知っている。
大体、特進クラス自体、とんでもなく優遇されたクラスでもある。
俺は例の如く断り続ける。
だが、他の体育科の先生も混ざり、賑やかそうに話す。ホント迷惑な話だ。
まぁ、先生方の暇潰しにはもってこいなのかもしれないが……。
「それでは失礼します」頭を下げそこを後にした。
この話が出た当初は、他の運動部にもしつこく誘われた。
もちろんそれらもすべて断り続けた。噂が一人歩きして歯止めが利かない。
「どうだった相楽君」
「最悪だよ。ちゃんと断ってるのに……全然聞いてくれない。なにが悲しくて高二から部活しなきゃいけないのさ」
図書室で仲根と小声で話していた。
すると司書さんが頼んでいた本が入荷したわよと持ってきてくれた。
おかげで落ち込んでいた気持ちが大分和らいだ。
新作のゲームでも得たように、表紙を眺めた。もちろん家に帰ってからじっくり読むから、今は表紙だけ。そして、分厚い上下巻の本を鞄にしまう。
「それ面白いの?」
「読んでないから分からないよ~。ただね、この人の作品は~ハズレない」
テンションが上がっている。仲根もそれに気づいてクスクスとしていた。
しばらくして、俺もなにか借りて帰ろうかなと仲根が本棚に向かった。
その背中を見送るとすぐ、誰かが俺に声を掛けてきた。俺は振り返る。
「あの、その、ネコ。私じゃダメですか?」
「へ? ……ああ、ネコ。ダメじゃないですけど、そのちょっと……、まず、お話でもしましょうか」
ハイと言ってその女子が真横に座った。
こういう時なんて話していいか全く分からない。俺は照れながらも必死に子猫のことを話した。
「相楽君、ちょっと声が大きいわよ」
司書さんに注意を受けてしまった。
テンションがおかしくなって、声の音量が出過ぎてしまった。
俺は周りの人に迷惑をかけないように、図書室のマナーに反しない程度の小声で話し始めた。
「あ、これ、写メなんだけど」
「写メ? あぁ写真。あ、可愛い。この子メスなの?」
「いや、男の子。確かうちの親が、チンチラシルバーだと思うって、もしかしたら何か別の種が混ざってるハイブリットかも知れないけどって」
画像を眺めるこの女子の仕草がめちゃくちゃ可愛い。
でも一体どこでこの話を聞いたのだろう。まだ仲根にしか話していないのに。
「あの、子猫の話って誰から聞いたの?」
「ごめんなさい。実は私、教室で相楽君と仲根君が話しているのを、盗み聞きしてしまって」
何度も頭を下げるその子に、謝らないでと焦って止めた。と同時に、司書さんに二度目の注意を受けてしまった。
「あ、自己紹介します。私、特進クラスの清水梢です」
「あ、特進クラスの相楽章和です。同じクラスなんだね」
こんなにも可愛らしい子が同じクラスにいたなんて、ちっとも気付かなかった。すごく優しそうで、この子に飼って貰ったらきっと子猫も幸せになれる。
俺なんかが飼うより絶対イイ。毎日彼女に甘えん坊すればイイ。
俺は清水さんに飼って貰うべく話を聞く。ペットを飼える家なのか、学校へ来ている時に面倒見てくれる人はいるのかなど。
もちろん俺と仲根の話を聞いていたからすべての条件はクリアしていた。
それでも一応の確認をするのが、俺の責任だ。
「私じゃダメかな?」
「ダメじゃない。ただ、命だからさ、俺も責任もって里親を探そうと思っただけ。最後まで可愛がってくれる人って。清水さんなら安心してお願いできるよ」
そう言うと、清水さんがにっこりと嬉しそうに笑う。
俺はその笑顔に吸い込まれる。
清水さんの瞳が磁石のように俺を引きつけ、視線が外せない。
受け渡しの日時の話になり、清水さんはすぐにでも会いたいという。
「それじゃ明日。丁度土曜日で午前中授業だから。うち、ちょっと遠いんだけど、一緒に帰りましょう。明日で大丈夫?」
「はい」
受け渡しは明日に決まった。
席を立ち一度立ち去った清水さんが早足に戻ってきた。
「あ、あの、さっきの子猫ちゃんの写真くれませんか? それと……できたら私とアドレス交換して下さい」
「そ、そうだね」
赤外線でデータを送ると、ありがとうと微笑み走り去っていった。
その後しばらくして仲根が戻ってきた。
「今のって清水さん。彼女となんかあったの?」
「ほら、子猫の件で」
仲根が、あ~それと納得する。が、ポロッと引っかかることを言った。
「清水さんってさ、高一の頃からいじめられてるんだよね」
「え? ウソ。今も? うちのクラスでも?」
「クラスというか、なんだろう。不特定多数に嫌われているみたいな感じ」
そうなのか……。そんな風にはちっとも見えなかったけど。