三五話 エンディング ベル
容疑者とされた皆と会ったが、何も思い出すことはできなかった。
俺にとっては、ただのお見舞いであって、優しい笑顔と言葉に、心があたたかくなっただけ。
二十歳になった今もまだ俺を好きと言ってくれるなんて、愛の深さに俺は溺れてしまいそうだった。とても足のつく水深じゃない。
あれほど可愛いく、そして優しくて美人なら、いくらだって相手はいる。
雑談した時、俺なんかじゃなくて、もっと素敵な男性をと切り出しそうになり、そういえば何度もそんなこといって怒らせたなと思い出し、言葉をのみ込んだ。
文化祭の後も、佐伯が海外に行ってからも、きっと俺は、何度もそういった類のセリフを言ったに違いない。
その度に怒らせては、また「あなただけなの」と囁いて貰ったのだろう。
浮気は嫌いと言っておいてこの状況。正直、浮気と変わらない。
もちろん肉体関係もないし、嘘で騙したりもしていない、でも罪悪感がある。
それは心の問題、だと思う。
何より俺は、皆のことが、好きになっている。だから、そんな自分が大嫌いだ。
皆の優しさに、好きと言ってくれる言葉に胸がつまる。
この胸のつかえこそ、好きになっている証だ。だから罪悪感がある。
俺の大好きな本や物語は、すべて、大好きな人と一対一で大恋愛する。
色々な邪魔や苦難が襲い、それを乗り越えた先に待つ永遠という名の伴侶に。
本当は、運命的な出会いや奇跡に身を委ねて、二人で寄り添いたい。
――俺の運命の相手は誰ですか?
佐伯にも、渡辺にも、他の子達にも運命だと言われた。
誰かに選んでくれとは言わない、ちゃんと自分で好きだと伝えたいし選びたい、そうしてあげたい。でも、そうするにはすでに俺の今の心では、この恋の方程式を解くことはできない。…………何言っての俺は。
いつかは大人にならなければいけない。
例えそれが、辛く残酷な分かれ道だとしても。
「相楽君、……これ」
携帯を片手に、震える声で渡辺が声をかけてきた。
いつもの笑顔が消えた姿で、部屋の出入り口付近から、近寄ってくる。
と、怯えながら俺に手渡してきた。
そこには、佐伯から俺への伝言があった。
今夜、夢見の丘へ来て下さいと。いつまでも待っていますと。
ただ、夜明けが来てもきてくれなかったら、私は死にますと書かれてあった。
「行かないで相楽君。私、怖い。今度相楽君に何かあったら私……」
泣きながら俺に抱き付く渡辺に、上手い言葉がかけられない。
ようやく絞り出した「ありがとう」が俺の全力の言葉だった。
何も考えることはできず、ただゆっくりとロッカーに掛けられた見慣れない服を取り出す。それに着替えながら渡辺に笑いかける。
「俺、こんな服とか着るんだね? ちょっと派手かな」
渡辺は首を振る。そしてまたいかないでと悲しい目で見る。
「ごめん。行かない訳にはいかないよ。大丈夫、俺無理しないから」
「相楽君の大丈夫はダメだって皆言ってるもん。ばか、行っちゃダメだってば」
誰だって危険だと分かるという。
渡辺が言うように、無視すれば俺の危険は確かに無いかも知れない。
でも、佐伯が死ぬのは困る。
あの文化祭帰りの車から俺の記憶はないけど、佐伯があの後海外に旅立ち一度も会っていないなら、会わなければいけない。そして話さなきゃいけない。
いや、犯人だとしたら会っていることにもなる。やはり会わないといけない。
一体、今何が起こっているのかを……。
これは俺と話がしたいという意志だ。
俺にまた助けてと叫んでいるのかもしれない。
今は何も考えれないけど、俺は佐伯に会いに行く。
しかし、一体どうやってそこまで行こうか。悩む。
夢見の丘とは、専智学院で二年の時に行った、あのカレーを食べた場所。正確に言えば、佐伯と二人で恋人のように写真を撮った所だ。
あそこには生徒達に伝わる恋愛成就の噂がいくつもある。
俺は殆ど知らないけど、佐伯は多分知っている。
でも、本当は、あの時二人で話した屋上へ行きたかったのかも知れない。あれは二人の思い出の再会だったから……。
今すぐに出れば夜の十時には着くかも知れない。
必死に止めてくれる優しい渡辺に携帯を返した。
お爺ちゃんやお父さんに連絡することはできない。絶対に止められるから。
無理しないで安静にしてるって約束したのに、また約束を破っちゃう。
最低だよね? 今度こそ良治君にブッ飛ばされそうだ。
邦茂オジちゃんも「安静にしてないとただじゃおかない」って、悲しそうな目で叱ってくれた。でも、どうしても行かないと。
俺は廊下をうろつく美織さんの隙をついて、とりあえず病室を飛び出した。
その後を渡辺が追いかけてくる。
「どうしても行くの? それじゃ私も連れて行って」
「ダメだ。何があるか分からない」
渡辺に何かあったら、こんなにも良くしてもらった渡辺のお爺さんにも申し訳がたたない。かすり傷ひとつ、いや、風邪さえ引かせたくない。
ただでさえつきっきりで俺みたいなもんに尽くしてくれてる。
勉強だってあるはずなのに、もう十日間も……。ごめん。
「それじゃ、私ここで大声出すわ。連れて行ってくれないなら美織さん呼ぶから」
それでも……ダメだよ。仕方ない、騙したくはないけど……。
「分かった。とりあえず表に出よう」
一般の診察患者などは一人も居ない時刻。
一階には緊急外来で来ている者が大勢いた。高熱なのか赤ちゃんを抱く母親。
あからさまに怪我と分かる人など。
外には警備にあたる警察らしき人が数人いる。凄い人数ではないけどいざ自分がこれを掻い潜るとなると無理に近い。
「そう言えば相楽君さ、どうやって静岡まで行く気?」
まったく考えていなかった。お金もない。乗り物もない。都内なら走ってなんて冗談も言えるが、さすがに参った。
「もぅ。ホント心配。後先考えてないジャン。もっと冷静なら少しは分かるけど、やっぱ大丈夫じゃない。惣汰君の言う通り。イヤ。……ンもぅ、付いて来て」
渡辺に案内されながら地下駐車場へと向かった。
そこには医者や大学病院の関係者専用の駐車場が広がっていた。
渡辺が一台のカッコイイ車の前に止まる。
「これでいい?」
「車? コレ渡辺さんの? 免許持ってるの?」
渡辺が「そうよ」と笑う。横にあるバイクも自分のだという。
記憶がないせいか、見たこともないカッコイイ形の車。色はメタリックブルー。横のバイクもビックスクーターではあるけど、これも見たことないデザイン。
色は可愛い黄色。
「随分とオシャレな車だね」
「相楽君と一緒に選んだンだよ」と悔しそうにしていた。
車にリモコン鍵を向けてロックを解除する渡辺。しかし俺はどうにかして渡辺をここでまきたい。連れて行く訳にはいかない。
それと車では渋滞に巻き込まれでもしたら困る。
あと俺は、車の運転の仕方が分からない。たぶん運転できるし、免許証もあるとは思うけど、今は免許不携帯だ。
あ~、渡辺が言うように俺の頭は混乱している。うまく考えもまとまらない。
ちっとも大丈夫じゃない。
一体この先に何が待っているのか、さっきからドキドキしている。
「渡辺さん。ちょっと忘れ物したから病室に取って来てくれないかな?」
「えっ? 今? だってもう上じゃ騒ぎになってるかもよ。ソレそんなに必要?」
ダメだ。俺が女子を出し抜くなんてできない。
バイクの鍵借りて一気に走り出すしかない。でもそんなことして、慌てた渡辺が事故でも起こしたらとんでもない。クソ。でも連れて行くのも怖い。
「相楽君って分かりやすいのよ。来るかな、と思ったらやっぱりきた。私を置いて行こうと思ったンでしょ? ダメよ。次そんなことしたら私もぅ、いくら相楽君のお願いでも聞いてあげないから」
すると突然渡辺の携帯のバイブが反応した。
渡辺はそれを見て「あちゃ~」と可愛らしくいう。
「どうする? 美織さんからよ。もう無理ね、戻りましょッ」
「わ、分かったよ。行こう。一緒に来て」
首を振り拒否する渡辺。俺は強引に車に乗り込むが渡辺は来ない。
窓の外からリモコンキーをゆらゆらとさせる。渡辺の本心は行きたくないのだ。当然だ。渡辺にとって行く意味など一ミリもない。
ただ危ないだけだ。仮に何もなかったとしても俺と佐伯が会うのを見守るだけ。それなら病室で安静にして、二人で居たいに決まっている。外は寒いし。
小さな子供が駅ビルの屋上にある遊び場で、タイマーの切れたおもちゃのような車に乗って、お金を入れてとせがむ様。
ハンドルを持ち、アクセルを踏み、背凭れに背中をぶつけて「ブーブ、ブーブ」と甘える。動かないよと。
「もぅ、仕方ないわね。ほら、助手席に寄って、私が運転してあげるから」
俺がズレると同時に車は走り出した。
「シートベルトして。ぶっ飛ばすから」
美人な渡辺にはお似合いの車だ。内装も全てがカッコイイ。
運転する仕草に輪をかけ、ウインカーの音が渡辺を一層大人へと導く。
なるべく表玄関を通らないように道路へと出た。窓からちらりと見えたそこに、慌ただしく美織さんが動いていた。
「どうするの相楽君。美織さんに言い訳しないと。出来る?」
渡辺が運転席前にある、携帯を置く装置に付け、ハンズフリー状態で美織さんに電話を掛けた。俺は言葉を探すが焦ることしかできない。
「わ、渡辺さん? 今どこ? 章和君は?」
「あの、美織さん。俺、ちょっとどうしても行きたいところがあって、それで渡辺さんにお願いして夜の散歩に。わがままなことしてごめんなさい」
「な~に、事件じゃないのね? まずは良かったわ。何かあったのかと思ったわ。何もないのね。それじゃすぐ帰って来て。分かった?」
「それがもう、千葉の方まで来ちゃっていて、少し遅くなると思います。出来ればせっかく来たから中にも入りたいンですけど、やっぱダメですか?」
「中? あっ、もしかして遊園地? またナンで急に? もう、分かったからまず無理はしないでよ。まだ入院中なんだからね。どうしちゃったの、急にそんな子供みたいに?」
「美織さん。覚えてますか? 昔、勉強で百点取ったら、一緒に行くって約束したこと。俺、ずっとその約束守れなかったけど、今なら、余裕で守れます。いつか、いつか百点取って持っていきますから、その時は一緒に行ってね」
「もぅ分かったから。無理しないで帰っておいで。待ってるからね。もう大変皆に言い訳するの」家族に心配かけちゃダメよと注意を受けた。
「ごめんなさい美織さん」勝手なことしてしまって……ごめんなさい。
電話が切れると美織さんが刑事に言い訳する光景が浮かんできた。
「相楽君、やっぱり戻ろうか。皆心配してるよ。相楽君は寝ていたから、何も知らないのよ。相楽君がどんなだったか。もし佐伯さんが犯人なら行かない方がイイ」
分かってる。
皆ほど残酷な景色は見ていないし覚えていないけど、分かってるつもり。
もしかしたら凄く危険なのかもと。だからこそ渡辺を連れて来たくはなかった。
美織さんにも凄く悪い事をしたと思っている。約束も守れないような俺が、今度はこんな風に騙して迷惑までかけてしまった。本当に俺はダメなヤツだ。
車はあっという間に高速に乗り、猛スピードで走って行く。
渋滞どころか空いている。
「なにか聴く? そうだ相楽君の好きな曲あるよ。これね、手術の時にも流してたのよ」
「へぇ、そんな特別扱いしてもらったのか。悪い事したな~気が散って手元狂わなかったのかな?」
「平気よ。相楽君は知らないと思うけど、手術の時は、大体音楽流すのよ。患者にリクエストだってするンだから」
「そうなの? でも患者って意識ないでしょ? それにさ、そんなシーンの映画とかドラマみたことないよ」
「え? 疑ってるの? 相楽君って変な所にくいつくのネ」
渡辺はドラマとリアルは別よと笑う。
そんな話の延長上で、よくサスペンスなどであるクロロホルムを使い気絶させるシーンがあるけど、アレは嘘だという。
医学を勉強していると、楽しい授業をする教授は、そういう話をしてくれるのだという。
「そう~?」
「凄い匂いだもん。ハンカチとかで口や鼻に直接付けたら痛くてそれこそもがいて大変。絶対暴れるよ。それを十五分位付けないとダメなの。嫌過ぎて失神するわ」
「失神? じゃあ気絶するジャン」
「しないわよ。それに、嫌過ぎて失神って効率悪いでしょ」
カーナビ音声の示す距離が段々と縮んでいく。
渡辺と雑談しながら、ふと自分のお腹が気になりそっと触れてみた。
渡辺は運転しながらちらりと俺を見る。
「痛いの?」
「いや、そうじゃない。ちょっと気になっただけ……」怖かっただけだ。
渡辺にはお見通しかも知れないけど不安で仕方ない。怖い。自分は一度刺されてそれこそ死んでいる。助かったのはたった一秒程度の奇跡だと言われた。
わずかに何かがずれただけでも、生還はできなかったと思った方がイイと。
つまり本当は死んでいたンだ。
容疑者にされた子達に会って俺は思った、犯人じゃないと。
今夜、佐伯に呼ばれたが、正直何が何だか分からない。
刑事のくれた紙には、アリバイありとなっていた。それも完全なアリバイだ。
なにせ海外に居たのだから。それこそ映画じゃあるまいし、トリックや呪いとかそんなんじゃ絶対にない。
俺が今逢いに行かなければいけないのはそこなのだ。
佐伯と会わなければいけないと分かる。会って何かを確かめなければならない。それは犯人かとかじゃなくて……。
「着いたわよ。どうする? もう少し先まで車で行く?」
皆で泊まった宿泊施設前の駐車場。前に来た時はもっと別の場所にバスを止め、そこからハイキングコースを通って此処へと来たが、今は違う。
ここから夢見の丘までは少し歩くことになるが、車ではいかない。
ここからは俺一人で行く。
「いや、ここで。渡辺さんは車の中で待ってて」
いやよという渡辺にお願いした。
「こんな見知らぬところで待たして悪いけど、ちゃんと戻ってくるから」
「別に見知らぬことないけど、私達の学校もここに泊まったし、確か志星館もここを使ってるわよ。ほら、そこの先で肝試ししたでしょ? 私達も一緒。それより、相楽君怖くないの一人で。お化け出るかもよ~」
怖い。なんで渡辺は俺を脅かすんだ。本当に怖い。
これじゃ寒さも重なって震えちゃいそうだよ。
「だから~」という渡辺に「待ってて」とお願する。
LEDの懐中電灯をつける。電源をオンにするが反応しない。
すると、横にあるレバーを数分回せば何十分かつくよと言われた。
俺は回してから行くのではなく、釣りでもするかのように、リールを回しながら思い出の道を辿りだした。
暗くて怖い。渡辺には強がったけど、肝試しの時くらい怖い。あの時は偽物だがもし今回何かと遭遇すれば、それは本物ということになる。
風の音と冷たい空気が頬をなぞる。
徐々に近づく。
ライトで照らしながら進むと「ワァ~」と佐伯に脅かされたトイレ前に来た。
もう少しで写真を撮った場所に着く。
俺は、ネックレスをプレゼントしたこと、色々と話したことを思い出しながら、この先で待つ、佐伯を想像する。
時計は持っていないが、思っていたよりは遥かに早く着いたはず。
道路も空いていたし、何もかもがスムーズだった。
土を踏みしめながら歩く。
五時の鐘が鳴りお家に帰った後に、もう一度佐伯に呼ばれて公園で会ったことをふと思い出した。今まで一度も思い出したこともないし、今もそれが、どんな内容だったかは知らない。
分かっているのは、夜の公園で、話慣れたはずの佐伯が、他人に感じて、やけにモジモジとして上手く話せなかったことを覚えている。
俺は上手く話せるだろうか?
ドキドキしながら写真を撮った場所へと着いた。軽く見渡すが誰も居ない。
冷たい風だけが耳に問いかけてくるだけ。
俺は探すように写真撮影した位置まで歩く。
途中何度も背後や周りを見渡す。
この一人ぼっちな感覚を覚えている。こういう場所で、探したり相手を待つ時の寂しさは何とも言えない気持ちになる。
佐伯は今、どう感じているだろうか?
佐伯の名を呼ぼうかとそう思ったその時、後ろの方から誰かが現れた。こっちへと向かい近づいてくる。佐伯なのか……。
「おかえり、相楽君」
だ、誰だ?
聞き覚えのない声と姿。まだ暗がりにいるから定かではないけど、背丈が違う。佐伯は百六十二センチ位だが、遥かに小さい。
百五十五といったくらいか、とにかく違う。もちろん渡辺でもない。
渡辺も佐伯と同じか少し高いくらいだ。誰だ? 誰なんだ?
ライトを向ける勇気がない。少しずつ電燈のあるスポットの中へと寄ってくる。俺は少しずつ後ずさってしまう。怖い。誰? 佐伯じゃない。佐伯は?
文化祭の時の即興劇のように、俺の居る明かりの元へと暗闇から姿を現した。
その瞬間、俺の体がガタガタと勝手に震えだした。これは寒さなんかじゃない。
――恐怖だ。
顔を見た瞬間、誰だか分からないのに体が怯えだした。
「また会えるなんて運命? やっぱり私達は、運命の赤い糸で結ばれているのね。そうは思わない? ふふっ。逢いたかった」
目が、目が死んでいる。真っ黒で光がない。怖い。
「止まって。ちょっと待って」俺の言葉に相手が止まった。
「どうして? 抱きしめてよ相楽君。今度こそ私だけのものになって」
無表情なそれは昔この近くで行った肝試しで見た日本人形より遥かに怖い顔だ。気が触れている。絶対に話しが通じないと分かる。怖い。誰?
佐伯でも、あの紙に書かれた誰でもない。知らないこんな人。
少し距離を置いてお互いに向かい合う。相手が動かないのは俺が逃げ足の速いのを知っているからだ。たぶん逃げられたくないのだ。
なにか目的があるはず。
分かり切っている。俺を、俺を……もう一度殺したいに違いない。
「そっちに行ってもイイ? いいでしょ傍に行っても? 相楽君?」
「ダメだ。少し話をしよう。ちゃんとここに居るから話を」
小さく「ヤダ」と聞こえた。その瞬間俺の中で電気が走った。
あまりの恐怖で体がおかしくなったのかと思った、が、俺は人生で初めて本当のフラッシュバックというものを体験した。
それは今までのように何かを思い出してあ~だったなという類のものではない。バチバチと緑色した光りが目や脳内で弾ける中、それこそフィルムが回る。
俺の意識や気持ちなどお構いなしに脳裏を駆け巡る。
たった一秒の間に一気に流れ込む。俺は超高速でその映像を見させられていた。
場所は話で聞いていた、俺が殺されかけた現場だろう。
目の前には女性が立っている。俺はその女性と会話している。
「ねぇ相楽君。どうして? 私のこと嫌い? 好きでしょ。今更、違うなんて言わないでよ。ズルいよ。私に相手にされなかったから仕方なく別の人と仲良くしてただけなのよ」
「違う。そんなことはない。それに俺は、本吉さんのことは好きじゃない」
本吉? 本吉愛なのか?
「嘘よ。あなたは私を好きだと言ったわ。他の誰かに、好きと言ったことあるの? ないでしょ? そう、あなたは私だけに告白したのよ」
「違う。だ、だとしても、本吉さんは、久保が好きだからと言ったはず。何度も。それだけじゃない、俺をちゃんとふったしそこで全ては終わってるよ。それとね、俺は佐伯に告白してる」
「だから。怒っちゃったんでしょ? でも違うの、聞いて、私は別に、久保なんて好きじゃなかった。でも私馬鹿だから、不器用だから素直に相楽君のことを好きだって言えなかったの。つい嫌いって態度とって、逆に気を引きたくて、でもね今は違うの……」
本吉がブツブツと必死に説明してくる「小堀さんだって似たようなこと言ってたじゃない」と。青柳先輩は良くて久保はダメなのかと。
なら、椎名や新山はいいのと。
徐々にエスカレートしてくる。すでに俺の知っている本吉ではない。
それでもまだ目には微かに光もあり、まだ声はギリギリ届きそうではある。
「みんなを呼んだの。相楽君、邪魔でしょあいつら。だから、皆の前でいいなよ。俺は本吉愛を彼女にするって。もう一度みんなの前で好きって言ってよ」
「そ、そんなことは言わない。それに、なんで皆を呼ぶ必要があるんだ? 皆は、関係ないだろ」
「なんで? だって、あいつら馬鹿だから、見せつけた方がいいに決まってるよ。じゃないと分からないから。私だってずっと、ずっと、ずっと、ずっと見せつけられたんだから。馬鹿みたいに相楽君に甘えて、勝手に触れて、勝手に隣に座って、調子に乗って、ふざけやがって糞女どもが」
怖い。
「私だって本当は相楽君に甘えたかったし、それに一緒にお弁当食べたり文化祭の即興劇だってできたはず。相楽君、私すごくお弁当作るの上手なんだから。一度も食べてくれなかったけど。修学旅行だって、バレンタインの時だって。いっつも、あのバカ女たちが調子に乗りやがって。相楽君が私を好きだって知ってて、ワザとしてたんだ。クソが」
何を言っているンだ本吉は。久保はどうした?
いつも久保を憧れの眼差しで見てたのに。久保と何かあって八つ当たりでもしているのか? 分からない。今、本吉が何を言っているのかが。
「あのさ、久保と何かあったの?」
「何もないわよしつこいなっ。あんなの初めから関係なかったの。私がバカでドジだから、変なことになっちゃったのッ。……あっ、怒鳴っちゃってごめんなさい、違うの、でも相楽君がいけないんだよ、私が好きだって言ってるのに今度は意地張って断るから。本当に久保とは何もないよ。好きでもないし、付き合ってもない。誰とも付き合ってないから安心して、私の初めては、相楽君にあげるから。うん。もう二十歳になっちゃったけど。そうそう、今日ね、私のお誕生日なの、相楽君にお祝いして欲しくて~。付き合って、いいでしょ」
俺はフラッシュバックする中で、本吉のおかしな言動や口調を聞いていた。
すると本吉が一歩前へと動き、俺を無理矢理元の世界へと引き戻した。
「うぐっ」目の前にいるそれは、もう、本吉にも見えない。
怒鳴ったりおかしなことをいう本吉は、まだギリギリ本吉だった。
でももう、ここに本吉はいない。それどころか人のぬくもりを感じない。
この十日で、あの時の本吉さえ消えてしまっている。
「相楽君のことなら全部知っているわ。澄んだ匂いも……」
声だけが頭の中に流れてくる。目の前の本吉はもちろん口など開いていない。
少しずつ下がる俺。本吉は俺の目をただ黒いだけの目で覗いてくる。
こっちが見えているのかさえ分からない目だ。
顔の全ての筋が下がった状態で固まっているような、生気を感じれない表情。
何より話しが通じないと分かるほど救いがない。
流れ来る言葉を聞きながら、俺は本吉の動きを見る。捕まらない自信はある。
でも、体が震えてうまく動けず、転んでしまうかも、という恐怖が襲ってくる。こんなヤバイのを引き連れて、渡辺の元へは戻れない。
この暗闇の中逃げ回るのも危険だ。
「逃げるの? いいの? 佐伯死ぬよ」
ぼそりと吐いたその言葉に、俺は立ち止まった。
「お前、佐伯になにかしたのか?」
俺の中の恐怖が一瞬で吹き飛んだ。震えていたはずの足も、今は寒さで震えてると言い訳できる程度に変わっている。
「まだしてない。でも君が一緒に死んでくれないなら、代わりに死んでもらおうかなぁ?」
狂ってる。こんなヤバイやつの対処法が出て来る本は読んだことないし、それにもう今の本吉に何を言っても無理だと思う。
さっき思い出した本吉でさえ無理だ。
長い間病み続けた本吉の中で、壊れてしまったのだろう。
俺には分かる。俺もギリギリの所まで壊れかけたことがある。俺の場合は恋ではなく虐めという名の痛みにだけど。
あの頃は、そこまで壊れてなくても、平気で死のうかと思った。
もう何もかもやめて消えようかと。
でも俺は皆に救われた。…………本吉さん。まだ俺の声、届くかな?
「聞いてくれないかな? 本吉さん。ねぇ」
「一緒に死んで。お願い。もう私ダメだから。お願い。相楽君、私を一人にしないでよ、ねぇ、一生のお願い。死んで」
「死んじゃダメだ。まだダメじゃないよ。聞いて」ダメかも知れない。
「私、怖いよ。もう、全部……、もう戻れない。お願い、一緒に死んで。どうしてお願い聞いてくれないの相楽君。一度くらい聞いてよ。君はいつもそう。私のこと好きだなんて言ったくせに。嘘つき。死ね。死ね。もう死んじゃえ」
本吉の目が殺人鬼の目つきに変わった。それこそ般若の面のよう。それ以上。
どこから出したのか手元には長い刃物。ナイフではなく長い包丁だ。
雨の中で立ち尽くしたように全身が冷や汗で濡れる。
例えではなく、手からも額からも汗が流れる。指先からはポタポタと落ちる。
逃げなきゃいけないのに動けない。逃げ切れるはずなのに動けない。このままではまた殺られる。逃げろ。動け足。
動かせないのか動かないのか分からない。恐怖だけが増大していく。
助けて。神様。
佐伯のことも本吉のことも……、このまま逃げられない。
俺の持つライトに照らされ、長い包丁が光を放つ。あと数歩という距離に入ると突然本吉が「さがらくん、死んでぇ」そういって飛び込んで来た。
死ぬと思った。スローで本吉が飛び込んでくる。物凄く怖い顔が迫ってくる。
避けられるはずなのに、俺の体が避けない。どうして。
俺は両腕を広げて本吉を抱きしめようと、逆に一歩前へ出る。
刺さる……、次の瞬間、本吉の体がすっと消えるように地面へ吹き飛んだ。
目の前でうずくまっている。何が起きたかまったく分からない。
俺が何かをしたのか?
するとバタバタと何者かがこっちに向かって走り寄ってくる。――渡辺?
「てめぇ。なに性懲りもなく俺の友達に刃物向けてんだコラっ、ぶっ殺すぞカス」
――惣汰。俺はびっくりして、走り寄る惣汰を見た。本物?
「助けに来ちゃった章和。良いよな? ま、文句あるなら後で聞くわ。とりあえずこのクソ女を片付けようか」
本吉の近くに、少年野球で使っていた懐かしい軟式ボールが転がっていた。
俺はそれを拾い上げて惣汰に渡した。
「ありがとう。助かった。でもこんな暗がりで投げて、頭にでも当たったら、それこそ殺人者になっちゃうよ」
「馬鹿、俺がそんなミスすっかよ。章和が一番知ってるだろ。俺は絶対にはずしたりしねぇよ。それによくこんな感じのトコでキャッチボールしただろ」
俺は、惣汰が暴投して工場のガラス割って逃げただろと話した。まぁなと笑うが惣汰は本吉に怒っている。俺と話しながらも、殺気は常に本吉を狙っている。
俺はなぜかそれをなだめようとしていた。
殺されかけた相手を庇おうとしている。
惣汰を犯罪者にしない為、ではなく、本吉を気にしている。その為に止める。
――なぜだ。
なぜか明るく問いかける。ぎこちない。
まるで怖い人と遭遇した道で、適当な話を共に歩く友人に持ちかけるように。
おちゃらけて誤魔化そうと、和まそうともしている。
「でもさ、惣汰もコントロールが鈍ったかな? 本当なら、的に正確に当ててそれだけを弾き飛ばせるだろうに。惣汰ならできたはずだぜ。やっぱ暗いからかな?」
すると惣汰が口元を吊り上げていう「的は一ミリも外してないぜ」と「狙ったンだよコイツのここを」そういって本吉が押さえている辺りを指した。
やはり惣汰はブチ切れている。するとそこへ渡辺が来た。
渡辺だけじゃない、他にも大勢居る。大勢がバタバタとここへ走って来る。
「平気だった? 良かった……、またなんかあったらどうしようかと思った」
息を切らせて仲根が来た。
里見も茨牧も室隅も。他にも居る。清水も松宮も鈴原も他にも。なんで?
「全然平気じゃなかったよ。俺が皆くらい足遅かったら、や、それだけじゃない、コントロール悪かったら今度こそ章和は死んでたよ」
「ええっ。本当に? またなの?」室隅が息継ぎしながらメガネを直す。
「で、犯人は誰?」
俺は焦って「佐伯じゃないよ」と間髪入れずに叫んでいた。
「知ってるよ。佐伯は俺達とずっといたんだから。詳しくは後で言うけど、日本に帰国してすぐ病院に行った佐伯が、受付で章和の名前出したら、面会拒否されて。しかも、何となく情報で重体だってのは分かってたからそりゃボロボロで、そんでその日は会うこともできないで、泣きながら自分の家に帰ったわけよ。ここまでは分かるかな? でもなぜかその日、佐伯の家が襲撃された訳さ。ガラスが割られて大変だったみたいだけど、騒ぎに気付いた良治さんが助けに入って、章和の部屋で様態を聞きながら暮らしてたってワケ。そんでそれを良治さんから聞いた俺や博教らがフォローしながら、章和の様子も教えてあげてたの。分かった?」
惣汰の説明がイマイチ分からず、もう一度仲根に同じことを聞いた。
「なるほど。そうなんだ。それじゃ無事なわけね佐伯は?」
「ウン。ここまで車で一緒に来たよ。渡辺さんから連絡来た時はどうなることかと思ったけど、もう用意は出来てたし、静岡方面ならこっちの方が先に着くねって。ま、ほぼ同時位かな着いたの」
皆、車で来たのか。大人だな。そりゃそうか成人しているし。
「渡辺さんにも、佐伯さんのことちゃんと話を通しておけば良かった。そしたら、ここに来る前に章和を止めること出来たから」
でも佐伯にも危険が及びそうだったから、やはりなんとも言えないと結論づく。
続々と集まってくる。俺の考えている以上だ。
「久しぶり」
「もしかして袈羽君? オリンピックの強化合宿中じゃなかったの?」
「おぉ、抜け出してきた。だって相楽が、ってお前記憶ないンじゃなかったのか? ガセネタ掴まされたワケか俺」
あれ? ホントだ。なんで俺変なことを口走っているんだ?
「章和、思い出したのか?」
皆が俺を見るが、俺は首を横に振った。
少しは思い出したけど、今のセリフは、自分でもなんで言ったのか分からないと説明した。
外園、向坂、周防、駒衛も居た。なんで居るのかは分からない。
俺は彼らと友達になったのだろうか。
二十歳になった今も交流があり、こんな遠くまで来てくれるような関係が結べたというのだろうか。
本吉が口からよだれを垂らしながら起き上った。
その姿を見て、仲根と里見、茨牧、室隅に続き、女性達が後ろへ下がる。
しかし、惣汰は一ミリも引かない。外園も袈羽も向坂も。
志星館で下がった者はいない。
「随分と怖いなこの女。一目でおかしくなってるって分かるな」外園がいう。
「当然だぜ。こいつは一度章和殺してんだ」惣汰が本吉を睨む。
俺を守るように、皆が盾となり壁になっていく。
「ちょっと、ちょっと待って皆、俺に本吉さんと少し話させて、そこで見守っててくれて構わないから。ねっ」
惣汰はこんな化け物とはダメだという。とっくに壊れて終わってると。
確かに俺もそうは感じている。
専智学院の皆は、俺の「本吉」という言葉に一気にざわついた。
このよだれを垂らして狂っている殺人鬼が、本吉愛なのかと。
荒い息継ぎをしながら横腹を押さえている。
「大丈夫、本吉さん? 少し話しよう。ねっ? 俺は話がしたい」
皆の攻撃的な視線が気になり、俺は皆に「視線、ずらしてもらえないかな」と、お願いする。
横目で見ててほしいと伝えたが、惣汰と外園と袈羽は「その条件は呑めない」と突っぱねてきた。それ以外の皆は斜めを向いて、少しだけ視線を外してくれた。
「本吉さん。少しは怖くないでしょ? 俺ね、子供の頃、虐められててさ、酷いんだぜ皆、俺がキモイんだって。汚いし臭いンだって。お風呂でちゃんと洗っても、ダメだって。なんでだろう。皆と仲良くしたかったけどさ、そうなった。でもね、皆が俺をそう呼んで避けて虐めた理由は、その始まりは俺が佐伯の味方をしたからなんだ」
俺は丁寧に本吉に届くように説明した。聞こえないではなく届かないではなく、絶対に届くように囁いた。
「世界中が敵になっても構わないと思った。それは、佐伯のこと好きだったから。初恋だった。佐伯は意地悪でひねくれてて、嘘つきで、本当に嫌われてて、俺にだって嘘ばっかりついたよ。でも、俺、優しくされた時に恋しちゃった。こんな大人になった今も。ずっと好きだ。でもね、そんなに好きな佐伯を裏切ってしまうほど好きな人がいっぱいできた。渡辺さんも他にも皆に優しくされて。これは女子だけじゃない。ここに集まってくれた皆が好きで、大好きでしょうがない。俺さ、今日ここに本吉さんじゃなく、佐伯がいて、もし佐伯が犯人であったなら、殺されてもいいから別れを告げようと思ってた。もちろん居たのは本吉さんだったけど、でも気持ちは、大好きな佐伯にでさえ一緒だ。だって、俺はもうこれ以上、お爺ちゃんやお父さん、良治君や邦茂オジちゃん、惣汰にも、ここに居る皆にも、心配をかけたくない」
それが例え世界を全部敵にしても守ると誓った佐伯が相手であっても……。
お見舞いに来てくれた時の皆の顔、言葉、俺を看病し守り続けてくれた渡辺さんや美織さん。俺の為に涙ぐんでいた家族。
もちろんそれでもここへは来た。それは……、佐伯に何かあったら困るからだ。
――届け。聞こえてくれ。
分かるでしょ? ここまで落ちてしまったなら……。
自分の思い通りにやった結果、こんな事件になって、一人ぼっちになった今なら分かるでしょ?
普通の人には分からなくても、少しなら、ちょっとだけなら届くでしょ……。
分からずに、自己中を貫く人もいるかもしれないけど……、俺は、本吉さんには届くかもって信じてる。だって……。
必死に届けと祈った。鈍く濁るその黒目を覗きながら……。
「一人でオセロをいじってた。笑っても誰もいない。将棋も囲碁もトランプだってなんだって一人きり。ずっと勉強だけして、ずっと、ずぅっと逃げ込んでた。凄く孤独で寂しくて。今の本吉さんが居るそこに。一人で、独りだったから怖かった。だから分かる。ねぇ、俺の今言ったことが分からなくても、俺の声が届いてるなら聞いて。いくよ――」
俺はそういって恐る恐る本吉を抱きしめた。そして耳元で囁いた。
皆が今日まで俺にしてくれたことと同じ優しさで、俺なりの答えを出す。
「本吉さん。もう平気だよ。怖くない。俺はここに居る。生きてるでしょ。死んでなんかいない。戻って来たんだ。本吉さんに会いに。全部夢だったって教える為に。分かる本吉さん。起きて。戻っておいで、本吉さん。何もなかった。本吉さんは罪なんて犯していない。捕まったりもしない。聞こえる? 全部夢だったから。俺も皆に助けてもらったんだ」
強く抱きしめたままずっと囁いた。もう怖くないよと。
「……本当に夢なの? 私、相楽君殺しちゃってないの?」
「もちろん。傍に居るでしょ? 迎えに来たんだよ本吉さんを、こんなトコで一人で遊んでるから、皆で。聞こえる? 周り見て。お友達だよ。本吉さんと遊ぼうと思ってさ俺、友達いっぱい連れて来ちゃった。皆で仲良く遊ぼうよ。皆で。ねっ。あそぼ」
戻っておいで本吉さん。
神様、どうか本吉を助けてあげて。
俺を助けてくれたように、もう一度やり直すチャンスを下さい。どうか……。
神様、お願いします。
俺は佐伯を庇って落ちる所まで落ちた。それでも、家族が陰で見守ってくれて、惣汰が陰で動いてくれて、どうにか壊れずにいれた。
でも辛くて、全身で泣いてた。
これが、誰かを守る為だろうと、逆に、何か悪いことや欲望が原因であろうと、人がそのせいで孤独になってしまったなら……、あの地獄をさ迷い歩いたのなら、分かるはず、孤独がどういうものか。
人のものを盗んでしまったかもしれない、浮気してしまったかもしれない、誰かを裏切ってしまったかもしれない……挙げたら理由なんていくらでもある。
でも、独りになって寂しい気持ちを味わったら気づいて欲しい。
誰かのぬくもりや優しさがどれほど大切か。あったかいか。嬉しいか。
――愛しいか。
――届け、届け、届け、届け。
「ごめんなさい相楽君。ごめんなさい皆。私、私、ごめんなさい」
本吉をしっかりと抱きしめながら頭を撫でた。
本吉は俺の家族にも申し訳ないことをしたと謝罪し反省する。
そして、相楽君を独り占めしようとしてごめんなさいと謝ってきた。
届いた。神様、有難う御座います。本当に良かった。
ちゃんと……『ごめんなさい』って言えたね。
「仕方ないなっ、許してやるか」惣汰が笑顔で本吉の頭を撫でた。
夢じゃしょうがないよなと外園がいう。皆が「夢か……」とホッと息を吐く。
俺は密着した体を本吉から離し向き合った。
「起きた? もう大丈夫?」俺の問に「ウン」と、か弱く頷く。
本吉の目にキラキラとした輝きが戻り始めた。
顔色も病み上がり程度には見える。俺と同じで、ろくな食事なんて摂れていないかも知れない。
「ねぇ皆、俺がおごるから何か美味しい物でも食べに行こうよ」
俺の言葉に皆が「ホントに」と喜ぶ。しかし渡辺が「財布も持って来てないし、相楽君食事できないわよ」ととんでもない一撃をくれた。
一瞬シーンとなったが、章和らしいなと笑ってくれた。
「あら、食べれないの? 残念。せっかく私がおごってあげようと思ったのにぃ。それじゃ皆にはおごってあげる。どうせ私は相楽君にとって~、嘘つきで~意地悪で~それで……」
「佐伯? 佐伯なのか? どこだ」
俺は佐伯を見つけると、急いで駆け寄り、思わず抱きしめていた。
「ちょっと相楽君、皆見てるし恥ずかしい」
「良かった……。無事だったンだ。良かった。お前になにかあったら」
「ほら、また。付き合ってもいないのに『オマエ』なんて、ばか~」
俺は佐伯と向き合った。
「ただいま。相楽君」
「お帰り佐伯。いっぱい思い出で出来たか?」
すっかり大人な佐伯が可愛く頷く。
俺は思い出したように急に恥ずかしくなって皆の顔を見た。皆が俺を見て優しく笑ってくれている。
頭の中にエンドロールがあがってくるように、一人ずつの名前が流れてきた。
それをしっかりと心でなぞりながら、ありがとうと呟く。
すると突然、佐伯が夜空を指さし「きゃあ」と悲鳴を上げた。
皆が慌てて頭を抱えたり「なになに」と避けたり反応する。
「ご~め~ん。何でもなかった。勘違い、ビックリした?」佐伯が照れ笑う。
「なんだよ急にビックリさせやがって、こんな暗いトコで悲鳴なんてやめろよな。心臓が止まるかと思ったぜ。あ~びっくりした。さっさと車に戻ろうぜ、怖いし」
惣汰が驚いた胸を押さえながら、車へと戻り始めた。
俺は、触れ合った温かな唇の感触に浸りながら、とぼけた顔でそっぽ向く佐伯を見た。そして皆の後に続き、まだ傷いえぬ本吉を支えるようにして歩いてく。
車が置いてある場所まで来た。本吉に、ここまでどうやって来たかと聞くと電車とタクシーでという。
辺りを見渡し、暗闇と夜風を感じながら改めて思う。
……もうここで、死ぬ気でいたんだなと。
仮に俺が来ても来なくても……そういう答えを考えていたに違いない。
懐かしい場所ではあるが、独りでは、怖いほどに寂し過ぎる景色だ。
本吉を誘導しながら渡辺に「本吉さんに連れ添うからごめんね」といい、ツゥードアの渡辺の車から、もっと大きな車へと乗り換えることにした。
渡辺は少しイライラしていたが、惣汰の彼女で渡辺の後輩の名取が「まあまあ、先輩」と宥める役を助手席ですることとなった。
今度は惣汰が寂しそうにしていた。
あっちこっちと移動しながら各自座っていく。
八人乗りの大きな車の中央に本吉と並んで座った。里見の運転する車で、仲根と清水と小堀と計六人で乗った。
「どこで食べてく?」と電話連絡が入る。しばらくはラインで、複数人トークしていたが、どこかのパーキングと決まると切れた。
心地良い揺れなのか、本吉が俺に凭れてきた。それまでは普通の声で話していた車内だが、それに気づくと声のボリュームを落としてくれた。
ウトウトする本吉を完全に寄りかからせて、手を握ってあげた。
本吉が眠りに落ちたのはそれからすぐで、だらりと垂れた手を動かした時、その手首に自殺した傷跡が見えた。
俺は流れる景色や光の中で、ゆっくり記憶を取り戻していく。
それと同時に、事件のあった瞬間を思い出す。
本吉どうして? と血塗れになりながら崩れ落ちる。
俺はそれから長い夢を見ていた。時間にして約一週間。小説で言えば一冊あるかないかくらいの話。
一週間ずっと見続けていたならもっと長くても良かったのではと思う。
実際起きていれば三、四冊は読めるし。
今思えば、夢の始まりは本吉との出会いだった。答えは分かっていたのに……。そして佐伯。なぜ文化祭のそれもあんな途中で途絶えたのか少し分かる気がする。
俺の記憶が何度も消えたり欠けたりする理由も。全部俺のトラウマや傷だ。
今している俺の弱さやダメさにも通じている。
俺が本吉に言ったこれは夢だという結論は、この国では許されることではない。もっと言えば、ストーカー被害に遭い、命を落とした被害者や、残された家族感情から言えば、なぜどうしてということになる。
実際、今さっきの本吉から味わった恐怖を思えば、俺だってそうだ。
一度目も今回も、間違いなく死んでいた。
俺の答えは悪だと分かっている。なにせ隠蔽するのだから。
正直、刑事から渡された紙に書かれた子であるなら、まだ胸を張って庇うことができる。しかし本吉は少し違う。本吉は自分の弱さで闇に落ちたからだ。
ならなぜか。
それは――たった一言「怖いよ」という言葉が聞こえたから。
あの声を聞いて思ってしまった。
自分がベランダで神様にお願いしていた日々を。悲しくて辛くて、どうしようもなかった日々を。俺は口には出せない絶望を味わったし、その恐怖を知ってる。
これでもかというほど。
怖くて、辛くて悲しくて、寂しくて、誰かに助けて欲しくて。
今、本吉にしようとしていることはいけないことだ。差し伸べたその手の結果、また自分が何か責任を負い、それこそ犯罪幇助として、とんでもない罰を受けなければならなくなるかもしれない。……過ちの繰り返しだ。
それでも、助けてあげたい。
何かの理由を付けて善だとは言わない。違法だと知ってる。
それでもあえて助けてあげたかった。自分がそうして貰ったから。
惣汰の投げた球は傷害だ。でもそれを罪と思わない。殺人を防ぐ為だから?
いや、そんな言い訳で誰かに何かを分かって貰えなくていい、俺はシンプルに、友達の為にでいい。ムカついたからでも。
でもそれが悪だとも分かっている、ちゃんと分かっている。いいわけじゃなく。ルール違反だと。
世の中なんて、理不尽で不条理で……、俺は、俺は、自分が思う偽善をつらぬくしかできない……。
世間も、社会も、昔のクラスメイトも、みんな、……嘘つき鬼……だから。
「章和。章和、着いたぞ。飯~。起きろ~」
俺はいつの間にか眠っていた。本吉と凭れ合いながら。
「本吉さん、起きて。御飯だってさ~」
「はい。おはよう相楽君。あぁお腹空いた」本吉が微笑む。
それは初めて会ったあの時と、全く同じ目をしていた。
本当に悪夢から目覚めたように、可愛い笑顔で笑っていた。




