三二話 クライムマックス
毒林檎の呪いから、ファーストキス兼お別れのキスで、目が覚める。
深い眠りの底から、俺はゆっくりと目を開けた。
霞む目にぼんやりと景色が映り込んでくる。どこだろう。
どこかのホテルの一室のような、そんな高級な感じだ。
寝ぼけているのか、頭の中まで靄がかかっているようではっきりとしない。
誰かが右手を握ったまま、俺の脇腹辺りに突っ伏している。この姿勢からだと、髪の毛と肩、それと椅子に腰かけている所しか見えない。
俺は自分の鼻や肘の内側に管が通っていることに気付いた。ビックリして握られていた手を少し動かすと、寝ていたその女性が起きた。
「えっ、相楽君? 起きた。良かった~。待ってね今皆に連絡入れてあげるから」
嬉しそうに携帯電話を取りだし廊下へと出ていく。
ホテルじゃない。ここはたぶん病院の個室かなにかだろう。じっくりと部屋中を見渡す。お見舞いに持ってきたであろう果物やお菓子の箱が沢山置いてある。
なにか怪我したのかと、俺は自分の体を確認する。正直、動かなかったらどうしようと怯えながら、探り探り調べる。
腕も動く。足も上がる。
ただ、ふくらはぎに見たこともない物が被せられていて、膨らんだり萎んだりを繰り返している。一体何の装置なのか分からない。
点滴の管が付いた腕を、ゆっくりと動かし布団を剥いでみた。別にこれといってヤバイ箇所はない様子だ。
はだけた浴衣からは、ふんどしの様な布が見えて、その布横から何かがぽろりと出ていた。そしてポロリと出ているアソコにもなんと管が通っていた。痛そうだ。
見た目は痛そうだけど、別に今は痛いわけじゃない。そう見えるだけ。
ドアを開け女性が戻ってくる。
俺は焦って掛布団を戻そうとするが、手が届かない。
女性が俺の下半身を見て「きゃっ」と言いながら布団を戻してくれた。
「ご、ごめんなさい。……あの、俺、事故かなにかしました?」
俺の問にその女性は、そのことは後で、と流す。
「それより具合はどう? 何か飲みます?」
頷くと、ぬるめのお茶を透明な急須みたいなものに入れて、飲ませてくれた。
まるで赤ちゃんが哺乳瓶で飲まして貰っているようで恥ずかしい。
「痛ッ」いや、しみる、か。
大丈夫かと聞かれて、俺は自分の口に指で揺れてみると、唇の左脇の裏辺りが、ベロベロにふやけて、捲れている感じだった。誰かに殴られでもしたのだろうか。
「あ、それ手術の時に、口に器具を付けた傷跡。大分腫れも引いてるから治ってるかと思ったけど、まだ痛む?」
俺は首を横に振った。良く考えたら痛い訳じゃない。ちょっとしみただけだ。
飲みながらその女性をじっと見た。知っている。けど、ピンとこない。
「皆に連絡付いたわ。お爺様とお父様は仕事を早めに切り上げて午後にはお見舞いに来て下さるって。それで、仲根さんと里見さんは講義を休んで飛んでくるって。二人とも凄く喜んでたわ。あと、茨牧さんと室隅さんも急いで来るって」
聞き覚えある声。顔も知ってるのに。ここまで出てるのに。
「あの、失礼ですけど、お名前教えてもらえますか?」
「私? 私の? 相楽君覚えてないの?」
「いや、覚えてるんだけど、まだ頭がはっきりしてなくて」
女性は「そうね」と頷く。そして、優しく笑って俺へと向き直った。
「私、渡辺花帆です。どう? 思い出せた?」
「え? 嘘? 渡辺さん」
そうよと笑う。と同時に「ん~やっぱり覚えてるじゃない」と指で押してきた。
違う。俺の知っている渡辺さんとは別だ。
もっとこう、口じゃ言えないけど、とにかく違う。
例えるなら、俺のバイクとまったく同じ車種だけど、他人のバイクに跨った時の違和感というか、同じメーカーの同型パソコンでも、他人のもので操作したようなしっくりとこない感じ。
それも何か違うか。説明できないけど、でも何かがはっきりと違う。
一目見て分かるンだけど。それがなんなのかが言えない。
雑談しながら少しでも何かがつかめればと思う。
「ってことは、ここは渡辺さんのお爺様の病院なの?」
「そう。でね――」
そうか、俺はここで一週間も眠ったままだったのか。一体何があったのだろう?
話してると、突然ノック音がして「失礼します」そういって誰かが入ってきた。
「章和、大丈夫? すっげぇ心配したンだよ」
え? な、仲根? 今、章和って言わなかった?
「良かった。これで一安心ってことか。それにしても章和はいつもビックリさせるよな~」
もしかして里見? いや誰? なんか変。
「ちょっと訊いていいかな? もしかしてだけど……仲根君と里見君……だよね」
「そうだよ。なんだよ、こんな時にそんなふざけたことやる余裕あるのか。さすが章和だね。寝起き早々にこれ」
違くて。マジで聞いてるんだけどな。
今目の前にいる仲根は、本物なワケ? 里見もそうだけど、なんか違う。
渡辺はまだ言われてみればそうと分かるけど、この二人に関して言えば偽物だとはっきり分かる。違い過ぎる。確かに似てはいる、けど、別人の気配がする。
「ねぇ、本物の仲根君と里見君は? どこに隠れてるの?」
「は? 何を言ってるの章和。それになんで苗字? しかも君付けで。今更そんな他人行儀はやめてくれよ。なぁ信吾」
「そうだね。初めて出会った頃じゃないンだしさ」
なんだろこの変な感じ? 二人とも変。どう見ても偽物でしょ?
「さっきからちょっとおかしいの。私にも名前訊いてきてさ。でも実際、ちゃんと覚えてたのよ。なんか相楽君なりの遊びのつもりなのかしら」
へぇ~と二人が渡辺の話を聞いていると、そこへまたも誰かが入ってきた。
「あ、意識戻ったんだ。良かった~。どうなることかと思ったよホント」
ベッドの横まできた。昨日も来たんだぜと笑顔で見てくる。
どう見ても茨牧の偽物だ。これは質問しなくても分かる。
よ~く特徴を捉えてる。似てるよ。仲根と里見に比べれば、遥かに似ている。
上手い。拍手。でもバレてるけどね。
「で、章和はどうなの具合は。どっか痛いトコとか気持ち悪いとかない?」
「あのね茨牧君。マネするなら、ちゃんとしないと。まず、三人ともそうだけど。仲根君も里見君も茨牧君も、俺のことは相楽君って呼んでたワケね。そんでね」
「ちょ~っと待って章和。何言ってるの?」
茨牧モドキがそういって、仲根モドキと里見モドキに「どういうことなの?」と向き直る。三人がもぞもぞと話す。まるで作戦会議でもしているようだ。
「章和、ちょっと訊くけど、ここに居るメンバー見て分からない人いる?」
「え、それは皆の素性って意味で? だとしたら分からない。ただ分かってるのは皆が俺の友達の真似をしているってことだけ」
またも三人が話し込む。そこに渡辺も加わる。一体どんな悪巧みなのだろう。
ただいくら話し合っても、その程度のものまねじゃ俺は騙せやしない。
「じゃあ訊くね。章和はなんで俺達を偽物だと思うの?」
「だから、さっき言ったジャン。本物は俺を相楽君って呼ぶし、それに正直いうと顔があまり似ていない。確かに似てなくもないよ。けどなんかが違う」
「章和さ、俺達が苗字で呼び合ってたのって、高校の、それも出会ったばっかの頃でしょ。三年になった時にはもう名前だったジャン。二年の修学旅行の時、ほら、君付けとかやめないって達宏が言い出してさ」
「達宏?」
「あ、茨牧ね。ってちょっと待って章和。もしかして記憶ないの?」
は? 記憶。あるよ。皆と楽しく文化祭して……、あれ? 今っていつ?
「ちょっと旅の方にお尋ねしますけど。今っていつ」
「章和はいつだと思ってる。自分は何歳だと思う」
「十、十七歳。高校二年の……二学期じゃないの? だってさっき、渡辺さんが、俺が寝ていたのは一週間丁度って」
「そうだよ。昏睡状態は一週間だけど、一週間前の章和の年齢は二十一歳の、大学三年生。もしかしたらまだ誕生日来てなくて二十歳かも知れないけど」
嘘。全然記憶がないですけど。俺の記憶は高校の文化祭でぷっつり切れてる。
俺はびっくりして、そのことをそこに居る四人に告げた。
「マジで。記憶ないの」
驚きながらも、偽里見と偽仲根がノートを取りだし、何かを書き始めた。
「ちょっとこの問題解ける? やってみて」
俺はノートに書かれた難しそうな数式を見ていた。はっきりと分かる訳ではないが何となく分かった様な気がして書いてみた。
「ん~。全問正解。おかしいな。大学の問題は解けるのに、記憶がないのか。どういう仕組みなんだろう。これならいずれ戻ると思うけどね」里見モドキがいう。
もうちょっと解いてみてと問題が出された。俺はそれをただ無心で解く。
二十年ぶりに自転車に乗ったけど、乗れたみたいな感覚がある。
多少ふらつくけど、怖さや不器用さは初めて練習した時の比ではない。
自分じゃどうもできないけど、体が覚えている的な。
「全問正解しているし。これ~演技じゃないよね?」
俺は真面目に頷く。そして不安の色を滲ませ皆の顔を覗く。
「それじゃ焦らず、今は安静にした方がいいね」仲根モドキもいう。
大学三年生か。……?
「ちょっと~。訊きたいことが山ほどあるンだけど。できたら教えて欲しいんですけども」
俺がそういうと、椅子やら何やらを持ってきて、皆がベッドの周りに座った。
「章和~コレ食べてもイイ。このお菓子も」
俺はいいよと頷き質問した。まず、自分がどこの大学に合格したのかを。
「東大だよ。信吾と博教と一緒。ちなみに俺は落ちたけどね。あと泰季も落ちた。あ~覚えてると思うけど、安倍雅は受かったよ、東大」
どうやらそれ以外は全滅だという。特進クラスの四名だけだ。清水や滝沢や染若も皆、東大には撃沈したとのことだ。別に東大が全てではないけど。
「なになに、何でも訊いて」お菓子片手に楽しそうだ。
仲良しグループで過去を振り返っているのを楽しんでいる。
反対側で、渡辺も嬉しそうに、そのやり取りを見てくれていた。
「それじゃ、一番聞くの怖いことだけど、俺、専智学院で一位になれましたか?」
「ん~。どうしよっかな。教えて欲しい? 聞いてもショック受けないか? 病み上がりにはきつそうだしやめとこうよ」
そこまで言ったら分かるよ普通。ダメだったか。
「ダメだったか……やっぱ里見君は抜けないか」
「確かに残念。抜くンじゃないかと皆期待して盛り上がったけど、二位止まりってことさ。世の中そんなにうまくは……」
「二位? 今、二位って言ったの。嘘。俺、仲根君と安倍さん抜いちゃったんだ」
やばっ。この会話楽しい。俺、ナンバー二まで上り詰めたってこと。
こんな俺が――。すげぇ偉業を達成していた。
「あのさ章和。どこまで覚えてる? 章和は二年の三学期末から全部二位だけど。修学旅行とか連合体育祭とか色々あって、まぁ、章和にとっては、足かせばっかりだったけどね」
修学旅行か。……連合体育祭ってなんだ?
「達宏こそよく考えな。章和は俺らを苗字で呼んでるワケだからさ……」
改めて「そっか」と頷く皆。俺を見ながら嘘みたいと笑う。
「連合体育祭と合同体育祭って同じ意味で言ってる?」
「違うよ。別モン。だって合同の時は、ここに居る皆も参加したけど、連合は章和だけ借り出されて志星館と一緒に全国の猛者とガチでやり合って来たやつだもん。もちろん応援には行ったけど」
なにその連合って。聞いたことあったような気はするけど。
でもこれが記憶喪失なのか。不思議だ。高二の文化祭以降の記憶が全くない。
いや、でもまったくないなら大学の問題が解けるはずもない。
何かが欠けているわけか。
「でもさ、結構、あっさりと記憶が戻るかもよ。確かさぁ、皆、専智の映像研究部だったかな、あそこから映像買ってるジャン。合同体育祭も連合も修学旅行のも、あと文化祭とか、もっと言えば、一年の時から卒業までの揃うジャン。章和も全部買ってたよね?」
そうか、そういう映像があるのか。楽しみと言えばそうだな。
しばらく雑談していると室隅モドキが来た。
しかしその後に来た者達が、俺の置かれている状況をあらぬ方へと持っていくのであった。




