三一話 文化祭
「相楽君。わたしもぅ、我慢できない。だって、相楽君はいつもよそ見ばかりで」
「それは……」俺は呟く。
「ねぇ、知ってる? 私がどれくらいあなたを好きか」
俺はただ相手を黙って見つめた。
「今まで何度か誰かを好きになったことあったけど、胸がキュンとするとか、付き合えたらなと思った程度だった。その時はそれでも、凄く恋していると思ったわ。でもね。相楽君と知り合ってから、私、違うンだもん。想いも、全てが」
潤んだ目で俺を見てくる。
「見ているだけで、本当に熱が出るの。八度五分。ちょっと、笑わないで聞いて。相楽君、好きな人を遠くで見ただけで本当に熱くなったことある? 熱いお風呂に入ったくらい。私の今までの恋なんて、錯覚程度の好きって分かったの。凄く好きって想ってたのによ。今の想いと比べたらなんでもないわ。好きじゃなくて大好きって言葉の意味を知ったの。だって、もぅ相楽君にメロメロなんだもん」
可愛い。ちょっと震えている。俺も震えがうつりそう。
「私だけを見て。私の傍に居て、お願い」
「咲。おいで。お前のことちゃんと受け止めるよ。俺もお前が好きだ。ずっと俺の傍にいろ。傍に居てくれ」
「私でイイの?」
「馬鹿だな、お前じゃなきゃダメだ。俺はお前だけが好きなんだ」
椎名が目の前でポロポロと涙を流す。その涙を俺は優しく拭き取った。と――。
スポットライトがゆっくりと暗くなり一幕が終わった。
辺りからはキャーキャーと騒ぐ声とすすり泣く声がする。
「はい、次の方どうぞ~」
場所は講義室。大学の教室の様な下り階段式の机が並ぶ大きな教室だ。
俺も相手もヘッドマイク、いわゆるワイヤレスマイクを付けている。
何をしているのかというと、教卓を退かした場所に舞台を作り、何とも言えない即興劇という聞いたことも見たこともないことをしている。
……させられているかな?
飲み物を注文するドリンクチケットを購入すると、シナリオ用紙が貰え、お客がそれに好きなセリフを書き、特進クラスの男女に関わらず、選んだスタッフと演技ができるのだ。
更に録音した音声データをパソコンから携帯に送るサービスもある。ただ映像に関しては、恒例の専智学院映像部から買い上げるシステムだ。
「ちょっと~。次ぎ私の番だけど~」
「私の方が先だったジャン」
係の者が想定以上の客を必死に捌く。立ち見が出るほどの満員御礼だ。
俺としては演劇部が体育館でやる『好きな人』という題の演劇が凄く見たい。
去年見て感動した吹奏楽部の演奏も絶対に聴きに行きたかった。
オーケストラ好きの俺は、この日を一年間楽しみに待ったのに、とてもじゃないけど行けそうにない。
いや、絶対に行けない。
朝からずっとこの即興劇をしている。最初はほとんどお客などいなかった。
それでもお構いなしに続いた。
初めは岡越だった。次が望月で、次いで河末。染若の次が滝沢だった。
この頃には、客というよりウチの生徒がごった返していた。
「なになに」から生まれる波が何度も防波堤にぶつかりしぶきを上げて、そこからはもうスタッフ総出で対応した。途中で里見も抜擢され、何度か演技していた。
里見の人気がこんなにも凄いのかというくらい、後輩から申し込まれていた。
しかし、仲根は例のお弁当の子だけで、それ以外はすべて俺に回ってくる。
仕事としては分が悪い。
ドリンクを運び、客の対応をするスタッフが、楽とは言わないけど、この即興劇というもの自体が、ヤバくてキツイ。
セリフを覚えることもそうだけど、相手は本気の演技を希望してくる。
特進の女子から最初に何度も怒られた。やり直しもあった。演技なんだから役者として役に入り込んでと。
照れることさえ許されない。
感情移入し過ぎてもらい泣きしそうにもなるし、手足は震えるし、一度の演技で全身に疲れがどっとくる。里見が居なかったら倒れているかも。
水分を摂り喉を潤す。一幕は凄く短いけど、とにかく数が半端ない。
次から次へと客がくる。とはいえ、まだ一般客の劇はない。
観客席では、ハンカチ片手に用紙に何かを書き込んでいる。
薄明りが徐々に二人を照らす。
「セ~ンパイ」
「鈴原」
「アン、また~。凛って呼んでくれるって約束したジャン」
口を尖らす姿がありえないくらい可愛い。
ただこれは、鈴原の指示通りのセリフだ。
「ごめんごめん。そうだった、つい忘れちゃって。妹みたいに見えちゃうからよ」
「そうなの……。やっぱ、私、子供みたい? そうだよね。先輩の周りはみんな、大人っぽい子ばっかだもんね。私なんて」
「すねるなよ凛。わりぃ。そんなつもりはなかったンだけど。俺達、付き合ってるんだもんな、いつまでも子ども扱いは嫌だよな? でもな凛。俺は、やっぱお前が可愛くてしょうがない」
「先輩……」じ~っと俺を下から見つめてくる。
「ちょっと凛。お前が先輩って呼ぶのはいいのか? それこそあれだろ。なんだ、その~」
「だってぇ~。じゃあ、アキぽんって呼んでもいいですか?」
「え? まあ、凛がそう呼びたいならいいぜ。それよりどこか遊びに行こうか凛」
「うん行く」
「お、ちょっとその前に」
「な~に?」
「大好きだぜ凛」
スポットライトがゆっくりと消える。何とも言えない客の話声がする。
シーンとした劇の中から急にざわめく。更に周りが何かを批評し合っている。
俺の火の出るような恥ずかしさをお構いなしに、女子達の即興劇という名の宴が連続していく。
「大丈夫相楽君。疲れたでしょ? ブッ通しだもんね」仲根が肩を揉んでくれた。
しかしいくら肩を揉まれても疲れなんて取れやしない。
俺の疲れは、精神とセリフを覚える為の頭と、この劇で振り回される心だから。
盛り上がりがヤバイ。スタッフと客のやり取りを見ているだけで分かる。
もう少し長めじゃダメかとか、役者に触れる、もしくは触れてもらうのはダメかなどと交渉している。
触れ合いがあると、女子が指名されて触られると困るからという当初の理由が、いつの間にか、男子が役者の時は平気じゃないと言い出す客が続出している。
客の中には、すでに女優としての意見を持つ者もいる。演出から何までどうにか思い通りにしたいようだ。
「だから、無理ですって」
「なんでよ。別に変なことするワケじゃないし、それに、本当の役者だったらキスだってするじゃん。別にそこまでは言わないし。抱き付く位平気じゃん。普通の劇だってそれくらい普通でしょ? お遊戯会だって――」
特進女子が渋る。
「じゃあ、あそこにいる里見君や他の男子ならいいですけど。それでもいいなら」
「相楽君は?」
「それはダメ」
なんでよと言い合いが続く。そんな中、次の幕が開く。
「こんなトコに呼び出してごめんね。どうしても相楽君に伝えたくて」
「どうしたの? いつもの松宮らしくないけど、なにかあったのか?」
「ずっと、ずっと隠してたの。……相楽君のこと好きだってこと」
信じられないくらい一気に引き込まれた。
真っ黒い大きな目に吸い込まれていく。ヤバイくらいに震える。
こんな可愛いカリスマに、こんな演技されたら崩れ落ちてしまう。
「初めて会ったのは、高一の教室。この学校についていけるかなって、ドキドキしながら席に座ってた。初日は体育館に移動したり色々しながら友達出来るかなって周りを見て。皆、頭良さそうで大人に見えて、私自信なくて……。なんだか怖くて泣いちゃって。皆、何この子ってなってた時、ハンカチを貸してくれたのが相楽君だった。覚えてる?」
お、覚えてる。そんなことあった。すっかり忘れてた。これ演劇じゃないのか?
「洗って返すって言ったら、ハンカチやハンドタオルは仕事で使うから、いっぱい持ってて、だからあげるってニッコリ笑って。私はその時、ただ親切にしてもらったことしか感じなくて。まだ、好きとか思う余裕もなくて」
松宮?
「初日に泣いちゃったからか、変な子だなって思われて、それで、なかなか友達も出来なくって。いつも一人でお弁当食べてたの。体育も一人だったし。いつの間にか陰口とか言われて。私、背が百六十五センチあるから変なあだ名とか色々。男子が女子と一緒になって悪口言ってた時、たまたま相楽君に誰かが同意を求めたの。そしたら――」
そう言えば入学したての頃の学校は皆ギスギスしてた。やけに尖っていて他人を口で攻撃し合ってたかも。
それに比べると、今は嘘のように落ち着いている。
「俺は小っちゃくて可愛いと思うけど。そういって私の横に並んで、ほらって」
そんなに俺を見つめないでくれ。こんな所で突然感謝されても恥ずかしい。
何より松宮の表情や瞳に視線を合わせ続けるのがヤバイ。
「覚えてる相楽君?」
「ごめん。そんなことあったかな」覚えてる。いや、思い出した。
「そうね。相楽君はそういう感じ。私が相楽君を意識したのは、一年の時に行事で行ったお泊りで。班の子とも少しずつ仲良くなれて。相楽君と別の班だったけど、なんとなくたまに目で追ってて、そしたら相楽君、あの時、迷子になって班の人とはぐれて。まぁ当然と言えばそうだけど、だって相楽君って班の人とあまり話してなかったからさ」
あったなそんなこと。良く覚えてるなぁ。
「自由行動での、一般バスの中で相楽君見つけて、一人で何してるんだろうって、見てたの。もしかして班の人に省かれちゃったのかなって。そしたら、突然相楽君が、近くで座る幼い娘に『次で下りたいんだけど、お兄ちゃんボタン押せないから代わりに押して』ってお願いしてて、何が起きたのかなって見てたら。その女の子が嬉しそうにボタン押して、横に居たお母さんが会釈して、その子が『お兄ちゃん私ボタン押せるんだよ』って。相楽君は『ちゅごいねぇ』って赤ちゃんにでも話しかけるような声色で。女の子が何度も話しかけて、相楽君は次のバス停が来るまで話してたの。そんで、とんでもないトコで下りよとしてるから、私、こんな見知らぬバス停で降りたら大変よって、同じクラスメイトとして言いに行ったら『ちょうかもねぇ~』って、私に。私の目を見て。私ビックリして」
劇を見ている者が大爆笑している。恥ずかしい。
こんな所でそんな失敗談を話さなくても。
一体なんの罰ゲームなんだこの劇は……、恥ずかしい。
でも松宮は笑ってない。凄く真面目だ。微笑んではいるけど……真剣だ。
俺の真っ赤になってのぼせた顔が、松宮の語りで少しずつ冷まされていく。
「気が付いたら私、相楽君と一緒に次のバス停で降りてて。次のバスが来るまでの三十分、無言で二人で立ってた。気まずかったっていうのもあるけど、それとなくさっきどうしたのって聞いたら『女の子がボタン押したくて愚図ってて、お母さんが困ってたから』って言うの。最初は女の子に優しくしていたんだと思ったけど、なんとなくだけど、お母さんの方に気を遣ったのかなって。それは今も分からないけど。とにかく、その親子のやり取り聞いてて、相楽君はバスを下りるはめになっちゃった訳。私、そんなヘンテコな男子見たの初めてだったから」
やめてくれ。恥ずかしいよ松宮。
「他にも、ウチの学校の最寄り駅で。相楽君、園児の手を引く妊婦さんに傘を差しだして『これ使って下さい』って。相手が『そんな悪いです』って断ろうとすると『風邪引くとお腹の子供がかわいそうですよ。それに俺カッパ着てますから』ってどう見ても普通の布パーカーのフード被って、それじゃって、土砂降りの雨の中、学校まで走ってっちゃって。これから学校なのにどうするのって。私、傘持ってるから、急いで追いかけたんだけど、相楽君凄く速くて、壁とかどんどん越えてアッという間に消えちゃって」
なんでそんなことを。俺でも覚えてないことを松宮は覚えてるんだ。
「他にもいっぱい。でも相楽君、私、あの時傘持ってたんだよ。傍に居たんだよ」
「そ、そっか」……複雑だ。
「いつも、いつも見てた。いつの間にかずっと。授業中も相楽君のことばかり考えて。私、あの時、勇気を出して相楽君に告白すればよかった。まだ、誰も相楽君のこと知らなかった時に。私はずっと好きだったのに。怖くて、自信なくて、もっと可愛くてイイ女になってからって思ってたら、いつの間にか相楽君の株価が急上昇してて、手が出せないくらいの高値になってた」
そんなことないけど。
どっちらかと言えば、松宮の方だと思うけど。カリスマだし。
ま、劇だし、そこら辺は変えたのかな?
「気が付くと相楽君の下駄箱に手紙が入ってて、プレゼントも。私だけの相楽君で居て欲しかったのに。皆、相楽君のことなんて見向きもしてなかったのに、私だけが相楽君の良さを知っていたのに。私だけの相楽君だったのに」
「松宮……、お前がそんなこと思ってるなんて、思ってもみなかった。ずっと俺を見てくれてたなんて、知らなかった」
「知ってる。相楽君には私なんて見えてないこと。相楽君は、他に好きな子がいるもんね」
なんか胸が苦しい。
「でも好きなんだもん。馬鹿だよね私。私なんて、相楽君に気付いてももらえないようなダメな子なのに。でもどうしても好きなの。何度も諦めようとしても相楽君のことが頭から離れなくて、好きで、好きで、苦しくて」
最悪だ。相楽って奴はバカだ。こんな可愛くて優しい子をこんなに苦しめて。
馬鹿だ。ホント、ダメな男だ。俺は……ばかだ。
「れ、麗香。こんな俺でいいのか? 俺はお前の気持ちにも気づけないほど鈍感なヤツだぞ。それに……」
「そのままの相楽君でいいの。ただ傍に居てくれるだけで。好きよ。お願い。もし好きになってくれなくても、好きでいさせて」
松宮の目から涙が流れた。俺は演技と関係なくその場に跪いてしまった。
立っていられなかった。言葉の重さに体が耐えられなかった。
「ご、ごめん松宮」
「え? セリフと……違……うよ」
違うことを口走ろうとしていた。が、松宮の言葉にどうにか自分を取り戻して、ゆっくりと立ち上がった。セリフを言わなければ。
「麗香。こんな不器用な俺で良かったら、傍に居てくれないか?」
「私なんかでいいの?」
「俺、お前のこと好きだ。麗香、俺の彼女になってくれ」
「うん」嬉しそうに俺に抱き付いてきた。
その瞬間明かりが落ちたが、耳元ではっきりと聞こえた。――嬉しいと。
抱きしめた感覚が腕や胸に残っている中、スタッフが、接触したことを注意して愚痴っている。
俺はゲッソリと疲労が背中にくる。一日中ハードに仕事した時と同じ疲労感だ。もうギブアップ寸前。さすがにキツイ。
次のセリフの紙を渡された時、女子スタッフにそのことを告げると、里見の順番を早めてくれた。
そして、役者が疲れているので次の幕が降りたら、一度、十五分休憩を挟みますとお客に伝えてくれた。お客には、その間にトイレへ行くよう進めていた。
大分飲み物も飲んでいるし、ガマンは体に悪い。
席を離れても平気なのかと質問されていたが、休憩自体には、何の文句や苦情は出なかった。
里見もまた、疲労を滲ませながらも役をまっとうし戻ってきた。
やってみて分かるが、劇なんてものは演技の好きな者でなければ務まらない。
例えるなら運動が苦手な者をハードにしごいているようなものだ。ヘトヘトだ。
「お疲れ」
「お疲れ。相楽君、よくこんなキツイのいくつもこなせるね。これ、もう少し役者増やせないかな? 本当に心が折れるよ。恥ずかしいし。皆の視線というか注目を浴びるだけで物凄く緊張する」
その通りだ。交代要員をどうにかして増やして欲しい。少し休憩したおかげか、ふと閃いた。
あの男にお願いするしかない。――久保だ。
「室隅君。お願いがあるんだけど。もし久保がどこかで暇していたらここに連れて来てくれないかな? できれば至急」
「いいよ。でも、もうこの教室に居るけど。さっきから客席で女子と見てるよ」
俺は室隅の指さす方を見た。居た!
「久保~。ちょっと~。頼みたいことあって」
呼ぶと、軽快なステップで飛んできた。まるでマントでも付けているように机を飛び越える。目の前までくると「どした?」と軽い口調で訊いてきた。
「見てた? 劇。実は役者が足りないのね。増やそうと考えた時、思ったワケよ。この学校で一番モテる久保が役者したら、女子達は喜ぶンじゃないかってさ」
「そ、そうだけどさ。俺が他クラスの出し物に出たらまずくない? 一応敵だし。なんか今回の文化祭の投票で、一番人気を取らないと大変だって、ウチのクラスの女子が言っててさ。女子っていってもウチのクラスは四人しかいないけどね。でも他クラスも随分と張り切ってるとか」
「久保。それは違うよ。久保はスポーツクラスだけの久保ではなくて、専智学院の久保だろ? そうジャン。俺は思うよ、久保の演技はハリウッドクラスだって」
「マジ? スポーツクラスじゃなくてハリウッドクラスか、俺」
久保もまんざらではない顔をしている。
ここはどうしても久保に助っ人になってもらわないと、胸が苦しくて心が壊れてしまう。
「分かったよ。相楽がそこまで言うならいいよ。その変わりこれで一コ貸しね」
貸しは困る。絶対にサッカーの試合がどうと言い出すに違いない。
「貸しで良いけど、俺は久保に三つ貸しがあるんだよ。忘れたの? ほら、昨日の会議の時だってそうだし、体育祭前の時もほら、なんって言ってたかな~」
そうだっけと久保が首を傾げる。俺はそうだよと言いくるめた。
「んじゃ、もし久保が手伝ってくれるなら、これで貸し借りなしでいいよ。その方がスッキリするしイイと思う」
必死だった。連続で続く即興劇の重圧に潰れてしまう。
確かに一つずつは短いけど、なんだか内容が濃い。
それに、色んなパターンがあって混乱もする。
軽い感じでも、恥ずかしいセリフを何度も言わされるものや、松宮の時みたく、セリフは殆どなくても、心揺さぶられるものとか。
セリフ系や自らの告白系、世界観というかシチュエーションを楽しんでるタイプと様々なジャンルに分かれている。まぁそれが劇なのかもしれないけど。
女子というのはこんなにも感受性が強いのかと驚く。
この劇に参加した者の八割は涙を流している。里見の相手役も、見ているお客も何度も泣いている。
「相楽君、久保が相楽君に頼まれたって言ってきたんだけど本当?」
俺はホントだといい、説明した。すると、分かったと納得してくれた。
しかしその時、シナリオ用紙というかセリフの書かれた紙を、大量に見せられ、これだけお客が待っているけど、と言われた。
結局俺は、久保と里見に休憩をもらいつつ、相当な数の即興劇をしなければならないということに気が付いた。
それでも間に休憩があるのと無いのとでは雲泥の差だ。
疲れた心を休めていると、階段状の通路を何人かの女子がこっちへ向かって下りてきた。
「相楽君。お久しぶりです。渡辺です」
渡辺花帆だ。周りには取り巻きらしき女子も居る。よく見ると柴谷貴代もいた。専舞女学院の生徒会長と風紀委員長だ。
それよりも何よりも、渡辺と柴谷の美しさにビックリだ。
この驚きは俺だけじゃないはず。周りの者達も、二人をアイドルでも見るようにみている。正直、アイドルには失礼かも知れないけど、渡辺と柴谷の方が上だ。
一目で分かる。全て女子という学校でトップを張り合うほどの美少女がどれほどのレベルなのか。
一切の美容整形などせず、生まれながらに人を魅了する姿を持って生まれ落ちてしまった天使。
体育祭の時のユニホームと違い、この私服姿は凶器だ。
「見てたよ相楽君。実は、私も予約しちゃったんだ。恥ずかしいからよそうかなとも思ったけど、なんか、どうしても話したくて。たぶん、もうすぐだよ順番」
渡辺がにっこりと笑う。目尻が前の美織さんに似ている気がする。
「私も予約したの。それにしても随分と面白い劇よね」柴谷。
俺は二人の天使を見ながらどんなシナリオを書いたのか気になった。
ただ、いつも実感するが、女子の思考にはいつまで経っても辿り着けない。
「はい、そろそろ休憩を終了致します。それと、お客様にお知らせです。学校一のモテ男、久保真が俳優陣に加わりましたので、宜しくお願いします」
スタッフの説明が終わり、客が席に着くと別のスタッフが忙しく飲み物を配る。一度のチケットで飲み放題だ。ただ、チケット一枚でシナリオ用紙は一枚だ。
二回劇に参加するなら二枚の購入となる。
一枚三百円。採算取れるのかと言えば、トントンだという。
飲み物に関して言えば、お代わり自由でも、一人で一・五リットル飲むような客はまずいない。となると、あくまでジュースに関してはおつりがくる。
俺は次のシナリオとセリフを必死に覚える。
授業中に渡され続けた手紙爆弾のおかげで、俺なりの速読が役に立っていた。
用意が出来たかとスタッフに訊かれ、決められた通りの合図を送る。
一度暗くなった室内に、スポットライトが当たる。
「あ~あ、もうこんな時間になっちゃった。遅くならない内に帰らないと」
これは語り系プラス演出系だ。いやプラスアルファの要素満載だ。
「あっ。そういえば、相楽君と初めて会ったのって此処なんだよね。覚えてる?」
俺はポケットに手を突っ込んで思い出すフリをする。
「だよね。覚えてないよね。私さ、昔っから全然目立たない子でね、唯一の得意は勉強とピアノだけ。親が厳しくてだけど。高校に入ったら少しは変われるかなって思って頑張ったンだけど……やっぱダメ。そりゃそうよね。私暗いの」
「そんなことねぇよ」
「ありがと。でもそうなの。一人で暇を持て余してる時、インターネットの生放送配信を知ったのね。初めは軽い気持ちで始めたンだけど、これが面白くてどっぷりはまっちゃって。私、ずっと目立ちたかったの。皆と仲良く話したり、輪の中心にもなってみたかった。実際には無理だったンだけど、でもネットで配信してると、人と繋がれたから」
そっか……。そうだよな。
「私、高一の時、バスケ部に好きな人がいて、憧れかな? そんで、学校のことや好きな人のことをネットで話してたの。もちろん名前なんて出してもないし、イニシャルトークもしてないよ。でもさ、同じ学校の子達には分かっちゃうんだよね、全部。そんで私、虐められたの。でもこれは当然。普通の虐めとちょっと別かな。私が学校であったことを色々一方的な感情で話したから。それにそういうのやめてって言われたのにやめなかった訳だから、私が選んでの虐め。嫌われてたかな」
……。自分で選んでか。でもどうして? そこまでして。
「私には放送で繋がるしかなくて、誰かに見てもらうにはそれしかなかったから。皆には悪いと思ったけど……止められなかったの」
清水。
「でね、なんかだんだん虐めというか、嫌われ方がエスカレートしてきて、シカトとかならいいンだけど、どうせ目立たなかったし。でも、物を隠されたり捨てられたり『ごめ~んッ』ってぶつかったり押されたりしたの。それでね、一年の階の、中央広場で押された時、相楽君に思いっきりぶつかったの。そうココ覚えてる?」
清水は周りを見渡し演技する。
覚えてない。ごめん。思い出せない。一生懸命記憶を呼び起こしてるんだけど。
「普通なら『痛ェな』とか変な目で見られたりするのね。実際、ぶつかってるし、痛いし、そうなるの。でも相楽君、地面に座り込んだ私を心配してくれて、制服に付いた埃を叩いてくれて『大丈夫? ごめんね。ちょっと考え事していて』って。ニッコリ笑ってくれたんだけど。私、体を触られたことが恥ずかし過ぎて耐えられなくてキャッってなって。だって男子に触れられたことないし。そしたらなんか、騒ぎが大きくなって、皆集まってきちゃって。覚えてない相楽君?」
ん~? それでどうなったの俺は? 気になる。
「体育科の大河内先生が来て、男子が女子にチカンしたと勘違いして、捕り物劇が始まっちゃって。現場だけ見たらそうなるけど、相楽君が違うともナンとも言い訳しないから、それで大事件」
「え? ちょっと聞いてイイ。俺どうなったの?」やば、つい訊いてしまった。
でも演技なんてしていられない。
「ふふっ。大丈夫、ちゃんと話すから。相楽君、ブレザー脱いで、頭から被って、どこかに飛んでっちゃったよ。皆唖然としてたもん。その後、先生が放送で何度も呼びかけるけど、相楽君出て行かなかったみたい。大河内先生が、交渉人みたいになってたよ。自首すれば罪が軽くなるとか。たぶん学校中の人は覚えてると思うよあの事件」
覚えがない。なんで俺だけ知らないんだ。
そんな放送が流れてたなら、絶対聞いてるだろうし、忘れる訳がない。
まるで俺だけ耳でも塞いでたみたいな怪現象だな。なんでだろう?
「私、放課後に職員室に行ったの。皆が帰ってからこっそり。先生に説明しようと思ったら、すでに見ていた色んな生徒から状況は聞いたって言われて、一応、相楽君の誤解は解けたんだけどね。色んな女子とすれ違ったわ。私が職員室に居る時も尋ねて来てたし」
そんなことが俺の知らない所で起きてたのか。
「私、結局一年間クラスになじめなくて、でも、二年のクラス替えに賭けて思いっきり勉強して、特進クラスを狙ったの。勉強は嫌いじゃなかったし、特進なら嫌なこと少ないかなって思ってさ。それで念願かなって特進入りしたら、なんと相楽君が居るんだもんビックリ。私より下のクラスだったのに。私、それからはいっつも相楽君見てて、色んなこと妄想してた。相楽君の彼女になれたらいいなって」
「そっかな~」このセリフ照れるな。
「そうだよ。相楽君、知らないの? 私、ぶつかったあの日から、ずっと一目惚れしてたの。体育で走ってるところも、勉強してる姿も、全部カッコいいんだもん。バイクの後ろに乗せてもらった時はこのまま時間が止まってって本気で思ったよ。それに相楽君、真っ黒に日焼けしてきたり、バッサリと髪切ってイメチェンしたり反則だよ。そんなの無理だよ」
「そっか。梢はそんなに俺のこと好きか?」
「えっ? ……す、好き」
「俺も!」
会場中がざわつく。俺はびっくりするが、清水から目を離せない。
「私なんかでいいの? 私、可愛くないでしょ?」
「な~に言ってンだよ、お前じゃなきゃダメだ。またバイクで、どっか連れてってやるからちゃんと俺に掴まってんだぞ」
「うん」清水が抱き付いてきた。
ライトが消えて、幕が下りたという合図。と同時に、客席がざわつく。
十五分休憩を入れたからか、反応が大きい。
「お疲れ。次は久保に入ってもらったから少し休んで」室隅が忙しく動く。
客席はとっくに定員オーバーで、階段通路に直に座る客も出ている。
この学校での設備としては第一視聴覚室と第一パソコン室に次いでしっかりしていて、換気などの空気循環や冷暖房は完璧だ。
でも、今のこの場所の熱気は調整できないほど熱くて凄い。
俺は次のシナリオを軽く見ながら久保の演技を眺める。
客席からは、久保のファンや取り巻き達が「久保君」とか「久保先輩」と黄色い声援を送る。
久保は凄く絵になる。スポットライトの中で、一段とカッコよく見える。
甘いマスク、キザなセリフも普段通りに思えるほど様になっている。
これが演技ならそれこそハリウッド。
なんなくこなし久保が戻ってきた。凄く短い。
他人の時にはこんなにも短いのかと思う。でもセリフ的には、俺の時より遥かに長い台詞だ。これが世に言う、相対性理論ってやつか。
水分を取る為にレモンサイダーを口に含む。喉を潤し、舞台中央へと歩く。
他人からはそう見えないとは思うけど、俺的にはボクサーがコーナーからリング中央へと向かう時の映像と重なって思えた。
客席の独特なざわつきや雰囲気が、また俺を緊張の渦へと引きずり込む。
向けられたライトが少し眩しい。
「ふふっ」にっこりと相手役が光の中へ入ってきた。
町下先生。先生もやるのか?
先生の表情が笑顔からすっと別のモノへと変わっていった。そして――。
「あら、相楽君、今日は部活ないの?」
「まぁ、大会終わったばっかだから、練習はない」
「ふ~ん。それじゃ気を付けて帰りなさいね」
「なに言ってんだよ。迎えにきたんだよ。一緒に帰ろうぜ。せっかく暇ができたンだし、どこか行こうぜ芽留」
「ちょ、ちょっと。なにこんなトコで。何言ってるのよ。それに芽留じゃなくて、町下先生でしょ。誘ってくれるのは嬉しいけど、私、仕事が残ってるの。先生って意外と大変なのよ」
「そんなものサボっちゃえよ」
「できないわよそんなこと、子供じゃないンだから。先生困らせないで」
「ふ~ん。そんじゃさ、もっと困らせてあげようか」
俺がセリフを言う度、あちこちから声があがる。
凄く気が散るというか散漫する。皆には簡単に見えるかも知れないけど、セリフを覚えるのも、役として言うのも難しい。
「もぅ。そんないじわるしないで」
「しょ~がねぇな。許してやるか。それじゃ~代わりに、俺のことどう思ってるか言ってみな。そしたらこれ以上我がまま言わないからさ」
町下先生がキョロキョロしながら「ここで? 無理。職員室よ。誰が聞いてるか分からないでしょ?」と怯えて見せる。
「素直に言えよ。……好きなんだろ俺のことが」
恥ずかしいよコレ。もうヤダよ俺。久保じゃあるまいし、助けて。恥ずかしい。
「す、好き。好きよ。もぅ、いじわる」
観客の声が凄い。何を言ってるかまでは分からないけど、凄い騒音波だ。
「俺も好きだよ。それより先生、一つ言っておくことがある。絶対、他の生徒の前で笑ったりすんなよな。俺だけのものなんだからさ」
ダ~メ~だぁ~。恥ずかしくて漏れちゃうよ。耳から声出ちゃう。
「ばか。大人をからかわないで」
「からかってない、本気だよ。お前を独り占めしたいんだ」
「仕事……サボっちゃおうかな」
俺は首を振って、それはやめておけとジェスチャーする。
「仕事大変だと思うけど、あんまり無理するなよな。俺に心配させるなよ、なっ。そんじゃ行くわ」
「えっ? 帰っちゃうの……」
「へへっ、帰らねぇよ。構って欲しいんだろ? ちょっとからかっただけだ」
「もう、ばか。ばかばか」
「そんなこっち見るなよ、照れるだろ芽留」
「だって……」
「おいで」俺がそう言った瞬間ライトが落ちた。
町下先生の「うん」という返事は闇の中へと消えた。つまり幕は閉じた。
まさか町下先生が出て来るとも思わなかったし、ここまでセリフ系のヤバイのが来るとも正直思っていなかった。暗くなってもまだ恥ずかしさが抜けない。
客席は騒がしく、あーだこーだと雑談している。
それにしても、劇とは言えとんでもない内容だった。
先生と生徒が恋をしてる設定。やばいだろそれ。
本当はまだまだ先があった。
不倫や浮気ではないから、誰かを裏切ったり、傷つけるような悪ではないけど、倫理的にも道徳的にもよくないといった会話にたいし「関係ないよ。俺にとっては周りがどう思おうが、お前が好きなんだ」と言った内容のセリフが、まだまだ待ち構えていた。
里見が役の用意をする中、やはり町下先生は他の先生方から注意を受けていた。いくら劇とは言え、高校生の前でする内容ではないと。
俺は町下先生が叱られる様子を見て、クスッと笑ってしまう。
なんだかすごく可愛らしい。生きるってこういう風でなくちゃって思う。
里見が無事に終えて戻ってくると、今度はなんと茨牧が指名されていた。
相手はもちろん能條栞。専舞女学園文芸部部長。
ようやく、一般のお客さんにも番が回り出した感じだ。
俺は茨牧と能條の劇を見ながら、夏のプールを思い出す。アレは偶然というより二人を繋ぐ奇跡の様な出来事だったと今は思う。
劇の中で、お互い一目惚れだったと告白する。凄く心が温まる。
少しだけ涙が滲む。
夏休みの間、二人はメールでその想いを紡いで、そして恋人になった。
凄く感動したまま劇が終わるが、お客にはそんなにウケが良くない。
俺と同じように良かったと感じているのはまばらだ。
「お疲れ茨牧君。すごく良かったよ」
「ホント? あ~緊張した」
いつの間にか文化祭らしく劇をこなしている。
特進は出し物なしだったはずなのに、急きょ昨日決まった。いや、俺にしたら、今朝、ついさっきだ。でも、何もないよりは絶対によかった。
さっき町下先生が叱られているのを見てもそう思う。
なんだって参加して遊んじゃえばいい。どうせ今は一度きり。
普段は真面目に勉強してるし、絶対この気持ちは間違いじゃない。
里見と茨牧が合間に入ってくれたことで、町下先生に真っ赤にされた恥ずかしさも大分解れてきた。
俺は次の劇に向かう。
暗がりから姿を現したのは渡辺花帆だった。
やはり一般客に順番が回り始めている。
客席から「可愛い」とか「なにあの子お人形さん」と声がする。そういう声に、渡辺は照れて下を向く。
普段聞き慣れていると思うけど、やはり恥ずかしいようだ。向かい合う俺の前で何度も照れて下を向く。それが俺にまで伝染して凄く恥ずかしい。
何度も演技して、この場に立つことには、少しだけ慣れてきたつもりだったのに不思議だ。
渡辺が俺の方に顔を上げる。スッと表情が変わり、そして演技に入った。
「相楽君。あなたと初めて会ったのは、合同体育祭の時よね。私ね、小さな頃から女子校に通っていたの。もちろん今も。大学も女子大に行くわ。本当は、相楽君が行く大学にも興味あるけどね」
俺は渡辺の話す言葉を必死に聞いていた。
声が心地よくて、ずっと聞いていたいと感じた。
「あの日、相楽君に助けてもらったこと、私は運命だって思ってる。何度考えても私、相楽君が居なかったらこの命なかったって分かるから。あの事故がある前から私は相楽君に魅かれてた。誰かを好きになんてなったことなかったけど、一目惚れしちゃったの」
可愛い。劇なのに、嬉しい。
「さっきから皆との演技見てて、色々なエピソード聞いて、私の思っている相楽君と全然違かったけど、想像じゃなく、本当の相楽君はもっと素敵だって思った」
胸がキュンとする。渡辺の声や言葉、口調、なぜか癒される。なぜだろ。
「まさか今日、こんなチャンスが貰えるなんて、思ってもみなかったわ。ただ顔が見たくて、ただ逢いたくてきちゃったけど、こうやって相楽君と話が出来るなんて夢みたい」
やばい。好きになってしまう。佐伯のこと、大事に思っているのに。
佐伯と付き合ってさえいたら、迷ったりしないだろうし、それに俺はもう彼女が居ますといって耳を塞ぐこともできた。
でも今の俺は無理矢理フリーでいさせられ、しかも誘惑の嵐の中、笹船で航海を続けている。
耳を塞がないと、俺みたいな女子に免疫ないヤツはダメだ。
いや、俺はダメなヤツだ。男としてダメなヤツなんだ。それだけは分かる。
「私、ここで告白します。相楽君、私は相楽君が好き。相楽君の彼女にさせて」
告白されてしまった。それに良く考えたら渡されたシナリオと全然違う。
渡辺の語りに魅了されていて、まったく気付かなかったけど、問いかけられて、目が覚めた。
どうしよう。イエスかノーか。答えは簡単だろ、ノーだ。ノーだろ?
なんでノーだって言わない。こんな所でノーと言えば渡辺が傷つくからか?
違うだろ。言いたくないんだ。
俺もあの合同体育祭で初めて渡辺にあった時、あの時。そうなんだろ?
俺も一目惚れしてたんだろ? 美織さんに面影の似たこの超美少女に。
渡辺が俺の答えを待っている。俺はどれくらい沈黙しているのだろう。
「その……」
「やっぱり待って。言わないで。お友達で……。まずはお友達になって。それならいいでしょ相楽君。だって相楽君まだ私のこと何も知らないもん。学校だって違うし、相楽君に会えたのもこれでまだ三度目。お願い。まだふらないで」
俺は頷いた。うまく声が出せなかったけど、ちゃんと目を見て頷いた。
告白を断る勇気なんてなかった。それでも渡辺にはそう映ったんだ。不思議だ。こんなにも可愛くて美少女なのに、こんなダメな俺なんかに……。
「ごめんネなんか、一人で取り乱しちゃって。後で連絡先交換して下さい」
「うん。……うん」言葉がでない。圧倒されて、ニッコリと笑うしかできない。
すると渡辺が、ぴょんと俺に飛び付いてきた。
俺はそれを包むように抱きしめた。
「ありがとう相楽君」
「うん」
劇と言えるか分からない内容だったが、俺にとっては町下先生とのあのやり取りよりも遥か深く、胸の中心に突き刺さってしまった。
どういう終わり方をしていいか戸惑っているスタッフが、ただ抱き合う俺と渡辺に焦れて、明かりという名の幕を下ろした。
暗闇の中で小さく「大好き相楽君」と聞こえた。
ボーッとした感覚で戻ると、久保が張りきって中央へと向かう。
キャーキャーという声援はもはやアイドル。
久保の後、里見、次に俺は近野と劇をした。
久保の人気は凄く、最低でも俺と交互という状態を保ってくれた。
専舞女学園生徒会長の柴谷とも演技をした。更に、専舞のラクロス部部長の宇野奏恵とサバイバル部部長の国分杏とも演技をした。
内容は、渡辺のあの事故のことについての謝罪が主なことであった。
俺は丁寧に話し、罪の重荷を下してあげた。
まったく見知らぬ一般客とも絡み、それこそ恥ずかしいシチュエーションを繰り広げた。
専舞学園ブス部部長の木藻皮と清水の女同士での面白劇もあり、どんどんと時間は流れて行った。
途中で昼食休憩を挟み、午後一番は、俺とこの学校のカリスマ小堀綺乃だった。
台本はなく、小堀の語りとなった。
「ねぇ、相楽君前に私に言ったよね。お前の愛は軽過ぎるって」
あ~~、言っちゃった。勢いで。
「あれ、すっごく傷ついたンだから。私だって誰にも負けないくらい誰かを好きになることあるのに。んうん、分かってる。あの時は、私が佐伯や松宮を馬鹿にしたからって言いたいんでしょ。でも、相楽君にだけはそう言われたくない。そんな風に思って欲しくない」
ご、ごめん。なんか凄く小堀のこと傷つけたみたいだ。どうやって謝ろう。
「今回さ、この文化祭の勝負でデートがって話あったでしょ? あれさ、ナシってことでいいから、だからここで心から謝って欲しい。それでそのお詫びに私を一日遊園地で楽しませるってことで手を打つわ」
「分かった。確かに俺言い過ぎちゃったし……」
俺が話していると、別のマイクからその場に声が飛び込んできた。
「これは劇ですので、変な約束事はおやめ下さい。劇です。勝手なルール変更は、禁止です。文化祭一番人気の投票と、その後の規約は続行です。では劇をお楽しみ下さい」
楽しめないよ。どこに演技の最中にあんなアナウンスが入るの。
地震とか災害とか、ニュースなら分からけど。見ているお客が、ナンのこっちゃ分からない内容ジャンか。
「あの、小堀さん。ごめんね。なんかあの時言い過ぎちゃって」
「……ウン」元気がない。
「許してくれる?」
「許す」
ダメだ。完全にへそを曲げている。不機嫌極まりない。
「小堀さん聞いて。この件に関しては後でちゃんと謝らせてくれないかな? 俺、本当に悪かったなって思ってるし。ちゃんと謝りたい」
「ホントに?」
俺は笑顔で頷いた。
「分かったわ。それじゃ後でね。スタッフ~、スタッフ~、もうライト落としてもいいわよ~。はい、お終いで~」
とても劇とは言えない。
ただ、一般のお客さんの中にも、結構劇とは言えない意味深なものが多い。
言って欲しいセリフを言わせまくるものや、在りえない設定の話など。
こういう即興劇だから、仕方ないと言えばそうだけど。これを苦もなくこなしているのは久保だけだ。やはり久保は、生まれ持ってのモテ男かも知れない。
「相楽。いつまでもプラプラしてないでサッカー部へ戻ってこい」
大河内先生? なんで先生が参加してんの? あまり変なことすると大河内先生も町下先生の時みたく叱られちゃいますけど。
「俺、もうサッカーには興味ないです」
「嘘をつくな。怪我の方は治ったんだろ? どうだ、お前、もう一度仲間と一緒にグランドを走ってみないか。汗かくと気持ちいいぞ」
「興味ないって言ってるじゃないですか」
「馬鹿野郎。一度くらいの挫折で挫けてどうする。俺なんてな――」
そういって大河内先生の自慢話が永遠と続いた。
「先生。俺、俺、もう一度頑張れるかな?」
「出来る。負けそうな時は俺に言え、その時は俺が相楽を支えてやる。忘れるな、お前やこの学校の生徒の後ろには、この大河内がついているということを。世間がどうかは知らない、よその学校がどれほど腐っているかもな。ただ、例えこの世が腐り果てても、俺が教師であり続けるウチは、お前ら生徒は俺が守る。だから安心して戻ってこい」
「せ、先生。大河内先生~。分かりました。俺、もう、なんの迷いもありません。もう逃げたりしません。俺の後ろには大先生がいます。俺、先生を信じてサッカー部に入部します」
「それでこそ相楽だ。それじゃこれに名前とクラスとハンコを押してだな――」
胸元から本当に紙を取りだし、俺に手渡してきた。
すると、小堀の時に続きマイクが入る。
「大河内先生、おやめ下さい。相楽君もそれ受け取っちゃダメよ。すぐ返しちゃいなさい。これから受験だっていうのにとんでもないですから」町下先生だ。
言い訳する大河内先生を尻目に、強制的に明かりが落ちた。
よく考えたらずっとサッカー部がどうとか試合に出てくれとか、ことあるごとに大河内先生や体育科一同の先生方にはちょっかいを出されていた。
まさか文化祭まで出てくるとは……。逆に凄い執念だ。
大河内先生の後も永遠と短い劇が続いた。
そして、初日の祭は終わった。残る明日を無事に乗り切れば文化祭も終わる。
ただ、一つ気になるのは、丸一日劇をしていたが、佐伯が劇に参加してなかったことだ。あんな恥ずかしいことはしたくないと言えば、凄く納得いく理由だけど。
少しだけ気になった。
「佐伯、今日はどうだった? 文化祭」
「ん? 凄く面白かったよ。私、自分の持ち場サボって最初からずっと特進クラスの劇みちゃったよ」佐伯がにっこりと笑う。
俺も笑う。車はいつもより少し暗い時間帯を走る。時間にして一時間半遅い。
「ねぇ、相楽君。私、相楽君にどうしても言わなきゃいけないことがあって」
急に真剣になった佐伯が体ごと俺に向き直る。俺も同じように見た。
「なに?」
「あのね。私、来週から海外に行くことになった」
寂しそうに佐伯が言う。俺はびっくりするしかなかった。
嘘だろと言いかけたけど、その言葉を呑み込んだ。
「お父さんの仕事の都合でしばらく行くんだ。また戻っては来るんだけど、大体、三年位かな。はっきりとした期間は分からない。もっと短くなるかも知れないし。最初は私だけ残ろうと思ってたの。でもね、せっかく相楽君が、お父さんと仲直りさせてくれたから」
そうか。これでまた離れちゃったら……。そうだよな、ずっと思い出も作らずに来ちゃったもんな。絶対にそうした方が家族の為にはいい。
いいンだけど、でも、俺は。
「お父さんがね、一緒に来てくれって、泣くの。結婚して出て行ってしまう前に、少しだけ親子で思い出をって。私もよく考えたの。何日も悩んでさ。私にとっての悩みってさ、良く考えたら相楽君だけだった。相楽君と離れることが寂しいだけ。私、相楽君が行くなって言うなら行かない。それは決めてる。ただ、相楽君は行きなって言うと思って。そう言われる前に、私も相楽君と同じ意見の言える女性に、なりたくて。そういう優しい人に。だから。だから本当は離れたくないけど……」
ポロポロと涙を流す佐伯の頭を撫でた。本当に偉いと思った。
昔の俺は惣汰との別れに耐えられず壊れかけた。
仲良い人とはいつまでも傍に居たいものだ。でも、カラスが鳴いたら帰らなきゃダメだし、すべきことの為には一度離れなきゃいけない時もある。
今優先すべきは、どう考えても家族だ。それだけは譲れない。
佐伯はお父さんとお母さんと一緒に居るべきだ。これが仲悪いなどの理由があるなら無理することは一つもないけど、今の佐伯は違う。思い出を作るべきだ。
いっぱい苦しんだ分いっぱい家族で笑えばいい。
いずれ家族とも離れ離れになる時が来る。その時は、お父さんやお母さんが同じように佐伯を見送るはず。
「大丈夫。何も気にせずいっぱいいい思い出を作っておいで」
「止めてくれないの? 相楽君、他に好きな子が出来ちゃったから? 今日もモテモテだったもンね。あの時、相楽君が告白してくれたあの時、食堂で無理矢理にも付き合えば良かった、そうすれば……」
俺は佐伯の口を自分の口で塞いだ。
佐伯の全身から何かが抜けていく。
俺は生まれて初めての他人の唇を感じていた。
「佐伯、俺を信じてくれ。俺はちゃんと、待ってるからさ。お父さんとお母さんといっぱい楽しい思い出を作っておいでよ」
キスしてごめんなんて言わない。正式に付き合ってもない二人だけど、謝ったりしない。ちゃんとした恋人ではないとしても、ごめんとは言わないよ、佐伯。
これは文化祭でした劇ではない。離れ離れになる運命が、劇や嘘であって欲しいけど、紛れもなく悲しい事実だった。
運転士がいることなんて気にもならないまま、二人は帰るべき場所へと、静かに寄り添ったまま帰って行った。




