二七話 プログラム 四
専舞対専智の女子対決で、ついにウチが勝利した。
ギリギリの攻防戦での勝利。ようやく勝ち取った一勝だった。
試合を観戦していた時、志星館の片桐や仙堂に話しかけられた。
他愛もない話をし、再度褒めて貰えた。
俺が謙遜して「片桐先輩は、疲れ一つも見えなくて、俺なんてヘトヘトでした」さすがです、というと。
キョトンとした後、当然だろと笑われた。
「こっちは、お前を倒す為だけに柔軟しながら、さあ来いって状態だ。それに引き換え相楽、お前は障害物もこなし、仁や連次や朋兵ともやり合って、おまけに秀勇とも。それであれだけ暴れといて今更スタミナがどうこうって。おかしなヤツだ」
片桐はそう笑う。その後ろで田所と雪峰も、腹を抱えて笑い転げていた。
言われてみればもっともな話だ。疲れて当然。差、所の話じゃない。
俺はどこか抜けているかも。
実感はないけど、たまに指摘される内容がアンポンタン。まるで小さい頃の俺のようだ。しかし今の俺は違うはず。
進学校の専智学院に通い、さらにそこで特進クラスに在籍する超エリート集団の一人……のはず。よって間抜けでは……ない。
勉強嫌いで、漫画すら読めなかったガキじゃない。いつも迷子になってた俺じゃない。そんなことを考えながら、なおも雑談は続いた。
話は連合体育祭の話にもなった。
「この大会とそれと二つもですか、大変ですよね。部活動だってありますし」
「今年は真冬になりそうだ。場所によってはスノーファイトってこともあるぞ」
話によると開催地は四カ所あり、そのいずれかがランダムで決まるらしい。
まずは予選のような戦いが行われ、新参高校や弱小校はそこで試される。
大抵はそこでふるいにかけられ終わるようだが、ごくまれに、強豪校が出現することもあるとか。
これに参加する高校は、姉妹校などという繋がりではなく、上で仕切る者が深い因縁でつながった宿敵校だという。ガチの潰し合いらしい。
「相楽は分かってないかも知れないけど、障害物レースのガードで俺らは抜かれたこと殆ど無いんだぜ。鉄壁というか……言い訳になっちまうけどさ」深寺がいう。
片桐もいう。
去年全国制覇した最終戦で、敵校ランナーは一番手の深寺を抜けるかどうかで、二番手の田所を抜けた者は一人も居なかったという。
実際、志星館内の模擬練習では、袈羽がギリギリで田所越えを果たし、次の雪峰でアウト。外園が仙堂に瞬殺されてアウト。
つまり今までの記録は、外園の雪峰越えが最高記録ということだ。
でしょうねと納得するが、どうも俺の顔に信憑性がないのか更に説明してくる。
本来ガード状態は一対一ではなく、数校の内の自校を抜いた敵校。
しかしだからといって、一対複数かといえば必ずしもそうではない。
それはランナー数も複数だから。つまりガードにしろランナーにしろ、とんでもなくヤバイ敵を、複数相手しなければいけない。バトルロイヤル。
今回俺は一対一だったが、本来はチームワークでガードをかわすのだという。
「先輩方は参加しないんですか?」
「ははっ。相楽はおもしろいな~。冬だぞ。一月の中旬ないし二月頭。俺達、三月初めには卒業式だ。なんでそんなギリギリまでバトルするのさ。進学や就職の用意で学校にだって通ってないぜ」
またも間抜けなことを口走ってしまった。
女子の競技を観戦しながらそんなような話を聞いていた。
そこに志星館の二年も加わり、何とも不思議な感じであった。
途中で、なんで専智の俺がと過るが、午後の競技でお手柔らかにして欲しくて、愛想良く振る舞った。
女子の試合も終わり昼食になる。各自学校ごと場所に集まり、そこから自由行動となった。
航也と惣汰達はお弁当を持参していないので、食堂へ行くと挨拶にきた。活躍を素直に褒めてくれたが、俺が宙を舞ったことへの驚きの方が大きかった。
いつものメンバーが集まり、仲良くお弁当を食べる。もちろん茨牧と能條もそれに混じった。仲根と里見の横には例のお弁当女子が座っている。
広げられたおもちゃ箱の様なそれを、選り取り見取りで突く。まるで殿様だ。
大好きなチキンライスもあり、フルーツ&クリームのサンドイッチもあった。
ポテトサラダに特製のマヨネーズが掛かっていて、ホッペタも踊り出しそうだ。他にも色々なごちそうが溢れかえっていた。
食べながら『どのおかずが美味しいの』という質問攻めの後、今日の競技の話や専舞女学園の話にもなった。
能條いわく、専舞は、生徒会、風紀委員、ブス部、サバイバル部、文芸部の五つが学校を仕切っているようで、いつもそれらが覇権争いを繰り広げているらしい。
運動部はもちろんのこと、ダンス部や軽音部などの音楽系も盛んらしいのだが、とにかくブス部の勢力が凄く、生徒会と風紀が、それを束ねて、押さえつける形で序列を保っている状態だという。
ちなみに能條は文芸部の部長だった。
代表者である国分杏がサバイバル部部長で、同じく代表の宇野奏恵はラクロス部の部長のようだ。
争いの主な理由は、生徒会が仕切る部費と活動場所の優劣。そして、風紀が取り締まる学校内ルールに、部やクラスの優遇を組み込めるかという、全生徒達の欲も渦巻いているようだ。
学校の先生が強く指導できない時代、各学校の風紀はただの風紀点検ではなく、先生公認の取り締まり団なのだという。
選挙で選ばれた代表である生徒会の決めごとに物申せるのも、校長か風紀委員長だけだという。
「でもさ、女子校って陰湿なイジメとかないの?」専智の女子が尋ねた。
「ないわ。どの女子校でもないとまでは言いきれないけど、女子校って、そういう感じじゃなくって、もっとこう秩序と笑いがあるというかうまく言えないけど……ないわよ」
ゼロではないかもと付け加えて能條が話す。
虐めはないが秩序や勝負事には厳しいらしい。
午前の部最後の戦いで、専智が専舞に初の勝利をしたことで、専舞女学園のいるスタンドは大騒ぎになっていた。しかしこっちは殆ど変らない。
確かに、負け越しているから大喜びできないとしても、もう少し浮かれてもいいと個人的には思う。
ただ確かに、中学などの運動会で騒ぎ盛り上がっているのはいつも、明るい者かスポーツ部に属したものか、不良かだ。
俺も、当時は勉強のことばかりで興味無かったかも知れない。
正直よく覚えてさえいない。
運動が苦手な者も、どうせ自分はいいやといった感じだったかも知れない。
そして専智学院は間違いなくその割合が多いはず。
だから、ソフトボール部の偉業より、俺のオール五の方に興味を持ったのかも。
しかし、同じように頭の良い専舞女学園は盛り上がっている。
能條が言うように、女子校のノリや独特な何かが関係しているのかも知れない。
「それにしても相楽君は~忍者? あんな高さから飛んで大丈夫なの? しかも、回転してたよね」仲根が驚いた感じで尋ねる。
「アレは、まぁ。昔、ちょっと練習して」
皆が聞いている。俺は訊かれる度にフリーランニングについて説明した。
すると何人かがその場でネット検索し動画を取り出す。
「ホントだ。すげぇ。何コレ? 怪我しないの?」
「相楽君はニニンガ忍者だもんね~」佐伯が笑った後、ウインクしてきた。
俺は心臓が四方八方に暴れるのを必死に抑える。ビックリして少し仰け反った。
皆が「なに忍者」と聞き返す。それをなんでもないよと誤魔化すが、茨牧が何を思ったか、伊賀忍者だとか甲賀忍者だとか説明しだした。
できれば、これ以上忍者に触れないで欲しいと思った。
過去のお馬鹿がバレると、嫌われて……絶交されそうで怖い。
笑いながら楽しく食事を終え、俺はお弁当を作ってきてくれた女子に「ごちそうさま、おいしかった」と礼をいい、片付けを手伝った。すると――。
「お食事中すみません。連絡です。志星館の代表と専智学院の代表の方で、午後の部、第五ラウンド騎馬戦に出る方、至急メインスタンド前へお越し下さい」
賑やかな声が溢れる中に、アナウンスの声が届いた。
片付けながら、なんだろうねと皆が話す。この中に代表者は俺しかいない。
もう少し皆とのんびりとしたい。相変わらず目まぐるしく場面が流れる。
当初、俺は補欠のはずだったが……たぶん俺はいかなければいけない。でないと町下先生が、半ベソで俺を迎えに来ることになるから。
「俺、行って来るよ」そう言ってその場を離れた。
歩き出すと月城や三好、久保や富永とあった。
皆でスタンド前まで着くと、すでに先に来ていた志星館が寄ってきた。
「相楽は出るのか騎馬戦」
「分からないけど、たぶん、そうなるかも知れない。ただ誰が上になるかとかは、決まってない」
そう、まだ俺が上に乗って戦わなきゃいけない訳じゃない、馬かも知れないし。
「なに言ってんの? 出る奴はみ~んな上! ははっ」向坂が笑う。
そこへ係の者が何かを運んできた。ゾロゾロと沢山の者達がくる。
え? じ、自転車? なんだろこれ。
それをボーっと見てると、皆が一斉に運ばれてきた自転車に群がり品定めする。
「ほら、相楽も選べよ。自分に合ってそうなのを、数台選んどきな。重なったら、後で公平にジャンケンか何かで決めっからさ」外園が俺を引っ張る。
俺は言われるがまま自転車を見る。
全て子供用の自転車だった。インチは20くらいだろうか。サドルもハンドルも小さく、座ると膝がハンドルに微かだが触れる。
選んでいるとアナウンスが流れ、今度は専舞と専智の女子が呼ばれた。
そして係の者が次々と一輪車を運び込む。
自転車や一輪車で何をする?
俺がドキドキしていると、駒衛が自転車を選び終え、俺に説明してくれた。
「これ、一騎戦っていってさ、自転車でやる騎馬戦なんだよ。初めてじゃキツイと思うけど、最低片手運転できないと試合にならないぜ。ま、逃げ回るって手もあるけどね」
頭と自転車の前部分に取り付けた風船を、筒状に丸めた紙の棒で、叩き割るか、落とすかで勝敗を決めるのだという。
筒の棒は寿命があるらしく、力任せに振ったり叩けば即折れて使い物にならなくなり、ゆる過ぎれば風船を割ることも叩き落とすこともできないのだという。
自転車をコントロールしながら風船を守り、または、攻撃をする。
まさに、そういう騎馬戦。
女子はそれを一輪車でするようだ。
女子の場合、紙風船で、頭と背中に一つずつ。
俺は小さなマウンテンバイクを選んだ。フルサスペンションで良く弾む感じだ。サスペンションがどうこうというより、他の自転車ではハンドルに膝が当たるのが困るし嫌だというのが主な理由だ。
三、四年生くらいの子が乗るのにちょうどいい感じかもしれない。
「ウチは誰が出るんだろうね」三好が声をかけてきた。
ここへは先生が来ていないから詳しいことは分からないけども、俺は出ることになっている気がする。ただ、代表戦にすべて出場ってのは、さすがに参る。
今のところ、なんだかんだで、全て参加しているし。
お昼休憩はまだ残っている。心の準備にあてとくべきかもしれない。
「相楽は~自転車はどう?」久保がママチャリ的なのを運んできた。
まるで女の子が乗るようなデザインだ。色もピンクと水色のパステルカラー。
本人いわく、跨る部分が窪んでいて乗り降りしやすそうだろと、一応は真面目に選んだようだ。
跨ってブレーキや乗り心地を確認していると、音輪が小さな自転車でトリック技を出し始めた。周りの者がすげぇとざわめく。すると、ブレーキ音をキュッキュッとさせながらこっちへと来た。
「相楽君。さすがに君も、これはできないだろ?」音輪が更に技を見せる。
志星館の代表達も誇らしげだ。
確かに上手いし凄い。
こんな小さな自転車で良く器用に操れるもんだと感心する。
俺も、どこまで出来るか軽く試してみた。
まずは前輪を浮かせてウィリー走行。ついで、自転車のケツを持ち上げて、更に後輪を移動させるジャックナイフターン。一応、ジャンプやホッピングも試す。
しかし、感覚としては壊れてしまいそうだ。
着地する度にタイヤホイルの感触が腕に来る。ボディ全体も負担が凄そうだ。
子供用とはいえ、マウンテンバイクでこれなら、久保や他の者達が選んだ自転車では、一発で故障してしまうだろう。
「ちょ、ちょっと。ウソだろ。相楽って自転車もイケちゃうの? やめてくれよ。上手過ぎだろそれ。信じられねぇ~よ。どんだけヤバイ刺客だよ」音輪が愚図る。
音輪はこの騎馬戦を、絶対的に得意としていて、この分野では志星館一を誇っていたようだ。先輩よりも上だと自負していた。
「マジか~。自転車もできるのか……」
志星館代表者達がやれやれと苦笑いする。
俺も自転車の運転技術を褒められるのは、素直に嬉しい。
練習してきた甲斐がある。
良治君に技術を教わりながら、黙々とこなしたけど、友達がいないから、誰にもお披露目することなく今日まできた。
友達がいない人は、こういった悩みが多いかもと、寂しい気持ちになった。
「ちょっと相楽君、ちょっとイイかな?」茨牧だ。
突然後ろから肩を叩かれびっくりした。
しかし、茨牧は凄く慌てた感じで俺を呼ぶ。
周りの者達も、どうかしたのかなとこっちを見てくる。
「どうしたの茨牧君? 落ち着いて、何かあったの?」
「実は――」茨牧が息を整える。
茨牧いわく、能條のことで専舞が荒れているようだ。
それは、敵である専智と昼食を取ったことで、裏切り行為だとかどうとか騒ぎになってしまったようだ。
生徒会も風紀もブス部も事情は知っているし、何度かこっちと接触もあったからそれらを止める側の立場で頑張ってはいるが、サバイバル部やラクロス部、軽音部など様々な立場の者が、ここぞとばかりに文芸部部長である能條を潰しにかかったようだ。
最終戦で負けたことも後押しし、一般の生徒達も炎上しているという。
彼氏とイチャイチャしてと。
それに能條自身が言っていたが、秩序や暗黙のルール的ことを破る子は嫌われると言っていた。……能條も分かっていたはずなのに、防げなかったのだろうか?
「わ、分かったけど、どうしよ、とりあえず行ってみようか」
俺はそういうと確保した自転車に乗ったままグランド端を回り、バックスタンド側へと向かった。
遠くからでも分かる混乱ぶりで、スタンドがごった返していた。
スタンドの下では、仲根と里見、それと、染若や滝沢などの代表でない女子達が見えた。スタンド上を覗きながら、どうしたものかと現場下へと近づく。
複数人が言い争っているようだ。
茨牧の速度に合わせて向かう。
着くまでにイイ打開策が浮かぶとは思えないけど、収める為には、素直に謝って円満に終えるしか方法はない気がする。
徐々に近づくと仲根や里見の遥か奥から、こっちへと向かって歩いてくる惣汰と航也の姿が見えた。
食事を終え、目立つ代表の服を着てる俺を見つけて寄って来たのかも知れない。ちなみに惣汰も航也も私服だからすぐに分かった。
俺も話したいことはある。
ゼェゼェと息の荒い茨牧を横に、現場下付近へ来た。
仲根や里見が状況説明する為にか、待ちきれずに小走りで寄る。
その時、上の方でドドドッと人が雪崩れる音がした。
「危ないから、ほらぁ、おさないで」柴谷が注意し、止めている。
その横で渡辺も必死に、風紀委員長として振る舞う。
柴谷と渡辺の間に能條がいる。なんとも言えない立ち位置だ。
後ろ姿の三人は表情が見えないが、押し寄せる他の生徒達の表情は厳しい。
相当な不満が滲んでいる。
能條がこういうトラブルに巻き込まれるのを見るのは、これで二度目だ。
一度目は夏のプールで、あの時も別の女子グループに絡まれ揉めていた。
俺は、女子しかいないスタンドへは上がれないだろうなと思った。下から大声で呼びかける訳にもいかず、謝るかどうかよりも、まずどうやって会話するかと思い戸惑っていた。
すると茨牧が、下から能條の背に声をかけた「大丈夫?」と。
その瞬間、先程と同じようにスタンド上の人が揺れた。俺はその波を見ていた。
「お~い、章和~、次の競技のさぁ――」左後ろから航也の声がする。
イヤな予感が走る。航也達の方へ振り向けない。スタンドを見上げたまま意識が自分の眉間へと潜っていく。なぜか分からないが誰かの姿が過る。
落ちる。この後……ドドドッと人が押し寄せ、その流れで誰かが落ちる。
俺はとっさに自転車を下りて、今見た落下地点へと走った。
まだ何も起きていないが、なぜだか、絶対にそうなると感じた。
いわゆるデジャヴだ。久々の感覚だ。
よくこんな感覚に襲われていた時期があった。一人で街を歩いている時に、来たこともない場所のはずなのにすでに知っている気がしたり。なぜかハッとした後、次に起こりそうなことが分かったり。
予知能力という感じではなく、あくまでデジャヴ。
何度もそんな感覚があり、その都度、選択になる。
浮かび見えたビジョンに身を任せて流すと、終わりまで流れるが、途中で思念を入れて、捻じ曲げたり、デジャヴかを確かめようと思考を巡らせると、途切れたり枝分かれしていく。
予感が本当になり怖くなることもあるし、絶対にそうなると思ったけど、ならなかったことも何度もあった。
頭が疲れていると起きる現象だと言われているけど、デジャヴを体験したことがある人は、脳の疲れや誤作動ではないと感じているはず、なぜならどこか予知的な要素が入っているからだ。
まだ起きてもいないことが、見たそのままに、遅れて起こることがある。
俺はスタンド上を見上げながら全力で走る。しかし、なかなかうまく動けない。意識はデジャヴのまま。
もしかしたら今見ている視界は、頭の中で描かれた世界かも知れない。
「あっ!」
やはり来た。誰かが落ちてきた。全て見た通りだ。
いや、感じたといった方が近い。
スタンドの人の流れも、すべてがすでに見た通りだ。
デジャヴが確信に変わった時、何とも言えない恐怖が走る。
デジャヴという言葉がここまで知られている以上、誰もが、何度も感じたことのあるものではと思うし、この現象は何? と本気で疑問になる。
それにしてもやけにスローモーションに場が流れていく。
一歩ずつ最短距離で目的地へと進む体。水中をかき分けるように空を裂く。
俺は、落下する女子が、渡辺花帆だと分かった。
凄くスローで考える余裕はあるが、このままでは歩数が足りないと察知した。
あと数歩進んでから飛び込むのでは間に合わない。
今すぐでないと距離もタイミングも合わないと感じた。
全てが感覚であり未知のことだけど、今はただ感じたままに動くしかない。
迷いは捨ててただ信じて動く……。
「くっ、ヌァッ」俺は思いっきりダイブした。
ファールボールを取りに行くように、スタート台から、勢いよくプールへダイブするように、思いっきり飛び込んだ。
すごくゆっくりと時間が流れる。飛んでいる時間も渡辺が落下している時間も、まるでコマ送りのよう。
誰かの悲鳴が聞こえる。スタンドのざわめきが聞こえる。
今頃? 渡辺の落下に、今、反応しているようだ。
大丈夫、必ず助けられる。ギリギリ間に合うとはっきり分かる。
俺は自分のデジャヴに、完全に乗れているしシンクロしていた。必ず届く。
頭から突っ込み、途中で反転した。俺の手が、腕が、体が渡辺を抱え込んだ。
そして卵をキャッチするように優しく、衝撃を吸収して逃がせるように動く。
野球やフリーランニングで覚えた感覚だ。
受け止めた俺の体が地面へとめり込んでいく。今まで感じたことも味わったこともない衝撃だ。
こめかみの奥で爆竹が破裂した感じがした。目や鼻の奥が焦げ臭い。
首筋の皮膚をピーラーで深く削がれていく感覚、脳が心臓のように鼓動を刻む。この感覚がなんなのかは分からないが怖い。
俺は渡辺を包み、地面から守ったことを重みで確認した。
「うわぁ、どうしよぅ、大丈夫? 何でこんなことに」茨牧の声がする。
「章和。おい、平気か? 嘘だろ? 無事か?」航也の声。
遠くで柴谷の声も聞こえる。能條や他の女子の声もする。
そのすべてがエコーがかっていて、耳の奥でうねっている。
「相楽君。怪我してない?」
「さ、佐伯?」
「うん」
黄緑色の光が焼き付いた視界から、視力が回復していく。
目はあいていたようだが、なにも見えなくなっていた。空が見え、そして渡辺が見え、次に佐伯と航也と惣汰が見えた。
「おい、この子も気が付いたぞ」
誰かが渡辺を引き起こすと、掛布団を剥がすように体から重みが消えた。
航也が渡辺に怪我はないかと尋ねると、大丈夫といって目を擦りだした。
一応かすり傷一つない感じだ。
ビックリして泣いている渡辺を見ながら、俺は体を起こそうとする。
……が凄く重い。そして激痛が走る。すると――。
「キャー。キャァー、て、手、相楽君の手が……。イヤー」
清水の驚く声がする。俺は皆の視線を辿るように自分の左腕を見た。
「げっ……」気持ち悪ぅ。
左腕の手首の少し上あたりが異様な形に変形していた。
腫れあがっているだけじゃなく、一目で折れていると分かるズレ具合。
初めての骨折で心臓がドキドキする。ついに俺も骨折してしまったと思った。
自分は骨が丈夫だから平気かと思っていたけど……ダメだった。人並みだった。
不安が襲ってくる。唾付けて治らないような怪我に焦る。
何をどうすればいいのか分からない。
もしかして入院や手術するのかもと不安だけが募る。
「章和。痛くないか?」惣汰が優しい声で心配してくれた。
「あっ、ウン。全然平気、大丈夫だよ」ゆっくり上半身を起こし、笑顔で答えた。
皆が心配しているのが分かるから、心配かけないように笑ってみせた。
「馬鹿やろっ。全然大丈夫じゃないだろ! 大丈夫、大丈夫ってお前は昔ッから。お前の大丈夫や平気って言葉で、本当に平気だったこと一度もねぇぞ」
惣汰が怒っている。航也も心配してくれている。
「相楽君。相楽君の友達が言うように、無理しないで。痛いでしょ? あまり動かさない方がいいよ。……顔が真っ青だよ」
仲根も心配してくれている。他に痛い所はないか尋ねて気遣ってくれた。
痛みはないが意識が朦朧としている。しっかりと考えたいのにボーッとする。
お爺ちゃんが酔ってる時と似てるかも……。
仲根が、顔色が悪いと言ってたけど、たぶんそれと関係があるのかも知れない。色々とこうして考えているが、本当の思考ではない気がする。
頬に力が入らない。瞼もやけに重く感じる。皆に心配かけたくないから、必死に笑って見せてるけど、上手に笑えてるだろうか?
「章和。乗れるか?」
しゃがんで背中を出す惣汰。隣で航也も同じような姿勢で俺を待つ。
「おんぶ?」
「早くしろ。病院までバイクで連れてってやるから」惣汰が微笑む。
惣汰の背中におぶさると、横っ腹に痛みが走り、空気が吸い込みづらくなった。左腕をだらりと下げながら背中に凭れて運ばれていく。
「惣汰……バイクの後ろに乗れないかも。手がさ、これじゃ」
「お前はホント、強いけど弱いンだから、もっと自分を大切にしろよな。ったく」
強いけど弱い。前にも同じことを惣汰に言われた記憶が微かにある。
どういう意味か未だに分からないけど、何度かそう言われた。
早歩きで歩く惣汰の背中でボーッとしていると「大丈夫相楽君?」と町下先生と体育科の先生が駆け寄ってきた。色々な者の声がする。
俺はただ、心配かけないようにだけ気を付けて笑うが、やはり上手く笑えない、というか自分じゃない気がした。
脳が痛みを遮断するついでに、思考や感覚も麻痺させているかのようだ。
ただ血の気が足りないだけかもしれないし、その血流が、あえてそうさせているのかも知れない。
気が付くとバイクではなく、この会場内にある医務室へと運ばれていた。
相変わらずボーッとしている。目の前ではドクターが俺の腕を診察して「これは折れているな」と改めて聞きたくないセリフをいう。
「とりあえず応急処置をしましょう。詳しくはレントゲンや――」
医師の先生に聞かれたことに受け答えしているが、意識とはかみ合っていない。まるでもう一人自分がいて、そいつが勝手に話しているようだった。
「君は、痛い所はない?」
柴谷に付き添われた渡辺が医師の診察を受ける。
どうやら、俺の体からはみ出た片足が、地面に軽く当たっていたようだ。
「腫れてはいないけど……、一応君も検査を受けて――」
完全には守り切れなかった。全身を包み込んだつもりだったけど、ダメだった。
専智学院の体育科の先生と、専舞女学園の学年主任の先生が、学校の催しである体育祭での怪我であると、書類に何かを記載していく。
「え~、それじゃこちらが専智学院の書類です。体育科大河内先生ですね。それでこちらが専舞女学園の書類となります――」
町下先生と体育科の代表である大河内先生が書類に目を通し、のちほど全て記入して相楽に渡すからと説明してくれた。
何でも怪我の費用は、全て学校が負担するようだ。
何となく返事をする俺は、専智は都立じゃないのにお金を出してくれるのかと、医務室の蛍光灯の光をボーッと見ていた。
必死に目を開けている俺がいる。
自分で大丈夫だと自分に言い聞かせている俺がいる。
そして、壊れてしまった腕が治るのか心配な俺がいた。




