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エンドロールでくちづけを  作者: セキド ワク
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二六話  プログラム 参



 激しいバトルの末、専舞と専智の女子対決は、球二個差で負けてしまった。

 松宮も小堀も凄く悔しそうだ。勝てそうで勝てない。


 松宮も小堀も、や、他の専智の女子代表も、凄く運動神経の良いということが、競技を見ていて分かった。しかしどうしても勝てない。

 専舞が一枚上手なのだ。


 具体的にいうと、粘りというか、負けず嫌い度の差がみえた。



 一方、第二軍である男子は圧倒的な差で負けてしまった。まさに、大人と子供の試合とでもいうべきものだったようだ。


 俺は女子の競技を見ていたので、それがどういうものだったか分からない。

 先生いわく、青柳先輩はまったくボールに触らせてもらえず、頑張る富永と菊地も徐々に避けられ、柏原先輩と市村先輩の集中攻撃となったようだ。


 もちろん最終的には、一人残らずズタボロにされイイ所は全くなくゲームセットとなった。


 先ほどから一言もしゃべっていない。



「いや~相楽君って凄いね。まるで忍者。よくあんなに避けれるよ。それに、あの手裏剣みたいな球、相手に吸い込まれてくみたいでヤバかった~」

 茨牧も仲根も興奮する。里見は俺の疲れを心配してくれていた。

「あと一つ、代表戦が終わったらさ、昼食だから。相楽君も、どうにか怪我なく、乗り切ってよ」

 仲根と里見が気遣ってくれる。俺もそれを聞いて、少しだけホッとする。


 町下先生やいつもの女子達も来た。

「もう大変。疲れた~」

 一般で戦ってる皆も相当キツイらしく、肘や膝にバンドエイドが貼られていた。


 トントンと肩を叩かれ、振り返ると佐伯がにっこりと笑う。

 お弁当持ってきたからねと微笑む。すると他の女子も寄ってきた。


「ズルいわよ。今日は皆で、でしょ。相楽君、皆のお弁当を突いてね。それにしても相楽君ってどうなってるの? 勉強できる子はスポーツできないって法則は?」

 そこに居る皆が笑う。

 馬鹿にされた笑いではなく、褒められていると気付き照れた。


 雑談しているとそこに、茨牧のガールフレンドが来た。

「茨牧君。あと少しでお昼だね。どうすればいいかな?」

 二人がどうしようかと悩んでいる。二人きりで食べるならさほど問題はなさそうだが、茨牧は俺や仲根とも食べようと考えているようだ。……それはややこしい。


「どうしよう。ねえ相楽君はどうしたらいいと思う?」

 茨牧がとんでもない質問を投げかける。

「茨牧君、それはさすがに~、無理かもね。ダメとかじゃなく、目立つよ。ほら、今だって。こっちも女子いるし、能條さんにも取り巻きがいるし……」

 仲根が困りながらそんな結論を導き出す。

 頭のイイ里見でも、これという案は出ないようだ。


 茨牧が悩んでいると――。

「これでウチの二連勝ね」専舞女学園、生徒会長、柴谷だ。

「ふん、見てなさい。次は負けないわ」小堀が吠える。

 試合前から口論があったらしく、終わった後も、そしてまた今も。


 女子にとって口論は、男のケンカと同等の意味がありそうだ。相手を言い負かすことにも深い意味や何かが感じられる。

 余談だが、口喧嘩の下手な惣汰が、彼女の伊部に言い負かされているところを、こっそりと見てみたい気もする。


「ところで相楽君、あなたは……、その、あの……、彼女さんっているのかしら? ちょっとウチの方で皆が訊くもんだから、ちょっとね。能條に尋ねたら、いない、なんてヘンテコなこというものだから、皆が騒いじゃって。……いるわよね?」

 柴谷が遠慮がちにいう。


 俺が今はいないと答えようとしたその時、松宮と椎名と佐伯が割り込んできた。他にも出遅れて何人か出てきた。

「もぅ~満員よ。これ以上は席ないわよ」

「相楽君も、そういうこと訊かれても答えないでね」

「そうですよ先輩。先輩がフリーだなんてバレたら、それこそ厄介ですから……」

「あっ、バカ。もう。凛は余計なことばっか口走って」

 椎名が鈴原を後ろへ引っ張る。


「どうやら、冗談かと思ったけど、まさか本当に。そぅ~」

 柴谷が意味ありげに頷いていると、そこへもう一人来た。

「また言い争ってるの? ダメって言ったでしょ。風紀委員として忠告します」

 渡辺が柴谷を止めにきたようだ。


 チラチラと渡辺と目が合う。柴谷と話しながら、こっちを見る仕草になぜか胸がざわざわと騒ぐ。何かは分からないけど、凄く意識してしまう。


「ホント、ごめんなさい迷惑をかけて。体育祭はあくまで学校行事なので、楽しく正々堂々と行いましょう」渡辺の言葉に、俺は深く頷き共感する。

 しかしウチの女子は「はぁ?」と言わんばかりの酷い対応だ。


 さすがにこれは俺も気まずい。もっとおしとやかにした方がいいと思う。


「こらこら、生徒会長と風紀委員長が、他校とモメちゃ~ダメっしょ~」

 誰だ? 見知らぬ生徒が割り込んできた。これまた専舞の生徒のようだが、代表の者ではない。普通の体操着だ。


「誰よアンタ? 代表でもないし、ザコがしゃしゃんないの」

 小堀が小馬鹿にして笑う。

「私? 申し遅れましたっ。専舞女学園、ブス部部長、()()(かわ)(ゆい)と申します。皆は唯ちゃんって呼んでくれてます。見ての通り、専舞で一番ブスです」

「それが何? 用ないから回れ右してお帰り」小堀が追い払う。

「そうはいかないわ。ウチのブス部も普段は、生徒会や風紀とは色々あってしょっちゅうモメてるけど、他校とトラブルの時は休戦なの。つまり、援護に来たわけ。あひゃ」

 妙な笑い方をする子だ。引き笑いしながら手を叩く。その周りの子も大笑いして手を叩く。女子高生というより、笑い方だけ見たらおばちゃんに見える。

 ……言い過ぎかな? 失敬(しっけい)


「ちょっと木藻皮さん、アンタがくるとややこしくなるから帰りなさい」

 渡辺が諭す。

 風紀が乱れると渡辺が納めようとするが、まったく聞く耳を持っていない。

 そこへ柴谷が、またも小堀と口論を始めようとした。更に木藻皮が割り込む。


「ちょっと、専智学院の女子がどれほどか確かめたいから、私と~、勝負しない? それに勝てたら大人しく散るわ」

 松宮や小堀が緊張して、勝負って何と尋ねた。

 すると木藻皮が『笑いよ』と微笑む。


 ブス部は基本なんでもありだけど、とりわけこの笑いというなんだか分からないそれで、専舞女学園では認められているようだ。良く分からないけど、そういう。

「笑い? 何それ。で、どうすればいいの?」

「簡単。今から私がしゃべりで笑わすから、あなた達はただじっと口を閉じて笑わなければいいわ。それが出来たらあなた達の勝ち。笑ったら負け」


 そんなの簡単だという。絶対に笑わないと自信満々だ。

 俺もそれを聞いて、自分が笑うとは思えない。


 専舞女学園がどういう学校かは知らないが、きっと木藻皮は、世間知らずの御嬢さんなのだろう。たぶんこの場の誰も笑わない。俺も笑わない。


「受けて立つわ」ウチの女子達が一斉に口をつぐむ。

 その顔をいきなり真似て、木藻皮も口をつぐんだ。まるで変顔。その瞬間、早くも脱落者を出した。恐ろしい。瞬殺だ。


 それにしてもなんて変顔……。お嫁に行く気ゼロだ。


「え~、それじゃまず、自己紹介からしましょうか。先ほど、ブス部の部長なんて偉そうなことを言ったけど、ついこの前まで同好会でした。ブス部同好会。ブスの同好会。ブスばっかで集まって、部になったらいいね~って。皆も、いいね~って集まり。ブス部」

 いきなり耐えきれなくて数人が脱落した。俺は笑わず真面目に聞いている。

 そうなんだ~と感心している。


「ブス部の活動は主に、美人の悪口を陰でいうかブスを生かして笑いを取る勉強をする。いわば社会に出た時の武器を磨く部ね。それじゃまず手始めにウチの先生のものまねをします。先生の名はミスタープードル。ではいきますね『いやあ、次の問題分かる者いらすか? ござらぬのか。それじゃそしらぬふりしたソナタ』と」

 敵味方関係なく脱落していく。俺は至って平穏にそれを聞いていく。


 茨牧も仲根もなぜか脱落している。里見は俺と同じく黙って聞いている。

 佐伯をみると残っていた。口をつぐみ、真面目な顔で聞いている。

 いや、耐えている。


「よく母性本能なんて実際にはないよね~、なんていう子がいるけど、母性本能は都市伝説じゃなくて実際あります。実は私も、最近までは感じたことなかったし、半信半疑だったけど、最近はよく感じる。母性の本能を。どんな時に感じるかな~ってことだけど、たとえば、テレビを家族で見てる時、画面隅に親の顔が反射して映ってる時とかあるでしょ、画面が暗くなったりしてさ、急にその(つら)が鮮明になったりして、そんな時、真剣にみてるんだな~って母性が出て来るでしょ?」

 バタバタと脱落していく。

 俺も里見もまったく平気だけど、なぜか皆は噴き出して座り込む。

 震えながら何かに耐えている。


 木藻皮が「皆も母性でちゃうでしょ?」という度に女子の閉ざした口元が出たり引っ込んだりしている。

 何がそんなにも面白いのだろう。画面に映る家族の顔……? 別に面白くない。面白いなんて思ったら失礼だ。

 あれ? 別に面白いと言っているわけじゃなくて、母性が出る、って言っているからいいのか。ん? なんだ母性って? 母乳? 


「他にも、こんな時、でちゃうわ。公園で、こんな小っちゃい子がさ、散歩中の犬見つけて、可愛いワンワンって近寄るンだけどさ、ホントはさ、超ビビッてるの。ビビッて触れないの。でも『可愛いネわんわん可愛いね』ってすげぇ顔してる時、出ちゃうわ母性が。ビビッてる形相(ぎょうそう)にくすぐられちゃうでしょ? 触れないのに。必死にアピールして。なんで~? って。他にも――」

 着実に皆が撃沈されていく。


 俺は笑いのセンスが合わないのか、クスッともしない。もちろんクスッとしたら負けだけど。


 尚も木藻皮は話し続け、あっという間に俺と里見以外の全てを倒した。

 話のネタはまだまだある感じだし、本気を出しているようにも見えない。

 底知れない話術の持ち主であることは確かだ。


「どう? これで分かったでしょ。絶対に笑わずにいられる自信があったら、またいつでも勝負してあげるわ。逆に私を笑わすのでも構わないけど、まぁそれはまず無理ね」

 木藻皮が勝ち誇る。松宮も小堀も笑ってしまったことで、グゥの音もでない。


 俺と里見が顔を見合わせ気まずそうにしている中、木藻皮の取り巻きが偉ぶる。ブス部は専舞だけじゃなく、すでに他の女子校にまで(とどろ)いていると。


 このブス部と生徒会と風紀が、どういう争いをしているかは分からないが、ますます専舞女学園という女子校が分からなくなった。

 というより『女子校』が分からなくなった。


 俺はふと、この勝負について変な感じがした。

 木藻皮は何かを勘違いしているのではと。

 確かににらめっこや笑わせっこで笑ったら負けだけど、笑わなかった……いや、笑えなかった俺と里見こそ負けたのではと。


 笑えた者こそセンスがイイのではと。


 それとも大した笑いじゃなくて俺と里見の勝ち? 誰もそのことに気付いてないけど、里見は気づいている感じだ。

 里見がこっそりとそのことを俺に伝えてきた。俺も、少し自分のセンスに自信を失くしかけたが、学校一頭の良い里見と一緒だから自信を持つことにした。


 笑えなかったンじゃない、これは「俺も里見君もさ、母性がないから笑わないンじゃないのかな? だって、一人っ子だし」と回答してみた。

 すると里見も手をポンと打ち「確かに~」と自信を取り戻した。

 これなら姉妹のいる茨牧や仲根が笑ったのも、ギリ頷ける。めでたし。



「あら? もしかして~ユイモちゃん?」

「え? ……だれ?」

「私、ミズミズですけど……。ユイモちゃんでしょ?」清水だ。

 木藻皮がいきなり取り乱したように慌てる。


「え、え? もしかしてアズキングの飼い主のあのミズミズさん? うそ、神だ。神。うそ~。ヤダ~。本当だッ、よく見たら本物のミズミズだよぅ。私、超~調子ノッてた~。恥ずかしい。神の通う学校だったのか、あっ、そうかセンチメンタルハイスクールってそういう意味だったのか~」

 木藻皮が訳の分からないことを言ってパニクッている。

 そこへ清水が話しかける。木藻皮の取り巻きもなぜか清水にひれ伏している。

 それがどういうワケかは分からないけど、清水を神だと思っているようだ。


 ネットという言葉がでてようやくピンときた。そう言えば前に、誰かが、清水がネットでアイドルみたいなことをしているっていっていた。

 それと何か関係あるのかも知れない。


「ホント、ミズミズさんの『ブスが生き抜く』のコーナーとかいつも楽しみにしてました。虐め撃退大喜利とか、ブスがモテ女に勝つ言動、ブスが引き立つモテ仕草講座――」

 まったく意味の分からない会話がなされていく。

 しかし、木藻皮の目が、清水に憧れているのは分かる。


 そして、この場の全てがお流れになった。


 相変わらず忙しく時間が流れる。

 祭り独特の目まぐるしさで一時も休まる感じがない。

 なにかの出来事が起こるにしろ、もっと落ち着いた流れがほしい。



「相楽君、お疲れ様です。次ぎ終わったらお昼だね」清水がにっこりと笑う。

 木藻皮がこの方が例のアズキの生みの親ですかとまたも分からないことをいう。

「先ほどは申し訳ありませんでした。相楽様がミズミズの焦がれの君とは知らず、空気読めなくて本当にごめんなさい」

 深く頭を下げる木藻皮。俺はよく分からないけど、大丈夫だよと微笑んだ。

 すると木藻皮が「ブスにはもったいないお言葉です」とお辞儀してきた。

 取り巻きなのかブス部なのか分からないが、相楽様はブスにもお優しいのですねとこれまた会釈する。


 生徒達がグランドに溢れてにぎやかになってきた。

 遠くでは次の競技の用意の為か、パイプを組む音や作業する者達の声がする。

 どうやらプロの業者が入っているようだ。

 鉄板を置く音やビスを回す機械音もする。俺はそれが気になり覗こうとするが、周りにいる女子に阻まれうまく見えない。


「あの~、相楽君。さっきは凄かったです。それだけ、言いたくて……」渡辺だ。

「ありがとう。渡辺さんも球入れ……凄かったです」

 お互いにどうもと呟き、照れる。すると、佐伯が服を引っ張ってきた。知り合いなのと。俺は知り合いではないと答えた。


 佐伯が怪訝(けげん)そうな目で俺を見つめる。誰かと話していてもこんな態度は取らないはずの佐伯が、今日は少し不思議だ。


 下から見上げてくる佐伯。やはり胸の奥がキュンとくる。間違いなく恋の痛みや刺激と感じる。愛しくて守りたくなる。

 何となくそのまま見ていると、後ろから俺の肩をトントンと優しくノックする。振り返ると渡辺が「それじゃ、私、行きますね」そういって微笑んだ。


 やはり俺は渡辺を魅力的だと感じている。うまくは言えないが、一つは分かる。それは目尻だ。スッと垂れて抜けるラインとまつ毛。誰かに似ている。

 何度か見てはっきりと分かった。


 目の感じが錦戸美織さん、美織先生に似ているのだ。あの優しい目に。

 全体的にはまったく違うのに、目尻が美麗(びれい)で優しい。


 まだ謝れていない。それが理由なのか? 俺にとって美織先生は、お姉ちゃんであり先生であり、虐めで傷ついた俺を唯一優しく癒してくれる天使だった。

 だから居なくなったあと、苦し紛れに、お母さんになってもらおうとお父さんにせがんだ。


 この渡辺の目尻が似ているから、なんだというのだ?

 それが俺にとってなんだというのだろう。

 もう虐められることもなくなったし、勉強も一人で出来るようになった。

 確かに前は何度も会いたいと思ったし甘えたいとも思った。

 頭を撫でて褒めて欲しくて……、でも渡辺は美織さんじゃない。


 それに美織さんを慕う気持ちは恋じゃない! それだけははっきりと分かる。


 遠ざかる渡辺の背中をただ見つめる。

 周りでは、専舞と専智の女子が軽い口論をしている。そんな中、清水と木藻皮が楽しそうに話し、茨牧と能條も仲良く笑って紛れている。


 俺は佐伯の隣でこの広いグランドを眺めた。多くの者がはしゃぎ祭りだと騒ぐ。遠ざかる渡辺からぐるりと見渡すと、ある場所で目が留まる。

 そこには志星館が居た。


「なんだよこの様は。こんなんでこの先、他のトコとやれんのか? ウチはこの先まだまだ戦いあんだぞ。お前等だってそれくらい知ってるだろ? 俺ら三年は出れねぇんだぞ。この冬の連合体育祭……これじゃ負けるぞ」

「シタッ」外園が先輩に頭を下げる。


「志星館日体、部訓。其の一、相手の奇跡そのものごと倒せ。其の二、会場に潜む魔物さえ倒せ。其の三、偉人の辞書に不可能の文字を刻み込め。其の四、相手に、リベンジしたくないと吐かせろ。其の五、志星館に入学しなかったことを、絶望と共に後悔させろ。其の六……」

 とんでもない言葉が飛び交っている。

 志星館という所もまた俺には計り知れない。けれど、専舞女学園にしても志星館日体にしても、まちがいなく絵になる学校だ。


 ウチは勉強ばかりだけど、専舞も志星館も生徒が生き生きしている。

 大体うちは、生徒会とか風紀とかさえよく分からない。

 選挙はある、でも、それがいつかも分からないし、盛り上がってもいない。

 立候補してまでやりたがってるとも思えない。


 髪の毛や服装などの校則もゆるゆるだし、唯一誇れると言えば、勉強くらいだ。でも、それでさえ、仲根いわく専舞女学園の方が上だとか言ってた気がする。


 溢れる生徒を見て、一般生徒による午前の競技は終わったの? と佐伯に聞いてみた。と、その通りだということが分かった。後は代表者による競技だけだ。


 次の競技の準備に大分時間が掛かっているようだ。

 グランドを離れトイレへと向かう。迷子になりそうな賑わいの中ただ歩く。

 皆がこっちをチラチラと見てくる。

 トイレを済ませた後、軽く(たたず)んでいると、そこへ志星館の代表者が現れた。


「よぉ相楽。お前のおかげで先輩に指導されちまったよ。ま、愚痴ってもしょうがないか。それにしても、お前はヤバイよ。あ、これ一応褒め言葉だからさ」

 そういって周防要と駒衛歩がトイレの方へと歩いて行った。

 更にそこへ向坂陸斗が来た。俺はそれとなく会釈すると、向こうも気まずそうにそれに返してくれた。


 向坂がふと立ち止まり、本当に部活してないのかと訊いてきた。

 俺は頷くが、袖から出ている腕や脚などを品定めし、嘘だろと笑う。俺がこれはバイトでというと、大笑いされた。


「そんな綺麗な筋肉つくバイトあるなら、俺にも紹介してくれよ」

 俺も思わずつられて笑った。

 何となく話す中、先ほどの競技の話になった。どんなルールで、何回したことがあるのかなど。すると意外なことが分かった。

 今回の代表者競技の全ては、志星館側の案ではなく、志星館が参加予定の、連合体育祭というイベントで行われている競技らしい。


 二年に一度、季節を問わずに開かれるようだ。季節があやふやなのは、他校とのスケジュール調整が関係しているとか。


「真夏に行われる時は、水中競技もいくつかあるぜ。さっきの母校の誇りも――」

 向坂が言うには、あの競技は、腰までの水位のプールで行われる競技で、ボールを当てるか頭に被ったネット帽を取るかだという。

 水中に逃げ込むからボールを当てる者はモグラ叩きのようになるらしい。

 水中ではボールに対しては無敵だが、帽子は取れやすく、また息継ぎを狙われるらしい。水中を移動する者と平常移動とに分かられて自分の陣地へ旗を運ぶ。

 水中ではスローだが、パスやチームワークや作戦が重要になってくるらしい。


 話を聞いただけではイマイチ分かりづらい。やはり実際に試してみないと。

 ただ、その競技が過酷なのは分かる。


「連合体育祭ですか……」

「随分と他人事みたいだな? 初めて聞いたみたいな顔して。専智の先生だって、知ってる人はいるはずだぜ。まぁ、関係ないっちゃそうかも知れないけど、でも、相楽、お前は最低でも他人事じゃなくなるぜ」向坂が不敵に笑う。

 他人事じゃなくなる? どういう意味だろ。


「それじゃ俺もトイレ行っときたいから。次の競技も出るだろ相楽。そン時な」

 向坂は急いでトイレへと走って行った。漏れそうだったのか、集合場所に遅れると先輩に指導されるのか、凄いダッシュだ。


 俺はグランドへと戻る。すると先ほどまでの賑わいが落ち着き、ほとんどの生徒が客席へと移動している。代表者だけがいる感じだ。

 アナウンスでも流れたのだろうか? いや、それなら聞こえるはず。



「それではただいまより、志星館と専智学院による第四ラウンド、障害物レースを行います。選手の者は所定の位置へお越し下さい」

 先生が専智の代表者をすべて集めた。


「え~っと、これに限っては第二軍も参加だから。それと、ランナーとして走るのは……五人だな」

「先生。走るのが五人で後はなんですか? 誰が走るんですか?」富永が問う。

「走るのは、速い順で行けば、やはり相楽。次が久保か富永。次いで、泉橋と安住なんだが、ここは月城と三好で行こうと思う」

 久保が先輩はと訊くと、向こうのランナーは全て二年だし、代表から選ぶなら、そういうことになると、第二軍である青柳先輩らを見る。

 先輩方は気まずそうに下を向く。それを見て久保も分かりましたと頷いた。


「ルール説明はアナウンスで聞いてくれ。先生はこの選手チェック表を本部へ届けてくるから。それじゃ、スタート位置へ向かってくれ」

 慌ただしくイベントは続き、先生もまた急ぎ足で走って行く。




「それでは競技の説明を致します」アナウンスが流れた。

 一周二百メートルのトラック。メインスタンド前からスタートして、約四分の三走ったサイドスタンド前カーブで、中央エリアへと入る。

 そこから直線を走りゴールラインを切る。


 コースの説明の後、選手の説明が始まった。

 志星館、専智学院ともにランナーは五人。

 そして、第二軍は、ランナーを妨害するガードと。


 ランナーは両肩に()り付けた鉢巻(はちまき)のようなそれを、背中へと回し、()らす。

 たなびくそれを取られた時点で失格となる。

 ガードは進行の邪魔をしてタイムを遅らすか、背中に垂れる二本のそれを奪って退場にするかのどちらかだ。

 レースの妨害が目的なので、タックルや掴む行為は当然禁止。


「選手の紹介を致します。志星館日体、ランナー、外園悠生。向坂陸斗。袈羽零。駒衛歩。周防要。ガードは、片桐(かたぎり)(なお)(まさ)仙堂(せんどう)(ひで)(たけ)深寺(ふかでら)(じん)田所(たどころ)朋兵(ともむね)(ゆき)(みね)(れん)()。以上十名。専智学院、ランナー、相楽章和。久保真。富永凌。月城明。三好啓修。ガード、青柳翔一。柏原純。市村貴之。泉橋一樹。安住祐太。以上」


 ランナーとガードは二手に分けられて歩いて行く。


「な、なんだよこれ? こんなの無理だろ。ウソだろこれ」久保が驚き見上げる。

 俺は、遠くから見てもなんとなくコースのヤバさには気づいていた。

 組み立てる時の音も気になっていたし、障害物レースとアナウンスが流れた時、至る所にあるすべてが一つの競技で使われる物だと予感していた。


 まるでアスレチック。


「さすがにこれは驚きだ。結構手の込んだ感じだな」外園が腕組みする。

 袈羽と駒衛がいつものことだろと笑う。

 両肩にマジックテープで長いリボンを貼り付けながら、向坂が俺の横へときた。

「やっぱ来たか。ただウチのガードは最悪だぜ。残念だったな相楽」

 笑う向坂を横目に、俺も渡された鉢巻的な物を貼る。

 鎖骨から後ろへと回し垂らす。


「相楽君、作戦的なのってあるの?」月城が尋ねる。

 そんなものはない。一目見て分かるが、これはただの運動能力の問題だ。


 これがただのレースなら、スタミナの温存だとか色々とアドバイスしてあげれるけど、この障害物競走は普通じゃない。言ってあげれることは一つ。

「皆、無理して怪我しないようにね。これ危ないと思うから。それに相手のガード役は最悪なんだって。作戦といえるか分からないけど、怪我に注意して、かな」

「なんか相楽君って……優しいね」三好が微笑む。

 月城もそれに頷く。俺は突然の三好のセリフに恥ずかしくなった。


 久保と富永がビビリながらも手首足首をほぐし柔軟する。俺も一応柔軟した。


「オ~イ章和~。負けるなよ~」航也だ。

「そうだゾ章和。格の違いを見せてやれよ」惣汰だ。

 メインスタンド側で大きく両手を振る二人。それを代表のランナーが見る。

 観客席の者達も二人を見ている。きっとガードの者達も見ているはず。

 凄く目立つ二人。


「章和。ビビんなよ~。俺達がついてるだろ~俺達が」航也。

 恥ずかしさよりも熱い言葉だ。胸がジリジリとする。

 さっきの競技で専智が……、俺が負けたから応援してくれているんだ。

 それに、ウチの学校だけあまり応援がないし。


 俺はもう一度障害物コースを見る。本当にヤバイ。怪我するかも知れない。


 怖いなら止めとけ。それが良治君の口癖だ。俺はいつも良治君が宙を舞うのを、ただカッコいいなと思いながら見ていた。遠ざかる背中をただ。

 最初は何も出来なくて、低い所で真似していた。

 そんな時、良治君がぽそりと俺に言ったんだ「章和、俺がこのフリーランニングを好きなのはさ、誰にも捕まらない翼っていうか、争いとは違う、逃げるっていう方法もありかなってさ」と。


 誰にも捕まらないし、誰も俺を止められない。

 あの時の俺には、その翼が一番欲しいと感じていた。

 どんな虐めからも、嫌な奴からも逃げ回れる翼。

 それさえあれば、もう誰とも争わないでいられると本気で思った。

 そして、必死で練習して、俺なりの羽を手に入れた。


 良治君の比ではないけど、小さな翼だけど、俺はそれを持っている。


 俺の背中に羽が見えるだろ、と良治君が笑うのが大好きで、俺も鏡の前でたまに真似して言っていた。ラップを愛する良治君の言葉はたまに痺れる。

 良治君の人生が大変だったのは分かる。俺の想像の遥か上の苦しみだとも思う。


 良治君、俺の背中に本当に翼はありますか? 俺はこのレースで飛べますか?


『信じろ章和。しっかりと練習した(なみだ)は、お前を裏切らない。他人がお前を裏切っても、お前は自分を裏切るな。微かでも可能性があるなら、あとは信じるだけだ』

 昔、練習中に良治君がそう教えてくれた。


 不可能じゃなければいけると良治君は言った。……信じて集中するだけ。


 手を振る航也と惣汰に手を振り返し、俺はそのまま、その手を真上に挙げ、空を指さした。

 これが俺にとっての予告ホームランであり、惣汰と航也への、頑張るという意思表示だ。


「俺の背中には羽がある」そっと自分に呟いた。

 その瞬間、皆が一斉に俺の方へ振り返る。そして、客席からもどよめきと歓声が沸き上がった。


 え? もしかして俺、大声で言った? いやいや、小声だし、客席にまでは届くはずない。あまりの歓声に急に焦った。



「随分とド派手な宣戦布告だな相楽。それは一番になるって意味でいいのかな?」

 外園が口元を釣り上げた。その横で袈羽も目を細めた。駒衛も周防も向坂も闘志剥き出している。先ほどの余裕がまるで見えない。

 完全に俺を敵とみなしている。


 さっきまではどこか格下を相手にしているというか、専智だろという色が見えていたけど、今目の前にいるそれらの顔に、そういう手加減は微塵もない。

 本気で俺を叩き潰す気迫の目だ。


「お前等、この競技で相楽に負けるようなら、俺は、この前のスタークラウンは、返上する。相楽に負けて志星館最強の証は名乗れない」

 外園の言葉に、他の四人が少し驚く。だか、その後すぐ、当然だなと笑う。


「何せ相楽は本当に帰宅部らしいし、それに、特進クラスってのも本当だ。ウチの顧問がちゃんと裏とってきた。……ったくよ」周防が口ごもる。


 志星館の殺気が場内を包むほど吹き上がる。

 さっきまでの援団の声が止み、なぜか管楽器が入った。音のする方を見ると代表の服を着た(おと)()()()がいた。大きなバスドラムに合わせて勇ましく管楽器を吹く。

 背筋がゾワッとするほどカッコいい曲だ。――本気になったのかも。



「それではランナーの者は、スタートラインについて下さい。ただ今より、障害物レースを行います」

 審判がスタート位置でピストルを構える。

 俺はインコースではなく、少し外側に外れた。


 ゴタゴタした状態で、ぶつかりたくない。接触事故は怪我の元。


「用意……スタート!」パンッという音が鼓膜を揺らした。

 一斉に走り出す。


 スタートからゴールまでの距離は、約二百メートル強。

 しかし、様々な障害物からいってスタミナ配分は必至(ひっし)だ。わざわざ作戦として、月城や三好にアドバイスすることではないが、俺にとっては死活問題だ。


 周防と向坂と富永を先頭に、最初の障害物へと入る。ついで外園と駒衛と久保と袈羽が続く。俺と月城と三好が最終組だ。


 目の前には、複雑に組まれたパイプにネットが敷いてある。


「ただいま選手が挑んでいるのは、エム&ダブリューです。山あり谷ありの――」

 アナウンス? 実況?


 俺もついに障害物へと来た。

 すぐ目の前では(ひざまず)きネットを進む久保の背中がある。

 俺は走ってきたスピードを殺さず、そのままネットを無視して飛び込む。

 結び目やパイプの骨組みを跳ねる。たまに手をつき猿のように進む。

 次の次を想定して、一気に、止まらずに手足を乗せていく。

 あっという間に先頭の向坂を抜いた。


 俺と皆とでは速度がまるっきり違う。そして、絶対に止まったりしない。


 この障害物は高さもあり、アルファベットのMとWの形に波打っている。

 そして徐々に高くなっていく。


 揺れるネットに足を取られないように、モンキースタイルで跳ねる。

 良治君に教わった、フリーランニングの基礎中の基礎。


 ダブリューの最後の所には数本のパイプがあり、それを伝い、スルスルと下りるようになっている。高さは二階のベランダより少し高く感じる。

 俺はそのパイプを使わないつもりだ。


 ――速度は変えない。


 集中したままその場所まで来た。俺は手をつき、端へとスライディングして後ろを向く、そしてそこから一気にバク宙をした。空中で景色が回る。

 ざわついていた会場が、一気にシーンと静まる。

 心地良い風が俺にまとわりつく。飛んだ瞬間、物凄く重い重力が、体や肺を押し潰してくる。誰かに強く抱きしめられているような、いつもの感覚。


 良治君に教わったベクトルの矢印を、全身で作り出す。

 矢印が地面に向けば、即死だ。矢印は進む先へと向けなければいけない。


 地面に着地すると同時に、モモと腰のバネを使い後ろへとフッ飛ぶ。更に転がり勢いを使い切る。

 首を曲げ、肩と背中、膝と手で丸まり転がる。そして、ボールから元の人型へと戻りそのまま止まらずランニングする。早くもなく遅くもなく。俺の羽の速度で。


 次の障害物に向かうと、突然会場内が歓声で爆発した。

 びっくりして、俺はキョロキョロと周りを見渡した。それが俺に向けられたものだと感覚で分かり、ひと安心する。

 だが、雑念は危ないので、フリーランニングに集中することにした。


 落ち着いて様々な移動パターンを思い描く。本当なら何度か試した方がより速くカッコよく舞えるのだけど、このぶっつけ本番、最高に痺れる。


 バイクも好きだけど、このフリーランニングはもっと好きだ。

 良治君や色々な凄いランナーの人みたく、飛びたくて憧れた。俺もこの世界を、自由に舞いたいと。虐めの届かない彼方へ。

 今この会場にいる人は、俺の羽が見えてるかな? 俺の伸ばした羽が!



「先頭は断トツで専智学院の相楽章和選手です。次の障害物手前にはガードが待ち構えております。ガードは深寺仁選手です。それを抜けると跳び箱ステップになります。(でこ)あり(ぼこ)ありの――」


 ガードか。三年生。確か向坂が最悪だって言ってたな。

 俺にこの先輩を抜くことが出来るのか?


 バスケ部だろうか……、ラグビー部かもしれない。怖い。

 ……ダメだ信じろ、スピードを緩めるな。集中するんだ。


 サッカーやバスケのドリブルで相手を抜く時、相手とボールの間に自分の本体を入れる。それはボールが全てだから……、つまり今は背中でなびくリボンが全て。

 余計な動作は要らない。相手の指先だけに集中して、背中は見せない。


 俺は深寺に向かい真っ直ぐ突っ込む。相手の驚いた表情がはっきりと分かる。

 俺に操れる羽の速度で敵へと直進した。


 相手が避けなければ、お互いにぶつかる。しかし深寺は、避けるどころか、鎖骨目がけて手を伸ばしてきた。

 ビビッて瞬きしてもいいところだが、そんな臆するところはない。

 的確に伸びる指先。俺はそれを下から上へと持ち上げるように流し、体が触れるギリギリの距離で横に流れた。


 対面した状態ですり抜ける。しかし、抜けきるはずの俺に、ピタリと張り付き、マークしてくる。凄まじい。


 俺は勢いを殺さず、飛び込み前転して、更に加速を試みた。

 ほぼ静止状態でブロックしてくる敵は、スピードに乗ったままの俺の逃げ動作に追いつけず、ガードの守備エリア内を無事に抜けられた。


 耳元に「ナイス相楽君」と柏原先輩の声がした。


 振り返る余裕はない。

 目の前には20と書かれた跳び箱が、壁のようにずらりと並んでいる。

 一列に隙間なく並び、その足元にはロイター板も並んでいる。

 高さは二メートル五十位だろうか。


 跳び箱として普通に飛び越えるのは、俺のフィジカルでは無理そうだが、フリーランニングとしては、差ほど苦ではない高さだ。踏み切り板もあるし。


 羽を広げ、ロイター板を蹴るように踏みつけ、飛び上がると同時に跳び箱の壁面を逆の足で蹴り下げる。自分が思っていた場所より遥か高い位置に体があがる。

 手をかけて上ろうと思ったが、想定外に手をつかずあがれてしまった。

 驚くべきロイター板。


 跳び箱の上へとくると、デコボコと不揃いに跳び箱が置かれている。公園や庭園にある飛び石と同じで、この上だけを進めということだ。


 距離も高さもメチャクチャで、ヘタすれば大怪我をする。しかし――。

 俺は止まらず、速度も緩めず、猿が跳ね回るように、手も使い全身で進む。

 ぶっつけ本番だけあって、先が読み取りづらい。ギリギリだ。


 こういった飛び石なら、本当は、ぴょんぴょんと跳ねるウサギのように舞うのがセオリーだが、俺は格好付ける余裕がない、なので基本に忠実なモンキースタイルでいく。


 必死に先を読みどうにか飛び石を抜けた。真下にはマットが見えるが、俺はその分厚いマットの遥か向こうへとジャンプする。三メートルといった高さだ。


 正面に飛翔し、しっかりとタイミングを取る。

 足裏が地面に触れたら、勢いに逆らわず、太股のサスペンションだけを頼りに、ベクトルを前方へと向け、首を左横へ曲げ右肩から前転する。

 しっかりと左手と右肘でフォローして丸になる。

 膝を付き勢いを殺さずそのまま立ち上がり走り続ける。止まったりはしない。


 空中を浮遊するように、無重力のエアーを体に宿す。


 走りながら会場の歓声を感じる。そして初めて無重力を感じた時を思い出す。

 あの時は本当に不思議だった。どんな感じかといえば、人が不意に転ぶ瞬間の、あのスッと消える刹那が続く感じだ。重力の常識を覆すように。


 俺は良治君に、フリーランニングなんて難しいことがこんな俺でも出来るのかと訊いたことがある。すると良治君は迷わず言った。

『章和だけじゃなく、練習すれば誰にだって出来る』と。出来るレベルや範囲は、個人差が出るだろうけど、太っていようが女性だろうが、真面目に練習するなら、必ずできると。


 これはちゃんとした技であって、生まれ持っての不平等な能力じゃないと。

 誰にでもできる、絶対になと。


 正面に敵が見える。

「この先は、志星館ガード、()(どころ)朋兵(ともむね)選手が待っております。そこを抜けますと、スネークパイプ&モグラトンネルになります」


 田所って人デカいな。絶対に格闘技系だ。柔道部? アメフト部でもあるのか?


 さっきと同じでは抜けないだろう。正直危なかった。

 まさか、すり抜けた後に、あそこまで食いつかれるとは思わなかった……。

 ネタバレしている今、同じ回避では危険過ぎる。


 深寺と田所ではどっちが上か? 当然、田所と想定しないとダメだ。


 速度を緩めず敵目がけて突っ走る。向こうはやはり待ち構えている。腰を落とし軽く上下に揺れている。よく見れば俺の揺れとピッタリ合ってる。

 すでにタイミングを合わせられている。

 誰かが言ってたように、最悪の化け物かもしれない。


 怖い。俺に抜けるのか?

 守るのは鎖骨辺りと背中。でも、完全に俺の動きは捉えられている。


 やるしかない。一か八かあの技を。

 俺は相手の手前四歩といった所から、思いっきり股下へと滑り込んだ。

 案の定、完璧に俺の動きは読まれていて、覆い被さってきた。


 今から何をされるか知っていてもなお難しいはずのそれを、田所は俺の動きだけを見て合わせてきている。化け物だ。


 しかし俺の狙いは、股の下を抜ける技じゃない。俺の狙いは――これだ。


 立ち塞がっていた熊が、四つんばいになり俺を覆い襲う。

 俺はスライディングした体勢から足を引き戻し、膝を折り曲げる。そこから一気に真上へと高くジャンプした。

 勢い余って田所の(けん)甲骨(こうこつ)辺りに手をついてしまった。

 本当ならば頭につく予定だったが、思ったよりも速度が付いていたことと、敵が立ち上がる反応が、予想より遥かに遅かったからだろう。


 沈んだ体を上半身だけで持ち上げるのと、飛び上がる為に沈んだ俺との差だ。

 とはいえ田所は、俺に被さる気満々での前傾姿勢から、こうして反応できたこと自体ありえない。


 敵の背中で一回転して、俺はそのまま走り抜けた。止まることなく。

 そう、俺の狙いは袈羽が一本橋で俺にしたあの技だ。

 横回りがダメなら縦、単純な発想だ。


 自信はあった、これもまた金網などのフェンスでやる、様々な飛び越え方の一種だから。野球で使うスライディングからの一手。


 技が決まりどうにか抜けれたが、横をすり抜けるのはやはり無理だったのかもと思った。田所の動きといい、完全にタイミングを盗まれていた。



 ガードエリア内を抜けると、そこにはドラム缶くらいの、アクリルか何かの筒が口を開けていた。

 立て看板には、スネークの体内を通るか、背中を通るかと書かれていた。

 俺は追いつかれては困るから、蛇の背を選んだ。


 蛇は全部で四匹いる。端っこは怖いから、中央の二つの内のスタンドに近い右側を選んだ。

 蛇の背に乗るとアクリルに二本の赤い線が引かれていた。この(みち)(しるべ)が無かったらとてもじゃないけど、透けていて進めないかも知れない。


 なるべく速度を緩めずに進む。手をつきながらモンキースタイルで。

 こここそウサギのように跳ね回れる一本道なのだが、怖い。良治君に見られたら笑われる。


 体内を進むより数倍、や、数十倍速い。しかし、クネクネと蛇のようにうねり、更に徐々に高さを増していく道。落ちたらシャレにならない。

 下にはほとんどマットもない。所々にあるが、どこで足を滑らすか分かったもんじゃない。


 体内を進む選手が観客に見えるようにする為か、選手への罰か、この透明な床は地獄だ。仕事で高さに慣れている俺でも、透け過ぎていて怖い。


 どんどんと高さを増し、一本橋と同じ位の高さまできた。

 さっきまでの障害物は、三メートルクラスだったが、一気に五メートル級だ。

 しかもこの丸みを帯びた筒。辛うじて背の部分が平らになっているが、手をつく横部分はツルツル。


 横のスネークを見て、隣の方がうねりも緩やかで楽なのではと思う。

 これが俗にいう、隣の芝生は何とやら現象かもしれない。


 必死に上りつめると、高台の広場に出た。今度はここから下りるようだ。

 またも看板があり、そこにはモグラの穴と書かれていた。

 好きな穴を選ぶようにと。

 注意事項として、危ないので上を通ることは禁止。一方通行なので、後ろ向きに下りることも禁止。となっていた。

 つまり上の通路はない。強制的に体内というかモグラトンネルというわけだ。


 俺は運を天に任せ、四つある穴の内の一番スタンド側を選んだ。目立ちたいからではなく、窮屈な所が苦手なのだ。少しでも人の気配を感じたい。臆病者なのだ。


 先程のアクリルとは違い、鉄のリングがネットによって幾つにも連なっている。地面から固定してあるパイプの柱が少なく、動く度にグニャグニャと揺れる。

 ネットのトンネル。


 真っ逆さまに降りるこのトンネルは想像以上にキツイ。しっかりとネットを掴み足も固定しないと、もし体を少しでも滑らしたら、腕や顔の皮をネットで擦り剥き兼ねない。

 慎重に降りる。


 今さっき居た高台までは走り通しだったから、いい箸休めになる。


 ようやく下まで着くと俺はトンネルから這い出る。やってみて分かったが、後ろ向きだと大したトンネルではないのかも知れない。

 ただ頭から突っ込むのは乳酸(にゅうさん)地獄だ。


 トンネルを出てすぐに敵が見える。がしかし、敵よりもアナウンスよりも先に、目の前にとんでもない障害物が見えた。

 それは大きくカーブしているコース部分、そこが斜めの坂になっていた。

 競輪のコースのよう。つまりバンクコースだ。

 そして坂の下には、どう見てもプールでしょと分かるものが牙を剥いている。



「さあ、続きまして、相楽選手の前に立ち塞がるガードは、雪峰連次選手。それを抜けるとウッドスライダースプラッシュが待っています。カーブに合わせて大きくバンクした坂に加え、下にはクールミント入りの入浴剤プールが――」

 あ~。あ? クールミント?


 雪峰。柔軟しながら俺を見てくる。

 指を組み、手首をほぐしながら俺を待っている。絶対に行きたくない。

 怖そうな先輩だ。

 もうさっきの大技なんて絶対にやらせてくれない。徐々に強くなっていくワケではないだろうけど、たぶん深寺も田所も同じことは二度通じないと思う。

 よってこの雪峰にも通じない、ということになる。


 俺は一体どうやってこの垂れたリボンを守ったらいい。たぶん、いや、絶対相手の方がフットワークもクイックも上手いし速い。さっきからずっと分かってたことだけど、タックル有りやボール有りのスポーツなら、まず雲泥の差だろう。

 抜けるはずがない。


 俺は志星館代表の二年が相手でも、誰にも勝てない気がする。腕相撲で、握った瞬間に相手の強さが分かるように、手に取るように分かる。


 ノロノロと迷いながら進む。しかしこの速度ではあのカーブを曲がりきれない、かも知れない。それにこんな遅くては絶対雪峰を抜けない。

 俺に勝機があるとすれば、全速力で突破するくらいしないと無理。


 そうだ! イイことを思いついた。


 俺は覚悟を決めて思いっきり走り始めた。羽の速度を遥かに超えて短距離の領域で走る。五十メートルを五秒台で走る速度だ。


 スタートして一瞬で雪峰の前にきた。俺は軽く横へずれてそのまま駆け抜けた。避けたのは俺だ。ただ避けることだけに集中してギリギリで右へと避けた。

 あのままぶつかっていたら二人とも死んでいるかもしれない。けど雪峰は臆することなく俺のリボンを奪いにきた。

 命知らずなのか、それとも、俺が避けると分かっていたのか定かではないけど、どちらにしろ頭のねじが取れているに違いない。


 余裕で俺のリボンを狙っていた。確実に俺の背中を仕留めにきた。

 服を(つま)まれ引っ張られた感触が残っている。驚きくべき運動神経だ。

 勝てる訳がない。

 まるで荒れ狂う闘牛を仕留める、マタドールのようだった。


 背中に残る余韻にゾッとする。でも、雪峰の方がもっと驚いているはずだ。

 なにせ俺の背中から一瞬にしてリボンが消えたのだから。まさに消える魔球。

 何をしたかというと――。


 俺は全力で走り、雪峰の動きを見ながらより安全に抜けるよう集中し、初期微動と直観を頼り避ける。同時に、体が相手をすり抜けるその時、鎖骨の少し上にあるリボンに両手の親指をひっかける。後はリュックサックを背負い直すが如く、その親指を思い切り前へと押し出した。


 後ろにあるはずのリボンは一瞬前へと現れ、そしてまた、風と共に後ろへ去りぬって仕組みだ。


 リボンとボールを同じ感覚で考えていたからの(ひらめ)きかも知れない。


 敵とのボールとの間に体を入れてのドリブル突破、とボールを操っての突破。

 サッカーはヘタだからよく分からないけど、バスケならお馴染みのテクニック。って、体育の時間でしかしたことないけど。



 ガード守備エリアを抜けると、スピードを羽の速度まで落とした。

 背中に「先輩最高です」と安住の声が聞こえた。

 俺は息を整えて、大きな坂の斜面に向かう。


 またも立て看板があり、ロープを掴むようにと注意書きがしてあった。

 バンクの上から垂れるロープが坂の入口に数本まとめてあり、俺はその一番奥のロープを手に取り走り出した。

 ロープは俺の速度に合わせ、カーテンレールを滑るように引かれて付いてくる。


 遠くで見ていたより遥かに角度はキツイ。ロープなしで走れる角度じゃない。

 進むにつれなおも角度はキツクなっていく。

 トラックコースの三レーン分くらい幅しか使ってないが、まるでハワイのビックウエーブの様な坂だ。いや壁だ。


 俺はふと思った。もし一番手前のロープを選び、全部のロープを俺が一人で引っ張ってっちゃったら、大変なことになるかもなと。

 クスッと口に笑みが浮かんでしまった。次の瞬間、気が緩んだのか足を滑らせ、ずり落ち、宙ずりになった。


 必死にロープに掴まり上を見た。カーテンレールのようなものがいくつかあり、ロープ全部が一つのレールにあるワケじゃないことが分かった。

 ともう一つ、俺が足を滑らせたのは気の緩みだけではなく、罠だった!


 何度も立て直そうともがくが、足元が異様に滑る。

 この木で出来た坂に、完璧なまでにワックスが塗られている、かも知れない。

 立てない。うまく立て直せない。


 俺は仕方なく、両手でロープを持ち、踏ん張りながら横歩きで進んでいく。


 何度もズデンと滑り恥ずかしい。見ている客からはどう見えているのだろう。

 今居るここが、こんなにもツルツルだとは分かるまい。ただの急な坂だと思った俺が、バカだった。甘かった。そんなぬるいはずはないと、ようやく気付けた。


 必死にもがきロープを頼りに移動する。力尽きて落ちる者が出ると分かる。


 こうなると先ほどの障害物でスネークの背を通ったのは正解だった。

 モグラトンネルの腕や足への負担からいって、蛇の体内を通りあの高さまで上ったなら……、いや、スタミナうんぬんより、それ自体が恐ろしい。


 ようやくこのカーブを曲がり切った。大した距離ではないのにどっと疲れた。

 たかが一周二百ちょっとのコース。最初のカーブまででヘトヘトだ。



「専智学院相楽章和選手、断トツでコーナーを抜けました。次の直線で待つのは、志星館ガード、仙堂秀勇選手です。それを無事抜けると、パイプラインスラッシュが待っています。張り巡らされたパイプの上だけを進みながら、目の前の障害物を越えて、真実のラインを選び行かなければいけません」


 仙堂。強敵そうだな。

 さっきの消える魔球しか通じないだろう。とてもじゃないけど普通では無理だ。


 俺はさっきと同じように走った。そして敵ギリギリまできた。

「だッ、ダメだァ」

 俺は急ブレーキをかけ、斜めに吹っ飛んだ。

 抜けない。もう少しで衝突して二人とも大怪我だ。


 仙堂の動きが他と全然違う。完全に塞がれた。動きを読まれピタリとつかれた。


 倒れ転がるそこに、容赦なく仙堂が襲いくる。俺は必死に避けに転じる。背中を庇いバックを取らせないように試みる。しかしあっという間に真横を取られた。

 どうにか後ろまでは回られずに堪えているが、とにかく速い。

 更にそこへ長い手が伸びる。


 どうなってンだこれ。

 避けても、避けても簡単に真横を取られてしまう。当然か。敵を抜くのが上手い選手は、自分も同じように相手を抜けば横や後ろへいけるということか。

 つまり俺は、既に何度も真横の状態までは抜かれているということだ。


 取られる。この仙堂って人一人で、母校の誇りの時のあのラッシュよりキツイ。化けものだ。ヤバ過ぎる。


 俺は背中を何度も地面と接地させて、どうにか攻撃をかわす。

 しかし、鎖骨に見えているリボン部分目がけて、何度も手が伸びてくる。

 この部分がなかったら、背中を地面に向けたままブリッチで逃げ切るとこだが、両手を地面についてブリッチなんてしたら、一瞬でリボンを奪われてしまう。


「ひぃ。ダメだ、もぅ、取られる」息が切れて窒息しそう。

 この人と一試合戦える人なんているのか? 九十分? 四十五分? 無理だよ。三分だって持たない。今なんて、まだ三十秒も経ってないのに限界だ。


 俺は一か八か、後ろ回りをしながらエリア脱出を試みる。バク転ではない。

 地面になるべく接地するように、でんぐり返る。しかしタイミングを計られて、手が伸びてくる。


 一度リボンが仙堂の手に取られた。俺の顔をかすめて視界を過る。

 だが、俺が動くと仙堂の指からするりと抜けた。正直、もう奪われたと思った。奇跡だ。いや、志星館は相手の奇跡ごと食らい、倒しにくる。


 諦めた訳じゃなく。自分にできる限界の動きで必死に逃げて、それでもなおこの状況だ。策もない。技もない。勝っているモノもない。

 あるとすればこのリボンを奪うというルールが、ランナー有利な条件なだけだ。これが逆の立場なら、ここまで相手を追い詰めることなんて俺にはできない。


「クソッ。あと少しだったか」

「へっ?」

 仙堂の言葉に俺は辺りをキョロキョロと見た。――越えていた。

 ガード守備エリア内のラインを、ほんの一回転分。――逃げ切った。


 オリンピックの柔道で、寝技を掛けられた選手がもがいて、もがいて残り一秒でどうにか場外に逃げれた感じだ。

 技ありだし、ギリギリだけど……一本だけは免れた。


「ふぅぅ、奇跡だ」息を吐くと同時に言葉が出た。

「それは違うぜ。これが奇跡なら、俺は、お前を倒してたよ。これは相楽、お前の実力だ。後輩の奴らが手こずるのも頷ける。本当にお前はスゲェよ」

 俺は仙堂のその言葉に全身が震えた。気が付くとお辞儀していた。


 嬉しい。良治君やお爺ちゃんに褒められたくらい嬉しい。ヤバイ。テンションが上がって疲れが吹っ飛んだ。――少し目頭が潤んできた。



 次の障害物へ向かう背中に、泉橋が「がんばれ~」と声をかけてくれた。

 俺は息を整えながら振り返り、ウンと大きく頷いた。そして徐々に走り出す。

 休んでいる暇はない。


 迫りくる障害物を見ながら、専智学院のガードも敵とやり合っているのかとふと過った。どれくらいやり合えてるのだろうかと。


 確か初めに柏原先輩、次が誰か分からなくて、次に声をかけてきたのが安住で、それで今、泉橋が声をかけてきた。

 たぶん最後は青柳先輩だろうから、二つ目が、市村先輩だ。


 架空の羽で飛び回れる速度まで上げ、余計なことを考えずに集中する。


 障害物の前まで来た。

 目の前には平均台と同じ位のパイプが張り巡らされていた。長い。

 この障害物だけで、直線コースが埋まっている。


 俺は止まることなくこの障害物へと突っ込んだ。どのパイプから行けばいいのか分からず、ど真ん中のパイプに飛び乗り走って行く。

 高さは膝より少しあるくらい。


 ここはさすがにモンキースタイルではなく、ウサギやリスといったスタイルで、クールで時短に適した足技重視で行きたい。


 ピョンピョンとステップしながら、入り組んだパイプをなぞる。何度も曲がり、まるで迷路のように進む。

 すると早速、目の前に足を止めさせる為のハードルが現れた。

 見たままだが、ハードルだ。


 公園の出入り口にある、自転車侵入防止的な鉄の柵。

 それに似た物がパイプの行く手を塞いでいる。

 おへそより少し低い、くぐるにしては低く、乗り越えるにしては面倒な高さだ。それがパイプをまたぐように設置してある。


 俺は柵に手をつき、ひょいっとジャンプで越えた。速度は変えず進む。

 またも似たような柵が。今度は少し斜めについている。更に少し先には、二重になっている。

 進むにつれて徐々にハードルの難易度が増していく。


 いくつも越えて先へ進むと、今度は、二メートルはある壁がパイプラインを塞いでいる。


 俺は勢いをそのままに、跳び箱で見せた時と同じようにし、思い切り踏み切り、逆足で壁を蹴って、上に指をかけて乗り越えた。

 更に進むとなぜかラインがそこで途切れていた。


 今飛び越えた壁を戻ろうかと、辺りを見ると、少し遠いが、横に、別のラインを発見した。そこに飛び移ることにし、一度、壁ギリギリまで下がり、思い切り助走つけてジャンプした。


「おっと危ない」ふらつく体のバランスを取る。

 どうにか別のラインに移ることはできたが、これを久保や富永らが出来るとは、到底思えない。

 俺は飛び移るような練習を何度もしてるからできたけど、それでさえギリギリ。まして月城や三好には絶対無理な話だ。正直、運動神経が良くても慣れてない者には無理。例えそれが志星館の代表であったとしても。


 ……でも、なら何故このコースは?

 もしかして、飛び移るのではなく、コースを戻るが正解かも知れない。

 俺が乗り越えたあの壁も、越えてはイケナイ『行き止まりの意味』だったのかも知れない。


 勝手にラインを変えて進むその行為が、ルール的には間違えていることにすぐに気付かされた。

 すぐ近くで途切れている別のパイプラインがあり、そこには、先ほどと同じ壁が設置してあったからだ。


 そうか、これは迷路というかあみだくじというか、そういう種類の障害物なのかもしれない。

 間違えたラインに乗ったら、コースを変えられる分岐や移れる場所に戻らなきゃいけないんだ。そういうタイムロスのコース。


 俺はそのことに気付いたが、自分のやり方を(つらぬ)き乗り越え、勝手に進んでいく。俺にとってはそうしなくても、越えられる障害物だったから。

 インチキなのか正解か分からないまま、迫りくるハードルを越え、行き止まりを無視し、近道と思う度に自由にラインを変えた。まさに障害物レース。


 アッという間にこの長いコースの出口へと辿り着いた。

 これでようやくカーブ前だ。少し行った所にガードが見える。



「ついに相楽章和選手は志星館最後のガードとの対決です。最後は片桐尚勝選手。これを抜ければ、後は中央の直線のみ、モンキーブリッチとスパイダークライム、そしてローリングボールを抜けてのゴールとなります」


 殺気が凄い。こんなに離れていてもオーラが届く。こんな怖いのは嫌だ。


 邦茂おじちゃんが話してくれた、路地で不良がたむろしてる所をどうしても抜けなきゃいけなかった時の状況に似てるのかも知れない。もちろんそんな状況に一度も()ったことないけど、このドキドキする感じは、虐めにあっている時感じた嫌なドキドキと似ている。


 これがジェットコースターなら目を瞑ってやり過ごせばいい。

 ただ恐怖が通り過ぎるのをじっと待てば……いい、それが怖くとも。

 けど、虐めには終わりはなかった。

 そして、相手に負けるということは許されない。

 許されているのは、逃げること、耐えること、時が過ぎるのを待つことだけ。


 でも今は、目を塞げば負ける。時間にさえ追われてもいる。


 まだ策も何もないのに勝手に足が動く。おかしい。パニックを起こしている。

 一歩二歩とゆっくり歩み出てしまう。まるで何かに引き寄せられていくようだ。まだ待てと焦る俺と、逃げるなと無意識の電気信号が戦っている。


 それにしても、このまま無策で行けば負けるのに、なのになぜ体は……。


 どの道この速度じゃ話にならない。王将の前にただ()を置いただけと同じだ。

 こんな歩みじゃダメだ。走れ、せめて全力で。駆け抜けろ。逃げ切れ。


 俺は無心で走り出した。

 策も方法もない。ただ無我夢中で、目の前の敵、片桐へと突っ込んだ。


 抜けられない。壁だ。いや、ただの壁じゃない。無数の手が伸びてくる。まるで千手観音のようにリボンを掴みにくる。横へさえ行けず後退する。速い。


 迷いパニックを起こしている自分がはっきりと分かる。

 圧倒的にせめられている。

 俺は泣きそうになりながら、佐伯を虐めるなといってケンカした三人とのバトルを思い出していた。服を千切られ、滅茶苦茶にされたあの喧嘩を。


 どんなに頑張っても勝てなかった。自分が小さくて弱くて……悲しかった。

 弱い自分の存在が嫌で神を恨んだ。


 片桐の攻めを全力で避けながら、あの時の感覚とリンクする。忘れていたはずの記憶。勝てない。逃げることさえできない。

 俺の羽じゃこの先輩の外へは出れない。どんなに逃げても追いつかれる。

 たった一歩先へ踏み出すことさえ叶わない。


 逃げる為の翼が、その為に練習したフリーランニングが通じない。

 羽が折られる……。


「相楽がんばれ」青柳先輩の声がする。

「さ~が~ら! さ~が~ら!」観客の声がする。

 応援をパワーにかえられない。なぜ。どうして。こんなにも応援されてるのに。


 スポーツ選手は皆、応援が背中を押してくれたという。なのに、なぜ俺だけ。

 しっかりと声は届いてるし、こんなにも胸が熱いのに……なんで。

 すでに限界なのか……。


 後退するだけで精一杯だ。せめて横に、――無理だ。格が違い過ぎる。

 背中を守りながら、俺はずるずると後ろへ後退させられていく。


 神様、ここを切り抜ける(テク)を下さい。どうか助けて下さい。

 何度も何度もお願いして泣いた子供の頃を思い出した。でも俺のその願いは叶わなかった。みんなそうさ。虐めが止むことも、大切な友達が戻ることも、嫌なこと辛いこと、なに一つとして願いが叶った試しはない。


 俺はただ耐えて、足掻いて、そして、逃げ続けた。そういう日々だった。


「どうした? こい相楽。そんなもんじゃないだろ? 本気で来い」

 片桐が俺からステップして下がる。元居た位置へと下がっていく。


 俺はガード守備エリア内から押し戻されていた。

 片桐がエリア内へと入ってこいと手招きする。わざわざ入りやすいように間隔も開けてくれている。


 クソッ。敵わない。

 落ち着け、集中しろ。相手を抜くために必要なのは、フェイントとクイック。

 この二つ。いや、前に航也と惣汰との試合で言ってたことがあったな。

 なんだったっけ……。


 スポーツに大切なもう一つの要素。ヘルシーじゃなくて……ファイトでもなくて……なんだっけ、思い出せ。

 ――フェイクだ!


 相手を惑わし騙すテク。

 ランナーにタッチアップさせたり、盗塁させる為に、あーだこーだって考えたンだった。でもこの場合どうすればいい? どうすれば惑う。

 転ぶフリ? そんな余裕はない。一息ついたら即アウトだ。


 フェイントとクイックとフェイクを組み合わせて挑むしかない。

 これでダメなら打つ手はない。


 緩急つけて速度を変える。で、怖いけど、時にはストップ&ダッシュ、更に手や足や視線を使ってフェイクを入れる。どっちに行くか惑わせ。

 背中を見せず鎖骨部分のリボンを守る。


 いくしかない。やるしかない。もし仮に一パーセントの望みがあるなら集中してその一回をものにしてやる。


 俺はステップして片桐に近づく。羽よりも遥かに遅い速度だ。

 俺と片桐が一気に接近し向かい合った。お互いに構えている。


 相手の隙を作れ。行くと見せかけて反対へ、更にその反対へ。裏をかき、裏の裏を見せ表で突っ込む。強弱をつけろ、緩急だ。

 そして急加速でクイック、更にフェイクを入れてフェイントと同時にダッシュ。


 抜けた。ダメだ。追いつかれた。

 でも……、同じスピードの領域に入れている気がする。さっきとは違う。


 何度でも挑め。もう一度。表で行くと見せて裏をかく。更にフェイクで騙す。

 片桐の視線が俺の目を追う。まるで俺の体の動きが見えていないよう。俺の目の動きに合わせて動く。首を向けるとそっちへと動く。俺はその逆を突く。


 完全に体が逆に行くのに、しまったといった表情で、すぐに片桐もクイックして戻ってくる。騙せているのに抜けない。俺とは次元が違い過ぎる。

 これが別格という領域か。さすが志星館の三年生代表。


 片桐の口元がニヤリと笑っているように吊り上っている。恐ろしい。


 普通、動き出したら体の震えは止まるはずなのに、腰や背筋に震えがくる。

 怖くてたまらない。俺は絶対に勝てない。


 それでも諦めずに、更に挑む。真ん中まで来れたがそこが俺の限界だ。

 一歩も進めない。進んでは戻され、また進んでは後退させられる。

 恐怖に叫びだしそうだ。


 俺はこんなにも疲れ果てているのに、相手は一ミリも疲れていない。そう見えるだけではなく、間違いなく動きで分かる。

 俺の動きが鈍ってきた分、片桐の変わらない動きが、速さを増して感じる。


 俺は一か八か転がり、ローリングする動作も入れた。

 だが、俺の体は倍近く触られた。今のでリボンを取られてもおかしくはない。

 失策だ。がしかし、これ以上さがる訳にはいかない。

 危険を冒してでも進まなければ、可能性がゼロになってしまう。


 片桐に向かい合ったまま側転しスライディングした。更にもがく。

 が、何をやっても抜けない。大きな壁から無数の手が伸びる。それを避ける。


 泣き言さえ考えれなくなった。ただ無心に、伸びる手を避ける。

 ひたすら繰り返す手の攻防。と、一瞬、片桐の手と俺の手がくっ付いた。

 掴み合ったといった方があっているかも知れない。俺も片桐も故意ではない。


 最後のチャンスだった。俺はその絡まった片手を軸に、お互いの立ち位置が反転するように、遠心力を使い回った。

 子供がランドセルを振り回すよう、自分と相手を回す。


 すると俺と片桐の位置が入れ替わり、俺は出口側へワープした。

 片桐の何とも言えない表情が見える。


 俺は一瞬で地面を踏み潰し、スタートした。片桐も同時に来るだろう。顔を見てそれは分かった。ハンデは遠心力。俺の遠心力は目的地へと向かってくれている。片桐の遠心力は、俺を追う反対へと作用してくれている。


 お互いの距離は手を握り合える位置スタートだ。

 たったの十メートルそこら、命がけで走ればどうにかなるはずだ。


 俺は死ぬ気で走った。割れんばかりの歓声が会場を包む。あと少し、もう少し、あとほんの五歩といった所で、俺の左鎖骨からベリベリと音を立てリボンが後ろへ吹き飛んでいった。俺は絶望に消え入りそうになる。


「いけぇ相楽ァ、そのまま逃げ切れ」青柳先輩の声。

「頑張ってぇ、あと少しー」女子の悲鳴にも似た高い声。

 振り返ると片桐が血相を変えて俺に襲いくる。

 手には引きちぎったリボンを持っている。


「あとひとつ!」叫ぶ片桐。

 二つ、なのか。


 俺は思いっきり飛び込み前転し、ワザと斜め横へ行くふりをして逆をついた。

 後ろは見えないが、そうしなければイケナイと直感した。

 そしてまた飛び込む。もう一度。もう一度。


「越えた。逃げ切った。出来た」

 神様。――出来た。


 片桐が悔しそうにリボンを握りしめていた。

 そしてゆっくりと俺の所へ来て、にっこりとほほ笑んで手を差し伸べてくれた。


「相楽。俺の完敗だ。お前はすげぇよ」

 転がる俺の手を引き、立たせてくれた。


「絶対に専智の坊やに負けられないと死ぬ気で挑んだけど、負けたよ。でも、俺は勘違いしてたようだ。お前と向き合って、一つ分かったことがある。お前は専智の生徒じゃない。目を見りゃ分かる、お前はこっち側の人間だ。何が理由で勉強なんかしたか知らないが、お前はそっちじゃない」

 片桐が何を言ってるのかさっぱり分からなかったが、助け起こしてくれたことにお辞儀をすると、更に片桐が付け加えるように「そういう間抜けなトコが専智じゃないんだよ」と笑った。

 間抜け? ……どこが?


「何やってんだ相楽。せっかく抜いたのに、後続がくるぞ~」青柳先輩の教えで、俺のどこが間抜けなのか分かった。

 こんなトコで立ち止まって、井戸端会議している場合じゃない。


 でも、仙堂という人に褒められたのが嬉しくて、もしかしたらこの片桐って人も褒めてくれるのではと、欲が出たのが正直なとこだ。



 俺はカーブの方へ走り出す。

 そしてカーブ中央で真ん中へと入り、次なる障害物へと挑んでいく。


 目の前にある数段の段差を上り、ネットの張られた屋根を、(うん)(てい)の要領で進んでいく。途中でいくつもの垂れ下がるロープゾーンに変わるが、ぶら下がって進むのは一緒だ。


 無事にそれを乗り切ると、少し行った先にネットのそそり立つ壁がある。

 この障害物レースをスタートする前に、一番目立っていたモノだ。

 高さはどれ位だろう? 十メートルちょっとある感じだろうか。


 俺は必死によじ登っていく。すでに手は疲れ切っていて足を頼りに上るが、足も勘弁してくれと叫んでいる。


 どうにか上りきると、下りは緩やかな坂になっていた。

 這って下りるのがセオリーだろうがなにぶん疲れたので、横向きに転がるように下りた。大分下まできて、普通に下り、最後の障害物へと向かう。



 最後の障害は、大きな球が枠の中に沢山入っていた。

 この上を渡っていけということだ。

 ダイエットなどで使うバランスボールだろうか。ボールの隙間からマットが敷いてあるのが見える。

 マットのおかげで、大分ボールの転がりはセーブされるだろうが、とんでもない競技だ。


 早速挑む。いきなりひっくり返り、会場から笑いが起きている。

 この笑いが俺ではなく久保であってくれと願う。


 必死に手を広げ、バランスを取りながら進むが、何度も落ち、またそこから這い上がり進む。

 もう俺にはフリーランニングの面影すらない。

 疲れてなければそれなりに格好もつけれるだろうが、もう前に進むだけで限界。


 ボールに乗りながら、普通の障害物レースって、平均台や横にしたはしごをくぐったり、麻袋を履いてぴょんぴょんしたり、粉の中から飴を咥えたり、時には計算しろみたいなおちゃめなものがあったり、もっと気楽なものではと考えていた。

 さすがにパン食い競争のパンを用意してとまでは言わないけど、今更欲を言えばそんな気楽な競技を……希望。



「ゴールです。相楽選手断トツの一位です。専智学院相楽章和選手が一位です」

 歓声が広がる。アナウンスが二位の実況を始めると俺はその場にへたり込んだ。そして落ち着いてランナーを見る。


 二位は袈羽だ。青柳先輩をかわし丁度カーブを抜けた所。三位は外園、すぐ後ろを駒衛、更に少し遅れて向坂、しかしそれと並んで月城がいた。

 びっくりした。順位にではなく、月城が志星館のガードを抜けられたことにだ。


 月城の後ろが周防で、次が久保……その後ろはいない。失格か棄権か。

 レースの展開をただボーっと見ていた。月城が片桐と対峙する。

 片桐は両手を広げ何度か行く手を阻む。そして周防が同じエリアに来ると、周防と青柳先輩が一対一のバトルをするのを横目に、月城を軽くあしらう。


 さらにそこへ久保も合流した。片桐は一人で月城と久保の相手をする。

 しばらくして周防が青柳先輩を抜くと、片桐はそれを確認し月城と久保のマークを開放した。


 ヘトヘトに疲れ切っているランナー達。

 ほとんどの者はリボンが片方になっている。



「二位は志星館、袈羽零選手、次いで三位は外園悠生選手」

 次々にゴールしてきた。俺の横でへたり込み荒い息を全身でしている。

 そしてようやく全員がゴールした。

 久保も月城も無事辿り着いた。失格になったのは、富永と三好だけの様だ。


 順位は、一位が相楽(オレ)。二位が袈羽。三位が外園。四位が駒衛。五位が向坂。

 六位が周防。七位が月城。八位が久保。

 短距離走というより、持久走の様……。


 月城が久保より速くゴールしたことが何となくこの障害物レースの奥深さを物語っていた。片桐のガードするエリアで並んだのにである。

 実際、月城と周防の差もほとんどなかった。最後の直線の障害物三つで、ヘタをすれば順位が変わっていても、おかしくない感じであった。


「お疲れ月城君。お疲れ久保」俺は二人に声をかけた。

 二人は必死に手ぶりで答えるが、息がきついようで「ちょ、ごめん」とかすれた声をだし寝っころがった。



「さて、男子に続きまして、午前の部最後、専舞女学園と専智学院の女子による、バルーンクラッシュを行います。選手の方はメインスタンド側にある特設コートへお越し下さい」

 へたり込んでいると、ルールの説明が流れた。


 俺は専智の女子代表の頑張りを見届ける為に、重い体を引きずるように歩く。

 それに釣られてか月城も這う。


 女子の行う競技は、足に結んだ風船を踏み割るという単純なルールだ。

 しいて難点をあげれば、足から紐が一メートル弱伸びていて、風船が離れているということと、風船がかなり大きく、すごく丈夫そうに見えるところだ。


 俺と月城はどうにかそこへと辿り着き、スタートの合図と共に応援を始めた。





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