二四話 合同体育祭
体育祭の日が来た。あっという間だった。
約束通り、練習は一度もなく、勉強を優先した。
ただ、松宮と椎名と鈴原を中心に、鬼ごっこが何度も行われて、俺はヘトヘトのソフトクリームになった。床に落ち、潰れ、溶け、そしてなぜか膝枕で終わる。
体力的に過酷だった。
場所は都内にある某スポーツグランドを借り切っての開催だ。相当大きい。
しっかりとした観客席もあり、信じられない豪華さだ。
次々と客が入る。関係者なのか親や家族なのか、座席が埋まっていく。
生徒達はグランドの真ん中へと集められ、先生の指示で整列する。
「さて、二年に一度の合同体育祭、いよいよ、開幕いたします。まずは、総会長の御言葉と、そして理事長の御話をお聞き下さい」
プログラム通りに進んでいく。そして各高校の校歌が一番だけ流れた。
「私立志星館日体高校。私立専智学院。私立専舞女学園。代表者前へ」
志星館日体、専智学院、専舞女学園の三校。
各高校から一名ずつ前へと出て、選手宣誓が行われた。ウチの学校は、もちろん青柳翔一先輩だ。
「相楽君。相手、体育学校? それに男子校だよね。しかももう一つは、完全なる女子高だよね。専舞って確か、お嬢様学校だったような」仲根がびっくりする。
もちろん俺も相当驚いている。ウチの学校だけがソワソワとしている。
誰も何も聞かされていないからだ。
ただ、三年生は一年の時に経験しているので、穏やかだ。
各学校の控えの位置や応援席、様々な説明がなされていく。
よく聞いてないと迷子になるというか、大変なことになりそうだ。
全校生徒で準備体操が行われ、そして開会を告げるメロディーが流れた。
「それでは、各自所定の場所へと着いて下さい」
うちの学校は志星館と専舞の間だ。男子校と女子高の間を隔てる共学、といったところだろう。
争いやトラブルが起きないように、男子校側に一年の男子、そして女子校側には一年女子が座り、向こうの学校も同じく一年生が隣り合う形で接している。
生徒達が座る席は、長方形のグランドをぐるりと囲む観客席の、バックスタンド側だ。理事長やお偉方が正面のメインスタンドに見え、そこから一般の客が両脇のサイドスタンドへと広がっている。
競技前選手と次に控えている選手がグランドで待機し準備している。
そして早速、一般生徒同士の競技が始まった。
軽い盛り上がりのウチと比べ、志星館も専舞も、凄い応援団がいる。カッコいい学ラン姿と可愛いチアガールが選手を援護する。それに引き換えウチは……ない。
元々、スポーツを観戦し、応援する風習がない。ソフトボール部の偉業にさえ、さほど興味はない様子だった。
「連絡致します。志星館。専智学院。専舞女学園の代表選手の方は、至急、メインスタンド横、第二ゲート奥のフロアーへお越し下さい。繰り返します――」
「あれ? 相楽君行かなくていいの? 放送で呼ばれてたけど」仲根が言う。
近くに青柳先輩や柏原先輩の姿が見えているから、補欠である自分も、関係ないのだとのんびりとしていた。
仲根と里見と茨牧の三人でプログラムを見る。
女子とは離れているから静かなものだ。
「ちょっと~、相楽君いる? どこ? それと青柳君」町下先生だ。
俺は手を上げて居場所を示す。青柳先輩も寄ってきた。
「もぅ。放送聞こえてたでしょ~。なんで集まってくれないの~。困らせないで、先生泣いちゃうわよ」
補欠だから関係ないと思ってというと、寄ってきた先輩方も右に同じくと頷く。
「あれ? 補欠? そうなの? いやいやいや、体育科の先生が、他の選手連れて先に向かってるから、絶対に連れて来てって言ってたもん。絶対って」
言ってたもんって。
青柳先輩と柏原先輩が、補欠も行かなきゃいけないのかと少し面倒な感じで先生の後についていく。その後を俺も付いていく。補欠なのに。
スタンド下にある一階通路を通り目的地へ向かう。
途中で色々な人や生徒とすれ違う。
「居った。おっ、遅いよ。ほら、これ、これに着替えてくれ」
向こうから体育科の先生が走り寄ってきた。
透明な袋に入った服を押しつけるように、三人に手渡す。
「あれ、市村は? いないじゃん」柏原先輩が辺りを見回す。
探す先輩に先生が、市村はちゃんと集まってとっくに着替えてると言う。
代表選手は着替えの後、集まりがあるらしく先生も急いでいる。
俺と先輩は仕方なく更衣室ではなく、端に寄ってその場で着替えることにした。なるべく早くなと先生が急かす。
着替えているとなぜか道行く者達がこっちをチラチラと見てくる気が……。
「それにしても相楽はいい体してるよな。本当に帰宅部か?」先生が笑う。
先輩も俺の肩や背中にペタペタと触れてくる。気色悪い。
仕事場で爺ちゃんに触られたりもするけど、家族同然の邦茂おじちゃんと良治君がギリ限度だ。くすぐったがりというか、敏感なので、触られたくない。
町下先生も、青柳先輩の追っかけらしき者も見ている。意識すると、至る所からこっちを見ている気がする。俺の被害妄想だといいのだけど。
「確かに相楽君は凄い筋肉だな……、これで何もしてないってのはないね」
柏原先輩もいう。
「夏休み中、爺ちゃんの仕事現場で手伝いしてたもんで――」軽く説明をした。
「そっか。それでそうなる訳か」
爺ちゃんの仕事は完全な肉体労働だ。
特に、俺はバイク以外なんの免許や資格もないから一切の重機作業も何もない。せめて車やフォークリフトが出来ればその分いいけど、休むことなく働き通しだ。
前に私有地だから遊びで乗せてとお願いしたが、私有地だろうとどこだろうと、無免許や資格取得条件に達してない者に触らすわけにいかないと強く言われた。
それ程危険な物だし、そういう危機管理やルールは徹底している。
当然と言えば当然。朝のゴミ拾いから始まり体操や声だし、安全確認、その日の目標など事細かだ。
「青柳も受験生とは思えない肉体だな」
「馬鹿、俺は夏までは大会だったし、部長やってりゃサボれないだろ?」
個人で関東レベルはさすがに絞れてて凄い体。柏原先輩も夏まではサッカー部でキャプテンしていた立場だが……青柳先輩と比べると数段劣って見えてしまう。
着替え終えるとお互いの服を見る。濃い青に黒く太い縦線が入っている。
生地はサッカーのユニホームの様な感じで少し光沢がある。
「うおぉ。これ背中に名前入ってるのかよ。番号でいいのに」
青柳先輩の言葉に互いの背中を確認する。
背中には縦に大きく漢字で名前が書かれてあった。左胸には学校の校章もあり、まさに代表選手と一目で分かる。左肩には学年も書かれてある。
「ほら、着替えたら急いでくれ、もう話始まってるから」
焦る体育科の先生の後を早歩きで付いていく。少し行くと、派手なユニホームの生徒達が集まって説明を聞いていた。その後ろの方へちょこんと並ぶ。
後ろから他校の代表を見る。ウチの学校の代表とは格が違う。
それは見た目や体型ももちろん、大人と子供くらいの差に見えるけど、根本的に目や表情が違い過ぎる。
向こうは勝負の世界で、ギリギリのやり取りを続け、更に死闘の末に勝ちを奪い取る術を知っている野獣の目をしている。
例えるなら、プライドを背負った不良の目だ。
それに引き換えこっちは、部活という枠の更に遊び、という範囲で右往左往するペーパードライバーだ。つまり素人の目だ。
にしても、相手ががっちりしてるのか、こっちがガリガリなのか、ぷにょぷにょなのか……、この差はちょっと酷過ぎる。
志星館の服は濃い赤に太い紫の横線が入っている。何とも毒々しい色合い。
専舞女学園は、ピンクに小豆色の細いラインが入っている。
ウチの女子は、黄色に緑の太い縦線だ。
デザインはどれもド派手で高価に感じる。
話はすぐに終わった。
殆ど何も聞けなかったが、大切なことがあれば後で聞けばいい。たぶん、安全に競技を行う為の注意点であろう。
一斉に動き出す生徒達が学校ごとに集まり、そこで担当する先生の話が始まる。
「え~、今日は各自で安全の確認しながら、怪我のないように。相手は見ての通り志星館だ。志星館といえば、どの部活も全国でベスト八ランクだから――」
今聞きたくない情報だ。
レギュラーとして戦い抜く久保や富永、他にも、クラスの代表の者達には心から無事を願う。くれぐれも怪我だけはないように。
「さて、ここで、残念なお知らせがある。相楽、青柳、ちょっとこれを見てくれ」
先生がそう言って、何かの紙を差し出してきた。
「ナンですこれ?」青柳先輩が紙を眺める。
「代表として選ばれていた主力レギュラーの四人が、怪我と病気と体調不良で辞退することになった。欠席者一名、見学者三名。そこに名前が書いてあるだろ」
誰? 全部二年のスポーツクラス……。どゆこと?
まだ何も始まってもないのに怪我? 体調不良……。
季節の変わり目だし、風邪でも引いたかな……、お大事に。
「よって、相楽と青柳と柏原と市村には、競技に出てもらうことになった。一応、相楽と青柳には五から六種目は出てもらうことになる」
「はぁ? なんでそんなに。棄権したそいつらそんなに出る予定だったんスか?」
先輩達の言葉に先生は即答で「そうだ」という。そしてプログラム表を見せる。俺も先輩の後ろから覗く。
確かに全部種目にチェックがついている。
「先生、なんでこいつらだけ名前が赤で書かれてるんですか? おかしいでしょ。これ最初からシナリオだったんじゃないの?」
そんなバカなことはないと笑う先生。見やすいようにさっき書き直して用意したのだという。しかし先輩が元の用紙はと聞くと、失くしたの一点張り。
俺も先輩も何となく答えは導けていた。
でももう、この場所で今更どうにもならない。
青柳先輩が「今日は来なけりゃ良かった」と愚痴る。それを先生は、しめしめといった感じで見ていた。
つまり、わざわざこの分かりきった策を練ったのは、今日ここへ来させるための布石であったわけだ。補欠という優遇と半端さが、なんとなく休みづらい。
それにしても青柳先輩の嫌がり方は異常だ。
仮にも、テニスの関東大会でベスト8に輝く選手だというのに、背中に書かれた名前が気になったり、よくよく考えると、呼び出し放送があった時も放棄している感じだった。
「仕方ない。相楽君、青柳、諦めてやるしかないよ」
柏原先輩が肩に手を添えてきた。
松宮と鈴原などの女子代表が寄ってきた。
「やっぱり相楽君レギュラーになった。だと思った」松宮が笑っている。
「青柳先輩、頑張って下さい」小堀が恥ずかしそうに話しかける。
他校はまだ話し込んでいるが、ウチはすぐに終わった。
作戦もないし、唯一話したのは、補欠が参加することになったという連絡事項。
とてもこの感覚で志星館と戦えると思えない。大恥だけはかかないで済むように祈るばかりだ。
ん? もしかして……、かつて先輩は恥をかいたのかも知れない。二年前に。
やがて志星館側も話が終わったようで、気合いの入った「サァ」という掛け声が聞こえた。その声にウチの学校はビクッとする。
競技が始まるまでまだ少しあるようで、生徒達が自由に行動し始めた。
そしてゾロゾロとこっちへ歩いてくる。……でかい。
「チィッス。青柳先輩」
気まずそうに「おう」と答える先輩。
二人の話を聞いていると、夏に行われたテニス大会の話だった。しかもどうやら青柳先輩より強い。それどころか……優勝してる感じだ。
はっきりとしたワードが出たわけじゃないが、たぶん、その大会の途中で先輩を倒しての優勝だ。だとしたらとんでもない事実だ。
唯一頼りの青柳先輩より、遥かに強い奴がすでにいる……。
どんな大会だったのだろう。まさか関東で優勝?
先生がさっき言っていたけど、全国レベルってことか?
ウチの学校をジロジロと睨むように探るそれらを見た。
青柳先輩に話しかけたその男子、向坂陸斗、二年、テニス部。
更にデカくてガタイもいい、外園悠生、二年。
浅香恭介、二年。周防要、二年。袈羽零、二年。黒葉雄魅、二年。
片桐尚勝、三年。仙堂秀勇、三年。これがこっちを覗きにきた八名だ。
離れた所にまだまだいるが、どう見てもここに居る者達はヤバイ。
――まるで主役達。
背中と左腕を何度も見て、名前と学年を確認した。名前にルビをふるかローマ字書きしてくれないと、漢字の読みが分からない。
男子校のしかも体育校で代表に選ばれる強者……。一目で分かるエリート。
実力で選ばれる者とはこうも凄まじい覇気が出るのかと寒気がする。
何度も言うが主役達だ。きっと学校内でも激しい戦いが繰り返されただろう。
「えっと、久保君と富永君っている?」周防がいう。
二人が「俺達だけど」と出てきた。
「あ、君たちがスポーツクラスの代表なワケね。よろしく。今日は君らと、それと青柳先輩ってのを倒せばいいって先生から言われてて。ちょっと挨拶に来たわけ。にしてもちっちゃいな~。戦えるの?」少し挑発しているような口調だ。
久保と富永がビビる。まったく体つきが違う。背も体重も筋肉も敵わない。
久保も富永も、身長はたぶん百七十二~四センチくらいで、平均身長よりはあるが百八十を超えた者達と並ぶと辛い。
記録や戦歴以前に、戦う前にすでにこの差。
あの久保と富永がまるで小物に感じる。
そして、地区でも勝てないこっちと、全国へ行って夢を掴む者との差は天と地。
残酷過ぎる。
「お、いたいた章和。探したよ~」
振り返ると惣汰と航也だった。それと惣汰の彼女の伊部遥もいる。
携帯も通じないしどうしようかと思っていたら、丁度よく、代表選手を呼びだすアナウンスが流れて、ここに居ると踏んで訪ねてきたようだ。
「どうしたの? わざわざ見に来たの体育祭」
「違うよバカ。こんなくだらないの興味ないわ。ちょっと確認しに来ただけだよ。章和、お前さ、専智の女子ソフト部になんかしただろ? なぁ?」
俺が曖昧に頷くと、惣汰がやっぱりと突っかかってきた。
「ナンで。別に彼女がいる訳でもないだろ~が。お前が余計なことすっから――」
惣汰が言うには、俺が動いたことでとんでもないことが起きたという。
「あっ、伊部さん? 久しぶりです」桜庭が顔を覗かせた。
俺が知ってるのと訊くと、関東大会で敵として当たったという。
神奈川代表の二校のうちの一つで、三回戦辺りで当たったとか。
「なんだよその子彼女か? あ、ピッチャーの子だろ。何だっけ梅宮だったか?」
「桜庭です。それとまだ彼女じゃないです。立候補してるけど……」
桜庭が照れたように俺をチラ見してくる。
惣汰がまさかその子の為に動いたのかと訊いてきた。しかし俺は何となく惣汰の言わんとしていることが分かり困る。
まさか先生の策に落ちたとは言いづらくて黙った。
「お前のせいでウチの学校は優勝逃したよ。章和が余計なことしなければ関東大会では優勝できたかもしれないのに……なんだあの姑息な戦略は、俺は遥見てて途中から可哀そうで仕方なかったぞ」
伊部はピッチャーをしてるのか。
まあ惣汰の彼女だし、キャッチボールしたり色々投げ方とか手取り足取り教えたンだろう。なら、相当上手いンだろうな。
「まあ全国では準優勝したからいいけど、お前これ以上余計な口出すなよな。別にソフト部と関係ないだろ?」
「あのさ惣汰、全国行けたの?」
俺の問に、神奈川の代表だから当然という。関東で負けたのにというと、たぶん別なんだろうという。俺も惣汰も大会の仕組みをまったく理解していない。
ただ、よくは分からないけど、惣汰達は俺のちょっかいのせいで、相当な被害をこうむったようだ。
「青春は一度きりナンだからさぁ、今回のメダルを逃した責任は重いぞ。遥は無理言って先輩達からポジション奪ったワケよ。なのに、ナンで俺と遥の幸せを邪魔しちゃうワケ~」
俺はゴメンと笑った。惣汰も一言文句言ってやりたくて来ただけの様で、一通りクレームを付けると穏やかになった。ただ、これ以上は口出すなよと釘を刺す。
俺は透かさずメモのあることを説明した。
もう俺が関わらなくても、強くなるかもしれないと。
「なんでそんなレシピ渡したの? それじゃ今更取り返しても、コピーしてるかも知れないし、どっちみち手遅れじゃねぇか。口で教えたんじゃないのかよ……」
惣汰と伊部が大分ショックを受けている。すると――。
「オイ、お前。さっきこんなくだらない体育祭とかなんとか言ってたよな?」
外園という者が惣汰に声をかけた。
「あ? お前?」惣汰が振り返り睨みつける。
すると外園が惣汰の目に驚く。周りに居るそれらも惣汰を見る。
一瞬で惣汰から半歩距離を取る。俺と航也が焦って止めに入った。
もし相手が下がらずなおも絡めば、止めるより速く、惣汰は外園と喧嘩になっていただろう。惣汰はいきなり殴ったりはしないが、自分なりの警告を発してもなおも歯向かう者には容赦なく飛び掛かる。俺やウチの学校に通う者とは違う。
小さい頃からずっとそうだ。典型的な悪がき。
しょっちゅうそれで喧嘩をしていた。
公園で遊んでいる時など、一日で何回もケンカになったこともある。
そしてメチャクチャ強い。売られれば買う気満々だ。惣汰は良い子じゃないから特に似たような子が売りつけてくる。目立つし。
でもなんでケンカの売り買いが行われるのか俺には理解できない。
喧嘩にしろ口喧嘩にしろ、わざわざ理由を作ってまで絡む行為、一体なぜ?
嫌なことしかないのに。それなのに……トラブルに塗れたがる。
前に惣汰と航也がグランドで喧嘩になった時、航也に立ち上がれなくなるまで、精神的に動かなくなるまでブチのめされたことがあって、本当に強い惣汰が、完全にねじ伏せられて、そんな嫌な思いをした記憶がある。
惣汰が負けたのを見たのは、その一回だけだ。
航也もその後お父さんに雷を落とされ、半ベソをかいていたのを覚えている。
「だ、誰だよ? 専智の生徒か……」外園が惣汰を探る。
「関係ないだろ? そんなの聞いてどうする? やるかやらないか決めろよ。俺は口喧嘩する気はねぇからよ」
すると三年生の片桐と仙堂という人が外園を止めに入り、引っ張っていく。
惣汰の目を見てすぐにヤバイと分かる時点で同じ類だ。これがウチの生徒なら、間違いなく殴られて、ヤキを入れられるまで気付かないはずだ。
怖い。こんな相手と競技するのはゴメンだ。
外園は、百八十五センチはあっただろうか。他の者だって皆デカかったし。
野蛮過ぎる。
惣汰は確か、百七十八センチって言っていた。測り直した俺の身長と、一センチしか変わらないのに、怖くはないのか?
相手は超体育会系のエリート。そして男子校。日々どんな生活を送っているか。
うちの学校では、泉橋と安住の二人しか背丈で張り合える者が居ない。バレー部元キャプテンの立花先輩は二人より高いが……選ばれていないことが答えだろう。
表情の戻った惣汰を見る。ウチの学校の女子達も惣汰を見る。もちろん男子達も惣汰を見る。不思議な空気が流れる。惣汰と航也と俺の関係はと。
ウチの学校には絶対にいないタイプだ。
俺の交友関係といえば、仲根や里見や茨牧のはずで、久保や富永とでさえ友達にならない感じの俺、が、なぜ惣汰や航也といるのかと、疑問視している。
「あの~もしかして、七瀬航也さんですか? ですよね。あぁやっぱり『甲子園、優勝おめでとう御座いますぅ』テレビで見てました」
桜庭の言葉に俺と惣汰が顔を見合わせる。
「嘘っ? マジ?」惣汰が驚く。
航也を見ると「今頃? というかお前等知らなかったの? ちゃんと友達の活躍くらいチェックしとけよ」と強めに肩を押してきた。
「ごめん。仕事とか色々忙しくて」
俺が謝ると、テレビや新聞くらい見れるからそれは言い訳にはならないという。そして惣汰にも「お前は?」と聞く。惣汰は彼女の大会の付添だったと笑う。
それじゃ仕方ないととりあえず納得したようだ。
どうやら惣汰は彼女の部活のことで会いに来て、航也は自分の優勝報告というか褒められたくて来たようだ。
それと驚いたことに、惣汰の彼女である伊部がソフトを始めたのは、彼氏である惣汰のあの多摩川での試合を見た後らしく、惣汰と野球の話をして盛り上がって、あの日、商品券の余りでグローブを買い、そして二人で練習し、ソフト部へ入部と流れ着いたようだ。
元補欠だった桜庭と似ている経験値のピッチャーだ。まぁ、惣汰という反則級のコーチ付きではあるが。
他愛もない話が続く。
それにしてもよく航也のこと分かったね、と惣汰が桜庭に疑問を投げかけた。
もしかして好きなのかと聞く。すると。
「いや、そうじゃないですよ。決勝戦、見てたんですけど、基本、選手のこととか知りません。でも、七瀬先輩『予告ホームラン』したんですよ。それが凄い話題になって、七瀬先輩がインタビューで監督やお父さんに怒られた話とか色々あって、それで覚えてたんです。確か野球を辞めた友達へのプレゼントだったんですよね」
桜庭のセリフに航也が恥ずかしそうにしている。俺と惣汰は顔を見合わせる。
言葉無く三人で照れた。それを周りは不思議そうに見てくる。
航也の来た本当の理由が少し分かった。
自慢でも褒めて欲しい訳でも……なかった。
他愛もない話をしていると放送が流れた。代表選手は用意して、グランドに出るようにと。
「それじゃ章和、頑張れよ。あんなのに負けるなよ。応援してるからな」
惣汰と伊部と航也が客席の方へと戻っていった。
あんなのにって……、どう見てもヤバイよ相手。スポーツ校の男子校だし。
惣汰のトラブルで更に燃えてるかも知れないし、青柳先輩は試合嫌がってるし。応援してくれるのは嬉しいけどまず勝てない。
青柳先輩の後についてグランドへと出た。
ゲートをくぐると、大歓声と共に、先ほど準備体操した景色とは、全く違う競技フィールドが広がっていた。広い。怖い。
これから何が起きるのと恐怖だけが溜まっていく。恥だけはかきたくない。
電光掲示板に各学校名と選手の名前がデカデカと光っている。
「ちょっと、……ほへっ?」
俺はそこに乗っている名前を見て焦る。
それは、専智学院の代表者八名が、思っているのと違う順番に感じたからだ。
代表、青柳翔一、三年。次いですぐ後に、相楽章和、二年。
で、富永凌、二年。久保真、二年。泉橋一樹、二年。安住祐太、一年。
柏原純、三年。市村貴之、三年。となっていた。
一線が引かれ文字色も変わり、第二軍として、月城明、二年。三好啓修、二年。前草公彦、二年。菊池政基、二年。の計十二人が並んでいる。
それらの名前がゆっくりとアナウンスで呼ばれていく。まるで野球みたいだ。
志星館日体。
代表、外園悠生、二年。浅香恭介、二年。向坂陸斗、二年。
周防要、二年。袈羽零、二年。黒葉雄魅、二年。
駒衛歩、二年。音輪流唯、二年。代表の八名全て二年生だった。
なんと二軍全てが三年生で――。
片桐尚勝。仙堂秀勇。深寺仁。田所朋兵。雪峰連次。
向こうは二軍が一人多く十三名だ。
一軍は全て二年生で統一されていて、学校の異質さが濃く出ている気がする。
アナウンスされてようやく相手の呼び名が分かった。
「もう、ヤダよ二年とやるとかいう状況……」青柳先輩が愚図る。
負けるにしてもせめて同級生に負けて散りたいという。
青柳先輩の横で柏原先輩と市村先輩も小さくなって怯えている。確かに俺も相手が皆一年生で、それらにボッコボコにのされて負けるのは……嫌だ。
まして、自分で望んだ部活の試合じゃないから、尚更だ。
次に専智学院の女子がアナウンスされていく。
代表、松宮麗香、二年。小堀綺乃、二年。永見君絵、二年。椎名咲、二年。
近野萌、二年。鈴原凛、一年。桜庭真央、一年。有須美琴、一年。計八人。
次に専舞女学園が読み上げられていく。――凄い声援だ。
代表、渡辺花帆、二年。柴谷貴代、二年。能條栞、二年。宇野奏恵、二年。
国分杏、二年。砂海光希、一年。名取桂、一年。逢地尽久美、一年。計八名。
女子校から黄色い声が飛ぶ。まるでアイドルのコンサートに来たようだ。
実際には行ったことないから分からないけど……、とにかく凄い声援だ。
代表者の立ち振る舞いもウチの女子達とはまるで違う。どの角度から見られても平気と言わんばかりの雰囲気を全身に纏い、まるで女優のように優雅に舞う。
まさに本に出てくるヒロインそのもの。
中央へと集められ、代表の男子は男子と、女子は同じく女子と向かい合った。
周りではトラックを走ったり、別の競技が同時に行われていて、どこかテレビで見た世界陸上の様な賑やかな雰囲気が流れている。
一般の生徒が頑張っている中、アナウンスが、代表者による競技を告げる。
「志星館と専智学院男子による競技、第一ラウンド。一本橋奈落を行います」
場内がどんな競技なのかと盛り上がる。
とそこへ――。
「お静かにして下さい。ただ今より、ルール説明を致します」
そうアナウンスが流れた。
高さ五メートルの位置に架けられた一本の橋。
幅五十センチ、長さ十二メートル。その橋の上で両校落とし合うゲームらしい。両端から一名ずつスタートし、相手校を倒していく。
ルール説明は単純だが……、こんな体育祭、他にはない気がする。
お互いに代表者三名を選出するという指示が流れた。
俺と青柳先輩は決まっていたようだが、青柳先輩が高所恐怖症だといって強引に棄権した。先生も予想外で困っている。
さすがに高校の体育祭で、生徒にこれ以上無理強いはできない。
一応学校の行事だし、皆も見ているし、といった道徳観。
「それじゃ誰がいく? 久保、富永お前たちいくか」
虫を振り払うかのような拒絶ぶり。
しばらく悩んでいると、月城と三好が自ら、仕方ないと立候補してくれた。
しかし、先生はそれを簡単に受け入れない。
「先生? 月城君と三好君で決まりじゃないンですか?」俺の問に――。
「相楽、そうしたいのはやまやまだけど……。相手は、志星館だぞ、俺だってな、せっかく二人が申し出てくれて嬉しいのはそうだ、けどな、やってみたら本人たちも分かる。この種目は特に、久保か富永のどちらかは最低、出てもらわないと」
この競技は二年前もあったのかと訊くと、青柳先輩と柏原先輩が「ないよ」と、即答してきた。つまり先生も相手も誰もこの競技がどうかは分からないワケだ。
「先生。俺は月城君と三好君で行くべきだと思います。先生が拘る、能力うんぬんより、やる気がある者の方がイイと思います。こんな得体も知れない競技をやる気ない者にさせたら、それこそ怪我の元ですよ。危ないですって」
俺が説明してもなお渋る先生方。しかし、結局、久保も富永も渋って、なし崩しの形で月城と三好に決まった。
二人はこんな決まり方で納得いかないだろうなと心配した。
俺と月城と三好の三人が、競技場所である中央メインスタンド側前へと着いた。そこで自分たちの陣地である場所へ移動する。
「なっ、なにこれ? 高っ!」月城が上を見上げる。
そこには、お爺ちゃんの現場でたまに見かける、ローリングタワーなる物が建てられていた。パイプで組まれたタワーだ。
目の前のそれは三段で、五メートルちょっとある。
下にはいくつかの大型キャスターが付いていて移動式だ。これを主に使う時は、高い所の設備工事や空調メンテナンス、補修工事、建築工事、その他高所作業全般で使用する。
月城を先頭にパイプをくぐり、タワーの内階段を三回ジグザグに上る。
「やばいよこれ、無理だ。ウソでしょ」三好が手すりに掴まる。
俺は二人の後に上がりきると、反対側にある同じタワーを見た。向こうの生徒はあまり怖がってはいない様子。
足元の高さは五メートル。五メートルという高さをなるべく正確に例えるなら、歩道橋の上の路面が大体それぐらいのはず。
車道路面から橋裏までの高さが最低四・五から確か改正されて四・八メートル、と決められたって言ってたから、標準的な歩道橋から下を覗いた感じ、とほぼ同じくらいの高さといっていいだろう。
こっちと向こうのタワーを繋ぐ一本橋を見た。
横幅二十五センチ、長さ四メートルのアルミ合金製の足場。
それが横に二枚並べてあり、つまり幅五十センチ。自分の肩幅より細い。
足のサイズが二十五センチ以上なら、中央で左右に開くと足先が飛び出る。
足場であるアルミ板の下にも複数パイプが通っており、強度的な補修もしてあるようだ。継ぎ目になる四メートル毎に、地面から支えとなるパイプがしっかり伸びていて、何ヵ所かで固定してあるようだ。
ただ、上からはただの一本橋であり、手すりも何もなく、下がどれほど頑丈かはちゃんと見ないと分からない。
横揺れに弱そうな気もするけど、四メートル板を三枚に分け、距離をそれなりに短く十二に設定したことが対策だと信じたい。
「ねぇ、あのマットって落ちても大丈夫だと思う?」三好が俺と月城に尋ねる。
地面には、棒高跳びで使うようなマットが、びっしりと敷きつめてある。
もしかしたら、マットの枚数で距離が決まったのかも知れない。
大きなマットが並び、繋ぎ目の間に落ちないようにと、所々に、上からシートが敷かれてもいる。
「大丈夫だと思うけど、マットの継ぎ目になる間は危ないと思うよ」
俺は一応注意した。
下を覗き、三好と月城が何度もブルッと震えていた。
俺はまったく怖くない。この高さでは恐怖が走ることはまずない。
下にはマットもあるし。
普段はもっと危険を伴う足場で作業することもある。
もちろん危険に感じることもある、が、しっかりと注意すれば安全だ。
問題なのは、足場より人為的なこと……。
何か起きる時は、必ず人為的ミスが重なるケースだ。
だから安全確認は、何人かで何度も行うのがお爺ちゃん式。仲間を失いたくないからそういうマニュアルは徹底している。
「専智学院、先鋒、三好啓修。志星館、先鋒、浅香恭介」アナウンスが流れた。
ヤバイを繰り返し、三好はなかなか一歩を踏み出せない。一方、相手の浅香は、すり足で少しずつこちらへと近づいてきた。
血色の悪い顔で三好が戸惑っている。
確かにこんなにも細い橋を、持つ所もなく進むなんて普通無理だ。これならただ飛び降りる競技の方がいくらかましだ。
敵である浅香も進みながら何度もバランスを崩しそうになり、途中で立ち止まり呼吸を整えている。
はたから見ていると、十二メートルは近く感じるが、渡る当人は相当長く感じている気がする。
「よし、もぅ、いくしかない」三好が自分に何かを言い聞かせて足を踏み出した。
すり足で、震える足を丁寧に置く。体の関係ない部分が。ビクッと動いている。見ているこっちが緊張する。
足元を見ながら、徐々に二人は近づいていく。
「おい、浅香。そろそろぶつかるぞ、気をつけろ」敵が浅香に指示を出す。
こっちも負けじと「がんばれ~」と応援をする。かける言葉がそれしかない。
ただ渡りきるだけの競技でも相当怖いし、難しそうだ。
タイムトライアルでも良かったのではと、二人を見て改めて思う。何もこんな所で戦わせて、落とし合わせなくてもと。
二人の距離が、あと二、三歩という感覚で向き合う。お互いに相当怖いだろう。身長の差からいって、背の低い三好の方が、敵に対しては怖いだろうし、背の高い浅香の方は、視線が高い分、高さ的な感覚は不利だろう。
荒い息で二人が手を伸ばす。その瞬間さっきまで穏やかだった橋がガタガタッと揺れ始めた。タワーにいるこっちまで揺れが伝わってくる。怖い。
ついに戦いが始まった。
お互い服を掴まれないようにしながら、どうにか相手を掴みにかかる。
相手を押そうとして空振り、バランス崩してヒヤッとしてる浅香の顔が見えた。本当にヤバイ。この競技は……してはいけない類の競技だと思う。
バタバタとした足に合わせて橋とタワーが揺れる。会場内も盛り上がる。
三好と浅香が揺らめく度、女子の悲鳴が聞こえ、男子の騒ぐ声が飛ぶ。
せめぎ合いが続く中、浅香がジリジリと距離を詰める。
距離があることで長引いていると、気付いたのだろう。しかし三好はその場から下がることはできない。すでに移動する余裕はないようだ。
「あ、掴まれた」月城が、その光景に目を覆いそうになる。
浅香は三好を橋の外へと放り投げようとするが、三好も必死に抵抗する。しかしパワーの差は歴然としていた。
三好は服がめくれ、何度も揺らぐ、逃れるように橋板へと座りへばり付いた。
と、その途端、浅香が三好を蹴り押した。
打撃は反則だが、足をくっつけてからの蹴り押しだ。
浅香自身も後ろへとぐらついたが、三好は見ているこっちがヒヤッとする感じで落ちていった。
分厚いマットに吸い込まれ、そして弾んだ。浅香は落ちた三好を見ずに、仲間の待つタワーの方を見て勝利を喜ぶ。やがてアナウンスが流れ三好の敗北を告げた。
「専智学院、中堅、月城明」
次なるファイトのコールが掛かる。浅香はそのままの位置で月城を待っている。どうやら勝ち抜き戦ということだ。
先に二勝した方が勝ちという三本勝負なら、俺は出なくて済むのにと、ちょっと期待したが……そうではない。
「それじゃ、行ってくる」そう言って月城は歩み出した。
随分と顔色が悪い。高さも怖いだろうし、敵に叩き落とされるのも怖い。
単純に、ここが平地であっても、この取っ組み合う競技は怖い。
月城の次は俺の番だ。まるで図書室で並んで受けた予防注射を思い出す。
……ああ嫌だ。
徐々に近づく月城が浅香の攻撃範囲に入った。長い浅香の手が、月城の肩を掴み揺さぶる。それを月城が必死に耐える。見ているだけで胸が苦しい。
騒がしい場内の声が、昔味わったいじめを思い出させる。
そんな感覚に感じる要因に、月城が攻撃できず防御しかしていないことが、そう見えてしまうのかも知れない。
「がんばれ月城君」俺は小さく応援した。
片膝を付いた月城が俺の声に振り返り、ぎこちない微笑みを見せたその後、浅香のパワーにねじ伏せられて橋の下へと落ちていった。
全身にゾワッと電気が走る。ムカつきと恐怖が同等に流れ込んでくる。
落ち着け俺。スポーツはケンカじゃない。まして虐めでもない。
俺はお爺ちゃんが言ったセリフを思い出す。スポーツはいいぞと。
世界陸上もオリンピックも、世界中が、ルールを守って正しく競い合う、それがスポーツだと。
喧嘩なんて所詮中途半端なもんで、結局、相手を本気で倒すことも仕留めることもない。何が強くて何が決着かもあやふやだと。
かといって、突き詰めて殺し合うのでは、ただの殺人であり戦争だ。
戦争なんてそれこそ強さと関係ない、ただの卑劣極まりない行為。
それに引き換えスポーツは、血の一滴残らず相手に叩きつけて尚足りず、練習、修行を経て、何年か越しに、ようやく相手に届く過酷さだと。
だから、ケンカよりルールのある格闘技の方が、より過酷で危険で強いと。
そして、どのスポーツであれ、同じ極みだと。
俺は熱くなる自分を正しき思いへと戻していく。スポーツはケンカじゃない。
喧嘩よりも上等なもので、由緒正しきルールと礼儀あるもの。
何度も言い聞かせていくと、少しずつ心が落ち着いてきた。
月城の落下前の顔が何度かチラつくが、ゆっくりと深呼吸をする。
「専智学院大将、相楽章和」
熱くなり過ぎて、月城の負けを言い渡すアナウンスは、聞こえていなかった。
俺は無宗教だけど、心の中で合掌し精神統一する。そして、これはスポーツだともう一度自分に言い聞かせて、足を踏み出した。
歩きなれた足場。目を瞑っても歩ける気がする。
何度も、そして何年も繰り返していると、人はここまで慣れるのかと思う。
あっという間に浅香の前に着いた。浅香は百八十くらいだろうか?
膝が曲がっているからか俺よりに数センチ小さく感じる。
実際は三、四センチ大きいはず。
手を伸ばしてくる浅香の手首を取り、押したり引いたりしてみた。
まったくビクともしない。こんなにも強い相手と、三好も月城もやり合っていたのかと改めて思う。これじゃ防御一辺倒になるのも頷ける。
俺は掴んだ手首を放し、揺らいだフリをしてしゃがんでみせた。
場内は浅香の優勢に沸き返り、女生徒の悲鳴にも似た声が響く。
「これで終わりだな」浅香の決め台詞が俺の耳に届いた。
そうだ、来い。
三好を仕留めたあの蹴りが俺の肩口へと伸びてきた。
その瞬間、俺は伸びてきた浅香の右足を、下からすくうように取り、立ち上がる勢いをプラスして、一気に持ち上げた。
「うあぁ。あぁっ」
瞬殺。
浅香が橋の斜め後ろに一回転して落下していく。場内がシーンと静まり返った。
浅香がマットに弾む音が『パシュッ』とした後、どよめきが起こりまた元の盛り上がりへ戻った。
浅香の敗北が告げられて、次の者がコールされた。
「志星館中堅、周防要」
スタスタと俺の方へ進んでくる。周防は浅香より遥かにこの橋に適応している。
「君は~スポーツクラスの子?」周防が距離を置いて問いかけてきた。
俺は首を振り、不意打ちに備えて警戒する。すると「本当に?」と更に問う。
仕方なく、自分は特進クラスですけどと自己紹介した。
「嘘だろ? 勉強オタクの? そうは見えないけど……」
見えるか見えないかは別として、専智の特進はやはり勉強オタクというレッテルが張られているのは良く分かった。褒め言葉には聞こえないけど、要するにお勉強ばっかりしているコってことでしょう。
俺を下から上へと何度も見る周防が、腰を落とし少しずつ踏み込んでくる。
ヤバイ気がする。さっきの浅香と比べて、ほぼ隙がない。
腕なんて掴めそうにない。
動きが慣れている。間違いなくこの競技を何度かやっている動きだ。ウチの先生は何の説明もしてくれないが、たぶん志星館は試し済みな感じがする。
もしかしたらこの競技自体が志星館の……。
「そろそろ行かせてもらうゼ相楽」周防の目つきが変わった。
前後に揺れながらフェイントをかけ、俺に飛び掛かるタイミングを狙っている。
俺に出来るのは、そのタイミングに合わせて、ガードのフリをすることと、もし来たら、タイミングを合わせて踏ん張ることだ。
来た。どうにかタイミングを合わせることが出来て、受け止めれた。ん?
「んぐぅ。くぅぅそぅぉ」なんだこの周防の異様なパワーは、ありえない。
浅香とやり合った時の数倍に感じる。これじゃまるで……。
まるで――。そうだ。間違いない。周防は自爆する気だ。
自分もろとも落ちる気だ。くっそ、とても耐えきれない。
俺はジリジリと押されていく。更に右へ左へと揺さぶられる。
ダメだ限界だ。落ちる気満々の相手に敵うはずがない。どうする俺。
俺に出来ること、俺に出来る技は……。
俺は周防の両手首を掴み、その手を思いっきり左右に広げた。周防の胸と俺の胸がぶつかる。くっ付くと同時に、自ら橋の真横へと背を向け、しゃがむようにしてお尻から落ちた。
手首を掴まれた周防が俺に引かれ付いてくる。抵抗はない。やはり落ちるつもりでのプッシングだったようだ。
普通なら、体が橋に残っている自分は助かろうと両足で踏ん張ってもいいはず。
もちろん踏ん張り切れないだろうけど。
あっさりと流れに身を任せてきた周防が、すでに体の殆どが橋の外へとある俺を見てニヤリと笑った。周防と目が合う。そして俺も笑った。
俺は周防の体が完全に落ちると分かった次の瞬間、持ってた周防の手首を離し、橋の縁に残した両足の間に両手を添えた。
グルッと背中から橋板の下へ回り込む。
小学生が鉄棒でよくやる、グライダーという跳び技、その途中で、蝙蝠という技がある、それの応用だ。
お爺ちゃんにはよく怒られるが、足場の二階くらいの高さから下に下りる時に、わざわざ階段まで行くのが嫌で隠れてやる。お爺ちゃんも邦茂おじさんも良治君も怒るけど、皆、低い所では、何かしらの近道で下りているのを俺は知っている。
俺の上を覆うように落ちていく周防の手が、橋板の縁で揺れる俺の背中を掴もうとしたようだが、肩辺りに何かが触れたような感触の後、マットに弾む音がした。
頭から落ちる途中じゃ、掴みようも、反応のしようもないはず。
まして落ちる気満々の周防に、しがみ付く意思があったかどうか。
きっと、ただ悔しくて、とっさに伸ばした手が触れただけだろう。
俺は、下に落ちた周防を揺れながら確認し、そして、一度両足を垂らした後に、逆上がりする形で橋の上へと舞い戻った。
場内がまたもシーンとしている。
アナウンスが周防の負けを告げ、次の選手のコールがなされた。
「志星館大将、袈羽零」
タワーに立つ袈羽が屈伸した後、ゆっくりとこっちへ歩いてきた。
身長は百七十四センチくらいだろうか。久保より少し高いくらいで、志星館代表の中では小さい方だ。
「君、随分と面白いね。要を倒せる者が専智に居るなんて、ホント世の中、分からないよ。こんな出会いがあるのか。でもさぁ、君が今まで出会った中で、俺という存在は、最悪だぜ」
そういうと不敵に笑う。
動きを見る限りでは、周防の方がキレていたように感じる。背もあるしパワーに関しても思い出すだけで震えがくるレベルだ。
この袈羽という者は、周防より凄いというのか? スピード? パワー?
大将になるくらいの何か……。
目の前まで来ると腰を落とし構えてくる。俺も焦って身構える。と、次の瞬間、袈羽が真後ろへとバク転し、バク宙した。
こっちを見てニヤリと笑うと、ゆっくり倒立し、片足ずつ付く前回りを、優雅にした後、側転してひねりの入った回転をして、元の位置に戻ってきた。
「なっ。これで少しは信じてくれたかな。俺、志星館体操部部長兼主将、袈羽零。よろしくネ相楽君。あまり平均台は得意じゃないけど、これくらいなら目を瞑っても出来るよ」
体操部。そりゃ目を瞑っても出来るでしょう。どれほどの種目数が出来るのかは知らないけど、床も吊り輪も鞍馬も平行棒も鉄棒も、もちろん平均台も……できるだろうね。
恐ろし過ぎて考えるのを止めた。
目の前で繰り広げられたアクロバットを見れば、相手が、間違いなく化け物だと分かる。ウチみたいに適当に決めた代表や大将ではなく、向こうは、完全に能力を吟味して選ばれた逸材だ。
浅香や周防なんてもんじゃない。俺は今とんでもない者と対峙している。
それに引き換え俺は、相手の動きを見ていたンじゃなく、周防の見た目と袈羽の上辺だけを比べて、周防の方が動きも強さも上だと踏んでいた。
ただ、背とかを見てただけだ。なんて愚かな……恥ずかしい。
遊ばれているように感じる。何度も仕掛けては離脱を繰り返している。
まさにヒット&アウェーだ。
苦し紛れに手を出すがまったくかすりもしない。スピードが追いつけない訳ではなくて、タイミングが合わないといった歯がゆさ。
まるでトランプのスピードという遊びで、相手が次々にカードを重ねていくのを呆然と指をくわえてみている気分だ。思考も体も停止してしまいそうだ。
俺にできることはない。出来るのは、勝ちを捨てて、周防のしたアレと同じく、自爆しかない。
この相手に負けないで引き分けることが出来れば、それは勝ちと言っていい。
捨て身になればギリギリ届くかも知れない。いや、届く。
仕掛けるのは袈羽が飛び込んで来たその後、――引く時だ。
俺は飛び込んでくる袈羽を掴まえる素振りを見せる。何度もフェイントを入れ、タイミングを計るフリをする。だがまったく合わない。相手の動きやフェイントが一枚上手なのだろう。
相手が猛攻撃を仕掛けてくる前に、仕留めるしか方法はない。
袈羽が何かを狙っているのは痛いほど分かる。
それが何かは想像もつかないけど、俺の動きが、ギリギリそれをさせずに済んでいるようだ。有余はない。今しかない。
来た。飛び込んで来た袈羽を掴みに行った。
しかしするりとかわされ、案の定距離を取られた。だが、俺が狙っていたのは、もちろんこの状況だ。一気に飛び掛かり袈羽の胴を両腕でロックしにかかる。
「もらった!」
「それはどうかな」
次の瞬間、飛び掛かった俺の頭に左手を添え、ジャンプした後、頭上で倒立して俺の背中側へと飛び越えて行った。
「なかなかやるね相楽君。やはり専智の者の動きじゃないね。君は何部? いや、言わないで、当ててみるから。君は~、バレーボール部でしょう」
俺は相手へと向きを変え、首を横に振った。それじゃ何と問われたから、しいて言うなら帰宅部ですと正直に答えた。
シーンとしていた場内に、嘘だろという笑い声が響く。
袈羽がからかわれてるのかなと睨んできたから、本当に帰宅部だと答えた。
「そう。それじゃ中学の時にしてた部活は?」
俺は特に御座いませんと答えた。そして聞かれるより先に、小学校の時にソフトや野球をかじる程度にはしていたけどと、正直に付け加えた。
「なんだか、君に負ける訳にはいかなくなったよ。俺は子供の頃から、ずっと体操一筋で来てるからさ。ここで君に負けたら俺のプライドが崩れ落ちそうだ」
袈羽の目の色が変わった。その動きも攻め方も全く違う。
いきなり俺の足元へと滑り込んで来たと思ったら、俺の腕を掴み、真下から両足で腰を押し上げる。
巴投げでもされたように宙へと跳ね上がった。
このまま橋の下へ落ちると分かった。何も考えられない。自分がどんな体勢かも分からない。
たが思うのは、袈羽の掴んで来たこの手を、俺もがっちりと握り返すことだけ。それだけだ。
技も知恵もない。俺はがむしゃらに袈羽の腕を掴んでいた。
気が付くと、体の腰から下が、橋から落ちていた。
しかも、仰向けの状態でぶら下がり腰が痛い。腕は伸びきっている。
体を橋の上にあげることも、袈羽を下へと引っ張ることもできない。
仰向けにエビ反っているから、パワーが出ないのだ。
「粘るね相楽君、気に入ったよ」
声の感じからして袈羽も仰向けの様だ。橋の上でどんな状態か分からない。
冷静な状況か、もう少し余裕があれば分かりそうなものだが、今は無理だ。
ただ袈羽も俺に腕を持たれていて動けないのかも知れない。ヘタに動けば落ちるのかも知れない。
俺の掴む手が疲れて離れるのが先か、俺を支えることに袈羽が耐えられなくて、共に落ちるか。
やはり共倒れになってくれれば最高だが、そろそろ俺も疲れてきた。
さすがにこの体勢で掴み続けるのはきつい。
弱音が心に過りだした。この体勢になって三十秒くらい経っただろうか。
もしかしたら二十秒? それとも四十秒?
疲れがピークに達し、何度も手を離そうかと思った。もういいやと思った。
このまま掴んでいた所で、勝てる見込みはゼロだし、最高で引き分け。
何度も弱音を言うが、なぜか手を離さない。離せない。
すると、袈羽の体がずるずると俺の方へずり落ちてきた。俺の体が少しずつ下へと下がっていく。
ある程度くると、スピードが増し、ズズズッと体が落下しだした。
「うあっ」
二人同時に何かを叫び、気がつくと下に敷かれたマットの上に落ちていた。
相手が落ちたかを確認するまでもなく、手に掴む袈羽の腕の感触を感じていた。
「ふぅ。引き分けか、参ったねこりゃ……」
お互いに寝転んだ状態で顔を見合わせた。すると袈羽が、俺じゃなかったらお前の上に落ちて大怪我していたぞと笑う。それを聞いて、そうだろうなと思った。
何から何まで俺は袈羽に敵わないと悟った。
余裕なく、ただがむしゃらに掴んでいた俺と、状況を考えて臨機応変に対応し、怪我や事故まで防いだ袈羽とでは、天と地ほどの差がある。
「ただいまの勝負、両者落下ということで、ドローとさせて頂きます」
少し悔しそうに帰っていく袈羽を見て、俺はホッとする。
俺も専智学院の代表が集まる場所へと戻る。
「惜しかったね相楽君。もう少しで勝てそうだったのにね」
柏原先輩や市村先輩が褒めてくれる。久保や富永も寄ってきた。
俺は今の戦いを見て『惜しい』と思うのと言いたいところだったが、何も言わず流して、三好と月城の所へ向かった。
「引き分けだけど、これが俺の限界、ごめん」俺は二人に笑った。
すると三好と月城が「やっぱすごいな相楽君は」そう褒めてくれた。
あの恐怖の中で共にチームとして戦った。三好も月城も、相当怖かったろうに、俺と同じように代表に駆り出されて、同じように苦しんだ。
俺に言えるのは、一つだけ。
「まずは、お疲れ様だね」
三好と月城も、お疲れ様と返してくれた。
三人で固まっていると、今度は女子の競技がアナウンスされた。
「専舞女学園と専智学院の女子による競技、第一ラウンド『キャタピラ走』を行います」
アナウンスがルールを説明していく。
ルールは単純で、生徒がすっぽりと入るくらいの大きさの段ボールに二人一組で入り、キャタピラのようにして押しながら進むだけだ。
一見簡単そうだが、しいていうなら、二人一組だからこそ、お互いの息を合わせないと、道からはみ出たり曲がったり、ヘタするととんでもないことになる。
先生が女子を集め、代表者から選手を選ぶ。
「松宮と小堀。それと鈴原と有須。この二組でいくから」
鈴原と有須が頑張ろうねと握手する中、松宮と小堀は嫌だとごねる。
前にもまして仲が悪い。時間が経つ度に悪くなっていく気がする。
先生はお構いなしに、それを本部へと持っていく。
「専舞女学園代表、渡辺花帆、柴谷貴代。砂海光希、逢地尽久美。専智学院代表、松宮麗香、小堀綺乃。鈴原凛、有須美琴。八名は特設レーンまでお越し下さい」
代表者が競技場所へと移動する。
俺は見やすい場所へと移動し、疲れた体を休ませながら見学する。
コースは百メートルで、山あり谷ありの直線だ。
二名ずつの計四名でスタートし、反対側で待つ仲間二人に、キャタピラをバトンタッチして折り返してのゴールだ。
前に雑巾がけレースして実感したが、このキャタピラを二人一組で百メートルも押し進むのは相当キツイはず。しかも上り坂や下り坂もある。
相当過酷に違いない。
松宮と鈴原を心配していると、あっという間にレースは始まった。
相手がどういう子達かは分からないけど、できれば勝たせてあげたいところだ。




