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エンドロールでくちづけを  作者: セキド ワク
20/36

二十話  陽炎



 早朝からお爺ちゃんの仕事の手伝いをする。夜はお父さんのレストランでバイト的なことをしていた。もちろん同日に二つ行くようなことはない。

 普段学校で勉強していることが、全て肉体労働に代わった。だらけていない分、体調はいい。


 佐伯に言われたからというか、暑くて髪をバッサリと切った。さすがにスポーツ刈りとまではしなかったが、耳もおでこも丸見えだ。

 鏡に映る俺は真面目な少年から生意気そうな感じになってしまった。見るからに勉強が不出来そうな顔をしている。


 顔を洗い部屋へと戻る。


 今日は佐伯の家に呼ばれている。

 どんな服装で行けばいいのか迷いながら服を探す。

 どんなに外が猛暑でも、タンクトップや半ズボン的なもので出掛けるわけには、いかない。失礼だ。


 半袖のワイシャツに夏生地のズボン。無地でなるべくシンプルな感じに。

 シャツの裾もきちんと入れてベルトもしめる。……でも、暑苦しい。


 バイクで行きたいが、自転車を漕いで向かう。さすがに歩くのは嫌だ。

 ただでさえ汗がジワリと滲むのに、歩いてなんて行けば、向こうの家族に、道の途中で打ち水でも掛けられたのかなって思われそうだ。


 すぐに佐伯の家に着いた。小学校の学区域だから近いと言えばそうだ。

 俺は緊張して呼び鈴を押す。するとすでに待機していたかのように、すぐに佐伯が応答してくれた。玄関から門まで出迎えてもくれた。

 自転車を門の中へと入れさせて貰い、端の方へと置いた、鍵はかけない。


「髪切ったのね。すごく似合うわ。――さ、どうぞ入って」

 玄関で佐伯のお母さんが待っていた。佐伯とは似ても似つかない感じだ。

「お邪魔します」お辞儀をして靴を脱ぐ。

 靴を揃へて佐伯の後についていく。庭も大きかったが玄関も廊下も広い。

 緊張したままリビングへと通された。


 かつてこの場所で、惣汰の親のことを泣きながらお願いした場所だ。


 早速佐伯のお父さんとお母さんが出迎えてくれる。ん? お母さんが二人?

 玄関で出迎えてくれた人とこの部屋に居る人を見比べる。

 どうやら服装や態度からして、お手伝いさんというか家政婦の方だ。

 通りで佐伯と似ていなかったわけだ。正直、似てるかどうかではなく、全然違うと思った。けど、家政婦という発想もなかった。


「お早う御座います。相楽章和と申します。あのこれ、召し上がって下さい」

 お父さんのレストランで扱ってるデザートとケーキを、手土産として手渡した。

「やあよく来てくれたね。ささ、座って」

 お父さんもお母さんも凄く優しい笑顔だ。ただ、お父さんに関しては、オーラというか男度が強過ぎて怖い。

 どう見ても、人を束ねる立場の人間と分かる威厳が出ちゃってる。


「相楽君のことは昔から結理ちゃんから聞いてたのよ。ホント、いつも結理のこと庇ってくれてありがとうね」お母さんが優しく話しかけてくれる。

 声が気品に溢れている。笑顔は優しいが、授業参観などで知っている一般の母親像と比べて全然違う。怒らすと危険(ヤバイ)と分かる唇をしている。

 服装の優雅さと見るからにブランドと分かるデザイン。

 家政婦を操る姿も、まさに、主人と召使いだ。


 部屋中が俺を異物として排除しようとしている気がする。


 別に娘さんをお嫁に貰いに来たわけじゃないのに、心が縮こまる。まるで亀。

「料理が運ばれる前に、先に謝っておきたいのだが、いいかな? 相楽君。色々と迷惑かけてしまって済まなかったな」お父さんが改まって頭を下げる。

 俺は必死にへつらう。目上の者に頭を下げさせるような教育は受けていない。


 相楽家は完全年功序列方式を取っている。

 黒いものでも白になるし、話し合い途中に、目上の者の気分で善と悪が、何度も変わる制度も採用している。いわば猿山や野生と同じ条件だ。


「あ、あの、全然なんとも思っていないので、もう御気になさらないで下さい」

 へりくだる俺の言葉に、そう言って貰えるとありがたいと感謝してくれた。


 娘とはずっと不仲だったと反省する。横でお母さんも頷く。

 君から友達と野球を奪ってしまってと、本当にすまなそうにいう。


「君の家がもっと普通の御宅なら謝罪の仕方や責任の取り方もあったのだが、君のおじい様もお父さんも凄い仕事ぶりで。何度かお仕事でもと申し出たのだけれど」

 お父さんなりに悩んでいたようだ。佐伯がお母さんに伝えたことがお父さんへと伝わり、この長い年月をかけて深い反省となったのだろう。


「こんなこと私から言うのもなんなのだけど、もう、野球はやらないのかい?」

「あ、はい。遊びではするかも知れませんけど、部活としては。今は、勉強の方が大変で。部活も勉強も学生の間だけですから、僕は勉強をと」

 やっぱ髪を切るンじゃなかったかな? この頭では説得力がないな。どっちかと言えば、スポーツ大好きの髪型だ。勘違いされたかな?


 佐伯のお母さんが、特進クラスなんですってと褒めてくれた。しかもなぜか俺がオール五を取ったことまで知っている。なぜ? 佐伯にだって話していないのに。

 つまり話してはいないが、佐伯も知っているということだ。



 料理がどんどんと運ばれてくる。何人で食べるのという量だ。

 彩りといいボリュームといい種類といい。和洋中全てある。

 俺の好きなパスタもある。お寿司やてんぷら、ステーキにピザ、エビチリやトロっとしたあんのかかった野菜炒めなども。

 他にもいっぱいある。


「さ、食べよう。相楽君、遠慮しないで好きなものを好きなだけ食べてね」

「はい。頂きます」


 佐伯が小皿に取り分けて俺に運んでくれた。

 するとお母さんが「あら、なんか二人は夫婦みたいね」と冗談ぽく笑う。

 俺は焦って、父上様の方を心眼で見る。もちろん見えないし分からない。殺気を感じ取る為に触角を伸ばす。もちろん触角もないので分からない。


 なんとなく恐怖が募る中、お父さんが口を開いた。

「相楽君はお付き合いしている子はいるのかな?」

 俺はワザと口にかき込みながら、いませんと口ごもって答えた。

 動揺で正しい行動を導き出せない。焦る。


「そうかぁ。ウチの結理はどうかな? 親ばかと思われるかも知れないけど、凄く良い子だし可愛いと思うのだけど……、相楽君のタイプじゃないかな?」

 俺の知っている映画や小説では、こういう時、娘とか母親が「ちょっとやめてよお父さん」とか「あなた。そいうのはどうかと」的なことをいうはず、なのだが、二人ともニコニコしながら俺が食事するのを見ている。セオリーと違う。


 どこの馬の骨かも分からない俺に……、いや、どこのどなたかは知られている。どちらかと言えば幼馴染の部類に入っちゃってる。

 お爺ちゃんやお父さんの仕事まで知ってるわけだし、正確に言えば何から何まで筒抜けの状態だ。


 でも、こんな俺に、娘をっていうのはちょっと違和感がある。

 これほどの家柄なら、娘の彼氏には富豪の馬鹿息子とか銀行の頭取の息子的な、病院の跡取りとか、そういった系列の者を選ぶと思うけど。


「君がウチの娘と話さなくなったのって『私が』原因だったのだろ? どうかな、さっき許してくれたことだし、娘を恋人としてみてやってくれないかな。そうしてくれると私も助かるのだけれども」

 助かる? 俺みたいなアンポンタンと、こんな豪邸に住む御嬢さんが?

 どうかしてる。それとも酔っているのか? そんなはずはない。目が酔っている感じじゃない。どちらかと言えば目薬後の冴えわたる目だ。ギラギラし過ぎてる。

 目を合わせたら、中一までお漏らししていたことも見透かされる眼力。


 それじゃなぜこんな申し出を? 分からない。


「相楽君、私からもお願いします」お母さんまで頭を下げる。

 俺は焦って、頭を下げ返しながら「頭を上げて下さい」と言い訳を始めた。

 今は勉強で手一杯ですと。

 とても女性とのお付き合いを考える余裕が、御座いませんとおどけてみせた。


 普段学校で見ている佐伯は、ただのカリスマ女子。だが、ここに居る佐伯は完全なる令嬢だ。とても手の届く恋愛対象じゃない。学校や、子供だけの馴れ合いだとそこまで気付けないが、いざ御両親に会うと格の違いを感じる。

 これならまだロミオとジュリエットの方がましに感じてくる。

 今の心境は、キングとクィーンとプリンセスと対面する……一般人(チンパンジー)



 こんな状況下だけど、食べ盛りだからか、食事のグレードが高いからか、食欲が止まらない。どれを食べてもおいしいとしか思えない。

 遠慮しているつもりでもペロリといってしまう。

 もしかしたら、ここ数日は働き通しだからという理由もあるかも。


「相楽君がウチの息子になってくれたら……。そうそう相楽君って凄く女子に人気がおありなンですって?」お母さんがまたもとんでもないことを。

 目まぐるしく質問される会話が、一貫して恋愛系だ。それに、息子?

「いや、全然モテませんから。ラブレターとかプレゼントも、一度も貰ったこともないですし」

 久保やモテる男子は下駄箱に入っている。ドラマみたい。

 ちゃんとロッカーに鍵かけろよ。って俺は、鍵もかけないのに一回もない。

 そのことを伝えると、キングとクィーンとプリンセスが笑う。


「相楽君は結構鈍感な方なのかな? 逆にそういうところがモテてしまうのかな」

 俺が不思議顔で食べていると、今度は佐伯が話しかけてきた。

「本当にモテる男子は、手紙もラブレターも、恋敵が排除しちゃうのよ。それに、プレゼントだってそう。相楽君は知らないと思うけど、皆、毎日お弁当作って持ってきてるわよ」

 俺はその言葉に、食べている物を軽く喉に詰まらせた。


「うぅ。嘘っ。毎日? それじゃ……」

「相楽君の知らない裏で女子達はもうバチバチのやり取りよ。久保君とか他の男子のなんて可愛いものね。相楽君のとこはガチだから。彼女というより、結婚視野に入れてるもん」

「結婚? 俺と? 誰が? だってまだ子供だし、冗談でしょ?」

 俺がそういって笑うと、佐伯が首を振る。そして自分が知っているだけで十人はいるという。それも相当本気レベルだという。

 信じられない。全く見当がつかない。


「相楽君。私もその一人だよ。私、相楽君と結婚したいもん」佐伯が照れる。

 お父さんとお母さんも照れている。チンパンジーも一丁前(いっちょまえ)に照れる。


 するとまたもお父さんがいう。

 娘とは絶縁状態だったから、結婚も孫も全部諦めていたと。だけど、今は結婚もして欲しいし幸せになって欲しいと。その相手は相楽君しかいないと。

 色々と話を聞いたらしく、親としては結ばれることを願ってやまないと。


 お母さんもいう。相楽君が誰かに取られるとアレだから婚約という状態はと。

 お互いの家族で話し合って、学業が落ち着くまでは許嫁ということにと。


 冗談のような話だが、目の前にいるキングもクィーンもプリンセスもマジだ。

 俺が困っていると佐伯が焦ったように、無理矢理というワケじゃないからねと、話を流した。


「そうかぁ、今はまだ勉強かぁ。高校生だから仕方ない。相楽君には、ウチの佐伯グループを継いで欲しいと思ってる。ウチの結理と一緒に、仲良く頑張って欲しいのだけど」

 一体ここで何が話されているのかさっぱり掴めない。しかし、お父さんは笑顔で淡々と自分の意見を述べていく。

 俺もハハハッと笑ってみせたが、佐伯グループを継ぐなんてとんでもない。

 絶対に無理だし、何よりお爺ちゃんとお父さんにドヤされる。



 食事を終えるとデザートが来た。もうお腹いっぱいだ。

 甘いものは別腹というタイプじゃないから、無理しない程度に食べた。

 お父さんの店と同格の味だ。ありえない。今まで生きてきて初めてだ。

 余程の店の物と分かる。すごく美味しい。そして悔しい。


 食べ終わると佐伯が部屋に来てと俺を誘う。俺はさすがに女子の部屋に行くのはまずいような気がして渋った。だがキングが行ってあげてくれないかというので、遠慮がちに行くことにした。


 家中がお金持ちだと叫んでいる。映画で見るようなインテリア。どうしてこんなもの買ったのとクイズになりそうな物がゴロゴロしている。

 たぶん三階建てなのだが、高さがあり凄い空間だ。

 吹き抜けをみると、何階の高さか分からない。もちろん横にも広い。


「ここよ。入って」佐伯に手を引かれ部屋に入る。

 白とピンクのグラデーション。ほのかに香るせっけんの香り。ここはメルヘンの部屋ですかという部屋だ。

 見たこともない高そうな机。まさにプリンセスのベッド。

 しかし、壁際に似つかわしい大型の水槽がある。中には見覚えのある金魚。


「あ、それ、覚えてる?」

「もちろん」

 商店街の盆踊りの時、俺が出店の金魚すくいで苦労して取った出目金と流金だ。

「大きくなったでしょ。大切に飼ってたの」

 金魚二匹に九十センチはある水槽って凄い。掃除や水の取り換えが大変そうだ。


「世話するの大変でしょ。これ水とかどうしてるの?」

 俺の問に、二ヵ月に一回は交換しているという。

 何でも、別の部屋にもう一つ水槽が用意されてて、すでに綺麗なお水を作り置きしてあると、それで時期が来たら、引っ越し方式を使っていると。


 ペット屋の人に飼い方を聞いて、丁寧に飼っていたようだ。


 黒い出目金と真っ白い流金。本当は赤い方がいいかと思ったが、あの当時の俺と佐伯に似ているからと必死にすくった。

 野球と遊びで真っ黒に日焼けしてた俺と、大きな麦わら帽子を被って涼しげな袖つきの服を着た、真っ白い肌の佐伯。


 二匹の金魚を見ていると、話さなくなった今の俺と佐伯の状態を考えてしまう。さっきお父さんが言っていたけど、惣汰の親の件で、俺は佐伯と、話さなくなってしまった。

 別に佐伯のことが嫌いになったわけじゃない。ただ、泣き顔を見られたことや、家柄の違い、何より中学は別の学校に行かすと言われたこと。いや、もしかしたら他にも理由があるのかも知れない、が、もう何も思い出せない。


 あの頃、虐めや別れで手一杯だった。幼い俺には何もかも無理だった。一人では乗り越えられない壁で、ただ必死に歯を食いしばって、親やお爺ちゃんと過ごしていたら、今日になった感じだ。


 良治君が遊んでくれたのも、きっとお爺ちゃんや邦茂おじちゃんが俺を見かねてお願いしたことだと今は分かる。

 良治君は、俺が沈んだ時は仕事を休んででも遊んでくれたから。


 この金魚を見ていると佐伯の優しさや想いが伝わってくる。仲良く泳ぐ二匹。

 ヒレも鱗も傷一つなく綺麗だ。優雅で気品さえ感じる。


 鮮明に覚えている。ブルーの入れ物の前に佐伯とちょこんと座り、ポイを片手に中を覗く。オレンジのライトと自分たちの影が映り込む。

 この二匹は、沢山溢れる細い金魚の中に紛れたお宝に見えた。教室で(ハブ)れた自分たちのようにも感じた。まぁ、他にも東錦やそれこそ珍しい金魚もいたけど……。

 俺も佐伯も子供だったから凄く喜んだ。



「可愛いでしょ。私が来ると寄ってくるの」

「へぇ。金魚って普通慣れないからすごいな」

 二人で水槽を覗く。すると佐伯が横で涙を拭く仕草をする。

 俺はその意味が分かるから何も言わずに頭を撫でた。俺も……泣きそうだった。


 二人ではしゃいですくった金魚をこうして眺めるのが、まさかこんなに大きくなってからとは。

 金魚の寿命は大体十年ちょっとある。でも金魚すくいで取った金魚が、こんなに生きることはまずない。病気か何かですぐに逝ってしまう。

 よほど佐伯が頑張ったのだろう。それに俺は、これがもしあの時の金魚じゃなかったとしてもいいと思っている。


 人が人を想い必死に手を伸ばしていた日々が分かるからだ。


 ベランダから夜空を見ていつも思っていた。寂しくていつも願っていた。

 一人じゃ辛くて負けそうで……、学校や周りにいる人が、全て意地悪な敵だったから、俺は家族しか信じれなかった。

 でも佐伯はその家族でさえ壊れかけてて。お父さんとケンカして、きっと世界でお母さんしか話せる人はいなかった。

 金魚を見ながらいつか絶対って思っていたはず。


 俺と同じように、神様に祈っていたに違いない。


「相楽君、この前のキャンプの時の写真これに入れといたから」

 涙を拭きながら、佐伯が机に置かれたノートパソコンからUSBを抜き取り俺にくれた。家に帰ったら見てねと微笑む。俺はありがとうと微笑んだ。


「佐伯さん、ココ座っていい?」

「うん、いいよ」

 ゆったりとしたソファーに腰を下ろすと、佐伯が真横にピタリと座ってきた。

 俺は部屋を見渡し、背凭れに深く沈む。佐伯の視線を感じる。


「相楽君。二人とも随分大人になっちゃったね。なんか、嘘みたい」

 俺は佐伯を見た。確かに大人だ。

 すごく細くて柔らかそうな髪だったけど、今じゃしっかりとした髪だ。皮膚の下の血管が見えていたのも、今は目立たない。


「な~に相楽君。そんなに見つめられたら……恥ずかしいよ」

「ごめん。でも、本当に俺達、大きくなったのかもな。……佐伯。ごめんな。辛い思いさせたよな? ごめん」

 俺が謝ると、首を振って悪いのは私の方という。

 お互いまた泣きそうな顔になったが、なぜかそんな顔が面白くて、お互い笑ってしまった。不思議だ。



「ねぇ相楽君、もう一回佐伯って呼んでよ。あ、やっぱ結理がいいな」

「え? 俺呼び捨てした? 嘘? ごめん」

 呼んで呼んでと甘えてくる。すごく可愛い。


 あの頃、佐伯さえ傍に居ればすべていらないと思っていた。

 俺は、佐伯の笑顔を奪おうとする者達と対峙した。

 あの惣汰とでさえ、本気でやり合った。でも、俺の喧嘩は、惣汰を入れてたったの三回だけだ。もちろん小競り合いはしょっちゅうあった。

 それこそいじめを受けてるから、周りの誰よりも多い。


 でもケンカと言えるのは三回だけ。自分より遥かに強い者とだけ。

 それがお爺ちゃんとお父さんとした約束だったから。


 俺はチビだったし、すごく怖かったけど、命がけだった。

 絶対に譲れないし、引くワケにはいかなかった。

 各クラスのボスで、凄いワルで嫌な奴らだった。


 惣汰以外の二人はとにかく大きくて太っていて、典型的ないじめっ子だ。

 ケンカした三回とも勝てなかった。三人ともメチャクチャ強いし、とにかく怖い存在だった。甘ったれの俺には到底敵わない相手だ。

 まるで年上のようで歯が立たない。

 でも、絶対に勝てないと分かったけど、命が消えるまで立ち向かった。

 先生が止めても、誰が何と言っても(あらが)い続けた。


 相手の重い拳や蹴りを何度も受けながらパンチを出す。それを殆どかわされる。全く当たらない。

 服をビリビリにされ振り回されて、格の違いは歴然としていた。血塗れだった。鼻血も出たし唇も切れた。顔は腫れあがり、全身アザだらけで本当に最悪だった。

 子供同士だったからそれで済んだけど……この年だと入院だろう。


 奇跡的に当たった俺のパンチは利いていたのかな?


 合計で何発殴れただろうか? でも俺の思いは届いた。あの三人は二度と佐伯を虐めなかった。

 配下の男子も全員佐伯を虐めなくなった。ただ、惣汰以外の二人は相変わらず、俺のことは虐めてきたけど……。でも約束通り、佐伯には手を出さなかった。


 大体の男子とのカタはついたけど、佐伯はボスの配下ではない一部の男子とほぼ女子全員に虐められ続けた。

 俺と二人、無視されたり悪口を言われたり、悪戯もされ続けた。



「相楽君。……ン~うん、なんでもない」

 佐伯といると突然過去のことが浮かぶ。不思議だ。

 考えないように意識しているのに。嫌な思い出や悔しいことばかりで……。

 でもどうにか今日までこれた。


「結理。ちょっといい? 入るわよ」

 ノックと共にお母さんが入ってきた。お盆にコップとガラスで出来たウォーターポットを乗せている。


「相楽君大丈夫? いやね、パパが相楽君結構食べてたけど食べ合わせとか大丈夫かなっていうのよ。好き嫌いが分からないから、色々と種類を用意したのだけど、変な意味じゃなく、まんべんなく食べていたでしょ? パパに言われて凄く心配になって、お薬持ってきたのよ」

 お腹の整腸剤と体に凄くいい漢方薬だという。

 ごめんなさいねといいながら用意してくれる。


 そうか、それで色々な種類があったのか。通りでいっぱいなわけだ。なるほど、お金持ちだからじゃなくて、俺に気を使ってくれてか。なんか優しいな。


 別に平気ではあったけど、気持ちに応えようと思って薬を飲んだ。

 確かにお腹いっぱいだが、食欲に任せて限界を超えるほどは食べていない。

 遠慮していたし、緊張もしてたし、……まぁ結構食べたけど。


「お気を遣って頂いて有難う御座います」俺は会釈した。

 いえいえと笑顔で答えたお母さんが、何故かその場に座る。

 そして、なんか楽しそうねと笑う。どんなお話をするのと。


「な~にお母さん。別になにも話してないよ。ただ二人で座ってるだけよ」

「そうなの? でもいいわね、二人で寄り添っちゃって」

 俺は急に恥ずかしくなってきた。確かに一つのソファーに並んで座っている。


「相楽君。ウチの娘のことよろしくね。さっき話したことは、本当に親としてそう思っていることで、二人が結ばれてくれたらなって思ってるの」

 俺が真剣な顔でそれを聞いていると、なぜそう思っているかも話してくれた。


 お受験に失敗して、予定してた幸せから外れて、正直、本当に混乱したらしい。親として未熟だったから、子供のことよりも、自分達が歩んできた道と似たようなことをさせたがってばかりだったと。


「不安だったのね。結理を幸せにしたいと思えば思うほど空回りして……」

 母親の言葉が胸に刺さる。うまくなんてできなくてもそこに愛はある。でも何をどうしていいかの正解が分からない。聞いていて可哀そうだ。


 親って皆そうやって、子供のことを必死に想い背負うものなのだと頷いた。


 娘が学校で虐められているのに気付いたのは四年生の時で、突然他所の親が家に訪ねて来て、高価な物を結理から貰ったと子供が言っているという。

 不審に思い、それが本当のことかと向こう側の親が心配で訪ねてきたようだ。


 案の定それは盗んだもの。

 娘が何度も物を失くすからおかしいとは思っていたが、実は虐めの一つだった。母親はそれをきっかけに、娘と過去にさかのぼって話を聞き、全てを知った。

 それをお父さんにも相談した。


 お父さんはすぐに学校へ行って抗議するが、一向に収まらず、そして一年半後に爆発してしまって……と悲しそうに言う。


「そうですか。大変でしたよね……」

 佐伯はずっと言わなかったのか。どうしてだろう。お受験に失敗して、あの学校でも失敗したと思われるのが嫌だったのかな……。可哀そうだな。


 でも、お父さんの件に関しては、お爺ちゃんやお父さんが言ってた通りだ。

 世の中はすべてそんなものだと。学校の先生は役立たずだし、無責任だし、一見悪く感じたお父さんのあの行動も、追い詰められての行動だったンだ。


 虐め続けた奴らとそれを制御できなかった学校が悪の根源だ。


 結局被害者は、虐めを受けた子と、約束を守った惣汰と……。


 家庭が完全に壊れたようだったという。

 虐め続けられる娘と、どうにもならない親。しまいには、娘とも絶縁状態で口も利かないし、一緒に食事もとらない。

 家族で出かけることも思い出もなかったと。


 俺は話を聞きながら、先ほどのお父さんの言葉の意味を少しだけど理解した。

 せっかく子供を産んで、家族ができてこれでは、どれほど辛かっただろう。


「私、結理に転校をすすめたことがあってね」

 すると当時の佐伯は、母親に、相楽君がいない学校で虐められたら、誰が助けてくれるの? と訊いたらしい。

 お母さんは何も言えなかったようだ。

 そのことをお父さんにも話したら、学校も誰も他人を救ったりしないという結論だったようだ。


 実際に世の中はそうだ。俺や佐伯はただ踏ん張って乗り切っただけで、救われたわけではない。解決もしていない。


 佐伯が俺と同じ中学に進むと母親に告げると、ただ頷くしかなかった。

 一応お父さんにも全て話は通したようだが、結理の好きなようにさせてあげようと微笑んだらしい。親としてそれしかしてあげられなかったから。


「どんなに苦しくても結理が頑張れたのは、相楽君の傍に居たかったからよね」

 あれ程嫌いと絶望した勉強も、相楽君と同じ学校へ行く為と頑張り、そして死に物狂いで合格した。お受験で想定していたエスカレーターの高校より遥かに上。

 親としてはびっくりしたし、それは喜んだという。


 俺は話を聞きながらもっと深い所を想像していた。

 中学の時、殆ど佐伯とは会話をしていない。

 ずっと、ひたすら勉強していた? けど、俺が勉強を始めたのは、中二の夏前、それまではしていない。なら、その間の佐伯は……。


 俺が始めてから同時にスタートしたとして、あの地獄のような孤独で、ひたすら勉強に費やす。

 今更どうしようもないけれど、でも、それがどれほどの孤独と不安だったかは、想像がつく。


 一人ぼっちの中学時代、きつかっただろうな。


 受かるかさえ分からない領域の学校だし、どれほどの不安だっただろう。

 受験番号を見つけた時どんな気持ちだったか。合格していた時誰と喜びを分かち合ったのだろう。


「相楽君も勉強大変だったでしょ~」

「はい。でも、俺は、勉強していると……た、楽しくて」

 嘘だ。色々なことを考えないで済んだからだ。逃げていたのかも知れない。

 惣汰のことも美織さんのことも、そして佐伯のことも。

 勉強はすべて忘れられるほど難しかった。


 佐伯が横で微笑む。ウソがばれたような気がして焦る。


 佐伯のお母さんも微笑む。そして言う、お父さんは娘と会社の為だけに、必死に今日まできたけど、その二つを譲るなら、本気で相楽君だと思っていると。


 理由は単純明快だ。俺が佐伯を命がけで守り続けたからだ。

 お父さんの一番大事な命を、赤の他人の俺が必死に守り、そしてこの仲直りへと導き、すべてを幸せへと導いたからだと。


 佐伯が勉強できたのも、虐めを耐え抜き、有名私立高校へ入学できたのもそうだという。


 俺が首を振って謙遜(けんそん)するが、お母さんもそこは断固として譲らない。

「相楽君にはどれほどお礼をしても足りないくらい。本当ならもっと大変なことになっていたかも知れない。もっと家族が壊れていたかも知れない。結理も、きっと正気でいられなかったかも。正直、この四年間、私達夫婦は、相楽君のことばかり考えていて、お父さんと二人で祈っていたの。私達には、居もしない神様より救いだったもの」


 本気で言っていたンだ。佐伯グループの話も結婚のことも、こんなチンパンジーな俺に、本当に譲りたいって言ってくれていたンだ。


 なおもお母さんが話していると、佐伯の部屋のドアがノックされた。

「どうしたのかな? ママも行ったきり戻って来ないし、俺だけ寂しいぞ」

「はいはい、今戻ります」話途中だが、お母さんがコップをお盆に乗せる。

 そして立ち上がると、後で下に来て下さいねと微笑んで出ていった。


 すごく複雑な気持ちだ。こんなにも皆が苦しんでいたとは。

 きっとウチの親やお爺ちゃんも、絶対俺のことで悩んでいたはずだ。

 聞かなくても分かる。

 お爺ちゃんとお父さんの顔が浮かぶと、勝手に涙が(にじ)む。



「相楽君。どうしたの? 私も、守るから」

 そういっていきなり俺を抱きしめてきた。

 俺、泣いていたのかな? このまま気を抜いたら声を上げて泣いてしまう。

 それはできない。これじゃ佐伯の家に来る度に泣くことになる。


 俺は、(むかし)気質(かたぎ)な言い方だけど――男の子だから。

 この世界が理不尽で不条理な状態のまま、男女平等に泣くわけにはいかない。

 俺が守る! 女性は男に甘えてればいい。


「ありがとう、平気だよ」

「でも、もう少しこうしていて欲しい。ダメ?」

 ん~。それじゃ仕方ない。

「おいで佐伯」

 俺は佐伯を引き寄せ抱きしめた。そして佐伯の髪を()かすように撫でた。

 甘い香りがする。柔らかな肌。

 せっかくの優しい気持ちが……いやらしい気持ちに変わっていく。

 本当に俺は、どうしようもないチンパンジーだ。


「相楽君。相楽君はね、王子様じゃなくて、私のナイトなの。大好き」

 ナイトか。チンパンジーじゃなくてナイトか。


 普通、女の子は白馬に乗った王子様が迎えに来てくれることを信じてるっていうけど、佐伯は王子様じゃなくてナイトがいいンだ。

 でも、そうか、佐伯はそれだけ傷つけられたンだよな……。ナイトか。


 キングとクィーンとプリンセスと、ナイト。


「女の子ってさ、普通王子様が良いンだよね?」

「そんなことないよ。皆、口ではそういうけど、実際はねぇ、悪代官とか道化者とかに惹かれたりするよ。でも最後は王子様みたいな」

 全然意味が分からない。悪代官? 道化者?


「それって分かりやすく言うとどういう人?」

「ちょっとワルっぽい人。いや、本当に悪くてカッコイイ人とか危険な香りがする人かな。あと、面白い人というか、明るくて人気があって、いつも笑わしてくれるような人」

「なるほど。女子はそういう人が好きなんだ」

「好きとは違うかな? 惹かれるみたいな。好きになるのは王子様だよね」

 なんだその微妙なニュアンスは。やっぱ女心は分かりません。


 それじゃ王子様なんジャンと言いたいトコだけど、たぶんそれを言ったら、話がグルグル回るな。


「ちなみに私は、悪い人もお調子者も嫌い。私は、相楽君がイイ。言っちゃった」

 いや、さっきすでに大好きって言ってたよ。俺、照れたし。まっ、いっか。



 抱きしめたまましばらく他愛もない話をしていると、下の階からお母さんの呼ぶ声がする。俺と佐伯は立ち上がり、下のリビングへと向かった。

 するとお菓子とジュースとアイスクリームが用意されていた。


「さっどうぞ食べて」お母さんが優しく微笑む。

「そうだ、相楽君。相楽君は、ゴルフしたことあるかい。ウチにね、パターゴルフできる場所があるのだけど、少し遊ばないかい?」

 ハイと答える前に、ノリノリのお父さんが俺の背中を押す。


 家政婦がお菓子などをその部屋へと運んでいく。佐伯もお母さんも、ゆっくりとついてくる。


「ここだよ。ほら」

 そこには、ゴルフ関係の物が沢山あった。前にテレビで見た、スクリーンでやる体感ゴルフゲームがある。だがそれより驚いたのは床一面がグリーンだ。

 お父さんの持つコントローラーで地面がぼこぼこと波打ち穴の位置も移動する。


「いや~嬉しいな。まさか相楽君とプレーできるなんてね」

 パターを渡された。やり方が分からないというと手取り足取り教えてくれる。

 握り方や構え方など。


「おおそうそう。やっぱ上手だな相楽君」

 うれしい。まるで接待ゴルフだ。俺もヨイショ出来るだけ頑張る。

 まだ高校生だから上手い褒め言葉が出ないが、心から尊敬して褒めちぎった。


 一通り遊ぶと、今度はスクリーンを使って、ドライバーショットもやってみようかという話になった。俺はまた一から教わり挑む。


「そう、もっと楽な感じで、そう、そぉお~」

 俺はアドバイス通りにスイングし、振り切る。

 止まっているボールを打つのがこんなに難しいとは思わなかった。

 生まれて初めて、ゴルフの難しさを知った。


 笑顔で遊ぶそれを佐伯とお母さんが見ている。

 俺はその光景を見て、佐伯とお父さんが仲直り出来て良かったと本気で思った。佐伯の家族が壊れなくて良かった。


 今まで辛く寂しい思いをした分、今度は、その何倍も幸せになって欲しい。

 本当に、心の底からそう思った。





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