少年1
神社を過ぎたところで、みんなと別れてそれぞれが帰路に着く。
俺も家に到着した。
「ただいまー」
「おかえり~」
いつも通り、母さんとばあちゃんが迎えてくれる。
「あー、はらへったー」
靴を脱いで家に上がろうとしたところで、ばあちゃんが居間から顔を出した。
「手ェ洗って来な……って、汗だくじゃないか。着替えてきな、風邪ひくよ」
ふむ、ばあちゃんに言われて気付いたが、体を見ると葉っぱやら土やらがたくさん付いている。
この際だ。シャワーでも浴びてくるか。
俺は部屋から着替えを持ってくると、汗を流した。さっぱりして、服を着ているところで母さんの声が飛んでくる。
「ユウー! ご飯だよー!」
「うんー」
急いで着替えて居間に行く。
今日のお昼は、冷やし中華だ。……なんだ、ゴマだれじゃないのか。俺はゴマだれの方が好きなんだけどなあ。
まあ仕方ない。若干落胆しながら麺を口に運ぶ。するとどうだ、この程よい酸味加減が、疲れて空っぽになっていた身体に染み渡り、意外と美味く感じられた。
ズルズルと夢中になって胃袋に収めていると、母さんが話しかけて来た。
「午後も遊びに行くの?」
「ああ、しばらくは忙しくなりそうだよ」
「なんかお父さんみたいな言い方ね。何をしてるんだか」
「新ベースを作ってるんだよ。午後も神社とあの山を往復かな」
「あの山なぁ……あんま変なとこ行くんじゃねえぞ」
ばあちゃんは俺の方を向き、そう言ってきた。
そういや朝も同じような事を言ってたな。
もしかしてあの場所は変なところなのか? 聞いてみるか……いや、今更反対されても困るな。まして俺の立案だ。他の誰かから言われたんなら撤退もやむを得ないけど、俺から中止は言いづらい。
「ま、だいじょぶだろ。ケガするようなことはないようにな」
俺はもしかしたら深妙な面持ちをしていたかも知れない。けれどもばあちゃんはそう言うと話を切って食卓に向き直った。
なんか大丈夫そうだな。
俺は昼食を食べ終えると、これ以上追求されない為にも少し早いが出発することに決めた。
そういえばあいつが別れ際に、各自で飲み物を用意しろって言ってたな。午前中は確かにあいつの麦茶で助かったが。
水筒に何か持ってってもいいけど、今日は雑誌の発売日だったな。途中コンビニに寄って飲み物と一緒に買っていこう。みんなにも読ませてやれば喜ぶだろう。
というわけで、家を出ると神社に行く途中のコンビニでスポーツドリンクのペットボトル一本と雑誌を購入した。早く着いたらこいつを読んで時間を潰すとしよう。
俺はコンビニを出ると、意気揚々と歩き出す。歩速が早まっていくのを抑えながらあらためて神社へ向かった。
ふもとに到着するとそのまま階段を軽いステップで駆け上がる。境内を突っ切り、本殿横の藪に入る。ここからベースの様子を伺うと、そこに人影が確認出来た。
もう誰か来てるのか。随分と早いな。
そんな軽い気持ちで藪を越えてしまった事に後悔した。人影の正体があいつであることに気が付いていれば……。
よし、引き返すか。
「お、よう」
遅かった……。
あいつはベース横の木陰に座って本を読んでいたようだったが、俺に気付くと声をかけてきた。
「お、おう。早いな」
「ああ、朝は遅れちゃったからね。今度は早めに来たんだよ」
やつは本を閉じて手に持つと、座ったまま俺の方に向き直り、そう答えた。
同じ過ちは犯さない。それはいい心がけだな。でも早く来ても遅刻が取り消しにはならないぞ。俺の中ではお前は1ペナルティだ。……まあ、アイスと麦茶は2ポイントかもしれないが。
それにしても早すぎないか。
「ちゃんと飯は食ったのか」
「ん? ああ、山のふもと近くに図書館を見つけてな。そこで食べてきたよ」
ああ、あの図書館な。確か食堂が併設されてんだよな。
「それでその本を借りてきたのか」
「そうそう、面白そうなのがあったからね」
そう言ってあいつは本の表紙をこちらに向ける。小説のようだ。しかも作者がカタカナで書いてある。……こいつは外国の小説を読んでいるのか。
「いや、外国の小説って言ってももちろん翻訳されてるよ。日本語だよ?」
それはそうだろうが。
しかし、なんだか俺は自分が恥ずかしくなった。
あいつは外国の小説、俺は漫画雑誌。何か大きな差を空けられたというか、劣等感のようなものを感じる。
「おいおい、そんなのに優劣なんてないだろ。僕だって漫画は好きだし……それともユウキは漫画が小説より劣ってると思うのか?」
やつが眉傾げに聞き返してくる。
わかってる、そういうわけじゃないけど! だって……、そうだ! 値段だって5倍くらい違うじゃないか!
やつはとうとう呆れ顔だ。それに比例するかのように、自分の顔が紅潮してくるのを感じる。
「おいおい、何興奮してるんだ? 落ち着けよ。お前、自分が言ってることちゃんとわかってるか? お前らしくないぞ」
俺はその言葉で我を失った。
「お前らしくないだ!? お前に俺の何がわかるっているんだ! まだ会って一日しか経ってないのに、いきなりポッと出てきて、散々俺の周りをかき乱して! お前は一体何が目的なんだよ!」
そう言い放つ自分自身に俺は驚いた。こんなにも取り乱すことは初めてだった。けれども今まで我慢してきた感情が溢れ出し、次々と口をついて出て止まらなかった。
「何が目的って言われてもなあ……こっち来て暇だったんで仲間に入れてもらえないかなあって……」
そんな俺とは対照的に、やつは至って冷静な様子で頭を掻きながらそう言う。
「それで! それで、俺らのチームのメンバーに取り入ったのか! 俺の居場所を乗っ取って! チームを乗っ取る気でもいるのか!」
「おいおい、何言ってんだよ。お前の居場所とか、乗っ取るだって?」
やつは立ち上がり手を広げながら近づいてくる。
「だってそうじゃないか! トモヒロもノブもお前に信頼を置いている! タクヤに至っては尊敬の域だ! エイコだって俺の指示よりお前の指示に従っている! そうだ! お前が指揮を取り始めてるじゃないか! みんなお前に従っているんだ!」
俺は後退りながら返す。
そうだ。俺は恐れている、こいつを。たぶん。
こいつは出会って早々に上手いことチームに取り入った。
こいつは短期間にしてみんなからの信頼を獲得した。
こいつはリーダーシップを取り出してみんなはこいつに従うようになった。
俺が時間をかけて築き上げてきたものを、こいつは一日で……成し遂げたんだ。俺はもう、必要ないんじゃないか……。
「それは考えすぎだよ。トモヒロは足に自信があったんだろう。結果勝負は流れた――いや、普通に負けたわけだけど、一時は脅かされたと感じたんだろう。計り知れない……ってのは言い過ぎかな、そんなイレギュラーな存在が現れたから興味を示しているだけだよ。そうだな……平坦な地面にぽっかり穴が空いてたら誰だって覗きたい衝動にかられるだろう。そんなもんだよ」
俺は言い返したいが、頭に言葉と感情がが溢れかえって口から出てこなかった。
「周りもその場の雰囲気に飲まれたんだろ。タクヤなんか顕著な例だ。ノブだってお前が認めたと言うから確たるものになってったようだし。エイコだって……指示?」
「ソファーを運んでる時だ! あの時からお前がチームを引っ張るように指示出し始めたんだ!」
「それこそたまたまだろう。その時僕が君の思いもよらないような意見なんかしたか? その場の流れでの発言だったと思うよ。まあ、出しゃばってると感じられたんなら謝るよ」
確かに、行こう、程度誰が言っても不思議はない流れだったけど……
「君らは何年もつるんでいるんだろ? ちょっといいところを見せられたり、物でつられた程度で揺らぐような結束なのか? ……別につったつもりはないからな。ともかく、君は大分信頼されているように感じるよ。みんなから一目置かれている。そんな君からみんなの一切の信頼を一日やそこらで奪うなんて、そんな魔法みたいなことできるわけないじゃないか」
俺は正直戸惑った。確かにこいつの説明には納得できる。こいつが恰好よかったかはともかく、あいつらはアイスや麦茶でつられるような奴らじゃない……か。
少し冷静になってみると、取り乱してこいつに当たり散らした自分と、仲間の信頼を疑った自分が憎くらしく感じてきた。
「いや……確かに俺も熱くなって……気が動転して……」
「おおーい。なんだなんだー。はえーな、智将が二人揃ってよー。わるだくみの相談かー?」
俺の言葉を遮るように、トモヒロがやって来るなり一言放って来た。
智将が二人。やはりトモヒロはやつの事を少なくとも俺と同列に見ている、やつへの評価は相当高いようだ。
「なんだよわるだくみって。そんなんじゃないよ」
「冗談だ、冗談。お、なんだ! ユウキ! いいもん持ってんじゃんよー」
「え?」
ああ、この雑誌か。元はと言えばこれで……。いや、雑誌に非は無いが。
「もう読んだのか? 次俺なー!」
「お、おいおい、当たり前のように読むのな、お前は」
「いいだろー。いっつも感謝してますよー」
トモヒロは手を合わせて拝んでいる。
「お、なんだ。ナオも本持ってんのかよー。なんの本だー?」
「ん? ほい」
やつは表紙をトモヒロに向ける。
「うげぇ。そんなつまんなそーな本読んでんのかよー。ユウキ、だめだこいつ。わかってねー」
トモヒロに活字は十年早いよな。やつは苦笑いしながらリュックに本をしまっていた。
「ユウキ、読まねーんなら俺が先に読んでやんよー」
「ああ、いいよ。ほら」
トモヒロはよろこんで雑誌を受け取ると木陰に座って読み始める。
俺は再びやつに向かい直したがバツが悪い。やつも何も言って来ないのでトモヒロの方へ向かおうとする。
「こんにちは~」
肩からバッグを提げたちーちゃんとタクヤ、後ろからエイコもきた。ちなみにエイコの所有物はペットボトルのみだ。性格が出てるな。そして、もう雑誌も読んでる暇はなさそうだな。
みんなで集まって、何の飲み物を持ってきたか話している所を遠巻きに眺めていると、ノブ兄妹三人組もやってきた。
さて、時間か。
「さてと、じゃあ午後の作業を始めるか」
俺の音頭でみんな立ち上がる。荷物をまとめて出発だ。
今回の荷物は各自で持てるような小物なので大分楽だ。ルートも午前中の商店街ルートを進むことに決めた。
出発前、そして道中も、やつは俺の決定に従うと言わんばかりに、一切口出しをしてくることはなかった。
そうして難なく山に到着する。山を登っている間はちーちゃんが些か興奮しているようだった。エイコによると、タクヤに大分吹き込まれたらしい。
「ちーちゃん、あまり期待しないでくれよ。そんな大したとこじゃないから」
「うん! 大丈夫! 期待なんて全然してないよ!」
はは……、こんな元気のいいちーちゃんは初めて見た。まあいいか。他の連中もそれなりに評価してくれてたし、大丈夫だろう。
程なくして分岐に到着。タクヤが張り切ってちーちゃんを案内している。そして緑の領域に辿り着いた。
さて、ちいちゃんの反応は、と。
「……はーっ、すごい」
ちーちゃんは目を見開いてため息をついていた。それなりに満足してくれたようだな。
みんなは持ってきた荷物を下ろす。
「さあ、もう一往復だな。それで荷物運びは終わりだ」
「残りの荷物ってどれくらいあったっけ」
エイコから質問が飛んできた。
「そうだな。三人もいればとってこれるんじゃねぇか?」
ノブがそれに答える。よし。
「じゃあ分かれよう。荷物を運ぶグループと第二拠点を作るグループとに」
「さんせー」
みんなが同意する。
「どう分かれるかな。チビ共はここに残るのがいいだろう。タクヤとちーちゃんは、と」
目配せするがちーちゃんがいない。いや、いた。この場所がお気に召したようで、うろうろ見回っているみたいだ。
「じゃあちーちゃんも残りだな。タクヤはどうする?」
「俺はもうひとっ走り行ってくるぜ」
「よーし、俺も行ってくるぜー」
たくやとトモヒロは神社だな。あと走らんでいい。あとは、
「エイコはどうする? 」
「じゃああたしもダッシュで」
走るな。
「ん。わかった。こっちもソファーとか動かさないとなんないし、ノブと俺はこっちでいいな」
「ああ、わかった」
あとは……。やつの方に視線を送るとそれに気づいたようで、
「うん、じゃあ僕も荷物を取りに行こうか」
なにを察したのか、分かれることになった。別に視線に意図は含めてなかったんだがな。
「じゃあ決まりだ。俺らは第二拠点作成。お前らは物資運搬だ。気をつけて行けよ」
「おーう」
あいつらは神社に向かって出発していった。