1-1 出会い
――ごめんなさい。私のせいでこんなことに。ごめんなさい、ごめんなさい……
瓦礫の下で瀕死状態となっていた少年は、微かに聞こえたその声で意識を取り戻した。
まぶたを持ち上げる力は残っておらず、顔ははっきり見えない。女性の綺麗な声であるのは分かるが、誰の声かは分からない。
どうして彼女は泣いている? どうして彼女は、そんなに悲しんでいる?
泣かないでくれ。俺のために、そんなに泣かないでくれ……
そして少年は、深い眠りにつくかのようにまた意識を失ったーーーー
次に目を覚ました時、少年は病院のベッドの上にいた。何日も意識が戻らず、このまま目覚めないかもしれないと医師も諦めかけていたようだが、なんとか一命は取り留めた。
少年はテロリストの暴動の現場に偶然居合わせていたために爆発に巻き込まれ、崩壊する建物の下敷きになってしまったらしい。
らしい、というのはつまり、少年はその事件以前の記憶を失っているのだ。
記憶の初めにあるのは、泣きながら何度も何度も謝っていた誰かの声。
それ以外は、なにもない。
持ち物の中の身分証と、召集状らしきものから次のことだけは分かった。
少年の名は「神河ケイト」、歳は十八。
霊能都市内のある研究施設に呼び出され、そこに向かう途中で例の事件に巻き込まれたのだ。
事件当時、この施設では霊能力を持つ可能性がある者の鑑定を行っており、合格すれば霊能者が勉学と鍛錬に励む「霊能学園」への入学が認められるというものだ。
当日に病院に搬送され、鑑定を受け損ねた以上、ケイトはもうこの学園に用はない。
ーーーー約1か月後。
入院生活はようやく終わり、ケイトは外に出ることができた。
全身火傷、全身骨折、出血多量、内臓破裂、意識不明という絶望的な状況に陥ったにもかかわらず、わずか1か月で退院できたというのは、最先端の医療設備が集中している霊能都市の技術をもってしても奇跡としか言いようのない回復ぶりだった。
身分証に書かれていた住所をもとに出してもらった地図を頼りに、ひとまずそこへ向かうことにした。
日の光とそよ風が心地よい。久しぶりの外の世界だ。
駅はどちらだろうかと辺りを見渡すと、すぐ近くの壁のかげから誰かが隠れてこちらを見ているのを見つけた。
ーー女性。
全身を純白の布で包んだその姿は、現代人が着るような服装ではない。ヨーロッパの古い人型彫刻が着ているような、シンプルな装い。キトンとかいう着物だったか、とケイトは首を傾げた。
顔立ちはとても美しく凛とした雰囲気を漂わせ、金髪とも銀髪ともとれるような淡い色の髪が肩より少し下まで伸びていた。
ケイトと同い年か、少し年上にも見えるが、記憶を失っている以上、知り合いかどうかは知る由もない。
「あのー、どちら様でしょう?」
彼女は一瞬体をビクッとさせた後、後ろを確認した。もちろん後ろには誰もいない。
「いやいや、あなたですよ。俺の知り合いですか? ごめんなさい、実は俺、記憶がなくなってしまってーー」
「あなた、私が視えるの!?」
ケイトにはその言葉の意味が理解できなかった。
「そ、そそそそんなはずない! だって今までいいいい一度も私に気がついたことなんてないのに、どど、どうなってるの!?」
彼女は明らかに動揺している。ケイトも少なからず動揺はしていたが、一旦呼吸を整えて話を切り出した。
「ま、まあ落ち着いて、ね? よくわからないけど大丈夫だから、落ち着いて話を聞かせてもらえーー」
「ごめんなさいいいいい!」
そう言って彼女は走り去っていった。
「あ…… 行ってしまった……」
追いかけようとも思ったが、退院したばかりのこの体では到底追いつけない。そのまま彼女の姿が見えなくなるまで立ち尽くすことしかできなかった。
帰り道、ずっと彼女のことを考えていた。
彼女は一体何者だ? 「今まで一度も」とはどういう意味だ? 例の事件に巻き込まれる前から、何らかの関わりがあるのか?
ケイトの頭は数えきれないほどたくさんの疑問でいっぱいだった。
帰り道を覚えていないうえに考え事をしていたため、乗る電車を間違え、地図を読み違え、家に着いた時にはすっかり深夜になっていた。
どこにでもあるような小さめのアパート。以前の神河ケイトはここで一人暮らしをしていたらしい。
持ち物の中にあった鍵を使って玄関の鍵を開け、ひと月ぶりの我が家に帰ってきた。
とはいっても記憶がないため、他人の家に忍び込んでいる気分になりながら壁伝いに暗い廊下を渡り、リビングに入った。
部屋は真っ暗で何も見えない。壁に手を当て手探りで照明のスイッチを探した。
……あった。
幸い電気は止められていないらしく、そのままスイッチを入れると、明かりが点いた。
これでやっと見えるようになーー
昼間の彼女がいた。
膝を抱えて床にうずくまって座っていた。俯いているため顔はよく見えないが、装いから間違いなくあのとき逃げていった女性だと分かった。
……などと考えている場合ではない。部屋を間違えたのだとすれば不法進入である。彼女も顔を上げ、ケイトに気づいた。
「ひゃあああっ!!」
「うわああ! ごごごごめんなさい! へ、部屋を間違えました! すぐに出ていきますから!」
「ま、待って! 違うの! ここはあなたの家であってるの!」
「……え?」
「そう、あなたの……家……なの……ここは……」
目が赤く腫れ、声も震えている。
彼女は泣いていたのだ。それも、かなり長いこと。
おそらくは昼間から。
今まで。
ずっと。
「ごめんなさい、私、もう出ていくからーー」
「待って」
窓の方に行こうとする彼女にそう言うと、彼女はピタリと立ち止まった。
窓から出ていくつもりなのだろうかという疑問がないわけではなかったが、今はそれよりも聞きたいことがあった。
「俺のこと、知ってるんでしょう?」
「……知らない」
「そんなはずない。病院から出たときずっと俺を見ていたし、ここが俺の家だと知っていた。無関係なはずないでしょう」
「……」
「俺、記憶がないんです。だから……教えてもらえませんか? あなたのことと、俺のこと」
彼女はこちらに背を向けたまま膝から崩れ落ち、両手で顔を覆って静かに泣いた。