石丸順子
もちろん、反抗的な態度を取りたかったこともありました。
ですが、そんな事をすれば、お姉さん達に何をされるか分かりませんし、そんな面倒くさい事になるのならば、なにもしない方が平和なのですから、これは小さな頃から大きくなるまで変わりませんでした。
そうやって私は生きてきたのです。
だからこそ、学と結婚することになって、初めてこれまでの事を打ち明けられる存在が出来たのです。
学はすぐに、両親を探しに行こうと言い出しました。
両親を探しに行く―――それは、私だって何度も考えて来たことでした。実際に探しに行ったまま迷子になってしまい警察に保護されるなんてこともありました。
学の家庭も私程ではないにしても、少し複雑な家庭でした。お父さんが割と若いときに亡くなられた様で、女手一つで育てられました。色々な苦労があったようです。
お姑さんは、今は認知症で入院していますが、お元気だった頃には、学のことをよろしくと頼まれましたし、お父さんは遊び人で大変だったが学は大丈夫だなんてよく自慢していました。
だからこそ、私の両親が生きている以上会いに行こう、ってそうやって言ってくれて探してくれることになったのです。
学もお父さんが生きてたら、会いたいと思っていたのでしょう。
しかし、今まで全く何一つ分からなかったことが、そう簡単に分かるはずもなく、なに一つ手掛かりは掴めませんでした。
そして、二人分の料理を作るのにも慣れたころ、次第に学の態度がおかしくなっていったのです。
私はすぐにでも子供が欲しかった為、妊娠しやすい日は毎月、学に知らせていました。カレンダーの花丸印がサインでした。
しかし、妊娠しにくい体質なのか、なかなか恵まれず、そんな苛立ちを学にぶつけていたのがいけなかったのでしょうか。