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すり替え  作者: 大和香織子
第一章 証言
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石丸順子

 子供の頃、友達の家に行くと花柄のエプロンをつけたお母さんが「おかえり」と言いながら部屋で正座をして、取り込んだ洗濯物を一枚一枚、丁寧に畳んでいました。


 その姿が、とても女性的でいて、家庭的に見えて、そしてこのお母さんの元に生まれた友達がとても羨ましくて。

 その時から、いつの日か愛する人と結婚して、子供を産んだら、こんな家庭を築こう、友達のお母さんの様に、花柄のエプロンをして、学校から帰る子供たちを笑顔で迎え入れて、毎日家族の為に働いてくれる夫にお酒とご飯とお風呂の準備をして、今か今かと愛する人を家で待つ、それが私の結婚への夢でした。


 人一倍、結婚願望は強かったと思いますが、同時に結婚できるか不安な気持ちは常にありました。

 先程も言いましたが、児童養護施設に居る時は本当に辛い毎日でしたし、誰かに大切にされた記憶もありませんから……。

 そこで働いている人たちですら、私に暴力を振るってきましたから。子供たちほどに酷い暴力ではさすがにありませんでしたが、それでも、もし私の親が近くでみていたら、今、巷で問題とされている、モンスターペアレントと化してもおかしくない程の事柄だったのではないだろうかと思います。


 勿論それは、私が愛情に飢えていたからこそ、余計にでもそうやって歪んでみえたのかもしれませんが。


 最年長のお姉さんが、私に暴力を振るっている姿をみても、そのお姉さんに「やめなさい」なんて事はいわないどころか、「ほどほどにしなさいよ」という言葉でした。


 傍で見ている同い年の子も勿論、自分が巻き込まれたくない為に、そんなの見て見ぬふりです。

 だから、私を庇ってくれる人なんて一人もいなかったのです。

 思い出すのが辛くなるほどの、耐え難い現実でした。


 もし、あの時、一人でも私の味方になってくれる人がいれば、私の人生は、大きく変わっていたんじゃないかと、そうやって思うのです。

 施設の話は、思い出しても辛くなるので、人には施設の話は一切しません。

 思い出しても辛くなるだけだし、思い出してもいい思い出がなく辛いことばかりですから


 本当に色々ありましたから、親が実在しているけれど、施設にいるような子は、面会にやってくる時には、ものすごく嬉しそうな顔をしていました。でも、今日会いに来てくれるんだとかは、あんまり皆言わなかったですね。何をされるか分かったものじゃないですからね。それでも、会いに来てくれる両親の存在があると言うだけで、私は妙な嫉妬心に駆られました。


 そして、そこで暮らすと言うことは周りから、偏見の目で見られることだって少なくはありませんでした。


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