石丸順子1
第一章証言
―――向山で車内から女性が、背中を刃物のような物で刺されて死亡されていることが、捜査関係者によりわかりました―――
石丸 順子
私は、親の愛と言う物を全く知らないのです。
「ねぇ、順子ちゃんお父さんとお母さんは、どこで何をしているの?どうして順子ちゃんのお母さんは参観日に来ないの?」忘れもしない小学3年生の頃、同じクラスだった直美ちゃんが容赦なく聞いてきました。
私が物心ついた頃には、両親は既になく、施設で育てられました。
「ねぇ施設って、お家がない人とか、お母さんとかいない人が住むところなんでしょう?お母さんが言ってた。順子ちゃんのお父さんとお母さんは、どうしているの?」毎日の様に直美ちゃんは私にそんな質問をしてきたのです。
なんて答えればいいのか分からなくて、いつも黙っていたから、直美ちゃんは余計にでも聞いて来たのかもしれない。
実際、私の両親が何しているかなんて知りませんでしたから。
私だって、他の子の様に両親の愛情をもらいながら、お母さんの作った手作りのカバンを持って学校に行ったりしたかったし、お父さんの運転する車で、ドライブなんて事をやってみたかった。
だけど、それはいつまでたっても現実にならなくて、私に一度も面会して会いに来ない両親を見て、自分が、この私が可愛くないせいだと私は毎日そうやって自分を苦しめました。
寮母さんに聞いても、教えてはくれませんでしたし。
そこの施設では、お姉ちゃんが下の子の面倒を見るんだけど、年齢が上だからって優しい人だとは限りませんでした。
私が少ないお小遣いで、可愛いペンを買ったら、上のお姉ちゃんは「生意気してんじゃない」と言って私からそれらを取り上げたりされました。
初めて自分で買ったお気に入りのペンだから悲しかった事を今でもよく覚えています。
だけど、そんな事が日常茶飯事だったりしたので、気が付いた時には私も下の子の物を奪うようになっていたのです。
昔の私の心はもっと綺麗だったはずでした。
それから18歳で施設を引退してからは一人暮らしを始めました。