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黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い  作者: 外宮あくと
第三部 罪と力と代償と
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3 見送り

 夜のうちにフィリップの伝書ふくろうはミリアルドに吉報を運び、翌朝インフィニード王宮の政務が始まる頃には帰国の準備は整っていた。

 挨拶に訪れたアインシルトと内大臣シュミットに、恨み言を二言三言投げつけてフィリップは長らく暮らした別棟を後にしたのだった。


 ミリアルドから呼び寄せた使用人達は、後片付けの為にしばらく残すことになっている。今日、帰国するのはフィリップと数名の従者、そしてヴァレリアだけだった。

 シュミットから護衛を付けることを提案されたが、フィリップは一顧だにしなかった。あの無礼な王の家臣など信用できるものかと、憤慨することしきりなのだ。

 馬車一台と、騎馬十騎が静かに城門をくぐった。インフィニード側の見送りは極少数だった。


 当初フィリップはヴァレリアとともに馬車に乗る予定だったが、昨日からずっと塞ぎこんでいる彼女の顔を見るのがつらくなり、馬に乗ることにした。

 彼らは王宮前の広場を進んでゆく。その中央を過ぎた頃、フィリップは王宮を振り返った。もう二度と訪れることはないだろうその王宮は、威風堂々とした佇まいを見せている。

 何故か黒竜王のイメージと重なる気がして、チッと舌を打った。そしてその後は二度と振り返らず、祖国へと馬を走らせたのだった。





 昨日のヴァレリアとの会話を思い出す。

 妹は、本当にテオに会わせて貰えるならば、今からでもいっそ黒竜王の言う通りに妻になりますと答えようか、などとつぶやいた。バカな事を言うものだと、フィリップは大きく首を振って制した。


「テオは私にさようならと言ったの。無理に追っても迷惑なだけかもね……。でも、私はまだちゃんと伝えてないから。一言でいいから伝えたいの……大好きって……」


 ポロリと涙をこぼしてヴァレリアは微笑んだ。

 この姿を見て、心を動かされない男はいないだろうとフィリップは思う。

 グッと妹を抱き寄せて、その背を優しく撫でてやることしか自分には出来ない。思いが叶わぬとしても会わせてやりたかったと、自分の力の無さをフィリップは悔やんだのだった。





 王宮から去ってゆくミリアルドの一行を、城門上部の凹凸型の胸壁きょうへきに座って眺めている者がいた。

 キラキラと太陽の光を反射しながら帰途につく馬車を、まぶしげに目を細めて見送っているのはテオドール・シェーキーだった。


 あの馬車の中にいる隣国の姫に、別れの挨拶もしないままこの時を迎えてしまった。

 テオはこれまでも何度か、間違った選択をしてしまったことを自覚している。今度の判断が正しいのか誤りであるかは、まだ解らない。


 しかし、自分はこのように振る舞うことしか出来なかった。

 迷いながら捨てた選択肢でも、いつか再び選び取る日がくるだろうなどと、都合の良いことを願うつもりも無かった。

 それでも、今頃流されているであろう涙の事を思うと、胸が痛んだ。


「酷く後悔している様子ですね。しかしですね……わた」


 紫の目の精霊が意地悪くつぶやく。テオが指を弾くと、ポケットの中で小さくピシリと音が鳴り、声は聞こえなくなった。


 後悔なんてしょっちゅうしている。その最大のものは、今でも悔いて悔いて胸を掻きむしりたくなるものだった。

 あの時、この国を離れるのでは無かった。この後悔をしなくなることは今後もないだろう。

 十代の終わり頃、自分を取り巻く環境に耐え切れなくなり、飛び出して三年も戻らなかった。その為に多くのものを失ってしまった。ドラゴンが町を焼いたあの夜に。



 目を閉じて天を仰ぐと、まぶたに美しい女の顔が浮かんだ。

 春の訪れを告げる、可憐なミモザのような女性ひとだった。彼女は、死んだ自分の母の顔に生き写しなのだと聞き、それで興味が湧いた。

 何かと理由をこじつけて会いに行ったものだ。彼女と言葉を交わすのは至上の喜びだった。


 微笑みかけてくる彼女の幻が、徐々に青ざめてゆく。そして悲しげに眉を潜めて、何かを訴えてくる。大粒の涙がこぼれたかと思うと腕の中に倒れこんできた。

 冷たい身体、命の消えた青白い顔。

 女の名を叫んだ。


 すると彼女の顔が、突然別人のものに変わった。ミリアルドの王女ヴァレリアの顔に。

 息絶えた冷たい身体を受け止めると、全身の毛穴が逆立ち氷の刃に背を切り裂かれたような気がした。




「ああ!」


 短く叫び、目を開いた。

 一瞬の白昼夢。

 冷たくなったヴァレリア、いやベイブの身体の感触がリアルに腕に残っている。なんという息苦しさ。テオはブルブルと頭を振って、遠ざかる馬車を見つめた。

 そして無理やり視線を外し、彼らに背を向けた。







 フイリップの一行は町を抜け、遠くに迷霧の森が見える草原までやって来た。

 無数の小さな光の粒がキラキラ輝きながら、草の上を舞っている。風がサワサワと草花をゆらすと、光の粒たちもふわりと舞い上がった。


 小さなピクシー達の可愛らしい笑い声が何処からとも無く聞こえてくる。暗くじめじめとした森の手前で、この美しい風景に出会うことができてフイリップはホッと息をついた。


 細い道は真っすぐに森に続いている。その道は、森にぽっかりとあいた木のトンネルの中に続いている。

 一行は静かに草原を進んで行く。と、先頭をゆく騎馬が速度を緩め、馬上の従者が後方を振り返った。


「殿下、何者かが森の入口におります!」


 フイリップは、前方に目をこらした。黒い人影が見えた。それは王宮で何度も見た魔法使いの黒ローブだった。

 誰だと首を傾げる。護衛は断ったはずだ。だとすると、あれは魔女の手の者なのかと緊張した。

 突然、ふっと人影が消えた。


「何?!」


 フィリップが声を上げると、そよいでいた風が止まり、馬車や従者の馬が止まり、ぴくりとも動かなくなった。口を開いたままの従者が蝋人形のように固まっている。


「どうも、お久しぶりです」


 フィリップのすぐ後ろで声がした。

 ドキリと振り返るとニヤけた男の顔が見えた。


「お、お前!?」

「覚えていて下さいましたか。テオドール・シェーキーです」


 馬に乗ったテオがゆっくりとフィリップの横に並んだ。

 彼ら二人以外は、止まったままだ。飛んでいた虫さえも、空中に留まったままなのだ。


「これはお前がやったのか?」


 フィリップは周りを何度も見回し、感嘆を込めて言った。


「時間を止める魔法なのか? やはり、ミリアルドに欲しいな」

「こんなもの、どうということはないですよ」


 テオは飄々《ひょうひょう》とした顔で言った。

 一度はもう関わるまいと決めたのに、こうやって姿を現してしまった自分への嫌悪はおくびにも出さない。


「護衛をお断りになったそうですね。でもまた妹君が拐われたらどうします?」

「なんの! 私が守りぬいてみせる!」


 力強く答えるフィリップに、テオは呆れた風に笑みを見せた。魔力を持たぬ者がどうやって魔女達から守ると言うのか、といった顔だ。

 そしてテオは、帰路の護衛とミリアルド王宮に結界を張ることを申し出た。もちろん代償など必要ないことも申し添える。


 フィリップは怪訝な表情を浮かべたが、迷霧の森を目の前にして断るのは得策ではないと判断し首肯する。

 他の魔法使いであったら意地を張って断ったかもしれないが、この男であれば気を許しても良いだろうと。何よりもまだ礼を言っていなかったのだからと、フィリップは同行を許可した。


 テオは、またニッと笑って指を鳴らした。

 風が再びそよぎだし、虫が飛び去ってゆく。馬の足がまた軽快に歩みを始めた。

 従者達は初めからテオが一行の中にいたというふうに、何の疑念も抱かずに行進を続けていた。


「……便利なものだな」


 フィリップの感嘆に、テオはハッハと笑った。


「自分勝手な魔法ですよ」


 草原をゆく彼らの周りを、いつの間にかピクシー達が取り囲んでいた。

 ウフフアハハと笑いながら、彼女達は楽しげに飛び回る。

 彼らが森の中に入ってゆくと、一斉に「イッテラシャーイ」と声をあげていた。




 薄暗い森の中は珍しく霧が薄く、快調に歩みを進めることができた。

 フィリップはおもむろに口を開く。


「礼を言う。妹を助けてくれて本当に感謝している。褒美は何がいい」

「そのことなら、お気になさらずに。何も欲しいものなどありませんしね」

「この数カ月の間、お前の庇護がなければヴァレリアは無事ではいられなかっただろう。ミリアルドの王女であるとは知らずとも、お前は一国の王女を守っていたのだ。誇りには思わないのか?」

「誇らしい思いより、無事にお返し出来る安堵の方が大きいですね。それで充分です」


 馬上の二人は数年来の友のように会話を交わした。

 会うのはこれが二回目だというのに、気心の知れた懐かしい友のようだとフィリップは感じていた。


「ヴァレリアと話さなくていいのか」

「姫は王宮に着くまで目覚めませんよ」

「……? ああ、魔法をかけたのか。いつの間に」

「一番最初に」


 クスクスと笑う男に眉をしかめながらも、フィリップは好ましさを感じる。

 ヴァレリアが彼を見れば、帰国を拒むと承知しているからこそ、眠らせたのだと察するのは簡単だった。彼の態度は徹頭徹尾、身を引くことを前提としているのだと。


 軽薄な表情を作りながらも、身をわきまえた実は冷静な人間だと評した。それを好ましくも思うが、残念にも思った。

 少し困らせてやろうと、直球を投げてみる。


「妹が望むなら、私はお前に嫁がせても良いと思っている。黒竜王は結婚を固辞されたからな。もちろんお前の返答次第だが」


 思った通り、テオは呆気に取られた顔をした。ポカンと口を開けてフィリップを見つめる。


 昨日のヴァレリアの言葉と様子を伝えても良かったのだが、差し出たことをすると妹に思われそうで躊躇われた。故に、自分が二人の結婚を望んでいるという表現をした。

 本音を引き出したいが、それは叶わぬだろうなとミリアルドの王子は口の端を上げて微笑する。


「ミリアルド王のご意志は?」


 テオはつぶやく。

 はっきりと否とは言わないが、これは拒絶だ。

 ならばもう少し攻めてみようかと、フィリップは続ける。


「父や兄は私が説得しよう。あの王は婚儀が成ろうと成らざろうと、ミリアルドへの態度は変えぬ方だとはっきり分かったからな。ならば妹の意志と幸せを優先したい」

「なんと、殿下はシスコンでしたか……」

「シ、シスコン……?」


 今度はフィリップが呆気に取られる。

 何という切り返し方をするものだかと、本気で呆れた。はぐらかし方が堂に入っている。どうあっても本心は明かさないし、ヴァレリアと会うつもりは無いということらしい。

 フィリップは、肩をすくめて話題を変えた。


「…………お前は黒竜王の何なのだ? 王はお前の意志だと言って、我らとの対面を許さなかったのだぞ。それを今になって顔を出す」

「まあ、それは置いておくとして」

「そうはいかん」

「……私は王の傀儡ですよ。便利な操り人形ということで」

「では、警護と結界の件は王の指示なのか?」

「そう思っていただいても結構です」


 フンと鼻を鳴らしてフィリップはテオから目を逸らせた。


「……ふむ、黒竜王はツンデレというやつか。素直ではないな」


 途端にハッハとテオが笑った。言い得て妙だと膝を叩いて笑い続ける。


「シスコンとツンデレとは、なかなかな取り合わせで。意外と気が合うかもしれませんね」

「……で、どうなのだ。ミリアルドに着いたらそのまま残りたいか」

「いいえ、帰りますよ」


 不意をついて最後の攻撃をかけてみたが、テオは逡巡はなくきっぱりと言った。


「……そうか」


 残念だった。妹の為にというより、自分が彼を側に置きたいと思っていることに気づくと少々癪に触ったが、得られないということは本当に残念だった。


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