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黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い  作者: 外宮あくと
第三部 罪と力と代償と
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2 黒竜王とミリアルドの兄妹

 三十分後、フィリップはシュミットが返事を持ってくるのを待ちきれずに部屋を出た。引き止めるニコの言葉など耳を素通りし、妹の手を強引に引いて出て行ったのだ。王への信頼が復活したわけではないが、愛する妹の無事を心から喜ぶフィリップは素直に謝辞を送りたいと思っていたのだ。


 迷いも無くどんどんと廊下を進んでゆく。勝手知ったる他人の家とはこのことだろう。すっかり我が物顔で他国の宮殿内を歩く兄を見て、ヴァレリアはくすりと笑った。


「どうした? 何が可笑しい」

「だってお兄さま、まるでこの国の王子のようだわ。当たり前のように別棟をミリアルド風に変えてしまったらしいじゃない。黒竜王はお兄さまを厚遇してらしたのね」

「まさか! 放ったらかしの飼い犬状態だった」

「そんなことはないわ。みんな礼を尽くしてくれているじゃない」


 彼女は行き過ぎる宮廷人たちが、フィリップに向かって深々とお辞儀をするのを指して言った。


「王から失礼の無いよう言い渡されているのでなければ、勝手に滞在しているちっぽけな国の小うるさい王子なんてもっと冷たい目で見られているわよ」

「……そうか」


 フィリップは少し不満気だったが、一理あるかとうなずく。

 頭を下げて敬われるのは当然と思って生きてきたが、ここは自国ではないし、まして王とは剣呑な関係であるのだから、もっと冷ややかな態度で扱われても致し方ないはずなのだ、と今更ながらに気付いた。


 厚遇とは言えないが、友好国の王子に対する礼儀は払われていることは認めよう。ただし、黒竜王個人は除く。

 礼など要らぬ、話は無いなどと、人を馬鹿にするにも程があるというものだ。意地でも会ってやると、フィリップはなお意気込んだ。


 前方からシュミットがやってきた。待っていろと言ったのに、またしても勝手に振る舞うフィリップに若干眉をひそめる。


「フィリップ殿下、やはり陛下はお会いにはならぬとのことです」

「なんと、あなたをしても王を宥められぬのか。それは残念。で、王はどこにおられる?」

「……ご自身のお部屋に」

「では行こう」

「殿下!」


 慌てるシュミットを無視して、フィリップは王の居室を目指した。




 部屋の前まで来ると、中から王宮付き魔法使い筆頭の老アインシルトが出てくるところだった。

 フィリップの目が輝く。

 彼を見るのは久しぶりだった。この王宮に数週間滞在していたのに、全く会う機会が無かったのだ。以前老師がミリアルドに魔法使いの指導に来ていた時以来の再会だ。


「老師、お久しぶりです」

「おお、フィリップ殿下……それにヴァレリア姫ですな」


 アインシルトは、スカートを摘んで優雅にお辞儀をする王女ヴァレリアを見て目を細めた。優しい笑顔だった。


 その笑顔に、彼女はホッと唇をほころばせる。ここで老師に会えてよかった。テオの事を聞こう。彼ならきっとテオの事情を把握しているだろう。

 同時に、どこまで彼は自分の事を聞いているのだろうとも思う。あの四つ目のゴブリン・ベイブが、ミリアルドの王女ヴァレリアだったことはもう知っているのだろうか。恐る恐る尋ねた。


「アインシルト様、私です。分かりますか……」


 老師はうんうんと優しくうなずいた。

 ヴァレリアの緊張が解けた。後ほどゆっくり話をしてくれるように頼んでみよう。できれば王と話すよりこのまま先にアインシルトと話したのだが。


 兄のフィリップは老師にしつこく王と話したいと繰り返している。まずは王に会わねばならないかと、ヴァレリアは小さくため息をついた。会って嬉しい相手でも無いし、できれば会いたくない。


 初めて結婚話を聞かされた時は、くる時が来たかと割りきっていた。しかし、今となってはそんな事務的な結婚なんてできないと、大声で言える。想う人がいるのだから。

 それに拒否しているのは、向こうも同じあるらしいことが唯一救いだった。


 ヴァレリアはすがるような目でアインシルトを見つめた。

 そして彼は、孫でも見るような温和な笑みを返し言った。


「謁見は拒否すると仰られていたが、わしからお願いしてみましょう。さあ、ご一緒に」



 扉を開けると、部屋の奥で窓に向かって立つ黒竜王の後ろ姿が目に入った。

 そして壁際に黒いローブ姿の背の高い男もいた。

 ヴァレリアの心臓がドクンと大きく鼓動を打った。


 しかし彼女を視界に収めたその男は、見知らぬ人物であった。眼鏡をかけた知的な印象をあたえる顔、ユリウス・マイヤーだった。ヴァレリアが求める人物では無かった。

 ユリウスは頬を陰らせる彼女に微笑み、そして王に一礼するとさっと部屋を出て行った。


 それと入れ違いに、二人の侍女が二セットのコーヒーカップと茶菓子を運んできた。王とユリウスの為に用意されたものだろう。サーバーに入れられた褐色の液体が、部屋に香ばしい薫りを漂わせた。

 客人が入れ替わっていることに気づくと、一人の侍女はさっと退室した。増えた人数分のカップを用意し行ったようだ。

 フィリップはずんずんと中へ入ってゆく。


「陛下! この度は誠に感謝いたします。妹がこのように無事に戻りました!」


 満面の笑顔だった。

 王はゆっくりと振り返り、アインシルト、フィリップそして王女ヴァレリアを見た。


「アインシルト。考え事があると言ったはずだ。時間はない」

「丁度お茶の時間です。そのついでに、フィリップ殿下とお話するお時間くらいはおありでしょう」

「……小賢しい」


 王は不快げに舌を打って、アインシルトをにらんだ。

 しかし既に部屋に入ってしまった客人を、むげに追い払う気は無いようだった。ドカリと椅子に座り足を組んで、フィリップを見る。言いたい事があるなら早く言えということらしい。


「お言葉通り、確かに約束を守って下さり、妹と再会出来ましたこと感謝しております」

「皮肉がお上手だ」

「なんの、本心です。必ず見つけ出すとの陛下の心強い言葉、信じておりました」


 ニーっと不遜な笑顔を浮かべる兄の背を、ヴァレリアは王から見えないようにつねった。余計な事を言って話をこじらせるのはやめてくれと、声に出してしまいそうなのをぐっと堪える。

 兄は小さく肩をすくめて、ようやく深々と頭を下げた。


 続いてヴァレリアもドレスを摘んで、優雅なお辞儀をした。そして、王の仮面の奥の瞳を見つめる。彼とは冥府の王との戦いの折に一度会っている。しかし、あの時の生意気なゴブリンが、このヴァレリアであることは知っているのだろうか。アインシルトから既に聞いているかもしれない。

 どうしようかと悩み、ヴァレリアは慎重に王を観察することにした。


 しかし、王は彼女に目もくれなかった。

 戻ってきた侍女がコーヒーをテーブルに並べ、アインシルトが兄妹に着席を促すと、それを遮るように王は言った。


「では約束通り、殿下も妹姫を連れてさっさと国に帰られるのであろうなあ。明日の朝、出立の時にはアインシルトに見送らせよう」


 何とも冷淡で不躾な態度にフィリップは面食らう。もちろん、見つかれば早々に帰国する算段ではあったが、それにしても明日の朝とは。それも自分は見送らぬと宣言までする。


「陛下、折角コーヒーが入っております。ゆっくりと……」

「もうお帰りになられる。なあ、殿下よ」


 アインシルトの取り成しを、王はバッサリと切り捨てる。

 ふんと小さくフィリップは鼻を鳴らした。全くもって失敬を絵に描いたような王だと、内心呆れ返っていた。

 それでも聞いておかなければならないことがある。


「帰国する前に、妹の呪いを解いたという魔法使いに、ぜひ礼をしたいと思います。褒美も与えてやりたい。テオドール・シェーキーという王宮付き魔法使いだと聞きました。会わせて頂けますか」


 ヴァレリアの身体がビクンと震えた。

 ここで王が、イエスと答えさえすれば彼に会える。たちまち彼女の頬が紅潮した。


「礼も褒美も必要ない。為すべきす事をしたまでだ。殿下の言葉だけは伝えておこう」

「それでは私の気が収まりません。直に会って話をさせていただきたい。あの男はなかなか面白い。妹も彼を気に入っている様子ですし、陛下のお許しがあるならミリアルドで重用したいと思っているのです」

「…………何を言い出すかと思えば、バカな事を」


 王の発した低い声は震えていて、続いて怒声が発せられるのかとフィリップは身構えた。怒鳴られようが罵倒されようが、恩人に対して礼を尽くすのは人の道だ。

 負けじと王をにらんでいると、クックックと噛み殺すような笑い声が聞こえてきた。

 誰だこんなときに笑うのはと訝しめば、それは目の前の黒竜王だった。


「それはならんよ、殿下」


 失笑混じりに王は言う。


「たかだか下町の魔法使いだ、捨てておけ」

「しかし、陛下……」

「くどい!」


 ムッとフィリップは顔をしかめた。

 兄の隣でそわそわとしていたヴァレリアが、意を決して声を上げた。


「私からもお願い致します。テオに会わせて下さい。迷夢の森に置き去りにされたのを拾ってくれたのはテオでした。拐われた私を助けだしてくれたのも、呪いを解いてくれたのも全部彼なのです。どうか会わせて下さい。――――陛下、私を覚えておいでですか? テオと一緒にいたあのゴブリンが私なのです。あの折のご無礼は幾重にも深く謝罪致します。私にできる事であれば何でもいたします。どうかお願いです。彼に会わせて……」


 ヴァレリアは深々と頭を下げた。テオに会いたいという一心だった。その為だったら土下座したって構わないし、王女の身分を捨てても構わない。

 王はじっと彼女を見つめた。ここにきてようやく彼女の存在に目を止めた、そんな感じだった。


「…………何でもか」

「はい」


 ヴァレリアがはっきりとした声で答えると、王は不快げに口を歪めた。

 彼女の健気さをまるきり否定し、呪詛を聞かされた言わんばかりに顔をそむけるのだ。


「では、お前にできることが一つある。婚約を果たし、私の妻になれ」

「…………え」

「そうすれば、お前の願いを叶えてやろう」

「そ、それは」


 ヴァレリアは顔を真赤にしてうつむいた。なんてことを言い出すのか。

 悔しさに今にも涙がこぼれそうだった。何でもすると言ったのは自分だが、こんな弱みにつけ込むようなことを言われるとは思いもしなかった。


 黒竜王にしても本気で自分を妻に望んでいるはずがない。断りの返事があったことは聞いているのだ。

 これはただの嫌がらせだ。こんな愚劣な男の妻になどなれるわけがないし、想う男に会う為に別の男に嫁ぐなど本末転倒も甚だしい。


「……私にできることであれば、と申しました。陛下の妻になることは、私にできることではありません」

「詭弁だ。だが、いいだろう。出来ぬとあれば会えぬという、それだけのことだ」

「陛下! 何故会うことを許して下さらないのですか!? 何がいけないというのですか!」


 ヴァレリアは、毅然と王をにらんだ。

 斜に構えていた王が姿勢を正す。彼女の視線を真っ直ぐに受け止めて、答えを口にした。


「それがあの魔法使いの望みだからだ」


 ヴァレリアの表情が凍りついた。

 テオの望み? 私に会いたくないと……。クラクラとめまいを感じ、あの手紙を思い出す。そして小さな悲鳴のような声を上げて、その場に座り込んでしまった。


 王は椅子から立ち上がり、背を向けた。ヴァレリア達がこの部屋に入ってきた時と同じように窓辺に立つ。その背は彼女のすすり泣きさえ拒絶するようだった。


「ヴァ、ヴァレリア?」


 突然泣きだした妹に困惑してフィリップはどうしたものかとただ焦るのみだった。

 間が悪いことは認識していたが、王に最終確認しようとしていた件をつい口に乗せてしまった。


「へ、陛下は妹を妻にと、誠に思し召しであられるのか?」

「もう行かれよ。たった今破談になったではないか。無駄話はお終いだ」


 フィリップは振り向きもしない王をにらみつけ、妹に立つように優しく促した。

 もう長居は無用だ。王の言うとおり、明日の朝にはここを出立しミリアルドへ帰ろう。心労を重ねている父と母に、愛しい末娘を会わせてやらねばならない。


「解りました。王よ、それではごきげんよう」


 ヴァレリアの背に腕を回し、よろける彼女を助けながら退室した。

 扉が閉まる直前、アインシルトの深いため息がフィリップの耳に届いた。


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