1 喜びの再会
「殿下! 姫が見つかりました!」
バンッと扉が開け放たれ、頬を紅潮させた若い従者が叫んだ。彼の飛び込んだ先は、ミリアルドの王子フィリップが仮住まいとする別館の一部屋である。
フィリップは一瞬小さく首をかしげ、そして勢い良く立ち上がった。
「あああ! ヴァレリアが見つかったか!」
「はい! つい先程、この王宮に到着したとの知らせがありました!」
他の従者や侍女たちの視線が一斉に彼に集まり、おおぉっと感嘆の声が上がった。
今、フィリップはその従者や侍女に取り囲まれている。王宮の混乱に動揺した彼らに、本国に帰らせてくれと詰め寄られている最中だったのだ。
フィリップは、侍女らをかき分けて従者に走り寄った。
「無事か!?」
「ご無事です。怪我もなくお元気であられるとのことです」
再び、わっと歓声が起こった。侍女たちは飛び跳ね抱き合い、帰りたいと不満を述べていたことなどすっかり忘れていた。
姫はどこにおられたの、早く姫をここにお連れして、と口々に吉報を運んできた従者に叫ぶ。彼はまあまあと侍女らを制して、主に満面の笑みを見せた。
「ああ……」
喜びを胸に詰まらせて、フィリップは震える息を吐き出した。ようやく妹が見つかったのだ。その身をずっと案じ続けた不安な時間がこれで終わった、そう思うと目頭がジンと熱くなる。
うむとうなずき、込み上げる嬉し涙をぐっと堪えると、彼は興奮冷めやらぬ従者の肩を叩いた。
「よし、行こう!」
従者を伴って本殿に向かう道すがら、フィリップは大まかな事の次第を聞かされた。
ヴァレリア姫が魔女の呪いを受けてゴブリンに変えられていた事、このインフィニードにずっといた事、それをある魔法使いが呪いを解いて元の姿に戻した事などが伝えられた。
やはり妹の失踪は魔女が絡んでいたのかと、フィリップの背筋がすっと寒くなる。しかし、何はともあれ無事に戻ったのだ。今はその報せに胸がいっぱいだった。
「その魔法使いとは誰だ。褒美をやらねばな」
感無量だった。一国の姫を助けだした英雄には、素晴らしい栄誉が必要であろう。もしもその魔法使いが承知するなら、ミリアルドの重臣に迎えても良いくらいだと思った。
「姫をここへお連れした少年が言うには、テオドール・シェーキーという男だとか」
「テオドール・シェーキー……。テオドール、ああ! あの男か!」
「ご存知なのですか?」
「ああ知っている。穴堀り名人だ!」
フィリップはハッハと笑った。
愉快だ。あの男、とことんとぼけた男だな、と腹の底から可笑しくなった。あれはやはり、妹のことを探っていたのだ。自分の仕事では無いと言いつつ、ちゃっかり救い出すとは憎いことをする。
小さな庵のある庭での出来事を思い出す。ニッカリと白い歯を見せて笑う男を思い出していた。落とし穴にはめられたというのに、嫌な気持ちは全く残っていない。妹の恩人が彼であるなら、なおのことミリアルドに欲しいとフィリップは思うのだった。
従者は内大臣シュミットの部屋までフィリップを案内した。扉はすぐに開かれたのだが、それすら待ちきれぬように勇んでフィリップは部屋に入る。
黒髪の娘の後姿。懐かしい妹がゆっくりと振り返るのが、目に飛び込んできた。
「ヴァレリア!」
「ああ、お兄さま……」
大股で歩み寄ると妹をぐっと抱きしめた。彼女も目を潤ませて兄の胸に顔を埋めた。そしてフィリップは込み上げる歓喜を解き放った。
良かった良かったと何度も繰り返して、妹を抱えてグルグルと振り回すのだった。
扉近くに控えていたニコの顔がほころんだ。再会を素直に喜び合う兄妹を心から祝福してた。
恥ずかしそうに彼女は止めてよとつぶやき、ニコにありがとうと言うように微笑みかける。目の前の姫君があのベイブだということに、ニコはまだ慣れることができなかった。
しかし声は変わらないし、瞳も変わってはいない。だから、しっかりと胸に刻み込まなければならない。ベイブがミリアルドの王女だどいう事実を。
ニコはあごを引いて、小さくうなずいた。
兄妹の様子にシュミットも眼鏡の奥で柔和に笑っていた。が、すぐに生真面目な顔に戻り、気まずそうに口を開いた。
「殿下、お喜びのところ誠に申し訳ないのですが、我が国王陛下はヴァレリア姫が無事に戻ったからには、早々に帰国されよと仰せられています」
なんだと? とばかりに、兄妹は同時にブンッと勢いよくシュミットを振り返った。
妹が見つかった祝賀会を、国を上げて盛大に開くべきなどと言う気は無い。が、一言無事を祝ってくれるくらいの寛容さはあっても良いのではないだろうか。用が済んだならとっと帰れとは、冷淡にも程がある。
ニコも呆気に取られて大臣を見つめた。すると大臣は、ああと胃のあたりをさすりながら俯いた。
フィリップは妹を離し、大げさに肩をすくめると内大臣に言う。
「なんともつれない事を……。確かに見つかり次第去れと言い渡されてはいたが。ぜひ、ディオニス陛下にお礼を申し上げたいのだが、今からよろしいか?」
「……礼は必要ないとも仰せです。話は無いと」
「そこをなんとか」
「お会いにはならないと、はっきりと仰せになったのです」
「…………」
ミリアルドの兄妹はそろってじーっとシュミットを見つめる。便乗してニコも恨めしげに大臣を見つめた。
シュミットの責任では無いが、折角の再会に水をさすような事をしてもらっては困ると言うものだ。
そう責めてくれるなとばかりに内大臣は小さく吐息し、目を伏せた。
「…………少々お待ち下さい。もう一度、陛下に進言してみます故」
「有り難い! 気難しい王のお相手は大変であろうが、よろしく頼んだぞ!」
妹との再会に有頂天となっているフィリップは、お気楽な調子で内大臣を送り出した。
*
シュミットを待つ間、彼の執務室で三人はそれぞれの状況を伝え合っていた。これによりフィリップは妹の身に起こったことをおおよそ把握し、王女も自分が囚われていた間の出来事を知ることが出来た。
「テさんはどうやって呪いを解いたの?」
ニコは尋ねた。今まで色々と試していたのに呪いは解けなかった。それが彼女を見つけ出した途端に解いてしまうということは、今までわざと解かずにいたんじゃないのかと邪推していたのだ。
「私の名前が鍵だったの。テオが私の名を呼んだ瞬間に呪いは解けたわ」
ニコは、ほぅと声を上げた。
テオが彼女が何者かを必死に探っていたことを思い出し、呪いを解く方法だけはつかんでいたが、その鍵が中々見つけられなかったのだと理解した。
「君はミリアルドの王女、ヴァレリア姫だ、って……」
長いまつげを震わせてうつむく。その時のことを思い出しているのだろう。
この後テオは彼女の前から去ってしまったのだ。呪いが解けた喜びはつかの間で、思いもしない悲しみが彼女の胸を締め付けていた。
ニコは言葉を選びながら懸命に慰めたが、今にも泣き出しそうな彼女を安心させることはできなかった。そして、あの手紙に書かれていた嘘とはなんだろうとまた考えるのだった。
フィリップは二人の会話から、妹がテオドール・シェーキーに思いを寄せいてることに簡単に気付いた。そして男の方もまんざらでもない様子であることも。
姿を消したということは、相手が身分違いの姫でしかも黒竜王との結婚話があるがゆえに身を引いたのだろう、そう思った。
フィリップは、意外と常識もあるようだとテオを評した。
が、ここで違和感を感じた。妹はゴブリンに変えられていたのではなかったか? 実は人間だと分かっていたとはいえ、素顔の知れない不気味なゴブリンに友情以上の感情を抱く男に、本当に常識があるのだろうか……。彼の感性にはかなりの特殊性があるような……。いやいや、よそう。なんといっても恩人に違いはない。
フィリップは軽く頭を振り、それはともかくと無鉄砲な妹を叱り始めた。
「お前が無事で良かったが、父上母上をはじめ我らがどれだけ心配したかわかっているのか?」
「ごめんなさい……」
「子供のころからお転婆な姫だったが、まさか一人でインフィニードに向かうとは思いもしなかった」
ヴァレリアは、父王から聞かされた結婚話を承諾はしたが、内心不安だったのだと言う。黒竜王の噂はあまり良いものでは無かったのだから。
結婚する前に自分の目で相手と相手の国を見ておきたい、それが失踪の理由だった。
あまりにも兄がくどいので、彼女は少し唇を尖らせてブツブツとつぶやいた。
「私がいなくなったと黒竜王が知ったら、どんな対応なさるのか試してみたかったの。……バカなことを考えたものだって思うわよ。でも、結婚するかもしれない相手だもの、気になるじゃない」
「気になるのは分かるが、王の人柄を知る方法は他にもあっただろうに」
兄は、なお呆れてため息をついた。無茶をしてもらっては困るというものだ。
「無いわよ。もともと結婚なんてしたくなかったし、……幻滅したらそのまま逃げるつもりだったし」
フンとそっぽを向いた。
勝ち気さがあふれるヴァレリア姫の横顔が、ニコには一瞬小さなベイブに見えて、思わずクスリと笑ってしまった。
ああ、確かにベイブならやりそうなことだと、一人納得していた。
「ヴァレリア! お前というやつは! ならばなぜ承知したんだ!」
「お父さまやお兄さま達に囲まれちゃって、大臣なんかもいる中で詰め寄られて、嫌だなんて言える訳ないじゃない! 選択肢なんて無かったわ!」
「…………」
フィリップは返答に臆した。彼女の言う通りだった。嫌だなどと言える雰囲気でも状況でも無かったのは確かだ。個人の気持ちよりも国政を優先して、既に決定した事項を彼女は伝えられたに過ぎなかったのだから。
フィリップは自分の結婚が決まった時の事をつい思い出してしまう。
絵に書いたような政略結婚だった。父から結婚を命じられた時は、不満しかなかった。
幸いにも結婚後、自分と妻は良き伴侶となり得たが、式で初めて会った妻の心細く不安げな青白い顔は今でも忘れられない。
妹があの時の妻と同じ心境であろうことは、察することができる。しかも相手が黒竜王ともなれば、不安はいやでも増すというものである。
「家出して得た収穫は大きかったわよ? 王が私にこれっぽっちも興味が無いって分かった事と、テオとニコに出会えたことよ」
そう言って、ニコに向かってニッコリと微笑んだ。
おどけた口調で言ったが、その家出は国を捨てる覚悟の家出であったし、思いがけず呪いをかけられるという過酷なものだった。しかし、彼女は後悔はしていないようだ。
インフィニードを見聞し、黒竜王の人物像を探るという彼女の当初の目的は、皮肉にもゴブリンに変えられるというアクシデントのお陰で達成された。
王女の姿のままだったら、とっくにミリアルドに連れ戻されていたことだろう。だから、彼女は得た物の方が大きいと笑っている。
そして、黒竜王が直々に結婚の断りを入れてきた事を心から喜んでいた。フィリップにはそれを咎める気は無かった。もう無理強いはしたくなかったし、何より彼女の望み通りにしてやりたいと思っていた。
妹を政治の駒に使う事にはもう反対なのだ。父や兄が何と言おうとも、彼女の幸せに繋がらないものは断固として排除しようと心に決めた。
「呪いを解いたという、そのテオドール・シェーキーをお前は選びたいのか?」
「え? えっと……か、彼が私を、え、選ぶとは限らないけどね……」
途端にヴァレリアは、また顔を強ばらせて俯いてしまった。