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黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い  作者: 外宮あくと
第三部 罪と力と代償と
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序章

 まだ薄暗い明けの空に、ちぎれた肉片のような赤黒い雲がいくつも浮かんでいた。上空にあることが異常と思える程、厚く重苦しい色をした雲だった。それがゴウゴウと唸る風に次々に流されてゆく。

 昇り来る太陽が草原の東にある森の向こうから赤い閃光を発し、シルエットとなった木々から立ち上る靄も相まって、まるで森が燃えているようだった。


 凶々しい朝焼けの光の中で、男が振りかざした剣がギラリと光った。

 その足元にうずくまるモノに、今まさにとどめを刺そうとしている。

 傷つき肩で大きな息をする剣士。そして同じく傷つき倒れ伏したモノ。彼らの回りには、おびただしい数の妖魔と兵士の死骸が転がっていた。草原は一面、死に覆われていた。

 血臭の漂う中に、生者は彼ら剣士と倒れ付したモノのみだった。


 前日、陽が地に沈み闇が訪れると同時に始まった死闘が、今終わろうとしている。

 この最後の妖魔を滅ぼせば、全ては終わる。


 剣士は柄を握り直した。全力で一刀を振り下ろしさえすればいい。だがその前にどうしても聞いておきたい事があった。

 剣士は足元に這うモノへ、ゆっくりと剣先を差し向ける。


「今一度問う。お前はなぜ来た」

「…………魔界にも天界にも居場所がなければ、致し方無いこと……」

「違う! なぜ俺のもとへ来たかを問うている! なぜ俺を欺いたのだ!」


 男は切っ先を真っ直ぐに突き付けて、悲痛な叫びを上げる。

 うずくまっていたモノが顔を上げた。それは女だった。エキゾチックな褐色の肌をした美しい女だった。


「偽りの中にも真実はありました。最早お前様には信じられることではありますまいが」

「その顔を見せるな! 偽りの顔を消せ! この妖魔め!」


 剣士が激高して叫んだ。憤怒に身体が震える。


「お前は! お前は、鬼ではないかぁ!!」

「……いかにも、鬼でございます。どうぞ殺して下さいまし……」


 女は弱々しく呟いた。眉尻を下げ悲しげに目を伏せると、大粒の涙がこぼれ落ちた。


 この美しくか弱き女が鬼であるなどと、誰が信じられよう。剣士はこの戦いの直前まで、彼女の抱えた秘密に気付くことなく過ごしてきたのだ。

 妻として娶り、子を成して十余年、彼女と幸せな家庭を築いてきたいうのに。 


「泣くな! 鬼に戻れ! 殺してやるから本性を表わせ! ニセの顔を俺に二度と見せるなあぁ!」


 男の苦痛に満ちた罵倒が終わらぬうちに、女の目が光り涙が飛沫となって飛び散った。口が耳まで裂け乱杭歯がゾロリと伸びる。額に一対の角が生えて、髪がブワリと逆立った。悪鬼の顔がそこにあった。


 男の目からも涙がこぼれていた。

 愛した女は人では無かった――――。


 白魔法に長け人を癒やし、子を愛情深く見守る慈母の顔と、決して満たされぬ飢えから人を喰らう鬼神の顔。二つの顔を合わせ持つ、聖にも邪にもなれぬ半端者の妖魔だった。

 国を恐怖に陥れた人喰いの妖魔、それが妻の正体だったのだ。


 この数年、満月の度に生まれたばかりの赤子がその妖魔に喰われていた。子を守ろうとする親も喰われ、妖魔を倒そうとする者達も全て喰われてしまった。

 幾人かの剣士が妖魔に挑んだが、今生きている者は一人もいないのだった。




 剣士は妖魔討伐に名乗りを上げた。

 自分は腕に自信がある、だから心配するなと妻に言った。今思えば、なんとも滑稽な話だった。

 妻の苦しげな顔は、自分の身を案じるが故と思ったことも、無様なことである。倒すべき敵に見送られて、戦いに向かったとは。


 妻は剣士を送り出す時に、自分が人では無いことを初めて明かした。己は精霊の力を宿す身であると、剣士に語ったのだ。そして、その力を与えるから必ず無事に帰れと。


 剣士は大いに驚いたが、彼女に貰った力が全身を駆け巡ると、疑う余地もなく自身に強い魔力が宿ったのを実感し、彼女の言葉が真実であると理解した。

 妻は人ではなかったが、このように自分に力を分け与えて無事を祈ってくれる、優しい女なのだとうれしく思った。


 剣士は強い魔力と信じられぬような剛力を得た。日が沈むと町を跋扈ばっこし始める雑魚妖魔など、軽い剣の一振で一網打尽に出来た。

 素晴らしい力だと剣士は感嘆する。自慢の妻よと心の中でますます褒め称えた。



 そして深夜、月が煌々と輝る中、人喰いの妖魔が現われた――――。



 一軒の家から絹を裂くような悲鳴が上がり、不意に途切れた。

 剣士と仲間の兵士達が急行すると、何者かがしゃがみこんでクチャクチャと湿った咀嚼音を立てている。ジュルルルとすすり上げる音が、怖気を誘った。


 剣士たちは、怒号を上げてソレに戦いを挑んだ。

 口に肉片を咥えた妖魔が立ち上がる。角をはやし髪を振り乱した悪鬼は、ニタリと笑ってそれを飲み込むと、突然と血の涙を流した。

 一瞬うなだれ、そしてゆっくりと上げた顔は妻のものだった。

 どうぞ殺して下さいまし……、そう呟いた。


 なぜ彼女は精霊の力を分け与えたのか。死を望んでいたとでもいうのだろうか。


 しかし再び悪鬼に変じた女は、猛然と剣士たちに襲いかかって来たのだった。

 ひと薙ぎで男たちを引き裂き、骸に変えてゆく。嬉々として、向かい来る剣士を打ち倒していった。そしてその肉を口にする……。


 妖魔は仲間の妖魔を次々と呼び出し、剣士らはすっかり彼らに取り囲まれていた。

 なんとういことか。

 動揺、狼狽、驚愕、そして怒りに我を忘れて剣士は剣を振るう。


 彼の叫びは言葉にならない。激情に支配され哀哭の咆哮をあげてひたすらに、湧いて出てくる雑魚妖魔を切る。

 そして妻であった妖魔にも剣を振るった。

 長年添いあった夫婦がお互いの命を奪い合う、無残な激闘を繰り広げることなったのだ。


 慈母の顔は夫を傷つけまいとし、鬼神の顔は夫を喰らおうとする。優しい女は自らの完全な死を望み、邪な鬼は自らの半身の死を望んでいた――――。




 朝焼けが、二人を照らしている。

 剣士の言葉通りに、鬼の姿を晒した妖魔は地に這ったままググゥと唸り声を上げた。剣士に飛びかかろうとする身体が、見えない力によって押さえつけられているのだ。


 女が、鬼を抑えている。一思いに切ってくれと瞳が哀願している。鬼の姿であれば切りやすかろうと。

 剣士はその頭上に剣を振り下ろす。涙を流しながら、真っ直ぐに。

 女は微動だにせず待ち受けていた。待ち望んでいるとも言えた。


 そして悪鬼は、我が半身への最後の抵抗を試みる。


「呪われろ! 生きながら骨となり永遠に彷徨さまよえ!」


 呪いが放たれた直後、剣がその額を割った。

 血しぶきをあげ、身体が二つに裂ける。ドッと左右に離れ離れになる肉体は、瞬時に千も万もの火玉となり剣士の身体に群がった。


「うおおぉぉぉ?!」


 剣士の全身にジリジリとした痛みが走った。

 鬼神の常軌を逸した笑いが湧き起こり、同時に女の悲痛な叫びが響いた。


 ――なんと浅ましき我が半身よ! ああ、お前様お前様、どうか私を滅して下さい! 一つ残らず滅して……


 剣士は無数の火玉に取りつかれ、その姿はまるで人型の火玉のようだった。最早彼には、女の声は届いておらず、狂ったように腕を振り回しのたうちまわっていた。


 絶叫をあげた。

 火玉には小さな口があり、ノコギリのような歯が並んでいた。火玉はちびりちびりと男の肉を喰らっているのだ。


 無我夢中で追いはらっても、火玉は幾度も幾度も彼にかじりつき肉を食いちぎってゆく。剣に魔力を込め火玉を切り裂くも、あまりにも小さく数の多い火玉を消滅させるのは至難だった。


「があぁぁ!!」


 剣士は激痛を耐えながら、剣を振るう。これが妖魔を愛した報いなのか、妻を切った代償なのか、とばくとした頭で考えた。

 生きたいなどともう思いもしない。共に死ねるならそれでも良いと。

 剣士は火玉を切り続けた。


 慟哭する男はじわりじわりと喰らわれゆき、いつしか骨に変えられていた。




 最後の火玉を滅した時、このような姿になってなお死ねぬのかと、剣士はその場に崩れ落ちた。もう涙をながすことさえ叶わない。骨となった剣士は地に伏して、絶望していた。


 と、その手に何かが当たった。

 剣士はソレをつかんだ。こぶし大の水晶のような玉だった。その半分は一点の曇も無く透き通り、もう半分は泥のように濁っていた。玉の中で透明な部分が濁りを追いかけ、濁りの部分は清浄を飲み込もうとして時が止まった、そのように感じられる不思議な模様をしていた。

 剣士は長い時間、その玉を見つめつづけていた。



 日が空高くに昇り、あの不気味な朝焼けが嘘のように空は澄んでいた。



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