40 傀儡
シュミットがノックの音に振り返ると、扉が開きユリウスが入ってきた。
その顔色は悪く表情も消えていた。仮面が張り付いたような顔で、ユリウスはシュミットの前まで進んできた。
「何処におられた!」
内大臣が大声をあげる。何人もの人間に彼を連れて来るように命じていたが、一向に見つからず苛つきは最高潮に達していたのだ。
ユリウスは静かに答えた。
「あの魔法使いどもの痕跡を捜して、城壁の外側を回っておりました。何も見つけられませんでしたが……。申し訳ありません」
「国王陛下が、あなたに話があると仰せになっております。さあ!」
顎をしゃくって、シュミットは強引にユリウスを促した。
二人は、黙りこんだまま廊下を歩いてゆく。急ぐ足音だけを響かせ、王の居室へと向かった。
シュミットの気は重い。王はこの魔法使いに何と仰るつもりなのだろうか罰するおつもりだろうかと、不安であった。同時に、自分を含め多くの廷臣の責も問われることになるだろうと思うと、更に気が滅入った。
部屋の前でシュミットは立ち止まり、咎めるようなそれでいて同情するような視線を若い魔法使いに送ったのち、大息して入室した。
「……ただ今ユリウス・マイヤーを連れて参りました。陛下をお待たせ致しまして、誠に申し訳ございません」
即座にシュミットは頭を深々と下げる。そしてユリウスよりも長く頭を垂れ続けていた。顔を上げることさえ、今はとても恐ろしかった。
「よい」
鷹揚な返事が返ってきた。
黒竜王は椅子に座り二人を見据えている。彼の纏う空気はピリピリと痛いほどに緊張を孕んでいたが、それでも予想よりも遥かに落ち着いた様子の王の姿に、シュミットは安堵した。
しばしの沈黙の後、王はユリウスに問うた。
「何故、お前に護れなかった」
「申し開きの術もございません。……油断があったと言われれば、その通りでございます。地下の封印魔法を過信していました」
ユリウスは足元の床を見つめ、ポツリポツリと言葉を吐き出す。
シュミットは目をつむった。これを油断と言うなら皆が油断していたのだ。彼一人の咎ではない。
宝玉が盗み出されることなど、考えもしないことだった。王家の血を引く者またはその許しを得た魔法使いしか、決して髑髏の騎士の間には近づけぬよう厳重に魔法がかけられているのだ。魔女に近づけるはずは無かったのだ。
「ニキータが生きていた」
「…………! ニキータ様が、まさか」
「生きている」
王が静かに断言する。
「…………」
二人は驚きに次の言葉が出てこない。まさかこの場でその名を聞くことになるとは思いもしなかった。黒竜王の弟で、七年前に幼くして死んだと思われていた薄幸の王子の名を。
シュミットはせわしなく胃をさすり続けた。ニキータ様が生きていた、王がそれを我々に伝えたその意味はなんだろうかと、必死に考える。
「アインシルトから伝言があった。直に彼を連れて王宮に到着するだろう。……ニキータは魔女の人形になっていた」
黒竜王は静かな声で語る。
じっとユリウスを観察していた。
「……では、奴らに利用されたニキータ様が、地下に引き入れたのでしょうか」
シュミットは隣に立つユリウスの横顔を、驚きをもって見つめた。自分には全く出せなかった答えを、彼がスラリと口に乗せたことと、その内容に驚いていたのだ。生きていたニキータが魔女らを手引し、宝玉を奪ったと。
まさかと思った。しかし、それならば納得できてしまうのも確かだった。
王はユリウスの質問には答えずに、静かに彼の咎を問う。
「何故、お前にアンゲリキ達の気配が察知出来なかったのだ」
「申し訳ございません」
「ユリウス! 何故かと聞いている!!」
突然、怒声を上げた。ビクリと身を固めたのはシュミットだった。顔面に冷気の固まりを叩きつけられたようだった。一瞬で、部屋の空気は個体に変化してしまったと妄想する。胃痛持ちの男は、身動きもままならぬ状態だった。
ユリウスはグッと唇を噛み、王をにらみ返した。彼はシュミットの様には動じてはいなかった。
「……陛下こそ、今何処で何をなされている?」
彼の低い声は呪いの言葉のように、陰湿に響いた。
そして、言い終わらぬうちに、彼の右手からは光の矢が放たれていた。
矢は、まっすぐに王に向かって飛ぶ。
「何を!」
奇跡的に声を発することができたシュミットだったが、叫んだ時には既に矢は黒竜王を貫いていた。
仰け反ったその胸に直径二十センチ以上の大穴が開き、椅子の背もたれが見えていた。
「ううああぁぁーー!」
内大臣は悲鳴を上げ、王に駆け寄った。
グラリと王の体が傾ぐ。
そして、ドサリと床に崩れ落ちると、その体は土塊に変わっていた。
「傀儡だ。私は、本物の陛下と話がしたい……」
ユリウスに動揺はなく、声は冷徹だった。
青ざめた内大臣は、震える手で土を掴み、握りしめた。
大きく息を吐き出すと、胸のうちに安堵が広がった。本物の王は無事なのだ。
「へ、陛下が時折、影をお使いになることは、あなたも知っているはずだ! 話はちゃんと伝わっております。そのまま、話されればよい!」
「迷うこと無く騎士の間にたどり着けるのは、王家の者のみです。すなわち黒竜王お一人ということです。ニキータ様が生きていたなど、とても信じられません」
ユリウスの言葉に、シュミットは目をむいた。この男は一体何を言い出すのかと驚き、そして王への振る舞いも含めて怒りが湧いてきた。
「陛下を愚弄なさるか! それでは、陛下が宝玉を持ちだしたと言わんばかりではないか!」
「いいえ違います。今話していたのが本物のディオニス陛下なのか、それが私には疑問なのです」
「な、何を! ……まさか」
先刻の、リッケンとの会話が彼の脳裏によみがえった。
アンゲロスが我々を操っているかもしれないと上級大将は言う。
計画を知る者の中に、アンゲロスに与するものがいる。よって、この討伐計画は我々が立てたようでいて、その実、双子の魔法使い達が企てた宝玉奪取のための計画だったのだと。
これに気付くのが遅すぎた、しかし、今からでも誰がアンゲロスの傀儡であるのか追求するのは重要なことであると、怒りを内に秘めつつリッケンは言っていた。
「……陛下が?」
そんなはずはないと、シュミットは力なく首を振った。
その時、扉がゆっくりと開き、アインシルトとリッケンが入ってきた。
アインシルトはナタから帰還してすぐ黒猫を王宮内の幻想の森に匿うと、その足でここに来たのだった。
玉座の足元の土の塊に気づくと、わずかに眉を歪めた。そして黙って二人に近づいてきた。
「何事ですかな」
老師の代わりに、リッケンが問うた。
「我々の中に魔女の犬がいると、マイヤーも申しています」
胃のあたりをさすりながら、シュミットが答えた。
ユリウスが王を土塊に変えたことを悟ったリッケンは彼をじっと見つめている。その若い魔法使いの固く結ばれた唇は、堅固な考えを変えることはないと示しているようだった。
シュミットがアインシルトに視線を戻すと、彼は玉座の前にひざまずき土塊を練り始めた。
土は人の形を取り戻し、老師が懐から取り出した一本の黒い髪の毛を埋め込むと、たちまちに黒竜王の姿を写しだした。
王と寸分たがわぬ土人形は、やおら立ち上がりマントを跳ね上げると、玉座に戻った。
「……陛下を信じられぬと言うのか?」
アインシルトは、ゾクリとするような低い声で言った。弟子をしっかりと見据えている。その目に怖いものが含まれていた。最も信頼する弟子の一人と言えども、許せぬこともあると沈黙で語っていた。
ユリウスはゴクリと唾を飲み、答えた。
「いつぞやのように……今度は王になりかわっているかも知れぬと……」
「あり得ぬ」
即座にアインシルトは否定した。
部屋はしんと静まり返る。
全員がそれぞれの立場から、考えを巡らせていた。誰が、魔女らに情報を流しているのか。自分では無いことだけははっきりしていると、誰もが思う。
シュミットはもう何も信じられぬと首を振り、リッケンは口を一文字に結んで目を閉じた。
アインシルトは一同を眺め、ユリウスは黒竜王を正面から見据えていた。
「聞こえておいでですか?」
ユリウスが問いかけると、王はゆっくりと口を開いた。
「聞こえている……ユリウス、私を失望させるな」
一言だけ言うと、傀儡は動かなくなった。
部屋の空気は、疑心暗鬼に支配される。重苦しく黙りこみ、探りあう視線が交差する。
リッケンの胸に去来するのは、ジノスの言葉だった。
筋書き通り。
この仲間内で睨み合う最悪の展開までもが、敵の筋書きのうちだったのかと、苦々しく思う。どうすれば、この状況を打開できるのか。
「直にテオドール達も戻ってくるじゃろう……少し頭を冷やせ、ユリウス」
師に諌められ、彼は無表情にうなずいた。




