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黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い  作者: 外宮あくと
第二部 謀略の獣 真実の名前
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35 おかえり

 デュークは走りだそうとしていたテオの肩をつかんで、強引に引き戻していた。反動でテオの身体が転がる。怒りで顔を朱に染めるテオに、デュークは片手に抱えていたものを差し出した。


「まずは、こちらが先ですね」


 鏡の世界から帰還した彼は、光る繭を抱えていた。

 半透明のその繭の中に、夢にまで見たゴブリンがいた。赤子のように手足を縮めて、彼女は瞳を閉じている。


 一瞬、テオの呼吸が止まる。

 そしてダッと立ち上がり、精霊から繭を奪い取った。ドクドクと耳の奥で鼓動が響く。繭を抱きしめると彼女の体温がじんわりと伝わってきた。


「ベイブ!!」

「あなたの左目です。ついに奪還!」


 彼女をテオの左目の付属品とでも思っているかのような発言だ。ベイブ救出の報告ではなく、左目奪還の吉報をもたらしたことが誇らしげだった。

 そして、のんきな声をあげる。


「アチラが大変なことになってますよぉ~」


 デュークはニタニタと笑って、前方の土煙を眺めていた。

 ジノスの素早い号令で、飛竜の一団が一斉に魔女へ跳びかかってゆくところだった。


 稲妻の閃光が明滅した。

 このまま騎士団にアンゲリキを押さえることができれば良いが、デュークの顔には無理に決まっている、とはっきり書かれている。

 

「さっさと、魔女からの支配を解いた方がいいんじゃないんですかね」


 繭を抱きしめるテオをあざ笑っている。感動の再会なんてものに、彼はこれっぽっちの興味もないらしい。

 テオはそんな精霊には目もくれず、急いで繭を引き裂きベイブを抱き上げた。


「ベイブ、ベイブ……」


 頬ずりをして、また強く抱きしめる。目が熱い。

 彼女の体温を直接肌に感じると、胸にも熱いものがこみ上げてきた。生きていてくれた。無事でいてくれた。これほどの喜びが他にあるだろうか。

 テオはベイブの頭を優しく撫でながら、無言で何度も何度もうなずいていた。


「……もう、いいんじゃないですかあー? そんな場合ではないですよ」


 うんざりした様子で、デュークは言う。この精霊にとって、人の世の愛や情けほど理解しがたく軽蔑するものはなかった。わざとらしいため息をついて、テオを見下ろしている。


「アンゲリキ一人に、これだけヤられてしまって恥ずかしくないんですかね。さっさと、殺っちまいましょうよ」

「ああ……分かっている」


 テオの目は少し潤み、頬も紅潮していた。

 大きく息を吐き出し、アインシルトらを確認する。魔女の姿は飛竜たちの陰になり見えなかったが、急がなければ反撃を受けることになるだろう。

 テオはベイブに視線を戻す。彼女の顔を目に焼き付けようとするようにじっと見つめた。

 それから指先で頬をそっとなでた。


 ベイブがうっすらを目を開けた。

 ゆっくりとテオを見上げて、とまどったように首をかしげた。もう一度頬をなでられると恥ずかしそうに微笑んだ。


「……テオ」

「おかえり」


 ぼうっとテオを見つめたあと、急に何かを思い出しベイブはすまなそうに眉を歪める。どこから話そうか迷っているようだった。しきりに首をかしげ、目を瞬かせている。

 テオは無言でうなずき、微笑み返した。

 そして、ベイブがようやく口を開いた。


「……キャットが来たのよ」

「彼を追って行ったんだね」

「そう。それでね……」


 テオにも話したいことはあったが、今はデュークの言うようにそんな場合ではなかった。

 しゃべろうとするベイブを制して、深呼吸を一つする。


「ベイブ、後で話そう。今は少しだけ協力してくれ……目をつむって」


 膝の上に彼女を座らせ、これ以上ないほど優しくそのまぶたをなでる。

 彼女は目を閉じた。しかし、上の二つの目はぱっちりと見開き、テオを見つめ返している。右は濃いブルーグレーの瞳、左は黒の瞳だった。

 テオは左の目に注目している。取り戻す時が来た。


「怖くないから、じっとしていてくれ」


 まるで催眠術をかけるような、低く落ち着いた声。ベイブは体の力を抜いて、テオに身を任せた。

 テオの人指が、見開いた左目のまぶたの奥にスルリと滑りこんでゆく。

 ピクリとベイブの体が強張った。痛みは無いが、不気味なその行為に驚いていた。何をしようというのか。


「大丈夫」


 テオの声を聞くと、ベイブはすっと緊張が解けるのを感じた。彼は大丈夫という言葉をよく使う。ベイブはその言葉を、素直に信じることができた。恐れる必要はないのだ。

 グリンと、指が目の奥で回転する。そして一気に引き抜くと、テオの手の中に眼球がぼとりと落ちた。


「よし」


 その声にベイブが恐る恐る目を開けると、不気味な光景が飛び込んできた。

 わずかに血をまとわりつかせ、根のように視神経を垂らした眼球をテオがつまんでいるのだ。


「ひ、ひゃぁー!」

「やっと取り戻した。オレの左目だ。君が守ってくれてたんだ」


 何のことか分からないと、ベイブはブルンブルンと首を振る。

 テオの左目がどうしたというのだろうかと困惑する。彼は何を守ったと言ったのか。つまみ上げた目玉が気味悪くて、全く考えがまとまらなかった。

 思わずテオの膝から降りようとするが、テオの左手がガッチリと肩に回されていた。


「何? なんなの?」


 呪いを解いてくれたのだろうか。余分な目を取り除けば自分は元の姿に戻れるのだろうかと、ベイブは首をひねる。

 もう一つも取り出すのかしらとテオを見上げたら、気分が悪くなってきた。

 彼は、太陽の光に宝石をかざすように満足気に眼球を掲げていた。


「清浄な色をしている。なんの穢れもない。君のおかげだ」


 いつになく爽やかに笑う。

 手に持っているのが生々しい目玉でさえなければ、清々しい好青年にしか見えないのに、残念な光景だった。


 唖然とする彼女の眼前で、テオはやおら左目の義眼をつまみ出す。そして本来の左目を元の位置に押し込み、目を閉じる。唇を高速で小さく動かし、声なき呪文を唱えていた。

 彼の背後に立ち、手のひらを向けているデュークの唇も、テオの呪文と同時に同じ動きをしていた。魔力の加勢をしているようだ。

 左のまぶたがほんのりと桜色に輝き、目とその周りの筋肉がぴくぴくと痙攣した。


 テオは眼球周りの筋肉が猛スピードで再生されてゆくのを感じた。視神経が瞬く間につながっていく。

 最初は小さな点のような光を感じた。次第にそれは大きくなり、点滅し、数が増え、色が着いた。

 そして、けばけばしい雑多な色と光のイメージが駆け抜け、目眩を感じた数秒の後、静かに光は去り暗闇になった。


 ゆっくりと目を開ける。ぼんやりとした影が急速に人の顔になった。ベイブが自分をじっと見つめているのが判った。右目を手で隠し、左目だけで確認する。


「……見える」


 にっこりと笑った。


「前より君が良く見える。とっても美人なゴブリンだ」

「あなたの眼だったなんて……」


 ベイブは驚きを隠せない。彼女自身、思いもよらないことだったのだ。

 おどけて見せるテオの顔に精気が戻ってくる。先程までは血の気の引いた顔色をしていたが、肌に赤みがさし隈も消えて、快活な笑みを浮かべていた。

 ベイブは、左目を取り戻した、というその意味を理解した。


「ああ……テオ! 魔女の支配から解かれたのね!」

「そうさ!」


 テオは満面の笑みで答える。

 ピリピリと電流のように背をかけるものがあった。髪がざわりと逆立つ。失われていた力が血流に乗って、体の隅々にまで行き渡ってゆくのを感じていた。

 沸き立つような力強さ、今までに無い高揚感、そして頼もしげに自分を見つめる小さな少女、その全てがテオに自信を与えていた。


「テオ、怪我をしているわ」


 ベイブは彼の胸に手を当てる。

 桜色の淡い光がテオを癒やした。出血は止まったが、いつものようにはいかない。獣の付けた傷は癒やしの魔法を受け付けないのだ。

 それでもレオニードの時と比べれば、効果が上がっているようにベイブは思った。わずかに傷口がふさがりつつあるのだ。


 テオもほおと、小さな声をあげる。毒が薄らぐのを感じていた。ベイブの力が増したのではなく、恐らくはキャットが加減していたのだろうと思うのだが。

 そう思うとテオの胸はチリリと痛んだ。彼のおかげでベイブを奪還できた。次は彼を救い出さなければならない。


「ありがとうベイブ。もう大丈夫だ」


 笑みを交わし合あった。

 その時、ゴゴゴォォ! 地響きが起こったかと思うと、閃光が走り爆音が轟いてきた。


「ぐぎゃあぁぁぉぉ!!」


 幾匹かの飛竜が悲鳴を上げ、空に跳ね上げられた。

 テオは、それを見上げて立ち上がる。口元には笑みが浮かんでいた。


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