33 魔法騎士団
この日ジノスたち騎士団は、急ごしらえで誂えた断崖の足場に朝から潜んでいた。不審げな部下たちに「必ず敵は街道に現れる」とジノスは戦闘準備を命じたのだ。城塞をほぼ空だった。
ジノスの予言は当たった。
しかし、魔女の急襲を即時に知ったわけではなかった。というのも彼が張り巡らした探知魔法エリアのほんのわずか外側で、テオ達と魔女との衝突が起きていたからだ。
場合によっては何も気付かずに、断崖の取り付いたまま事が終わっていたかもしれない。そうなっていれば、大惨事になっていただろうし、騎士団の面目も丸つぶれという危うい場面でもあったのだ。
魔女が避けた光の矢が探知エリアに飛び込んだおかげで、異変に気づき得たのだ。
この時彼は、歯噛みし口汚い罵りを吐いたものだった。もう既に始まっていたかと。裏をかくつもりが、更にその上を行かれたという悔しさ故だ。
そして即座に達騎士団は、一斉に飛竜を駆って現場へと急行したのだった。
「出撃だ! 出遅れるなよ!」
魔法騎士団率いる隊長ジノス・ファンデルは、いかにも我こそは救世主といった顔つきで、アインシルト隊の前に現れた。
さっと、幾十もの瞳が彼らを見上げる。城塞に潜んでいるとばかり思っていた騎士団の登場に、一同は声なき喝采をあげた。
堂々たる風情の彼らは、傷ついた兵士らに安堵と期待の念を生じさせた。主力部隊が勇ましく駆けつけてきたのだから。
しかしアインシルトは厳しい態度を崩さない。獣に対して、騎士団からこれ以上の攻撃をかけられるのも、彼とテオにとっては好ましくないことであり、しかもその理由を説明している暇もない。
老魔法使いは叫んだ。
「ファンデル、獣への攻撃は無用じゃ! 魔女を倒せ!」
無言でジノスはうなずき、飛竜を飛び降りると真っ先に切り込んでいった。部下たちも即座に続く。彼らは己の魔力を剣に纏わせて、雄叫びをあげて走った。
シュウシュウと湯気を上げる剣をジノスが振るうと、魔女の頭上にバリバリと空気を引き裂いて雷槌が落ちた。
片腕で受けたアンゲリキが、チッと舌打ちをする。とっさに張った障壁を破って、雷槌は彼女の腕を焼いていたのだ。
ジノスはニタリと白い歯を光らせる。さっと手で合図すると、ぐうと唸る魔女を騎士団が取り囲んだ。
「よくもやってくれたわね……」
アンゲリキは、地を這うような低い声をあげる。うずくまる黒い獣を見つめ、それからゆっくりと騎士団へと視線を移す。ギリギリと彼らをにらんだ。
己に傷を付けられたことよりも、獣を負傷させたことに怒りを感じているようだ。
彼女の蛇の尾が発光し人間の足に戻る。一歩、ダンっと地を踏みしめた。
その瞬間、突風がその足元から吹き出し、砂塵を巻き上げてジノスらに襲いかかった。
*
「どうなっている! 説明をしろ!」
フィリップは王宮のただならぬ様子に、立ち入りを禁じられていた本殿に足を踏み入れ、内大臣の執務室に飛び込むと怒りの抗議をぶつけたのだった。
足元から、地響きのように髑髏の騎士の呪詛の声が湧いてくる。王宮は騒然とし、未だ落ち着きを見せることはなかった。
シュミットは直に騒ぎは鎮まるので心配なさるな、と王子を必死になだめたが、真実味のない言葉で収められるはずもなかった。
「宝玉が奪われたと聞いたぞ! アンゲリキが忍び込んだのか? 攻撃を受けているのか? 守りはどうなっている、どう対抗するのだ!」
矢継ぎ早の質問に、シュミットは何一つ返答することが出来なかった。どう対処すれば良いのか次に何が起こるのか、彼には皆目見当がつかないのだ。
そこへまた、髑髏の騎士の唸るような声が聞こえてきた。
『王よ、答えよ! 正当なる宝玉の継承者よ。申し開きしてみせよ!』
今や髑髏の騎士の怒りの矛先は、黒龍王にまで向けられていた。内大臣は青ざめるばかりだった。
ゾクリと背を震わせたフィリップだったが、廊下に飛び出し腹にグッと力を込めると大声をはりあげた。
「黒竜王ディオニス陛下よ! どこにおられる! 何をなさっておられる! 早う、この声を収められよ!」
ギョッとするシュミットに構うこと無く、フィリップは続けて叫ぶ。
「この国随一の魔法使いであられるのではないのか! 今こそ出番であろうが!」
傲慢なだけの大ぼらふきの王め、大言を吐くならば何事も実行してみせろと言うものだ、とフィリップは苦々しく思った。
*
ふらつく足で立ち上がろうとするテオの隣に、デュークが立っていた。
細い腕で軽々とテオを引き上げる。この精霊は、ひょろひょろの体に似合わぬ剛力を持っている。
「鏡の中とはね、盲点でした。私を解放すればすぐに見つけ出せますよ。鏡の世界は、私のホームグラウンドですからね」
ニヤニヤと笑っている。テオが否と言うはずがないのを解っているのだ。そして、一時的にとはいえ解放されるであろうことに、喜びに目を輝かせウズウズとしている。
テオに囚われて以来ずっと、小さな手鏡の中に閉じ込められていた。時折外界に出ることはあっても、彼がもともと居た異界に往くことは禁じられていたのだ。
鏡の世界とはデュークが住んでいた異界なのだ。まさにホームグラウンド。ベイブを見つけ出す最前の方法は、彼を手鏡から開放することだ。
テオは舌打ちをする。
手鏡を取り出すと、鏡面に指でクロスを描き呪文を唱える。
すると、鏡の表面に細かなヒビがピシピシと無数に入った。光が乱反射して真っ白に輝く。
ふっと息を吹きかけると、薄い膜がパリパリと剥がれ落ちていった。鏡が一皮むけた。テオの手鏡は、デュークを捕えておく檻ではなく、鏡の世界への入り口となったのだった。
「……行け」
「イエ~ス!」
待ち構えていたデュークは、一気に鏡の中に飛び込んでゆき姿を消した。
キャットの言葉が真実なら、ベイブは直に見つかることだろう。テオの胸に期待が広がる。そして、無事であってくれと祈った。
テオは再びよろけ地面に尻をつく。想像以上に毒の回りが早いようだ。腕と胸に受けた傷口を中心にじわじわと悪寒が身体中に広がってゆく。顔は青ざめ、全身にべたつく汗をかいていた。どんどんと視界が霞み目が回り始めた。
二名の兵士が駆け寄り、彼を担ぎ上げると街道脇の防風林の中へと運んでいった。
「悪いな。ここでいい」
テオは一本の木にもたれかかって座り込んだ。周りには負傷した兵たちがごろごろ転がっている。明らかにもう息の無い者もいた。
ガリっと唇を噛み、雷鳴轟く土埃の向こうに目を凝らした。
アインシルトに加えてジノスらの攻撃のかいあって、アンゲリキは後退していた。獣から徐々に引き離されている。アインシルトは、動けずにいる獣ニキータに近づくために、更に魔女への攻撃を命じるのだった。
ジノスらはぐるりと魔女を取り囲んでいた。一斉に光の矢を放つ。まともに受ければ、いかにアンゲリキといえども無事ではいられない。そこで魔女は、囲みに出来た僅かなスキに向かって跳躍する。
しかし、それは故意に仕込んだスキだった。
ザッと騎士たちが左右に別れ、魔女が着地した瞬間、その地面から何十本もの氷の刃が土煙をあげて突き出してきた。
「ウ!!」
黒いドレスが引き裂かれ、白い肌に垂直に朱線が走る。その着地点は、ジノスの想定した戦闘エリア内だった。用意していた仕掛けが功を奏した。
しかし、魔女の体が高く舞い上がったのは、刃に突き上げられたからではなかった。自ら跳んで致命傷を裂け得た魔女の俊敏力に、ジノスは驚嘆する。
「病み上がりとは思えねえなぁ。いい女だねぇ」
ジノスをにらみつけて魔女は、刃の切っ先を蹴ってなおも高く飛び上がる。次々に土中から襲ってくる氷の刃を避けて、跳ねながら後退を続けていた。ジノス達は魔女と獣との間に入り込み、光の矢による追撃を加えた。
ようやくジノスの攻撃魔法エリアを脱したアンゲリキは、攻撃対象をジノスに絞った。彼めがけて右手を開くと、矢のごとく無数の蛇が飛び出していった。
「死ね!」
裂けんばかりに口を開いて牙を光らせる小蛇の大群が、ジノスの眼前に迫った。彼は即座に障壁呪文を唱える。だが、障壁が完成するよもり一瞬早く、蛇が食らいつくかと思われた。息を飲んで固まるジノス。
しかし、彼の鼻先わずか数センチ手前で、突然蛇がボトボトと地面に落下していった。それらは石化していた。ジノスの背後で、アインシルとが杖を前方に差し向けていた。
「お前も、テオドールと同じじゃのお。自惚れが過ぎる」
ジノスは、アインシルトの石化魔法に助けられていた。
再度、アンゲリキから放たれた蛇も、全て石と化してゆく。
「面目ない」
ジノスは苦笑し、そして顔を引き締める。
「ブリザード!」
氷の粒を含んだ、極寒の疾風が魔女に向かって吹き付けていった。
アインシルトはその間に、うずくまる獣へと駆け寄っていった。その背を優しくなで傷を少しでも癒やそうとしていた。だが獣は唸り前足を振り回して、アインシルトを拒絶する。
それでも、老魔法使いは穏やかな微笑みを獣に向けていた。慎重に封印の呪文を唱え、キューブの中に獣を捕らえた。
そしてキューブが縮まってゆくと、獣も小さく縮んでいった。どんどんと収縮し、片手で持ち上げられるくらいにまで縮まったころには、獣はあの黒猫の姿に変わっていた。
出血の激しい黒猫は目をつぶり、苦しげな息をしていた。
アインシルトは痛ましげに黒猫を見つめ、キューブを抱え上げた。
すると、遠くから魔女が叫んだ。目ざとくも、この様子に気づいたのだ。
「死にぞこないのジジイめ! その子を返せ!」
「異な事を言う。返してもらうのはこちらの方じゃ」
アインシルトはしっかりとキューブを抱え込む。
今にも突進してこようかという魔女との間に、騎士団が壁となって立ちはだかった。
アインシルトはなぜあの獣を殺さずに生け捕りにするのかとジノスは疑問に思ったが、魔女の慌てぶりを見てこの戦法は正しいのだと判断した。
決して、獣を奪い返されてはならない。部下に目で合図し、アインシルトと魔女の間の壁を一層厚くした。
騎士団がアンゲリキの攻撃を防いでいる間に、アインシルトは黒猫ごとキューブを更に縮め、懐にしまうのだった。
防風林の中で、成り行きを黙って見つめていたテオが立ち上がった。足がふらついていたが、それでも負けじと踏ん張っている。老師が黒猫を保護したからには、次はアンゲリキを仕留める番だった。
こちらに振り返って小さくうなずくアインシルトに、テオもうなずき返す。
そしてテオが呪文を唱え始めると、老魔法使いもまた呪文をつぶやいた。
『ジノス、下がれ! アインシルトのイービルアイが発動する! 決して見るなよ!』
ジノスの頭の中にテオの声が響いた。途端に、騎士団達にも動揺が走った。彼らにもこの声は聞こえているようだ。ジノスの頬が石のように強張った。噂にだけは効いたことがある、イービルアイ。
アインシルトの邪眼が放つ妖しい光をを見たものは、精神を恐怖に蝕まれ恐慌に陥る。そして錯乱のうちに我が身を引き裂いて死にいたる、という恐るべきものだった。
潮が引くように、ざざざっとジノスらは左右に別れ、アインシルとの前に鬼面のアンゲリキの姿があらわになった。




