31 ハヤブサの伝言
暗い地下通路に、ランタンの炎が作り出す二つの影が、揺れながら静かに移動している。歩いているのは、真っ黒な影のような男と少年だった。
金髪の巻き毛の少年は先をゆく男に従い、ひんやりとした通路を静かに歩いていた。通路の両脇には、神話をモチーフにした古いレリーフがあり、歴代の王の名も記されていた。
キャットは、興味なさげにちらりとだけそれを見た。
「……あなたが何をしようが誰を殺そうが、僕の知ったことじゃないけど……約束は守ってくれないと。僕だってただの手駒でいるつもりはないよ」
「ほお……裏切るとでも」
影の男が、地の底から湧き出るような声を発した。
キャットはゴクリと唾を飲み込む。
「……あなた次第だよ。約束を、僕の願いを叶えてくれればそれでいいんだ」
「望みが叶っても、お前はもう帰る場所を無くしている」
「構わない」
「今一度、忠告しておこう。我は裏切り者を生かしておくほど甘くはない。姉上とは違ってな」
ゾクリとキャットの背が震えた。約束を守るとも言わず冷酷に脅す男の声は冷たい。しかしキャットはグッと奥歯を噛み締め、挑むように男の背を睨みつけていた。
二人の足音がカツカツと鳴り続ける。そして前方に、髑髏の騎士のレリーフが現れた。
水晶の頭蓋骨にはめ込まれた、ルビーの眼がギラリと輝いた。
*
副官のダインは不審げに、上官のジノスの指示を聞いていた。
当初、聞かされていた計画と違っているのだ。そもそもここに到着してから、予定通りであったことは殆ど無い。
ナタの住人にも存在を気取られないよう隠密行動するはずだったが、彼らは堂々と出歩き物資の補給を行っていた。
「隊長……いいんですか? 勝手なことやって」
「いいんだ、オレが責任者だ」
ジノスは副官の苦言に全く取り合おうをしなかった。
リッケン大将と立てた計画では、まず城塞を守るために障壁魔法を巡らせることになっていた。この障壁にほんの少しでも触れたものは人であれ動物であれ、即座に捕獲する仕掛けが施されるはずだったのだ。
城塞内にも侵入者を捕らえるため、時限魔法や遠隔魔法による罠を随所に仕掛けることになっていた。
しかし、ジノスは一切それらを実行しようとしなかったのだ。
彼が行ったのは、ナタの外周と街道を数キロに渡って探知魔法を仕掛けること、そして海に面した断崖の岩陰に、飛竜と騎士団が隠れる場所に用意させたことだけだった。
「城塞を放ったらかしていいんですか?」
「気になるなら、お前が残ればいいじゃないか」
「ええ?」
ダインには上官が何をしようとしているのか解らなかった。
ジノスが仕掛けた探知魔法は厳重だ。彼が知る限り、最も緻密で繊細な魔法だ。そこにアンゲリキが現れれば、決して見落すことはないだろう。城塞を中心とした円形の巨大な探知網は、特に街道部分を厚くカバーしている。
いくら敵が蟻のように縮んだとしても、この探知網をくぐりぬけることは出来ないだろうと思われた。だから、アンゲリキを軽んじている訳ではないのだ。
疑わしげなダインにジノスは言った。
「城塞なんかに、奴らは現れねえってことさ」
「何故ですか」
「来たって意味がないのさ。奴らの欲しいものはここにはない。調べてみてお前も解っただろう。ここは騎士の墓所じゃない」
「じゃあ、計画失敗ですか? 魔女が来ないんなら、意味がないじゃないですか」
「来るさ」
「来ないって、今言いませんでしたか……」
「城塞には来ないって言ったんだ。奴らは、俺達じゃなくアインシルト様達の前に姿を現すだろうよ」
ジノスは、ねっとりとした笑いを浮かべる。
彼の言わんとすることがよく分からないダインは、気味悪げに肩をすくめると部屋を後にした。
ジノスの指示通り、飛竜を飛ばす準備をするためだった。
*
アインシルト一行は海辺の町を出立し、海岸沿いの街道を南東に進んでいた。目指すナタにはあと数時間、夕刻までには余裕をもって着くだろう。
彼らは人気のない街道を真っ直ぐに進んでゆく。空は澄み渡り海風が心地いい。馬車は砂埃をあげて快調に進んでいた。
テオは馬の速度をあげて、アインシルトが乗る馬車の隣につけた。窓から中を覗き込む。
「やけに静かだな。見張られているような気配もない。ナタまで仕掛けてこないと思うか?」
「うむ。まずは、我らの行く先をしっかりと見定めようとしておるのだろうな……。いつアンゲリキらが現れても対応できるよう、皆に伝えよ。ナタは近い」
アインシルトは馬車の反対側にいた魔法使いに向かって合図した。彼はうなずき、前方に馬を走らせた。
テオはそれを見送ると、小声で言った。
「少しここで待ってみるか」
「いや、進むとしようかの。計画通りにな」
「背中がむず痒い。嫌な予感がする。あんたは何も感じないか?」
「計画変えてはファンデル大佐との合流に差し障るじゃろう。嫌な予感がするなら、なおさら急がんとな」
テオは反論せず、また列の最後尾へと戻っていった。
アインシルトからの通達が行き渡り、隊列は緊張したムードに包まれた。
若干スピードを上げ、街道を突き進む。右手は防風林が延々と続き、その向こうの断崖の下には海原が広がっている。左手は牧草地になっていて、これまた延々と続く柵の向こうで牛たちがのんびりと草を食んでいた。
しばらくすると一行の先に、厳しい城塞の姿が小さくではあるが視認できるようになった。石造りの黒い城塞、古びてはいるが強固な作りであることは、幾多の敵を跳ね返し、永い年月激しい海風に耐えてきたことで証明されている。
ナタの市街地はもうじきだ。町の入口を示す看板も見えた。ここまでくれば目的地がどこであるか、言わずと知れたものだ。
直に来るぞと、テオは手綱を強く掴んだ。
ふと、空を見上げた。
鳥が後方から猛スピードで飛んでくるのが見えた。海鳥ではない。それはハヤブサだった。
そのハヤブサがすっと高度を落として、近づいてくる。
「……ユリウスか?」
怪訝に眉を潜めるテオが腕を差し出すと、ハヤブサは一直線に降りてきてとまった。
再びテオは、アインシルトの馬車まで駆けてゆく。
「アインシルト! ユリウスからの伝言が来た!」
老魔法使いが顔をのぞかせた。
二人は顔を曇らせて見合った。ユリウスが伝言を飛ばすとは、何か火急の要件があるのだと察するのは容易い。
ハヤブサはユリウスの声で語り始めた。それは沈痛な声だった。
「申し訳ありません……」
更にテオが顔をしかめる。ハヤブサは語り続けた。
「……宝玉が奪われました。地下の髑髏の騎士のレリーフが、宝玉を持ち去った者がいると、怒りの声を放っているのです」
「なんと!!」
「老師。私の守護結界も老師の結界も破られてはいないのですが、確かに騎士は宝玉を奪われたと叫び、怒号をあげて……。なぜこんな事が……いえ、私の落ち度です。王宮を守るのが努めであったのに」
「どういうことだ!」
テオも叫んでいた。
宝玉が奪われたなど、信じられない。しかしこのような大事な時にユリウスが戯れを言うはずもない。これは事実なのだ。
アインシルトは青ざめて、ハヤブサをそしてテオを見つめる。
短い伝言に、ユリウスの動揺の深さが現れていた。ハヤブサは仕事を終えるとまた舞い上がり、すぐにその姿は空の青の中に消えていった。
ドクドクと鳴る心臓を抑えるように、テオは胸のペンダントを握りしめた。
ベイブが消えた時も、結界は破られてはいなかった。しかしあれは、彼女が自分から何らかの理由で外に出てしまったからだろう。
宝玉は自ら動きはしない。王宮に忍び込んだ者がいるのだ。しかし、一体どうやって入り込んだというのだろうと、忌々しさに歯噛みする。
「……これは、なかなか面白いことになりました」
デュークが、テオにしか聞こえないであろう小さな声で、ポケットの中から囁いた。
「狙いすましたようですね。あなたとアインシルトが王宮を離れたところを狙うとは。ハメられたのかもしれませんよ」
「……!!」
「言ったでしょう? うさん臭いやつがうようよ居るって。シュミット内大臣、リッケン上級大将、魔法使いマイヤー。計画の全容を知り、かつ王宮に残っている者を疑ってみては?」
「まさか!」
「いえいえ、残った者だけが怪しいわけでもないですね。それでは言わずもがなですから」
キヒヒとポケットの中で笑う精霊。彼が潜む鏡をテオは爪を立てて握った。
とその時、前方につむじ風がわき起こった。
ザワリとテオの全身の毛穴が立ち上がる。にらみつける視線の先で、渦がより激しく吹き荒れた。
兵団にも一気に殺気が走った。
ぶわっと砂や小石を巻き上げて、グルグルと風が回る。小型の竜巻のようだった。そして渦が消えると、黒いドレスの少女とあの黒い獣が現れたのだった。
風に吹き上げられた少女の黒髪が、愛くるしい笑顔にさらさらと振りかかる。真っ赤な唇の間から、軟体動物のようにうごめく舌が這い出して、チロリと上唇を舐めあげた。
「いつぞやのお礼をしなくっちゃね」
「アンゲリキッ!」
テオは叫び、馬の腹を蹴って猛然と魔女に突進する。
おおと声を上げ、兵士たちも剣を抜き、後に続いた。
馬車が急停止し、アインシルトも飛び降りた。苦々しく顔を歪めている。
奇しくもそこは、ジノスが張り巡らした探知魔法エリアの一歩手前の地点だった。そのことを一行は知る由もなく、城塞はまだ遠いことから援軍は期待できないと腹をくくるのだった。
駆け出しだテオに向かって、老魔法使いは叫んだ。
「はやるな! テオドール!」
獣が牙をむき、隊列に向かって飛びかかってくる。
「があああ!」
「さあ! 噛み殺しておしまい!」
魔女は高笑いをして、テオを指さした。




