30 魔女狩り日和
翌日の正午過ぎ、ファンファーレに送られて特使の行列が王宮を出発した。護衛の騎馬隊に囲まれた豪華な馬車が数台、そして正装した近衛騎兵がぞろぞろと後に続いている。海の向こうの国へと派遣されるこの特使一行は、華やかなパレードのような行列だった。
王宮前の広場を一直線に通り抜けて、大通りに向かっていく。広場には見物人があふれていた。大通りの両脇にも、特使の行列を見ようと集まった市民たちが幾重にも並んでいる。
ニコは城壁から一行を見送っていた。凸凹型の胸壁の凹み部分に登って身を乗り出す。
自分も同行できないかとアインシルトに頼んだが、王宮に残ってユリウスの指示に従うようにと言われてしまった。
昨日のキャットのことが気がかりで、ニコは不安だった。
迷霧の森で遭遇した獣も、冥府の王召喚の生け贄になった者たちを襲ったのも、彼だったのだ。知らぬうちに魔女の手先を身内に囲っていたなんて……そう思うと、チリチリと胸の奥が痛んだ。
自分の目で、彼が獣に変じるところを見たのでなければ、とても信じられるものではない。
アインシルトは、彼のことをニキータと呼んだ。
熱に浮かされたテオが、自分に呼びかけた名だ。
二人とも、キャットの本当の名前を知っていたのだ。一体キャットは、いやニキータとは何者なんだろう。アインシルトは何も語らず、ただ自分に任せてくれと言っただけだった。
あの獣がキャットだったと、テオが知ったらどうするだろう。ベイブの身を案じて、また取り乱すのではないだろうか。
眼下の行列は行進を続け遠ざかってゆく。
その最後尾に、濃紺の制服を来て馬にまたがったテオを目ざとく見つけると、ニコは何故か七年前の彼を思い出した。
あの日、テオは悲しげな顔で焼けた町を見つめていた。やるせない目をしていた。今もそんな目をしているのではないかと、想いをめぐらせる。
感傷に浸りながら、テオの背中を見続けていると、ふと彼が振り返った。そして微笑む。驚くニコに軽く左手をあげて、またすぐに前を向いて進んでいった。
ニコは大きく手を振ってつぶやいた。
「気をつけて……」
背後にコツリと足音がした。
振り返るとユリウスがいた。彼は、ニコが立っている隣の凹みに足をかけて、下方を眺めた。行列はどんどんと進んでゆく。
「いよいよだな」
「はい」
二人は小さくなった行列が、建物の影に隠れて見えなくなるまでずっと見送っていた。
ニコは今朝、厩舎の前でユリウスと話しているテオを見かけた。同じ黒いローブで似たような体格の二人。髪の色の違いを除けば、その後ろ姿はそっくりだった。しかし持っている雰囲気は全然違うなと、ニコは思った。
隣に立っている眼鏡の男は、しんと冷たいガラスのように思えた。
「ユリウスさん……今度こそ、魔女たちを倒せるのでしょうか」
「その為の計画なんだ。我々はアインシルト様の留守中、万が一のことが起こらぬように守りを固める。それが仕事だ」
ニコの肩をポンと叩き、ユリウスは落ち着いた声で言った。
「他の事は何も考えなくていい」
「はい」
*
特使一行は、アソーギの大通りを南に向かって進んでゆく。通りはどこも見物人がいっぱいでゆっくりと進むしかない。
これは想定通りなのだが、一行の最後尾につけているテオは少々不機嫌な顔を見せている。思い切り馬を駆けさせたくてたまらないのだ。
のろのろ歩いているせいで、時々見物人達の話し声が聞こえてくる。
「本当にただの交易交渉の特使なのか?」
「何も今行くこと無いよなあ。怪しさ満載だぜ」
「例の噂だろ?」
「そう、髑髏の騎士を復活させるとかなんとかって」
「魔女退治のためにか? もっと他に方法ないのかよ。ドラゴンだの伝説の騎士だのって、おっかねえもんにばっかり頼らねえでさぁ」
「だよな」
その声を聞きつけたテオが、いきなり馬首をめぐらせる。突然、一騎の近衛兵が近づいてきたものだから、見物人たちはギョッと固まる。
テオは歯を剥いて、白々しくにーっと笑う。
「なあ、なんで妙な心配してるんだ? オレたちは交易の話をしに行くんだぜ。髑髏の騎士なんて関係ないぞ。噂は噂さ」
怒鳴られると身構えていた男たちは、ほっと息を吐くと同時になんだこいつはと顔を見合わせる。
居丈高な兵士で無かったのはいいが、隣の兄ちゃんみたいなノリには、なんだか肩透かしを食らった気分だった。
ヘラヘラと笑うテオを、疑い深げに見上げた。
「本当かよ……」
「本当さ! そうだろう? 存在するかどうかも怪しい伝説の騎士だぜ。んなもんより、今は交易の話を進めないことには資金不足で、町の再建も出来やしない」
「魔女はどうすんだよ」
「何のために、魔法騎士団やオレたち近衛兵団がいると思ってるんだ?」
「…………お前が、倒すってのかよ」
「そうさ! なんたって精鋭部隊だからな」
大げさに胸を反らして、またニヤーッと笑う。
「だったら早くなんとかしてくれよ」
「分かってるって。おっと、置いて行かれる! じゃあな」
ハンカチでも振るようにピラピラと手を振って、テオは一行を追った。
男達は、うさん臭い目で見送っている。
「なあ、あんなニヤけた男が本当に精鋭部隊なのか?」
「らしいな。なんか余計に不安だ」
「ああ」
去ってゆくテオを人垣の後ろから、驚いた顔で見ている者がいた。
レオニードだった。
慌てて人をかき分けて前に出ると、馬で駆けてゆくテオの背を見送った。そして険しい表情を浮かべた。
テオが以前、自分は近衛騎兵だと吹聴していたのは知っているが、まさかそれが本当だったとは思いもしなかったのだ。
それとも、ただ成りすましてるだけなのか。どちらにしろ、彼は重大な国の仕事に関わっている。
「あいつ……何する気なんだ?」
レオニードは故郷へ帰るつもりだったが、ブロンズ通りを去ったテオの事が気がかりで、ズルズルと先延ばしにしていた。それが、特使一行の中に彼の姿を見つけてしまっては、ますますアソーギから離れられそうにない。
そして特使とは、やはり表向きの話だったのだと思うのだった。噂の通り彼らは宝玉を運び、髑髏の騎士を呼び覚まそうとしているのだと。
でなければテオが加わっているわけがない。特使の護衛に下町の魔法使いを使う必要はないだろう。力のある魔法使いを必要としたのは、魔女と対抗するためのはずだ。
レオニードは、獣のするどいツメが間近でギラリと光った瞬間を思い出す。ブルっと身震いし、テオが無事に戻ることを祈った。
*
一行はアソーギから真っ直ぐに南下し、オレンジ色に染まった太陽が大きく傾く頃、海辺の町に辿り着いた。
そこは小さな港町で、人々は漁を中心に生計を立てている。港近くの通りでは午後に水揚げされた海産物の市が立っていた。
多くの人が集まっているが、ピチピチと白い腹を光らせて跳ねる魚には見向きもせず、彼らは通りすぎてゆく特使の行列に見入っていた。
行商人が来た時は、祭りのように盛り上がるものの普段はとても静かな町だ。そこに突如現れた綺羅びやかな特使一行は、彼らに驚きと感嘆の声を上げさせるのに十分すぎるものだった。
テオは港の景色を眺め目を細めると、潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。そしてスルリと列を抜け出し、馬を民家の軒先につなぐと人混みの中に消えていった。
人々は行列を取り囲みザワザワと囁き合っている。物珍しさと不安が入り混じった囁きだった。アソーギを席巻した噂が、ここにも届いていたのだ。
髑髏の騎士がこの町に眠っているなどど特使が言い出しはしないかと、彼らは一行の動向を伺っていた。
アインシルトは苦笑する。町長には前もってここに一泊する旨を伝えていたはずだった。それ以外の用事は何もないのだ。
町の中心部から外れた丘の中腹に、この町唯一のホテルある。アインシルトらはそこで休息を取るのだ。
明日の朝からは海沿いの街道を南東に進み、ナタへと向かう予定だった。
アインシルトは食事も取らずに部屋にこもっていた。
ホテルに到着してすぐ、テオがいないことに気付いた時は思わず舌を打ち、頭を抱えた。また勝手に何処かへ行ってしまったと、苦々しく顔をしかめ弟子の魔法使いに彼を捜しに行かせたのだった。しかし、見つからなかった。
先に一人でナタへ向かったとは思わないが、日が暮れても姿を現さないテオに苛立ちがつのる。
窓際に立ち、まんじりともせずテオの帰りを待つのだった。
と、ノックもなしにドアが開き、その待ち人が入って来た。むっすりと、アインシルトは振り返る。
「何処へ行っておった。このような時にまで、勝手な事をするもんではないわ!」
「そんな怖い顔するなよ。ただの散歩さ」
テオは肩をすくめて、おどけてみせる。
「静かで穏やかでいい町だよな……。オルガが愛したのがよくわかる」
アインシルトの隣に歩み寄り、外を眺めた。
家々のあかりが、きらきらと星のように輝いている。その先にはまっ黒な海が広がり、そして今度は本物の星がまたたく空につながっていた。
「……うむ」
アインシルトは、それ以上テオを責めなかった。オルガの墓参りに行っていたのだと悟ったのだ。
テオは、持っていた小さな箱をぷらぷらと揺らした。
「食う?」
「なんじゃ?」
「ファニーの店のチョコレートブラウニー。こないだ食い損ねたんだよなあ……コーヒー淹れてくれよ」
「……自分で淹れんか。わしを何じゃと思うとる……」
「いいじゃないか。ケーキ買ってきてやったんだから。それに、明日もいい天気になりそうだ」
テオは、また窓の外に視線を移した。
「……魔女狩り日和だ」