28 散策と落とし穴
会談以降、フィリップは王宮の別館にある貴賓室をあてがわれて、従者らと共に滞在を続けていた。王の住まう本殿や政治関連施設への立ち入り、町へ出ることは禁じられていたが、さほど行動を制限されることはなかった。
別館全体も好きに使えたし、専用の使用人が何人もつけられ不自由もない。
だが、身の回りがインフィニード製の物に固められるのがどうにも気に食わなくて、本国から服だの嗜好品だの次々に取り寄せた。本や食器や絵画、家具までも。
意外にもすんなりと品々は届けられた。内大臣あたりが渋面つくって、現れるかと思いきやナシのつぶてだった。
それでは遠慮無くと、料理人やお気に入りの侍女を何人も呼び寄せた。あっという間に、別館はフィリップの宮殿と化していた。さすがにこれは苦言を受けるかと、身構えていたがそれでも何もなかった。
要するに彼は無視され、放ったらかしにされていたのだった。
妹が見つかるまで居続けると言ったものの、ここまで放置されると苦痛でしょうがなかった。何もすることがないのだ。無理やり居座っている手前、歓待せよとも言えない。
そこで、暇を持て余したフィリップは、王宮の敷地内を散策することにした。
といってもやはりここは他国の城。不用意に建物内に入ってスパイ行為だと疑いをかけられては堪らない。それ故に、大庭園を隅から隅まで散策する毎日を送っているのだった。
しかし美しい庭園にも少々飽きが来ていた。いつものように散歩に出かけたフィリップは、気まぐれに官舎の方へと足を向けた。するとその裏手にこぶりな庭を見つけた。新たな発見にニコリと微笑えみ、その庭の散策を始めたのだった。
大庭園ほどには手入れがされていないその庭には、ぽつんと小さな庵があった。照りつける日差しを受けて額に汗を光らせていた彼は、その庵の作る日陰にほっと息を吐き歩みを進めた。
ベンチに腰掛け植え込みを眺めた。人の手があまり加えられておらず、自然に近い形で自由に青々とした葉を茂らせている。キラキラと葉が輝き、生き生きとした緑に心が和んだ。
妹は刈り込まれた木々よりも、こういった木を好んでいた。
「ヴァレリア……」
懐かしげに目を細める。
しかし、同時に会談の折の黒竜王を思い出し、不快げに顔をしかめた。
大見得きった割に、王からの吉報は未だこない。とんだ食わせ者ではないかと、フィリップ鼻を鳴らす。
しかも、フラクシオの動きは多分に牽制の意味が込められていたが、リッケン上級大将の言った通り軍事演習の一つだったようだ。本国からも侵攻は無いようだとの連絡があり、フィリップは不快感に顔を歪めたものだった。
もちろん、侵攻されない方が良いに決まってはいるのだが、今頃黒竜王が不遜に笑っているような気がして無性に腹立たしくなるのだった。
フィリップはブルンと頭と一振りすると、立ち上がりまた庭の散策を始めた。木々や草花を愛でながら、どんどんと歩いてゆく。
「ストップ! ストップ! それ以上動かない方がいい!」
突然、背後から声がかかった。
振り返ると、やたらと背の高い黒ローブの男が官舎と官舎とつなぐ渡り廊下に立っていた。
「その辺りには落とし穴がありますよ。落ちたくなかったら、今歩いたところをゆっくり引き返すことです」
にっこり笑ってその男がすたすたと近づいてきた。
それはテオだった。彼は、やあ久しぶりといった気安さで、初対面の相手に近づいてくる。
当然フィリップは、誰だこいつはと小首をかしげた。
「落とし穴だと?」
いきなり何を言いだすのかと不審をあらわに、テオを厳しい視線を送る。なぜ、こんなところに落とし穴なんぞがあるのか。
しかし念のため、テオの言葉に従い彼はゆっくりと引き返していった。
が、一歩踏みだした足の下の地面が、いきなりグニャリとしなった。
「おうわあぁ!!」
フィリップの体は、突如土の中に引き込まれていた。穴の底にドスンと尻もちを付き、パラパラと降ってくる土をかぶって呆然とする。
テオは隣国の王子からは見えないのをいいことに、プッと笑っている。そして頭を掻きつつ、穴に駆け寄った。
「申し訳ない。もう一つあったのを忘れていました」
手を差し伸べ、少年のようなくったくのない笑みを見せた。
憮然とするフィリップの腕を掴んで、力強く一気に引っ張り上げる。そして、軽く頭を下げた。
「フィリップ殿下……ですね」
「ああ、そうだ。……なぜ、こんなところに落とし穴が!」
「それはですね。友人を引っ掛けようとした馬鹿者が掘ったんですよ。まさか殿下が落ちることになるとは思いもしないで」
ニカーっと歯を見せて、自分を指差す。フィリップを土まみれさせておいて、全く悪びれた様子もない。なかなか上手く掘ったもんでしょうと、自慢げですらあった。
頭を下げたのは、取り敢えずといった感じだ。
「申し訳ない」
「…………」
なんなんだコイツはとフィリップは目をむいた。怒鳴りつけようかとも思ったが、それ以上になぜか目の前の男に興味がそそられた。初対面のくせに妙に馴れ馴れしく、そのくせ嫌味はない。
自分は上下関係や礼節には厳しい方だと思っていたが、不思議とこの男の無礼さや気安い態度には拒絶感を抱かなかった。
落とし穴のことも、さほど腹が立たないのは、この邪気のない笑みのせいだろう。今までに、遭遇したことのないタイプの人間だった。
「お前は?」
「王宮付き魔法使いのテオドール・シェーキーと申します。そこの官舎から殿下をお見かけして、穴に落ちては大変と思い参りました」
テオは、ミリアルドの王子にうやうやしくお辞儀をする。
アインシルト辺りが目撃したなら、唖然とするようなめったにない態度だったが、日頃の彼を知らぬフィリップには知る由もない。
「どうぞ」
と誘うテオに続いてフィリップは先ほどの庵に入り、ベンチに腰掛けた。
涼やかな風が心地良い。少し足首が傷んだが、引きずるほどではなかった。相手は天下の王宮付き魔法使いだ。今回は水に流してやることにしよう。しかし王宮付きにしては、落とし穴などとやることが子どもじみている。変わった男だと、フィリップはテオを眺めた。
テオドール・シェーキー、どこかで聞いたことがあるような気がしたが、思い出せない。だが、テオドールなどという名前は何処にでも転がっている俗な名だ。思い過ごしだろう。
フィリップはズボンについた土を払いながら、問いかけた。
「王宮付きか……。今、王は何を……王宮内の動きがどうなっているか、お前に解るか?」
答えるわけはなかろうと、たいして期待はしていなかった。
案の定、王宮付き魔法使いは肩をすくめる。
「それはお教えできません。が、そうですねぇ、服を汚してしまったお詫びに、一つ良いことをお教えしましょう」
人差し指を一本立てて、ニッと笑う。
テオの愛想はいいものの、少しもったいぶった口調だった。
フィリップは真顔で話の続きを待った。
「フラクシオ国王の、ちょっとした秘密というかあしらい方というか……」
「フ、フラクシオー!?」
フィリップの声が、オクターブ跳ね上がる。
「ええ、と言っても先代の王のことです。二年前に隠居したじいさんの方」
「ひ、秘密とはなんだ! なぜお前がそんなことを知っている!」
掴みかかってくるのかと言うほどに、テオに詰め寄る。それも当然だろう。フラクシオの情報とは聞き捨てならないし、しかも王の秘密とあれば是が非でも聞かねばならない。
フィリップの真剣な表情に、なかなか食いつきがいいなと、テオはほくそ笑む。
「十年近く前のことですが、フラクシオを旅したことがあって、その時に耳にしたことです。彼はなかなかの美食家でして、特に甘いものには目がない。珍しい甘味には惜しげも無く大枚をはたくし、食するためならどんな労力も厭わない方なのです」
テオはくっくっくと思い出し笑いをする。
「だから彼あてに極上のスイーツを山盛り送って、ついでに腕のいい菓子職人もつければ、和睦の会談はしごく順調にすすむことでしょう。フラクシオと事を構えるよりは、その方がよっぽど良いですよ。ご隠居は、国政に未だに強い影響力をもっておいでですからね」
「…………」
我ながらナイスアイデアといった得意顔のテオを、フィリップは呆然と見つめる。
何が秘密だ。一瞬でも期待した自分が間抜けに思えて仕方がない。スイーツなどで、フラクシオ王国を懐柔できるはずもないだろうにと、フィリップはがっくりと肩の力が抜けて、怒る気もしなかった。
「あ、信じてませんね。まあ、殿下のご自由ですが心に止めておいて損はないですよ」
「……ああ、何かの役に立てばいいがな」
「ところで、私も殿下にお聞きしたいことがあるのですが」
「……そっちが目的で近づいたか」
「ご察しがいい」
フィリップは鼻白む。
察しがいいも何も、バカでも解ることだ。滞在を初めてからこの方、インフィニード側からの接触は皆無に近い。その流れでいけば、落とし穴に落ちようが足を折ろうが無視されるに決まっている。
それが、王宮付き魔法使いがわざわざ接近してきたのだ、何か理由があるのは自明の理というものだろう。このまま放置プレイを続けられるのも苦痛なので、フィリップは彼の話に乗った。
「なんだ」
「殿下の妹君は、たいそう美しい方だとか」
「それがどうした」
「目立つでしょうね」
フィリップの目をじっと覗き込む。
「美しいうえに特別な力を持っていれば、なおさらに……」
テオの言葉に、フィリップは顔をしかめる。
「…………何が言いたい」
「いえ何も。ただ、人目を引くであろう姫の情報が、これほどまで得られないのは、やはりアンゲリキが絡んでいるのではと思いまして」
「その懸念があるからこそ、黒竜王に依頼申し上げたのだ。しかしこの三ヶ月というもの……。本気で探す気があるのやら、無いのやら……」
「はっはは。殿下には申し訳ないですが、実を言うと王はミリアルド情勢や姫君には興味がお有りではないのですよ」
あけっぴろげな返答に、フィリップはまたまた驚かされる。
フィリップも承知していたことだが、ミリアルドの王子本人に向かって、王は興味がないと言い切るとは。もう少しオブラートに包んだ言い様もあるだろうに。
テオの言った内容より、態度に呆れてしまった。
「人探しよりも、アンゲリキを倒すことを優先しているんでしょう。ライフワークってヤツです。でも、王女捜索はアインシルト老師が積極的に指揮をとっていたんですよ。蔑ろにしていた訳ではないのです」
「詳しいな」
「王宮付きですので」
しれっと答える。
最近、王宮付きになったばかりのペーペーだということは、自分から言う気はないらしい。
「鉱山のことですが、内大臣殿が折衝を求めてきても、殿下がお嫌なら断っていいのですよ」
「は?」
いきなり話が変わった。
テオは大げさに両手を広げて、頭を振る。
「ああ、なんともさもしい話じゃないですか。シュミット大臣は鉱山が諦めきれないんです。全くもって、セコい!」
王が独断で要らぬなどと言ったものだから、シュミットは大いに困惑し落胆していた。町の復興財源として当て込んでいたのだから、それも仕方のないことだろう。なんとか、頭を下げてでも手に入れたいと考えるのは当然だろう。
しかし、テオは困った大臣だと、腕を組む。
フィリップの方が、諦められないという大臣の気持ちを理解できていた。
「内大臣から話があれば、私は折衝に応じてもいいと思っているぞ。もともとお譲りする予定だったのだからな。とはいっても、こうなった以上は条件次第だが」
「なんとお心の広い! 私が殿下のお立場なら絶対蹴りますがね」
やんやとおだてるテオをうさん臭げに、横目で見る。
鉱山という言葉が出てきた時は、やっぱり譲渡してほしいと頼みに来たのかと思ったが、そうではなかった。
何が言いたいのか、さっぱりわからない。反対にこの男から情報を取ろうとしても、全く掴みどころがなくどこから攻めれば良いか見当もつかない。とりあえず直球を投げてみる。
「婚儀の件も宙に浮いている。王が結婚を拒んでいることなど、こちらは最近まで知りもしなかったのだぞ。廷臣どもは、よくもそんな状態で結婚話を進めたな。我らを軽んじるにも程があろう。不快だ」
「仰るとおり。殿下のお顔を潰す結果になりました。私ごときで僭越ですがお詫び申し上げます。……彼らには困ったものです。王の意志も完全無視ですしね。王は殿下ではなく、廷臣に腹を立てているんです」
魔法使いが話に乗ってきた。
フィリップは続ける。
「あの王相手によく逆らったもんだな」
「……王を恐れて言いなりになっているように見えて、その実、陰では舌を出しているような呆れた連中なんですよ。老師などが言い例です。彼はまだ婚儀の件をあきらめていないんですから」
「私はもう、破談でよい」
「なんと。いいのですかそれで」
「妹はまだ見つかっていないのに、婚儀の話をしても仕方あるまい」
「まあ、確かにそうですね。……姫は、結婚に同意されていたのですか。嫌々結婚させられると、苦痛に思っていたんじゃないですか?」
「心の内までは解らないが、受け入れてはいた。父の前でも明言していた。……お前も捜索に参加しているのか?」
あごに指をあてて、テオはふむふむとうなずく。
「王を嫌がって家出したわけではないと…………あ、いえ、探してませんよ。担当が違うんで」
プルプルと手を振って否定するテオに、フィリップはチッと舌打ちをする。気を持たせるような言い方をしないでもらいたい。しかしこの男、先ほど妹に関して気になる事を言っていた。
美しいうえに特別な力を持っていれば、なおさらに……と。
「……力のことは誰に聞いた」
憮然とつぶやくフィリップの言葉に、テオの眉がピクリと動く。そして勢い良く立ち上がった。
「単なる戯言です。さて! 殿下には貴重なお時間を頂きありがとうございました。そろそろ、仕事に戻りませんと上司に叱られてしまうので、これにて失礼いたします」
ニコニコと愛想よく頭をさげた。
「あ、それからこの庭はあまり歩きまわらない方が良いですよ。先日穴に落っこちた間抜けな魔法使いが、仕返しにと別の穴を掘ってましたから」
ウインクするとすたすたと歩いてゆき、官舎の渡り廊下の奥へと行ってしまった。あっけなく去るテオを、フィリップは首をひねって見送っていた。
あの男の目的は何だったのか。狐につままれたような気分だった。
しばらく涼風を楽しんだ後、彼は立ち上がった。
そして、テオの歩いた通りに渡り廊下に向かって進んでいった。と、突然、地面の底が抜けた。
「うわあ!」
今度は腰の辺りまで、穴の中にはまり込んでいた。
「なぜだ……。あいつは平気で歩いていたぞ!」
*
テオは窓からフィリップのいる庭を見下ろしていた。
そしてポケットから手紙を取り出した。既に封が切られている手紙にもう一度目を通す。それは先日クレイブから届けられた手紙だった。女から預かったのだと言っていた。
ピンと紙を指で弾いて、ニッと笑う。
「ビンゴ」
もう一度庭を見下ろすと、穴から這い出た王子がヨロヨロと歩いてゆくところだった。すっかり泥に汚れて、なんとも情けない姿だった。
「それにしても、嘘もつけないドン臭い男だな」
テオはクスクスと笑った。