25 亡国の王 救国の魔法使い
この作戦において城塞に先行する隊が、討伐作戦の肝心要の本隊といえる。その本隊の人員の構成や戦術について、魔法使い達の意見は紛糾していた。
リッケンは腕を組み、ずっと厳しい顔を崩さず発言者達を見据えていた。
通常の戦闘として考えた場合、戦力差は圧倒的であり負けようがないと思われる。敵はたった二人の魔法使いであるのに対し、こちらには精鋭ぞろいの魔法騎士団がいるのだ。例え半数近くが無力化されていても、まだまだ優れた戦士が数多くいる。
だが、相手はただの魔法使いではない。数の論理は通用しない。ましてリッケンには魔法の知識が無かった。ここは魔法使いの意見を尊重せねばなるまい、と苛立ちを抑えつつ耳を傾けていた。
しかし、一つ意見が出る度にテオがマイナス面ばかりを指摘し話が進まない。その上、国一番の魔力を持つ者に戦闘させるべきだ、と何度も繰り返したせいで部屋の空気はどんどんと険悪なものになっていた。
彼の言うこの場にいない国一番の魔力を持つ者とは、言わずと知れた黒竜王のことだ。王を戦場に立たせよとテオは言うのだ。
「黙れシェーキー!」
リッケンが怒鳴る。
「常識で物を考えろ!」
「強い者が戦う。常識じゃないか」
「却下だ!」
「んなこと言ったって、王の方が自分から飛び出すかもしれないぜ。ドラゴン引き連れて、な。やりかねないだろ?」
「…………」
「王にも怒鳴るのか? 却下、却下と」
いやみったらしくリッケンに絡む。
そこに口を挟んだのはシュミットだった。
「……か、か、彼を作戦に関わらせるのは、い、いかがなものでしょうか! アインシルト様!」
彼にしては珍しく憤慨した様子だ。
顔を赤らめて、ギリギリとテオを睨む。テオの王に対する言動は、彼にはとても許せるものではなかった。
アインシルトは大きく吐息する。
「……申し訳ござらん。わしの育て方が間違っておったようで、このようなばか者になってしまったが、どうか容赦して下され」
老師に頭を下げられ、内大臣は眉間に深いシワを寄せて胃をさすった。
眼鏡を外し、曇ってもいないガラスをしきりに拭く。そしてまた、キっとテオをにらみつける。
「頭を下げるべきは、老師ではありませんよ……」
「そりゃどうも、誠に申し訳ありませんでした!」
例によって、テオの言葉と態度は一致していない。
シュミットも大きくため息をついた。
「……頭を下げる相手も、私ではありません。が、もう良い。時間の無駄のようですから。陛下は今回の計画にとても興味を持っておられ、早急に話を詰めて報告せよと承っているのです。……それにしても、あなたをここに呼んだ覚えは無いのですがね!」
ごほんごほんと、ユリウスが咳払いをした。このままでは話が逸れてしまう。心苦しげに内大臣に視線を送った。
仕方ないかと舌を打って、シュミットはイライラとまたメガネを拭き始める。
肩をすくめるユリウスもまた苦々しい顔をしている。立案者という立場故、アインシルトから無言で進行役を務めるよう強要されてしまい、重臣方に対して恐縮することしきりなのだった。
しかも話が逸れるばかりで、実りのない遣り取りにも辟易していた。そっとリッケンの様子を伺うと、彼は腕を組んでまだテオをにらんでいる。
もう一度咳払いをする。
また、もめるぞと思いつつ、ユリウスは続ける。
「……では、戦術については後ほど詰めるとして、先ほど申しましたように、本隊とも言える先行隊の隊長は、魔法騎士団のジノス・ファンデル大佐にお任せします」
「そこが黒竜王だって言ってるのに……」
いつまでもぶつくさ言うテオのことは、もう完全に無視する。
「討伐作戦の総指揮のリッケン閣下と大佐とで、戦術を詰めて頂きたく思います。これ以上、ここで話し合っても埒が明きそうにないので……。先ほど出ました大佐の案が一番効果的であると私も思いますが、リッケン閣下に一任したします。よろしいでしょうか」
新参者一名以外は静かにうなずく。
「表向きの特使派遣の総企画はシュミット内大臣、よろしくお願いいたします」
もう一度シュミットがうなずくのを確認した後、ユリウスはテオに目を向ける。そして自分を凝視している彼からすぐに視線を外し、続けた。語る前からテオの反応は手に取るように予測できた。
「そして、特使に化けた後発隊はアインシルト様と私ユリウス・マイヤーで……」
「おいおいおい! じゃあ、オレは何処で何する?」
テオが口をはさむ。
やっぱりと、ユリウスは溜息をついた。
「テオ、お前は残って本物の宝玉と黒竜王を守るんだ。今言ったのがベストな人選だと思うぞ」
「どこがベストだ! オレが行く。お前が残れ」
「ダメだ。残るのはお前だ」
「いいや、お前が残れ!」
「ダメだと言ったらダメだ!」
どちらも譲らない。
「二人とも、止めよ!」
二人の押し問答に、眉間を押さえて俯いていたアインシルトが言った。
「ユリウス、コヤツ一人に王宮の守護を任せるのは危険じゃぞ。いつほっぽり出して飛び出してくるかも知れん。わしも残ろう。ニセ特使を率いるのは、お前一人で良かろう」
師匠の言葉に、彼は顔をしかめる。
「しかし、アインシルト様。それは良い策とは思えません。宝玉を移動させるというのに、側にアインシルト様がいなければ偽物と……」
「だーから最初からバレてんだろ。どうでもいいんだ、そんなこと!」
イライラとテオが口をはさむ。
「黙れ! アインシルト様が城塞に向かうことに意味があるんだ! 髑髏の騎士の墓所であるという話に真実味もでてくる!」
「そうさ! だからオレも王を連れてけって言ったんだろうが!」
「出来る訳ないだろう! だからお前はバカなんだ!」
「やめんか!」
再び、リッケンのバリトンが響いた。
しんと静まり返る。
ジノスは黙りこくったまま、成り行きを眺めている。
リッケンは、ますます強まる違和感の正体を見いだせないまま、重苦しく言葉を継ぐ。
「……老師の仰るように、シェーキー一人に王宮は任せられん。予測不可能な行動をするこの男ではな。後発隊はやはりマイヤーだけで」
「おい!」
「しかし、マイヤーの言うように、老師が動かないことには陽動にならないのでは?」
と、リッケンに異を挟んだのはシュミットだった。
ユリウスはその通りと大きくうなずいた。
「ですから、私とアインシルト様が特使に扮するべきなのです。老師のお力が必要なのです」
ユリウスの言葉にシュミットは首肯する。が、すぐに思い直し首を横に振った。
「とは言え、王宮を守る魔法使いがいなくなるは問題です。このテオドール・シェーキーがアテにならない以上、老師がゆくのであれば、マイヤーあなたは残らなければなりませんね」
「え?」
テオがニカっと笑った。してやったりといった顔で、ひきつるユリウスをちらりと横目で見た。
「では、オレはジノスかアインシルトに同行しよう」
「……あなたは、何もしなくて良いのですよ!」
「んあ?」
シュミットが慇懃に言う。
「ファンデル大佐と共に城塞に潜むにしても、あなたのせいで罠がバレてしまいそうで心配ですから」
「何を言う! オレをアホだと思ってるのか?」
「百歩譲って、あなたの使い道はとても難しいと言っているのです。せめて老師が側にいれば、何とかなるのかもしれませんがね」
「と言うことは、オレは特使隊ということだな」
テオの言葉は無視して、シュミットは再びユリウスに語りかける。
「魔法使いマイヤーは守護魔法が得意分野だと聞いています。あなたなら、王も宝玉もしっかりと守ってくれると思うのですが。ベストな人選だと思いますよ」
つい先程の自身の台詞を繰り返されてユリウスは苦い顔をする。シュミットはそんな彼をじっくりと眺め、次いでテオをちらりとだけ見る。
視線を合わせるのも汚らわしいといった様子だ。
「千歩譲っても、あなたは老師の見張り無しには使えないですね。できれば、大人しく城下で待機してもらいたいのですが」
「……ずいぶんと、こき下ろされたもんだな」
アインシルトはニセ特使として城塞に向かい、魔女たちとおびき寄せなければならない。
王宮付き魔法使いが全て出払ってはいけないし、テオ一人に王宮の守護は任せられない。
となれば、ユリウスが王宮に残ることになる。
そして彼が守護魔法に秀でているとなれば、確かに最善の人選なのだろう。
「私は反対だ」
リッケンが頑然と言う。
「アインシルト殿は二度と王宮離れてはなりません。シェーキーも勝手な動きをするな」
リッケンの言葉に、一瞬アインシルトは苦渋をにじませる。
会議の冒頭で出た、魔女が王妃に成りすましていた件のことを指して言っているのだ。当時、アインシルトはミリアルドへ二年間魔法指導の為に派遣されていた。その間に起きた悲劇だった。
シュミットが忙しく二人の顔を交互に見つめる。
「あ、あれは老師のせいではありません」
「その通り。しかし、事実である」
リッケンはムッと頬を引き締め、歯を剥いて嫌な顔をしているテオを睨む。
「シェーキー、慎むのだ」
「イヤなこった。なんて言われようとオレは行くぜ。奴らが来ると分かっているのに、指くわえて待ってられるか!」
「この小童がっ! ならば、この作戦はここまでだ。白紙だ。決断は私がする! シェーキー、わきまえろ!」
自制に自制を重ねていたリッケンが、遂にテオを罵倒した。
途端にテオが目を剥いた。ガタンと椅子を倒して、立ち上がる。
「白紙だと……ふざけるな!」
制止しようとアインシルトが手を差し出したが、それを乱暴に払い避ける。
「それなら、どうやって倒す!? 防衛ばかりでいつ倒すんだ! 言ってみろ! リッケン!!」
雷鳴のような怒声をあげた。
瞬時にして張り詰めた空気はガラスの刃のようで、身じろぎ一つで肌が割けるかと錯覚させた。背筋を駆け登る悪寒、ジノスはこの感覚を以前にも味わったことを思い出す。
目を吊り上げ、怒りに身を震わせるテオの姿は、まるで別人のようだった。倒れた椅子をガンッと蹴り飛ばし、その次はリッケンに掴みかかるかと思われた。
慌てて、ユリウスはテオの肩を掴んで止めようとする。しかしテオは、それを殴り倒した。
「時間が無いんだ! オレの邪魔をするな!! オレは……!」
「止めよ! それ以上言うな!」
アインシルトがすかさず立ち上がり、全身で彼を制止する。必死に彼の両腕に取りすがり、揺さぶっていた。
しかし、テオは老人を引きずって円卓を回り込み、リッケンに向かってゆく。
「離せ、じじい!」
「止めんか、テオドール!!」
とても止められはしない。
立ち上がり、テオにタックルしようと身構えたユリウスに、アインシルトは首を振って目配せをする。
「ユリウス、席を外してくれ! ファンデル大佐も! さあ!」
ユリウスは即座に了承する。怪訝な顔をしているジノスの肩を押して、急いで退室を促した。
二人は足早に出てゆく。その去り際に、ジノスは少し振り返った。
鬼神のような憤怒の相を刻んだテオが見えた。リッケンを恐ろしいまでに睨んでいる。リッケンもまた厳しい表情を崩さず、腕を組んだままドンと腰を据えていた。
ゾクリと肌が粟立つと同時に、これは面白いとジノスは薄く笑った。
そして静かに扉を閉めた。
*
老師の杖が頬を張ると、テオは我に返りハアと力を抜いた。しかし冷静にはまだ遠く、ギリギリと歯噛みしていた。
椅子を戻し腰掛ける。考えを変える気はないのだろう、リッケンを真っ直ぐに見据えている。
「陛下の裁可を賜って参りましょうか。シェーキーを外すよう進言させて頂きますが」
ギンとテオがにらむ。
シュミットはギクリと息を飲み、痛む胃をさすった。このままではとても決着がつきそうにない、そう思う端から更にキリキリと胃が差し込んだ。
「いえ、陛下には私からお話させて頂きましょう……」
リッケンの重厚な声が、テオの腹に沈む。
「シェーキー、救国の魔法使いという、その意味をもう一度よく考えてみよ」
「考えたからこそ、出ると言っている」
「私情が先行している」
「……だから、どうした」
「陛下は……」
ガン! とテオはテーブルを蹴りあげ、リッケンを遮った。
ドロリとその目が濁っている。怒りとも悲しみとも取れる色をしていた。
「亡国の王だ。黒竜王は亡国の王だぞ! 必ずそうなる!」
「落ち着くのだ。テオドール」
「何の話ですか!? 亡国の王とは!」
諌めるアインシルトの声にかぶせて、シュミットが悲鳴のように叫ぶ。
立ち上がり、テオも叫ぶ。
「宝玉の予言さ! ディオニスが生まれた時になされた予言だ!」
「止めよ!」
「なぜ止める。隠すことはない! 事実を知れば皆納得するさ! ディオニスが王になれば、この国は滅びると宝玉は予言したんだ。だから王子を廃された!」
「なんと……」
「止めよ!」
アインシルトがいかに止めようとも、テオは自分が知る真実をぶちまけるのを止めようとはしなかった。これまで決して誰も語らなかった、王にまつわる予言を。
「しかし七年前、父親殺しの大罪を犯して亡国の王は誕生した! この災いから国を守るのが、救国の魔法使いの仕事なんだとよ! これも宝玉の予言さ!」
「……お前が、その魔法使いだと?」
シュミットの声は震えている。
テオは言外に肯定する。
「オレはその為に、幼い頃から魔法の修練を強いられてきたじゃないか。役目を放棄すると言ってるんじゃない。戦わせてくれと言っているだけだ」
「陛下は亡国の王になどなりはせぬ」
アインシルトは、テオを落ち着かせるように静かにゆっくりと語る。
「現に冥府の王を退けられたし、ドラゴンも見事に使役なされた。何を恐れる? テオドール、王が健在であることもこの国にとって大切な務めではないのか?」
「なら予言とは何だったんだ? オレの存在価値とはなんだ? 亡国を防げと言ったのはあんただろう? ……この七年間、アンゲリキを倒す、そのことだけを考えてきたのに。――――いつどのように滅びが来るのかも解らない。どうやって護ればいいのかも解らない。だが、考えうる最善は尽くした! お前たちは、オレに何を求めてるんだ! オレにはひと欠片の自由もないのか! 大切なものを取り戻したいだけなんだ!」
悲痛な叫びだった。
漠然とした予言。何が起こるか解りもしないのに、護れと言われ続けてきた。重荷だった。
そしてクーデターの夜、大切な人を失った。それでも悲嘆に暮れることも許されず、護れと言われる。背負わされた重圧が、より苛烈な魔女への復讐心を生んだというのに、今になってそれを抑えよとはどういうことだ。
自分の役目は魔女を倒すことであると理解しているのだ。否定されたくなかった。亡国の王の誕生こそを阻止すべきであったのに、それを棚上げして王の健在までもお前の務めだなどと、矛盾に満ちたことを言われても納得はできない。
――国を護れと言うのなら、亡国の王を消せばいいんだ……。予言を回避したいなら、それが一番確実で簡単な話じゃないか……。
テオの目がどんよりと暗い色を灯し、ますます濁ってゆく。
時間が無い。
やるべきことを成さぬうちに、全てを失うかもしれない。ベイブを失うかもしれない。一刻でもはやく動き出さないと手遅れになるかもしれないのだ。
「アインシルト、私情で動くことがそんなにも悪いことなのか」
テオは老師の顔を見ようとはしなかった。まるで独り言のようだった。
俯いて、握った拳をじっと見つめていた。
「感情を捨てろと言うのか」
「……もうよい、テオドール。お前が戦うというなら、わしも共にいこう」
アインシルトはひどく優しい声で言った。目の前の愛弟子を痛ましげに見つめる。
リッケンの眉間に深いしわが走る。
「老師!」
「これ以上言うても無駄じゃ。リッケン閣下、すまんのお。……予言に振り回されて、コヤツをこうも追い詰めてしもうたは、わしじゃ」
深い悔恨をにじませて、老魔法使いはつぶやく。
初めてテオに会ったのは、彼がまだ四つの頃だった。この幼すぎる少年に、大人の自分でも背負いきれぬ重荷を預けようというのかと、罪悪感を覚えたものだった。
アインシルトは、テオと共に特使隊として出ることを決意した。恐らくアンゲリキらと戦うことになるだろう。魔女らを倒し、彼の望みを叶える為にも力を尽くそう、そう考えるアインシルトだった。
リッケンは軽く首を左右にふり、ため溜息をついた。そしてアインシルトとテオを交互に見つめる。
「いえ、片棒を担いだ責任は私にもあります。…………くれぐれも、御身大切に」
まだ何か物言いたげだったが、その後は口を開くことはなかった。
シュミットは眼鏡をカチャカチャといじり続けていた。初めて聞かされた秘密に心臓が張り裂けそうだった。
アインシルトとリッケンが、この若い魔法使いの傍若無人な振る舞いを容認している理由、その一端がようやく見えてきたシュミットだった。