21 こぼれてゆくもの
ベイブの四つの目のうち、本来なら眉のある位置の一対は後から付け加えられたものなのだ。その余分な二つの目のどちらかが自分の左目だと、テオは確信した。これはもう直感だった。
「すぐ間近に毎日見ていたのに、気付かなかったなんてな。間抜けな話だ」
アインシルトとニコが、あっと声を上げる。
「べ、ベイブの四つの目のことですか?」
「……ううむ。それが拐われた理由か……」
「オレに左目を取り戻されないように……もしかしたら、ずっと拐うチャンスを狙っていたのかもしれない」
はあと大きく息を吐いて、天井を見上げた。すっと肩の力が抜けていった。知らぬ内に、全身に力が篭っていたのだ。だらりと椅子の背に持たれて呟いた。
「道理で、魔女が持っていなかった訳だ」
左目を奪われたとき、魔女がそれを飲み込み腹にしまったのを、あの時確かに見たのだ。だから魔女が変化した大蛇の腹を探ったのに、そこに左目は無かった。
一体、ベイブは何をしたのだろう。あの魔女から、人質とも言うべき左目を奪ってしまうとは。魔女はテオの力を恐れ、彼を支配するために左目を奪った。絶対に自ら手放すはずはないのだ。
呪いをかけられる前のベイブが、それを知るはずはないのだから、意図して奪ったわけではないだろう。では、偶然なのか。
テオは再び、破魔の巫女との関連性に考えを向ける。破魔の巫女なら、たとえ偶然であってもそれは可能だと思われる。
ベイブの正体は、存在しないはずの破魔の巫女なのだろうか。
握りしめていた、紫水晶のイヤリングを見つめた。
この紫の石から連想される、ある人物の名が頭に浮かんだ。イヤリングを最初に見た時に閃いた名だった。しかし、その人物が魔女と接触しゴブリンに変えられる所以の見当が全くつかず、考えの外に追いやっていた。
豊かな家に生まれ白魔法の使える行方不明の娘、というテオの考えるベイブの人物像とも合致が少ないからだった。
だが、試してみるべきかと、考えなおす。
あの娘――――彼女は白魔法を使えただろうか。思い込みは捨てて、わずかでも可能性のありそうな者は調べるべきだ。
テオは、もう一度イヤリングを握りしめた。
*
窓のない真っ暗な部屋の中。燭台の三つのロウソクの火がふわりと揺れた。
静かに真っ直ぐに燃えていた炎が、風を受けて揺らいだのだ。黒い大きな影もぞりと動いた。
部屋の中にはベッドが一つあるきりだ。
そこに少女が横たわっている。魔女アンゲリキだった。
その頬を、漆黒の獣がチロリと舐めた。
魔女はうっすらと目を開いた。シーツの下から白く細い腕を伸ばし、獣に触れた。
「……いい子ね」
少し前までは、身動き一つ取れなかったが、ようやく胸の傷がふさがり手足も動かせるようになっていた。
魔法使い達から奪った魔力を、アンゲロスが彼女に与えたことで、劇的な回復を見せている。しかし、まだ足りない。彼女が完全に復活するためには、まだ多くの魔力と時間が必要だった。
獣は自分の足元に置いていたものを咥え、彼女に見えるように持ち上げる。
半透明の繭のようなものだった。中に人型の物が小さくまるまって入っているのが、透けて見えた。
尖った耳、細い手足。それはゴブリン、ベイブだった。
彼女は目を閉じてじっと動かない。眠っているようだ。
「上手くおびき出せたのね。よくやったわ。あの魔法使いに見つからないように、隠しておくのよ」
魔女が頭を撫でてやると、獣はグルグルと喉を鳴らした。
そして、繭をくわえて暗闇の中に消えていった。
*
アインシルトの口元に喜びが浮かぶ。が、考えこむテオをじっと見つめなおすと、ぎゅっと唇を引き締めた。
ようやく四つ目の謎の真相に近づいた。左目の在り処は、恐らく彼の言う通りだろう。魔女の支配から、テオを解き放つ時が近づいたのだ。
しかし、肝心のベイブがいなくては、どうしようもない。それにテオは、自身の左目を取り戻したいと願っているのではなく、彼女を無事に助け出したいのだ。
左目を見つけたと喜んでばかりもいられない。残るもう一つの目は誰のものなのかという謎も残っている。
ともかく彼女を見つけ出すことが肝心だった。
「あの、テオさん……」
ニコが緊張した面持ちで口を開いた。声がかすれている。
テオはゆっくりとニコを見やる。真一文字に口をつむんでいる。彼の疲れた顔にはいつもの気安さは無く、厳然たる佇まいだった。声を掛けるのが憚れるように思えたのだ。
ゴクリと唾を飲み込んで、ニコは話始めた。
「……もしかして、ベイブはユリアさんなんですか? 昨日、話していてそう思ったんです」
「ユリア……」
テオが僅かに眉をしかめると、アインシルトが話に割って入ってきた。
「誰じゃな? ユリアというのは?」
「金貸しのシラーさんの娘で、行方を探して欲しいと頼まれているんです」
「……そう言えば、前にここへ来た時に聞いたような気がするのお。あのゴブリンが、実はそのユリアだと言うのかの?」
「いえ、そう思っただけで、まだわからないです。呪いのせいでベイブは答えられなかったし。でもユリアさんの話をする事で、僕に何かを伝えようとしていたのは確かなんです」
「なるほどのお」
アインシルトが長い髭をなで、ふむふむとうなずく。
と、テオはいきなり立ち上がりニコの肩を掴んだ。
「ニコ! ベイブは何て言ってたんだ? 何を伝えてたんだ、教えてくれ!」
ニコは目を瞬いていた。切羽詰まった彼の迫力に押されていた。
やはり、彼女はユリアなのか?
「ユ、ユリアさんに託して、自分の事を話していたような感じなんです。結婚から逃げたとか、相手を試そうとしてハプニングが起きたとか……」
「逃げた……か。ハプニングっていうのは、卵に閉じ込められたことなのか?」
「今思えばそうかもしれないです。昨夜のは……テオさんへの愚痴みたいな感じでしたけど……」
「オレの愚痴?」
何のことだと不安げに訝しむ彼に、ニコは急いで説明した。それを聞くうちに、テオの眉間にますます深いシワがよっていく。
「……要するに、テオさんは自分に対して関心が無い、そんな感じのことを。ベイブらしくもない卑屈に、僕が殺されたら悲しむだろうけど、自分が死んだってどうってことないって」
「あいつはバカか!!」
テオはガリガリと思い切り頭を掻きむしり、そして抱え込んだ。
バカは自分だった。
無関心の対極にある感情を、悟らせまいとしたのは自分だ。それに、彼女が何かを伝えようとしていたことにも気づかなかった。このまま彼女を失ってしまったら、自分で自分をくびり殺してしまうかもしれない。
後悔ばかりが腹に溜まってゆく。テオは、拳の中のイヤリングを再びぐっと握り締めた。
部屋は静まり返り、誰も喋らなくなった。
コチコチと時計がなる。
正午を過ぎたか、とアインシルトはひげを撫でた。テオのことも心配ではあるが、王宮の方でも放っておけない難題がある。そろそろ戻らねば、シュミットの胃痛を悪化させてしまうことだろう。
アインシルトは、落ち着いた声でテオに話しかける。
「テオドール。この少年をわしに預ける気はないか?」
ニコは首をかしげ、テオはゆっくりとアインシルトに顔を向けた。
「ここに置いておっても、お前が気を揉むだけじゃろう? それに師匠がお前じゃ、伸びるものも伸びん。良い素質を持っておるんじゃし、わしが磨いてやろう」
アインシルトはニコを弟子に迎えようと言っていた。
王宮内それも彼の作り出す幻想の森にいれば、ニコまでが襲われるという心配をせずにすむ、そういうことだった。
テオは口を開き何か言いかけたが、静かにうなずいた。そしてニコを見つめる。
「ニコ、お前次第だ」
言われてニコは一瞬おろおろと目を泳がせた。突然の話に少し戸惑っていた。
以前、テオに何か手伝える事は無いとかとたずねた時、きっぱりと無いと言われた。今のままでは足手まといなのだ。
以来、力を付けなければならないそう思っていた。ならばこれはいいチャンスなのだ。
ニコの迷いは消えた。キッと唇を結ぶ。
「分かりました。アインシルト様、よろしくお願いします」
深々と頭を下げた。
これ以上、テオに心配や面倒をかけてならないとも思った。そして、アインシルトのもとで魔法の腕を磨き、必ず彼の役に立ってみせると心に誓った。
「そうか。では早速行こうかの」
「え?」
おもむろにアインシルトは立ち上がった。
「王宮でミリアルドのフィリップ殿下が待っておられるでな。すまんが、あまりゆっくりしておれんのじゃ」
決心は付いたものの、今すぐなのかとあまりの唐突さにニコは面食らった。行くのはいいが、まさかいきなりここを離れることになるとは。
そしてベイブもいないこの家に、テオは一人残ることになる。
突然、ベイブの夢の話を思い出した。テオが高熱を出していた時のことだ。
『この家から誰もいなくなっちゃうの……もう誰も戻ってこないの』
彼女は、不安げに語っていた。その夢が現実に向かっているようで、ブルっと身震いした。
「あ、あの、荷物は……」
「身一つで構わん。なに、永遠の別れというわけでもなし、気楽についてくればいい」
老魔法使いは優しく微笑む。そしてテオに向き直った。
「テオドール、まずは落ち着くことが肝心じゃぞ。わしもユリウスもお前の味方じゃ。多くの仲間がいることを忘れんでくれよ」
「ああ……」
彼は、扉を開け外にでた。
慌ててニコは続く。
そして、外に出る一歩手前で立ち止まった。ゆっくりテオを振り返る。彼は少し寂しそうだったが、笑っていた。
ニコは、心の中でベイブの夢を強く否定する。自分はテオから離れはしないし、ベイブも必ず助かる。だから、また三人でここで暮らせるようになるのだ。みんな戻ってくるのだと。
「……ありがとうございました。必ずまたテオさんのところに戻ってきます。だから待っていて下さいね」
テオは小さくうなずいた。
そして、老人と少年は去っていった。
テオはガランとした部屋の中央で立ち尽くした。
この部屋はこんなに広かっただろうか、と思う。こんなに静かだったろうかと。大切なものがサラサラと砂粒のように、指の間からこぼれてゆく。どんなに必死にかき集めても全てすり抜けてゆく、そんな気がした。
昨日のドリスの声が頭に響いた。
『何も守れないくせに』
その通りだと思った。あの時も、今も守れなかった。
両手で顔を覆う。
目蓋にベイブの笑顔が浮かぶ。ニコの苦笑交じりため息が聞こえる。
三人で暮らした。ここで一緒に暮らしたほんの数ヶ月。しかし、奇跡のように素晴らしい時間だった。決して壊したくなかった大事なものが、今はもうない。
長い時間、顔を覆ったまま立っていた。
騎馬隊の走り抜ける音が聞こえてきて、ゆっくりと頭をあげると、その顔は表情のない仮面のようになっていた。
テオは部屋に貼った護符を一枚づつ剥がしてゆき、玄関扉へと歩いて行った。
ノブまわしかけて手を止める。窓際のミモザをしばし見つめ、それから静かに出ていった。
テオの足音が、徐々に遠ざかっていく。
誰もいなくなった部屋の中で、ミモザだけが変わらず咲き誇る。花は光を浴びて金色に輝く。幸せだった日々が、そこに結晶しているようだった。