20 彼女は誰
テオは仰け反るようにして椅子に座っていた。今は嘘のように落ち着いて、だが糸が切れた人形のように力なく天井を眺めているばかりだった。
そしておずおずとニコが差し出すコップを、テオは黙って受け取る。
「……どうぞ」
他に声の掛けようも無かった。ニコにしても動揺が消えたわけでは無く、救いの言葉を求めているのむしろ彼の方かもしれない。罪悪感でいっぱいだった。
自分が目を離したばっかりに、ベイブを連れ去られてしまった。そう感じていた。テオがそう言った訳でもない。それでも、自分が側に居さえすれば、こんなことにはならなかったと思ってしまうのだ。
「まったくヒステリー発作なんて。これがアインシルト秘蔵の愛弟子とは、聞いて呆れる」
「黙れ、くそったれ……」
テオはからかうデュークに一瞥も与えない。顔色は悪いままだった。
一気に水を飲み干し、テーブルに叩きつける。
「さっさと行け。必ず見つけ出せ」
「はいはい。承知つかまつりました」
仰々しくお辞儀をして、デュークは煙のように消えた。
テオはまたぼんやりと天井を見つめる。
窓からは夏の強い日差しが差し込み、気温も上がってきていた。水浸しになった床が、もう乾き始めている。しかし部屋の中は寒々しく、テオはブルルっと震えた。
ベイブがいない。
テオが最も恐れていた事態が現実となってしまった。
端正な眉が歪んだ。生きているということだけは分かったが、その身が無事かどうかまでは分からない。
怪我をしているんではないか、恐ろしい目にあっているのではないか、と嫌な妄想ばかりが駆け巡る。今頃、彼女はどこでどうしているのだろうか。再び、息が詰まりそうになってくる。
ドンドンと扉が激しく叩かれた。
「おい、魔法使い! お前、何やったんだ。バケモノが暴れているのは、お前のせいだって噂になってるぞ!」
「どういうことか説明しろ!」
「パン屋も焼けたぞ! あんたのせいなのかい!?」
家の前に大勢の人が集まっているようだ。口々にテオを攻め立てる。
昨日、広場でドリスが彼のせいで夫が死んだとなじったことが、もう噂になっているのだ。
テオは黙ったまま目を閉じた。
ニコはおろおろと、玄関とテオとの見やるばかりだった。
「町から出て行け! じゃないとこっちまで殺られちまう!」
「そうだ! 出て行け!」
ガンガンと扉が打ち鳴らされ、出て行けの大合唱となった。
ニコは、悔しさに目が熱くなる。
あの地震の折、テオは懸命に王を支えた。それが町の人達の為にもなると信じたからだ。誰も知らなくても自分はそれを知っている。
そのことが無くても、普段から大した金も取らずに、下町の生活をささえる魔法使いとして働いていたではないか。皆、彼を慕っていたのではなかったのか? それが、手のひらを返したように出て行けと言うなんて。
たまりかねてニコが外へ出て行こうとしたとき、突然外の騒ぎが止まった。
しんと静まり返る。そして、老人の声が聞こえてきた。
「テオドール。ここを開けてくれんかの」
アインシルトだった。
テオは、はっと目を開けた。そこには安堵の色が見える。
「……ニコ、頼む」
ニコがそっと開いた扉の向こうに、アインシルトが立っていた。集まっていた人々はもういなかった。追い払ってくれたのだろう。
静かにアインシルトが入ってくる。部屋の中を見回しつぶやいた。
「だいぶ、荒れたようじゃの。……オルガやドリスの事を、思い詰めておるんじゃないかと来てみたが……」
壊れた椅子の破片が散乱し、グラスや花瓶が割れて水たまりの中でキラキラと光っている。嵐のあとのようだった。
ミモザだけは、ニコが拾ってグラスに挿しておいた。荒れた部屋の中で、花だけは優しく静かに咲いていた。
「あのゴブリンの姿が見えんな」
途端にテオの顔がくしゃりとゆがむ。
ニコは一瞬、彼が泣き出すのかと思った。しかし、横を向いただけだった。
「……彼女は生きている。奴らに拐われてしまったが」
それは自分に言い聞かせるようなつぶやきだった。
アインシルトはそうかとうなずく。そして、思案げに何度もひげを撫でつけた。ゴブリンを奪われた事が、テオに何よりも大きな打撃を与えた事を知り、少し驚いたようだった。想像していた以上に、テオは共に暮らす者たちの事を大事に思い、必要としていることに気づき、何とかしなければなるまいと腕を組むのだった。
「お前を追い詰めようとしておるのだろうなあ。冷静さを失っては、思う壺じゃぞ」
「わかっている」
テオは苦しげな息を吐いて、目を伏せた。
「あのゴブリンは、呪いをかけられた人間の娘だというておったな。なぜ今になって、拐われたと考えておる?」
今まで先送りにしていた、ゴブリンにかけられた呪いについて、真剣に考える時がきたのだとアインシルトは思った。
「奴らは、オレに関わる人物を狙っているんだ」
「それだけかの? 冥府の王召喚の折にも、彼女を邪魔だと言って襲ったのではなかったかの? 順をたどって考えてみるのだ」
これまでの経緯を、一番把握しているのはテオのはずだ。冷静に事実を思い返し、その意味を考えなおしてゆく必要がある。
アインシルトは、テオの肩に手を置いた。すると波立っていた、心が落ちつてい行くのをテオは感じた。
胸の痛みに無理やりフタをして、思考を巡らし始めた。
「彼女は、迷霧の森でアンゲリキによって呪いをかけられた……」
テオは低い声でつぶやきはじめた。
ベイブは、ゴブリンに姿を変えられ四つ目にされ上に、卵に閉じ込められた。
誰の目にも触れない迷夢の森の奥深くに置き去りにして、人知れず彼女が死んでいくことを期待したのだろう。
なぜこの時、魔女は彼女を殺してしまわなかったのか。邪魔なら面倒な呪いなどかけずに、さっさと殺せばよかったのだ。アンゲロスも襲いはしたものの、簡単にあきらめている。
「……殺さなかったのではなく、殺せなかった……ということか」
テオが頭の中の考えを、時折口に乗せると、アインシルトはうむとうなずく。
ニコも、熱心に耳を傾けている。ベイブを助け出す為にも、これは重要なことなのだ。
「ベイブに自分を誰か話せなくさせたのも、その殺せない理由を隠す為……?」
彼女を拾った当初にもテオはそう考え、その理由をいろいろと探っていた。
例えば、すでに彼女には、強力な守護魔法がかかっていて殺せなかったのか? または彼女を殺すことで、とんでもない災厄が魔女たちに振りかかるのか? ならば、それはどんな? 疑問がわくばかりだった。
しかしその後、殺される心配がないのなら、急ぐこともなかろうとそのまま放ってしまっていた。
テオは突きつめて考えなかった自分を、今さらながらに呪った。しかし、今ベイブが拐われたのも、殺せないから連れ去ったのだとしたら、命の心配はないはずだ。必ず、助け出すチャンスはあるだろう。
では、なぜ邪魔なのか……。
それは彼女が何者であるかにかかっている。
どこの誰なのか、名前さえも解らない。ただ、時折見える幻影の女性が、ベイブの本当の姿なのだろうとテオは思っている。ベイブの声や話し方、キャットが集めてきたガラクタも若い女性てあることを示していた。
ハンカチの切れ端、靴から取れたヒール、紫水晶のイヤリング。そして、壊れたあぶみや男物の懐中時計は、馬や同行者がいた可能性を示している。
品々は汚れて壊れていたが、粗末なものではなかった。おそらく富裕層の娘だと思われる。
黒猫に変えられていたキャットと知り合いらしいことから、彼が同行者だった可能性は高い。
そして、彼女は癒しの呪文を使える。ベイブは白魔法に通じている。
「これまでに分かっていることから想像できるのは、『富豪の家に生まれた優秀な白魔法の使い手』という娘像なんだが……」
「名家の出で、しかも白魔法の手だれが行方不明となれば、すぐさま話題となるはずじゃが。とんと聞かぬな」
アインシルトの言う通りだった。
テオは既にこの線を一度洗っていたが、該当する者はいなかった。国内にこだわらず、範囲を広げるべきか。周辺の国々の魔法使いで、この数ヶ月行方のわからない者を調べよう。
あの魔女でさえ、手出しできぬ白魔法使い……。彼らは、その存在を恐れているのだろうか。
そう言えば、ピクシーたちもベイブを恐れ避けていた。彼女に近づくと死んでしまうと。ベイブに邪悪な魔力など備わっていないはずなのに、何故彼らは恐れるのか。
テオは、ハッと顔をあげた。
仮に、邪悪とは対極の理由で、彼女を避けていたのだとしたら――――。
「アインシルト。この国に破魔の巫女はいたか?」
「破魔の……なるほど。ゴブリンはもともとその巫女じゃったと考えるわけか?」
「わからん。ただ思いついただけだ。いるのか、いないのかどっちだ」
「おらん」
「近隣の国には?」
「聞いたことがない。破魔の巫女なぞ、昔の話じゃ」
破魔の巫女。
それは、この世の邪悪を浄化する力を持つ者のこと言う。
ベイブにその力があるなら、魔女が手を出せなかったこともうなずける。
更に破魔の巫女は、異界に属する者たちをも滅する力も持っているという。これは異世界の住人を邪悪と判じて滅するのではなく、単に能力の相性というものであるらしい。退け合う力というものかもしれない。
真に巫女であるなら、ピクシーがベイブを恐れた理由が見えてくる。こちらの世界で生まれた無垢な妖精ならまだしも、成長したピクシーは異界の属性を強く帯びるようになる。
善良か邪悪かの区別では無く、相性の問題であるから巫女にその意志が無くとも、か弱いピクシーならば近づいただけで簡単に滅せらるというのは、ありえない話ではない。
だが、アインシルトの言うように、破魔の巫女が現れたという話は聞いたことがなかった。いれば、絶対に耳に入るはずだ。
テオは大きく溜息を吐いた。可能性はあるが、ベイブを破魔の巫女と確定するには、まだ時期尚早かもしれない。
テオは思考を切り替え、別のキーワードにとりかかる。
「……それじゃあ、なぜゴブリンに変えたのか……」
普通ゴブリンと聞けば、良いイメージはない。醜く性格も悪い妖精だ。好んで近づく者はいないだろう。
万が一、卵から開放された場合でも、誰も彼女に関わりを持たないようにしたのかもしれない。呪いを解かせない為にだ。
だとしたら、テオが拾ったことは魔女にとっては大誤算だったに違いない。
それでは、あの目はどうだ。
「四つ目にする必要はどこにある……?」
不気味さをあおって、人を近づけないためか。そんなことの為に、わざわざ四つ目にしようと考えるだろうか。更に醜くしてやろうと言うのなら、他に手段はいくらでもある。きっと必要があって四つ目にしたはずだ。
テオは、卵から出てきたときのベイブを懸命に思い出す。
苦しさと不安から、パチパチと何度も瞬きをしていた。四つの目はバラバラに開いたり閉じたりを繰り返していた。
……いや、違う。そうじゃない!
顔を上げたテオの目が大きく見開かれる。
記憶が正しければ、ベイブの瞬きは下の二つの目は同時だったはずだ。上の二つが、てんでに違う動きをしていたのだ。彼女の意志とは関係なく勝手に動いている、そのように見えたのだ。
ドクリと、大きく心臓がなった。
目を分割して増やしたのではない、アレは他人の目だ。ベイブ本来の目の上に、他人の物が付け加えられていたのだ。
他人の目――――アンゲリキが持っていた他人の目とは――。
「……アインシルト。オレの左目を見つけたよ」




