17 蹂躙する獣2
テオは人垣をかきわけて前に進む。
「どけ! 道を開けろ!」
苛立ちに声が上ずっていた。
ようやく人混みを抜けると、兵士たちに取り囲まれて男が倒れているのが見えた。ギリッと奥歯が鳴る。
テオは大股で近づいていった。兵士をドンと押しのけて、倒れている人物を覗きこむと、それは見覚えのない男だった。しかし、傍らで呆然としている女を見て、思わず息を飲んだ。
「テオ、来たか」
ユリウスが立ち上がった。
彼は、既に息をしていない男の傷を調べていた。
「ほとんど即死だったろうな……ドリスの夫だ。彼女をかばったんだそうだ」
重苦しい息を吐きユリウスはテオの肩に手を置いた。そして小声で聞いた。
「クロッカス通りには行ったのか?」
「ああ……」
「誰がやられた?」
「……オレの友人だ」
テオは目を伏せた。
もう、疑う余地はない。自分と関わりをもった人物が狙われている。テオは胸を掻きむしるようにペンダントを握りしめた。
よろよろとドリスが立ち上がる。
真っ青な顔はまるで亡霊のようだった。大きく開いた目は、瞬きもせず一心にテオを見つめている。ガリッと、爪をたてて彼の腕を掴んだ。
「テオ……教えて。アレはなんなの? 人の言葉を喋ったわ」
地を這うような低い声だった。ひょっとしたら死神はこんな声をしてるんじゃないか、そんな幻想がテオの頭に浮かぶ。
今にも倒れそうな彼女を抱きしめるように支えて、カラカラに乾いた喉から声を絞り出した。
「……なんて、言った」
「恨むなら、あなたを恨めって……!」
ドリスは両手でテオの髪を鷲掴み、悲痛な叫びをあげた。
「どういうことよ! ねえ、どういうことなの、テオ! あなたのせいでこの人は死んだの?! ねえ、ねえ!」
激しい怒りに取り憑かれて、突き刺すようにテオを凝視する。彼女は自分の目から一瞬たりとも目をそらすことを許さなかった。
「ああ、テオ! あなた何をしたの! 本当にあなたを恨んでいいの!?」
髪をぐっと握ったまま、強く揺さぶる。
テオはされるがままに立っていることしか出来なかった。
「…………」
何の言葉も出てこい。ドリスの夫の命が奪われた遠因は自分にある。彼女の怨嗟を受け入れることしか、自分には出来ない。
「何にも護れやしないくせに……何が救国の魔法使いよ! 何が……」
「よせドリス! もう、それ以上言うんじゃない!」
ユリウスはドリスの肩を掴んで制した。
そして彼女の手を、ゆっくりテオから引き剥がす。
「でも、でも……」
もうそれ以上は言葉にならなかった。泣き崩れ夫に取りすがる。
テオは立ち尽くし、彼女とその夫の亡骸を見つめた。
ああ、とユリウスは首を振って、ドリスの側に片膝をつく。
「奴らが何を企んでいるにせよ、必ず暴き出して捕らえてやる。お前のためにもな。本当は解っているんだろ。テオのせいじゃない。こいつを責めるのはお門違いだ」
ドリスの背を優しくさすりながら、ユリウスは言った。
やるせなさにため息が出る。十年という年月を経ての無残な再会。三者三様に生きてきた、時の重さを感じた。
昔は、同じ時間の中にいた。あの頃は、未来は輝いて見えていた。幸せは必ず自分の手で掴み取れると信じきっていた。怖いもの知らずで、身の程知らずの少年と少女だった。それでも、あの頃があったからこそ今の自分達がいる。
このような悲惨なものとなってしまったが、三人が再会を果たしたということにはきっと意味があるはずだ。大人になった自分たちなら、きっと乗り越えられるはずだ、そう思った。
ドリスは元来、気丈な女性だ。必ず立ち直れる。支えが必要なら自分が支えよう、ユリウスはそう心の中でつぶやいた。
そして、さっと立ち上がりテオの肩を叩く。
「しっかりしろ! ヤツらの標的が解ったのなら、対策もできるはずだ」
「ああ……」
「動揺すれば、奴らの術中にはまることになる。落ち着いて考えろ。いいか、テオ。これはお前のせいじゃない」
「…………」
「お前に揺さぶりをかけることが、奴らの狙いなんだ」
「解っている」
「それならいい」
もう一度テオの肩を軽く叩いた。
この友人のことも、放ってはおけない。決して言葉や態度には現さないだろうが、おそらくはドリス以上に、自分を必要とするだろう。
その思いはユリウスの胸に誇らしさを与えるのだった。
テオは無言で、拳を突き出す。
ユリウスはそれに応えて、拳を合わせ大きくうなずいてみせる。
そして仕事に戻るべく、警ら隊の中に入っていった。現場の混乱を収めるべく彼らは動き始めた。
*
時計の針は深夜一時を過ぎていた。
ニコはリビングの椅子に腰掛けて、しきりに爪を噛んでいた。息苦しく、落ち着かなかった。今日の出来事を何度となく思い出し、大きな息を吐く。
夕刻、レオニードの店にニコとベイブを迎えに来たテオの顔は青白く、沈痛な面持ちだった。聞かずとも、獣を捕らえられなかったと解る。
ニコは淡々とレオニードの容態を伝えた。ベイブのおかげで、峠は越えたようで落ち着きをみせていた。しかし、傷の治りは非常に遅かった。ベイブがどんなに懸命に癒しの光を与えても、思うように治癒しないのだ。
獣の与えた傷は、白魔法の効力を弱める毒のようなものがあるようだった。魔法に頼らぬ治療を施すしかない。医師を呼び、ただ見守るだけだった。
その後、斜向かいの娘が彼の看病をかって出てくれたので、三人は家に戻ってきたのだった。
テオは言葉少なだったが、事の成り行きを語ってくれた。
レオニードが襲われ、立て続けにドリスも狙われた。かばった夫が犠牲になったという。パトロール隊にも怪我人がでたらしい。
ユリウスの放ったふくろうも、獣を見失ってしまったという。また、どこかで新たな獲物を狙っているのだろうか。
オーベル、オルガ、レオニード、ドリスの夫。みな、何らかの形でテオにつながっていた。
この不気味な符合は、テオに大きな衝撃を与えていた。
直接、彼を狙わず周囲の人間を巻きこむことで、精神的に追い詰めようというのだろうか。そうであるなら、敵の目論見通りとなっている。
テオは軽口など叩く余裕もなく、真剣な顔で考え込んでいるのだった。
デュークを呼び出し、獣の行方を捜すよう命じた。生け捕りが難しければ、殺してもいい。厳しい口調でそう言った。
そして、この家に厳重に守護魔法をかけた。レオニードの家で使ったものと同じ結界だ。
家中の壁と床、天井に、白い糸のようなものが無数に張り巡らされた。テオはこれでよしとばかりに一度はうなずいたが、少し考え込んだ後、もう一度護符を取り出し、今度は床ではなく天井近くの壁に貼り付けた。再び糸が張り巡らさせる。念には念を入れたということだろう。
そして、二人に家から一歩も出るなと厳命した。
「解るだろう? 次はお前たちかもしれないんだ」
ニコとベイブは黙ってうなずいた。
「絶対だ。何があっても出るんじゃない」
そう言って、彼は一人出かけて行った。
獣の行方や、双子の魔法使いを探しに行ったのだ。そして、まだ帰ってきていない。
コチコチと時計の音が響く。
外からは、時おり馬の走る音が遠くから聞こえてくる。夜を徹して捜査は続けられ、見回りも強化されているのだろう。
ニコは、不安で落ち着かなかった。どこからか、誰かに見られているような気がして、むず痒くなるような恐怖感があった。
*
王宮前の広場を、パトロールの騎馬隊が駆け抜けていった。石畳を蹴る蹄の音が消えると、辺りはしんと静まり返った。
街灯がポツポツと光ってはいるが、建物のほとんどは灯りを消し、広場は薄暗かった。この寝静まった町で、出歩いているのは警官や兵士くらいなものだろう。特に、今日のような日は。
しかし、この広場にコツコツと単独の足音を響かせるものが現れた。長身に派手なローブを羽織った男だった。
彼は細い路地から姿を現わすと、広場の外周にぐるりと立っている街灯の一つに向かって歩いてゆく。明かりの下で立ち止まると、目元に暗い影が落ちる。
テオは、そのまま身じろぎもせず立っていた。
しばらくすると、また足音が聞こえてきた。テオがその方向に目を向けると、これもまた長身の男が近づいてきていた。
ユリウスだった。
目の前まで、彼が来るとテオは言った。
「あの金髪の主は判ったか?」
「いや、まだだ。……ほら、これが要るんだろう」
ユリウスは、剣を差し出した。
黙ってテオは、その大ぶりな剣を受け取る。炎の魔物アンゲロスと、この広場で戦った時に使った大剣だった。柄を握ると、しっくりと手に馴染む。
「オルガを殺したのはあの獣だ。金髪が獣に命じて殺させたんだと思う」
「だろうな。今日も我々の近くに、その金髪が潜んでいたのかもしれない。早く正体を掴まなければならんな」
「ああ」
ユリウスは、俯くテオの肩に腕を回す。
「なあ、昼間にも言ったが、あまり思いつめるな。お前にそんな陰気な顔は似合わない。笑ってろよ」
「無理な注文だな」
「確かにな」
苦笑するとテオの背を軽く叩いて、離れた。
「なぜお前が奴らにターゲットにされるのか、理由を知っているのはアインシルト様や俺を含めても数人だ。廷臣の中にも訝しんでいる者は多いぞ。下町の魔法使いごときがなぜ、ってな。だから、さっさと王宮付きになった方がいい。これ以上余計な詮索をされる前に」
「……考えておく」
テオは剣を肩に担ぎあげると、背を向けた。そしてもと来た細い路地に消えてゆく。
ユリウスはじっとそれを見送っていた。
「ムキになって、探しまわっても簡単には見つけられやしないのに。それでもお前は、そうせずにはいられない……ちっとも変わらないな、テオ」