15 凶報を告げる鳥
三人の人間が食卓を囲んでいるというのに、部屋はしんと静まりかえり、なんとも気まずいムードが流れていた。ニコとベイブは、うつ向いて静かにパスタを口に運び、誰とも目を合わそうとはしない。
テオに至っては椅子に後ろ向きに座って、皿を持って食べている。二人に背を向け、さっさと食事を終わらせようとパスタを口にかきこんでいた。これがいつもの和やかなランチであれば、とっくに行儀が悪いと注意されていただろう。
カチャリとフォークが皿にこすれる音が、やけに大きく聞こえてくる。黙々と食べ続け、テオはドンと皿をテーブルに置いた。ちらりとニコが視線を送ると、彼はすぐに立ち上がりローブに手をかけた。
早速逃げるつもりだなと、ニコは内心くすりと笑う。この気まずさは、あまりにも耐え難い。テオに出て行ってもらったほうが、ニコもホッとする。
先ほど家に戻ってきて玄関の前に立った時は、扉を開けるのがなんだか恐ろしかった。ベイブの反応がまったく予想できなかったのだ。
そろりと中に入ると、彼女の姿は無かった。二階にいるのだろう。
テオがドンと背中を押して、あごをしゃくる。さっきの言い訳をしてこい、という訳だ。全くなんて人だと、ニコはため息をついた。
「好きって言っちゃえばどうです?」
「……ほほお、お前自殺志願者だったか……」
「良い返事もらえますよ? きっと」
「ボケェ! いらんわ! 誰がゴブリンなんか!」
さっきと言ってる事が違うじゃないか、というセリフを飲み込み、ニコはげんなりと二階に上がっていった。
ベイブは出窓に腰掛けて外を眺めていた。ニコに気づくと、ふわりと笑った。
「お帰りなさい。割りと早かったのね」
何事もなかったように、いつもの笑顔でそういったのだ。
ニコは、すぐに昼食にするよ、と言うのが精一杯だった。テオに言われた通りの馬鹿げた言い訳なんて、とても出来なかった。
彼女は彼に恋している。でも、自分の気持ちを全て覆い隠そうとしている。そして、自分はそのことを知っているのだ。下手な事を言って、彼女を傷つけたくはなかった。例え嘘の言い訳でも、あの人は相手は誰でもいいんだよ、なんて言えるものか。
ニコは小さく頭を振って、部屋を出たのだった。
そんなニコが降りてゆくと、落ち着かず貧乏ゆすりとしていたテオが、にらむように見つめてきた。
「自分で何とかして下さい。僕には無理です。って言うか、巻き込まないで下さい」
「う、裏切り者!」
「知りませんよ……」
こうしてこの後、気まずい昼食となったわけだった。
テオは逃げる気満々でローブに腕を通し、玄関に向かっていた。
と、その時、玄関横の小窓から何かがとびこんで来た。それは一羽のふくろうだった。
ガラスが割れ風の吹き込むままにしていた小さな隙間を、すっと通り抜けたふくろうは、部屋の中をぐるりと飛びまわった。テオが腕を差し出すと、さっと降りてくる。
「何だ? お前はオルガのふくろうだったよなあ?」
テオが語りかけると、ふくろうはなんとオルガの声でしゃべり始めた。
「気をつけなさい。何者かがお前の命を狙っている。私はその者に殺されるでしょうが、必ず手がかりを残します。でもテオドール、復讐など考えてはいけませんよ。くれぐれも自愛なさい」
その短い伝言を聞き終わらぬうちに、テオはダッと戸棚の鏡に駆け寄る。以前、レオニードの弟を捜索した時に使ったものだ。素早く呪文を唱える。
鏡面に、海辺の町の小高い丘に建つ一軒の家が映しだされた。
その部屋の中で、老女が一人倒れていた。
*
静かに扉の閉まる音がして、オルガは振り返った。
「テオドール? また来たのかい?」
コツコツと軽い足音が近づいてきた。
「あら、違ったわね。誰だい?」
返事は無かった。
微笑んでいたオルガの唇が不意に引き締まり、正体不明の訪問者をじっと見つめる。目の見えない彼女の五感は鋭い。ただならぬ気配を察して、その体に緊張が走った。
「そうかい。問答無用というわけだね」
オルガが右手を振り上げると、その袖からさっと小さなふくろうが飛び出し、一直線に窓から外へ出て行った。
ふくろうは家の上空を大きく旋回している。
ドスンと、重いものが引き倒される音がして、それきり何も聞こえなくなった。主の伝言を伝えるために、ふくろうは北に飛び去っていった。
*
ニコは総毛立ち、身震いをした。
今朝、天気予報部会の魔法使いオーベルの死を聞かされたばかりだというのに、今度はオルガが襲われたらしい。彼女は死を覚悟し、伝言を放ったのだ。
テオの眉が険しくゆがんでいる。
「アンゲロス……」
「オルガさんは、無事なんでしょうか?」
テオはそれには答えず、ふくろうの背をさすった。
フクロウはまるで頷くようにホーと小さく鳴くと、小窓のヘリに飛び移った。
「……行ってくる」
ローブを翻し足早に玄関へと向かう背に、ベイブは不安げに声をかけた。
「……気をつけて……無茶しないで」
テオは少しだけ振り返って笑みを見せ、扉のむこうに消えた。
そして、ふくろうもまた小窓から外へ飛び出していった。通りを西へ、王宮に向かって飛んでゆく。おそらくはアインシルトの下へ、凶報を伝えにゆくのだろう。
ギギギギときしむ古い扉を押し開けて、テオは部屋の中へと入っていった。
リビングに老女が仰向けで倒れていた。青白い顔だった。喉を割かれた彼女は、血だまりの中に横たわっていた。駆け寄り抱き起こすが、すでに息は無かった。
「……オルガ……」
彼女の頭を、ぐっと抱きしめた。
甘いクッキーの匂いが目を熱くさせた。
「なぜあなたが殺されなきゃならない」
グウウと、喉が獣のような音をあげる。
怒りをかろうじて飲み込み、大きく息を吐いた。落ち着くんだと、自分に言い聞かせる。オルガは手がかりを残すと言った。それを探さねければならない。
部屋を見回したが、荒らされた様子はない。彼女の着衣にも乱れはないし、抵抗したあともみられない。一瞬で、命を奪われたようだった。
そのような切迫した状況で、よく伝言を飛ばせたものだと、テオは彼女の偉大さを噛み締めた。
ふと、オルガがきつく手を握りしめていることに気づいた。握ったこぶしの中から、ふわふわとした金色の糸のようなものが出ている。
指を一本一本ゆっくりと開いて、それを取り出した。髪の毛だった。二十センチ程の、数本の金髪だった。
テオの顔が曇る。
「あの黒い獣が襲ったんじゃないのか?」
テオはオルガを抱き上げると、ベッドに静かに横たえた。そして花瓶に飾ってあった花を、そっと彼女の手に添える。
オルガの顔は穏やかだった。
おずおずと頬に触れてみる。ひんやりと冷たいが、皮膚には弾力があり柔らかい。温めてあげれば、また動き出すのではないかと、埒もないことを夢想した。
背後にコツコツと足音が聞こえたが、振り返らずオルガの髪を整え続ける。ひざまずくテオのすぐ後で、その足音は止まった。
背を向けたままのテオの唇が、ふっと緩む。
「ユリウス……久しぶりだな」
「ああ……アインシルト様には、守りに徹して頂くことになった。この件の調査は私に任されたよ」
黒いローブが揺れて、テオの隣に移動する。
その魔法使いは、悲しげに老女の骸を見下ろしていた。テオとよく似た背格好の、暗めの金髪の男だった。高い鼻と眼鏡が、知的な印象を与えていた。
ユリウス・マイヤー。
テオと共に、アインシルトに師事していた王宮付き魔法使いだ。ミリアルドの王女捜索に派遣されていたが、ついに戻ってきたのだ。
「オルガ様には私もよく世話になった……。こんな再会をするとは……」
ユリウスは声を震わせていた。
テオは立ち上がり、彼に向かい直った。
「力を貸してくれ」
「無論だ」
二人はこぶしとこぶしをコツコツと突き合わせて、微かに笑った。
それは彼らの、昔からの挨拶の仕方だった。目をとじると少年の日の思い出がまぶたによみがえる。腹を抱えて笑いあったこと、殴り合いのケンカをしたこと、そして別々の道を進むことになったこと。
最後に会ったのは、黒龍王の即位式の時だった。ユリウスは王宮付きとなり、自分は下町の魔法使いになることを選んだ。
テオは眩しそうにユリウスを眺め、それから思い出を振り払うように大きく頭を振った。
「オルガはこれを握っていた」
テオは、先ほど発見した金髪を見せた。
「襲った奴のものか? ……話に聞いていた、黒い獣の毛ではなさそうだな」
「獣以外にも動いている者がいるようだ」
「それにしても、なぜオルガ様が。引退してもう何年も経っているし、襲われる理由が解らない」
「……オレは、少し前までここにいたんだ」
ぎゅっと、指が白くなるほどこぶしを握りしめる。
ユリウスがカチャリと眼鏡を直す。
「それが理由で、襲われたとでも?」
「オルガは何年も静かな隠遁生活を送っていた。変わったことと言えば、オレがここを訪れたことぐらいだろう」
「そうか……」
目を伏せるテオの肩に、ユリウスは腕を回した。
「考えすぎるな。責任を感じてるんだろうが、お前のせいじゃない。思いつめるなよ」
そして、パンパンと背を叩いた。
「かたきを討ってやろう。必ずだ」
ユリウスは、金髪を一本丁寧にハンカチに包み、ポケットにしまった。
「預からせてくれ。私も、こいつの主を探してみよう」
「ああ……」




