12 ミモザ
ジノス・ファンデルは、イライラと部屋の中を行き来していた。
彼の前には、ずらりと騎士団のメンバーが立ち並んでいる。皆一様に厳しい顔をして、ジノスを注視していた。
「一体、どういうことなんだ」
ガンと椅子を蹴り上げる。
魔法使いが魔法を使えなくなるなんて、笑い話にもならない。ジノスはギリギリと歯噛みする。
部下を集め、聞き取り調査を終えたばかりだった。結果、騎士団の大半がその能力を失ってしまっていたのだ。彼自身に変化は無かったが、これでは魔法騎士団とはとても呼べない。まったくの機能停止状態だ。
先日アインシルトからの伝達で、この異変については知らされていた。が、自分の部隊がこれほどに力を削がれていたとは、思いもしない事だった。
「魔女は瀕死だと聞いた……。アンゲロスの仕業なのか?」
魔力を失った者とそうでない者との差は、何なのだろう。
いつどのようにして魔力を失ったのか、本人たちにも解らなかった。年齢や出身地、趣味や家族構成も特に共通点はない。強いて言えば、魔力の強い者たちと言える。
が、騎士団に入れる程だから、全員それなりの実力者なわけで、その中でも明暗をわけたものが何であるのかが解らなかった。それでも、町中で営業している魔法使いは、さほど影響を受けていないところを見ると、やはり一定以上の力を持つ魔法使いが標的になっていることは否めない。
ジノスは、恨めしげに部下たちを見回した。
「解散! 自宅待機!」
*
オーベルは自宅で一人酒を飲んでいた。
昨夜の事を思い出すと、腸が煮えくり返る。あれでは、掟破りの魔法使いの方がまるでヒーローのようではないか。自分は、あいつに仕事の邪魔をされたというのに。
まったく悪びれる様子もなく、ふてぶてしい態度。あの男と直接話したのは初めてだったが、組合魔法使い代表のクレイブが毛嫌いしているのがよく理解できた。
オーベルはガンとグラスを置く。いくら飲んでも酔えなかった。乱暴に酒を継ぎ足す。
と、急に手元が暗くなった。
窓から差し込んでいた街灯の光が消えたのかと、顔をあげた。
途端に、頬が強張る。
ドクドクと心臓が早鐘を打ち出した。オーベルの視線の先に、窓枠に張り付いた黒い獣がいたのだ。黄色い目を光らせてこちらを見ている。
オーベルはガタンと椅子を倒して立ち上がる。しかし、足が震え動けない。
獣の口から、白く鋭い牙が見えた。熟しきって潰れたトマトのような赤い口が大きく開く。
「うはああ…………」
叫んだつもりだったが、溜息のような声しか出ていなかった。
獣の爪がギラリと光り、ガラス戸を引き裂いた。
*
ベイブが伸びをして起き上がった。背中や足が少し痛い。クーファンが窮屈になってきているのだ。この頃朝になると、いつも体のどこかが痛いのだ。もう少し大きなベッドが欲しいものだ。
カーテンを開けると、ぐしゃぐしゃのシーツが目に入った。テオはもういない。
ベイブは、コトコトと階段を降りていった。テーブルの上に、黄色い花が飾ってあった。
ミモザだ。
花瓶からあふれるほどに、黄色い球状の小花をたわわにつけた枝が生けられている。
ベイブは、ほおっと感嘆する。見事に咲き誇るミモザに、うっとりと心を奪われた。
「おはよう」
ニコの声が背中にかかった。
「おはよう。ねえ、これどうしたの? ニコが飾ったの?」
「ううん、テオさんだよ」
ニコはコーヒーのサーバーとカップをテーブルに置いて、ミモザを眺める。
「もう夏だってのに、どこから持ってくるんだろうね。毎年この日は、決まってミモザを飾るんだ」
「……へえ。そうなんだ」
7月の半ば。ミモザの咲く季節ではない。それなのに、テオは季節外れの花を飾るという。ベイブは首をかしげて、その意味を考えた。
この季節にミモザを手に入れるなら、きっとわざわざ遠い国まで行ったに違いない。どうしてもこの花でなくてはならない理由があるからだろう。
そして、ミモザが咲く春先ではなく夏に飾るということにも、なにか理由があるのだ。毎年決まって今日という日に花を飾るというのだから。
コーヒーを飲みながら、ベイブは静かにミモザを眺める。
そして、ふと思い当たった。確か今日は、あの日ではなかったか。
「テオは?」
「散歩だよ。もう帰ってくるんじゃないかな。朝食の用意、しなくちゃね」
ニコがキッチンで卵を焼いている音が聞こえてくると、玄関が開いた。
テオが帰ってきた。ローブの腕や袖に、黄色い花粉がついている。ミモザを抱えた名残だろう。テーブルの花にあごをしゃくって、テオは言う。
「おはようベイブ。どう? きれいだろう。オレだってたまには花を飾りたくもなるもんさ」
「ええ、とてもきれいだわ。でもどうしてミモザなの?」
さり気なさを装って聞いていみる。返事は期待していなかった。
ある程度の推測はついていたし、彼が言い訳がましく、花について語ったのでそれは確信に近づいていたからだ。聞く必要も無かったのかもしれない。
テオはベイブの向かいに座って、花越しに彼女に笑みを送る。
「この花を好きな人がいたんだ」
ベイブは目を見開いた。
答えてくれた。
「……その人の為なのね」
「ああ」
「七年前の今日に亡くなった恋人に捧ぐ花」
「へ?」
テオはぽかんと口を開けた。
白々しいなとベイブは思ったが、目が泳いでいるところを見ると案外本気で驚いているのかもしれない。ドリスの事を話した時は、自分から喋る気マンマンだったようだが、この件については話さずに済むならそうしたいのだろうと、ベイブは想像する。これ以上はつつかないでおこうと思ったが、意外にもテオは話を切り上げす、継いできた。
「なんでそう思った?」
ミモザは美しく鮮やかな色彩で咲き誇るが、裏腹に物憂い切なさを運んでくるようにベイブには思えた。
彼女は静かな声で答える。
「だって、わざわざ季節外れのミモザを飾るなんて、何か特別な意味があるんだって誰だって思うじゃない。それが毎年決まって今日なら、七年前の乱を嫌でも思い出すわ」
今日は、黒竜王が突如クーデターを起こした日からちょうど七年になるのだ。多くの市民が巻き添えになり、大勢の死者がでた惨事。七年やそこらで忘れられるはずもない。
「あの日、亡くなった大切な誰かの為じゃないかって想像したの。この花を好きな人がいたって、ぼかした言い方するからには、その人は家族じゃなさそうだし、花だから女性かなって。だから、亡くなった恋人の為かなって思ったの」
「……なるほど、見事な推理だ。季節外れの花と短い言葉だけで、看破できるなんて、やっぱり君は聡いなあ。ニコなんてオレを質問攻めにしたのに。だいたい正解だよ。微妙な間違いはあるけど」
「微妙な間違い?」
「恋人ではない。昔、オレが勝手に焦がれただけだから」
テオは笑ったが、寂しそうだった。
深く後悔し傷ついている、そんなふうに見えた。
ベイブの想像したとおり、ミモザには亡くなった人への哀悼と思慕の念がこもっていた。黄色い可憐な花は、決して消せない愛情と悲しみの象徴なのだ。
ベイブは笑みを返して、ため息をついた。自分まで切なくなった。
嫉妬ではない。
ほんの少し、硬い鎧の隙間から素顔を見せてくれた彼が、あまりに寂しげで、愛おしいものに見えたのだ。
実らぬ思いを抱き続ければ、自分も何年後かにこんな顔をするのだろうと、ベイブは思った。
「その人を護りたかったのね」
テオの顔が強張るのを見て、ベイブは余計な事を言ってしまったと口を抑える。
彼女は亡くなったのだ。それは護れなかったということに他ならない。護りたくて護れなかった。だから、毎年花を飾る。
ベイブは後悔した。愚かにも分かりきったことを口にして、傷を広げてしまったのではないだろうか。
「ごめんなさい……」
俯いて小さくつぶやく。とても彼の顔を見ては言えなかった。
テオがじっと自分を見つめているのを感じる。どうしよう、嫌な奴だと思われてしまったかも、と両手をぎゅっと握りしめて身を硬くする。
クスっと笑い声が聞こえた。
「なんで謝る?」
花瓶からミモザの枝を一本抜き取り、ゆらゆらと振りながらベイブの隣に歩いてきた。
「君の言うとおりだ。何も謝ることはない。……護りたかった。でも護れなかった。それが、オレの罪でありアンゲリキを憎む理由だ」
「罪……」
枝を軽く曲げ輪にすれば、可憐な花冠の出来上りだ。
テオは、ベイブの頭にちょこんと黄色い冠を乗せた。
「もう二度とあんな思いはしたくない」
「テオ。それはきっと罪ではないわ」
「優しいこと言ってくれる。……黄色が似合うね」
テオは白い歯をほころばせる。
グレーの瞳をした娘の黒髪に、ミモザが映える。可憐だが弱さを見せない凛とした娘。彼女は、一心に自分を思いやろうとしてくれている。この優しさは何にも代えがたいものだ、そう思った。
ずり落ちそうになった花冠を直そうとテオが手を伸ばすと、いつもの小さなゴブリンが少し恥ずかしそうに微笑んでいた。




