11 酒場の騒動
クロッカス通りの一角に、人だかりができていた。
看板が落ち壁の剥がれたバーの前に、椅子や傾いたテーブルを並べて大勢の人達が酒を飲んでいる。椅子が足りず、大半は立ったまま飲んでいた。ガヤガヤと楽しげに笑う声や、乾杯の音頭が聞こえてきた。
テオは、ひょいと人垣の上から店を覗きこんだ。
目ざとくテオを見つけたレオニードが、カラカラと笑いながらワインボトルを掲げた。
「おー、やっと来たか。お前も飲めよ。ただ酒だぜ」
隙間を縫うように店の中に入ってきたテオに、ワイングラスを投げてよこす。
「好きなだけ飲めよ、って言っても、だいぶ減っちまったけどな」
レオニードの頬はこけ、体も一回り痩せて見えた。
弟の死の直後に、あわや町崩壊という呪いが発動したのだ。心労を感じぬ者はいないだろう。
彼の肩には、相棒のピクシーのレダが座っている。彼女は既に酔っ払っているようで、真っ赤な顔でヘラヘラ笑っていた。何度も落ちそうになっては、レオニードの髪につかまっていた。
「何を始めたんだ?」
「店の酒を、町のみんなに振る舞ってるのさ。もうここじゃ、しばらく商売になりそうにないし、故郷の村に帰ろうと思ってな。また一からやり直す」
テオのグラスになみなみとワインをついだ。そして、自分のグラスをテオのグラスにカチンと合わせる。それから目の高さまで掲げ、笑った。この町を去ると決めたレオニードの、別れの印だった。
テオも同じようにクラスを掲げ、それから赤い液体を揺らしながら尋ねた。
「ここで、やり直すわけにはいかないのか?」
「弟の墓をむこうに作ってやりたいしな。まあ、気が向けば、また戻ってくるさ」
ニッと笑った。
テオはグラスを傾け、一気に飲み干した。
「……ったく。もっと味わえよ。いいワインが台無しだ」
「何言ってやがる。温度管理もしてなかったくせに」
「仕方ねえだろうが。店がぶっ潰れたんだからよお」
レダが、ヨオ、っと声を合わせて、テオの鼻先を蹴った。そしてケラケラと笑い出す。ハッハと、二人も笑いあった。
店の中も外も、人でいっぱいだった。皆、勝手にボトルをあけて好きなように楽しんでいた。レオニードは金はいらないと言っていたが、誰ともなくカウンターにおいてある空の花瓶に金を入れていくのだった。
そして、レオニードに声をかけてゆく。
寂しくなるな。また帰ってこいよ。頑張れよ。
にっこり笑うレオニードの目の端に、涙がにじんでいた。
テオは目を細めてさみしげに笑う。ワインをトポトポとつぎ足し、所在なさげにグラスを回していた。
すると、黒いローブの三人組が店に入ってきた。きっちりとしたその黒ローブは、公認魔法使いだとひと目で解る。
その内の一人が、レオニードに声をかけてきた。
「店じまいだって?」
「ああ、好きなだけ飲んでってくれ。手酌で頼むよ」
レオニードはさらのグラスを指さし、それから自分のグラスにワインボトルと傾けた。よろよろとレダが、頭を突っ込んでそれをぺろりと舐める。
テオは彼女の翅を摘んで、カウンターに放り投げる。
「飲み過ぎだろ?」
「なんの、レダは底なしでね。いくら飲んでも平気なんだ」
レオニードが笑う。
少々ろれつが回っていない。彼も既にかなり飲んでいるようだ。
「チョイト! ソコノ、イカレマホウツカイ! アチキトノミクラベダヨ!」
「生意気いうな」
楽しげなテオたちの横を通り過ぎた、魔法使いの一人があっと声をあげた。
「お、お前は!」
「……ん?」
「あの時は、よくも恥をかかせてくれたな」
テオは、横目でその男を見た。が、見覚えはない。
しかし彼は怒っている。セリフはチンケだったが、かなり怒っている様子だ。目の玉をひんむいて、テオを睨んでいる。
「何の話だ。あんたがクレイブの身内だとしたら、身に覚えがあり過ぎてどれのことだか分からない」
しれっと答える。
レオニードが、ぶっと吹き出して笑い転げる。どんどんとカウンターを叩くと、レダが転がりおつまみのナッツの山に頭を突っ込んだ。
テオが翅を摘んで救出すると、彼女は抱えていたナッツを鼻先に投げつけてくる。
「キヤスク、サワルンジャナイヨ! ドスケベ!」
「バカか。お前なんか、虫みたいなもんだろ。虫!」
はっはと笑って、因縁男を無視する。
「ふ、ふざけるな! オレは天気予報部会のオーベルだ。忘れたのか!」
「……オーベル……? わからん」
「このやろう」
「まあまあ、話は外でしようぜ。折角みんな楽しんでるんだ。あんたに大声出されちゃ、酒がまずくなる」
テオがそう言うと、レオニードはどいてどいてと他の客をかき分け、店の外へと道を作った。
「さあさ、ケンカは外でやってくれ」
「ソウソウ。ソトデヤレー」
公認魔法使いたちとテオが通りに出ると、店の中にいた客達もぞろぞろと着いくる。あっという間に、ケンカ見物のやじうまの輪ができていた。ヒューヒューと口笛を鳴らしている奴もいる。
「やれやれ! にーちゃん、澄ました魔法使いなんざ、やっちまえ!」
べろべろに酔った男が訳もわからず囃し立てると、黒いローブの男たちは一斉に酔っぱらいをギロリと睨んだ。
ハッハと笑って、テオは両手を広げる。
「オレも魔法使いなんだけどね」
「ほえー? そのナリで? サーカスで働いてんじゃねーのかい」
ドッと笑いが起こった。
テオのオレンジとモスグリーンのブロック柄ローブは、確かにピエロの衣装のようにも見える。
「黙れ貴様ら!」
オーベルが怒鳴り、他の二人もがなりたてる。
人垣の中から舌打ちが起こる。ブーイングが始まり、小石が飛んできてオーベルの胸に当たった。三対一という構図は、この町の人々には弱い者いじめに見えるらしく好まれないのだ。
「イカれたにーちゃん、がんばれよ~」
どちらに非があるかなどお構いなしに、自然とテオを応援する空気が出来上がっていた。
周囲の空気にイライラとしながら、オーベルが怒鳴った。
「半年前、勝手に天気をいじりやがっただろう!」
「……あー! あれかあ」
ポンと拳を叩いて、テオは大きくうなずいた。
三日続く雨の予報をくつがえして、晴天にしたことがある。湖に釣りに行くためだ。その日はなかなかの大漁で、ニコが魚料理に腕を振るってくれたものだった。
「そりゃー、悪かったな」
全然悪いと思ってない顔だ。
上からオーベルを見下ろして、ニタリと笑っている。
「お詫びと仲なおりの印に、一緒に飲んでいかないか?」
「ふざけるな!」
目を釣り上げたオーベルは、さっと両手を組んで呪文を唱えようとした。
その手を、素早くテオが捻り上げる。
「物騒だな。ここにいる全員をバーベキューにするつもりか?」
ギリギリと腕をねじ上げた。
オーベルの顔が苦痛にゆがむ。
「離せ! 三流魔法使いのくせに!」
「おう、三流で結構。だが、オレだけを燃やすなんて器用な真似、あんたにゃできねえだろ。中途半端な魔法使えば、痛い目見るのはあんたの方だぜ」
テオが言うと、野次馬たちがざわつき始めた。
「なんだとー! こんなとこで、ヤバイ魔法使おうとしたのか!」
「汚えぞ!」
「オレたちを巻き添えにするつもりかー! バカヤロー!」
口々に叫びだした。
テオは、オーベルの耳元で低くささやく。
「オレは、やろうと思えばお前だけを灰にできる。やってやろうか?」
オーベルはゾクリと身震いした。コイツなら本当にやりかねない、そう思った。必死でテオの手を振り払った。
テオは彼の腕を解放すると、腰に手を当ててふんぞり返る。
「あの件はオレが悪かった。後日、謝罪にいくから、今日のところは帰ってくれないか」
言葉と裏腹に不遜な態度だ。オーベルの怒りの正当性など、全く無視されている。
しかし、屈辱に震えながらもオーベルは踵を返した。
「帰るぞ」
そう言った彼の背に、他の二人もついて立ち去った。
またも、ヒューヒューと口笛が吹き鳴らされ、やんやとはやし立てる酔っぱらいの笑い声が通りに響いた。
「お前、ほんとに性格悪いな」
レオニードがヒーヒーと笑っている。
酔っぱらった店主は、笑い過ぎて涙が止まらなくなっていた。
「褒めても何も出ないぜ。まあ、ちゃんと謝りには行くさ。そのうちに」
テオは、見知らぬ客が差し出したグラスを一気にあおる。
「今日は、お前と飲める最後の夜かもしれないだろ。邪魔されるとムカつく」
「んじゃ、飲み直すか」
「おう」
にんまりと笑い合って、店の中に入っていった。
三人の黒ローブの姿が見えなくなったころ、細い路地の物陰でカサリと何かが動いた。ゆっくりと路地から出てくる。
少女と見紛う金髪の少年、キャットだった。
楽しげに笑みをうかべて人だかりを眺めたあと、魔法使いたちが去った方向に彼も歩き出した。