10 呪いを解く鍵
日常が戻ってきたとは言いがたいが、やっと三人がそろい穏やかな空気が帰ってきたとニコは思った。
テオは魔法店の仕事を彼なりにまじめに、いや適当にこなしていた。
時間外の客は締め出し、できない注文はニベもなく断るのだ。
『呪詛・呪殺、死者の復活、欠損四肢の再生など 難題 お・こ・と・わ・り 当方ちゃちな呪文の専門店』
と張り紙を出した。
テオは、お前もこうしておけばよかったんだ、とニコの苦労を笑い飛ばす。
そんなこと勝手にできるわけないでしょう、と心の中で毒づくニコだったが、思いつきもしなかった自分はやっぱり間抜けなのかもしれない、と肩を落とすのだった。
ベイブは草原でのピクシーたちが言った事が気になって、やたらとテオを質問攻めにしていた。
しかし、ドリスの話をした夜ほどに彼は話してくれない。と言っても、テオにもピクシーの言わんとすることが理解できないのだから仕方がないのだが。
「ピクシーって何?」
「妖精だよ」
「そうじゃなくて! なんであたしのこと魔女みたいに匂うとか言ったり、近づくと死んじゃうとか言うのよ!」
「知るかよ」
「もう、役に立たないわね」
「まあ、そうだな~。あいつらは弱い魔力しかない、か弱い生き物だからな。多分、身を守る為に敵意のある魔力には敏感なんだ。お前の四つ目がよっぽど邪悪に思えたんじゃないか」
「そんなの、あたしのせいじゃないし、何もしてないのに! 一体なんなのよ、あいつら!」
「だから、知らんって」
そんなやり取りを二日に渡って何度か繰り返し、ベイブはようやく追求を諦めた。そして、いつもより積極的に癒やしの御札づくりに励むようになっていた。その一方で、ニコを師匠に料理の修行を初めていた。手紙の一件を根に持っているようだ。
今朝は初めてのハムエッグ作りに挑戦していた。今まで料理をしたことのない彼女だったが、一人でやってみるのだと奮闘していた。
そして、彼女が真っ赤になって差し出した焦げて形の崩れたハムエッグを、テオはニヤニヤ笑いながら受け取った。そして、いつまでもニヤけながら、フォークで何度も卵を突き刺していた。
「何よ。嫌なら食べなきゃいいでしょう」
ベイブがにらみつける。
ケンカになるぞ、とニコはハラハラした。テオはきっとイヤミを言ってベイブを怒らせるだろう。やっぱり側に付いていて上げればよかったと後悔した。
しかし意外にも、テオは何も言わずに全部平らげた。
ベイブはぽかんとそれを見ていた。ニコも同様に呆気にとられていた。散々文句を言って、食べないだろうと思っていたのだ。
「ま、まずいでしょう?」
「いや。オレが作るより数倍、美味いさ」
いつになく素直な笑顔で答える。
ニコは、ほうっと感心した声を上げた。が、ベイブは違う。
「そう……。なら、まだ向こうにいっぱいあるけど、どう?」
テオの言葉を皮肉と受けとって、ツンとしているのだ。
料理の才能なぞテオには無いと知っているニコには、皮肉ではなく言葉通り褒めているのだと分かったが、ベイブには通じなかった。いつも彼女をからかっているから、何でもイヤミと思われてしまうのだ。
しかしテオはベイブの態度など気にせず、どれどれとキッチンに向かった。
「一体、何皿作ったの?」
ニコは、テオの背を見送って聞いた。
ベイブは口ごもって、モジモジとするばかりだ。
すると、テオの大笑いが聞こえてきた。
「ベイブ! 参ったなあ、これは! こんなに喰わせて、オレを太らせる気か?」
「だから、食べなくていいって言ったでしょう! さっきのが一番マシだったんだから」
プンと膨れて、ベイブは椅子に飛び乗った。真っ赤な顔を頬杖をついて隠そうとしている。
ハムと卵のなれの果てが山盛りになった皿を、テオが楽しげに抱えて戻ってきた。そして、ニコに目配せをする。
「これはオレが片付けるから、あと二人分はお前がつくるといい」
ハムと思われる黒い物をムシャムシャと頬張った。
驚きだなあと、ニコは目を見張る。
テオはベイブの隣に座って、くすくす笑いながら、楽しそうに食べている。ベイブに気を使っているようには見えない。そもそも気を使うはずがない。本当に嬉しそうに食べている。
ニコはポリポリと頭をかくと、キッチンへと姿を消した。
「無理すること無いじゃない! イヤミだわ!」
ベイブの手が伸びて、テオのフォークを掴んだ。今にも泣き出しそうな顔で、テオを睨んでいる。
フォークに刺さっていたのは黒焦げの物体だった。
「……だって一生懸命作ったんだろう?」
テオは、なぜ怒るのか解らないといった表情で、真っ直ぐに彼女を見つめている。
「でも、ソレは料理じゃないわ。……ただの炭よ」
唇が震えて、目が真っ赤だった。卵もまともに焼けないなんて、自分でも情けなくなる。
しかし火を前にすると、途端に身体がガタガタと震えてしまうのだ。恐怖で体が動かなくなる。アンゲロス、あの炎の魔物が目の前にいるようで、怖くてたまらなくなるってしまうのだ。
これはアイツじゃない、こんな小さな火、怖がる必要ないと言い聞かせ、恐怖を懸命に抑えようとしているうちに、フライパンの中は無残に黒焦げになってしまうのだった。
「もう、食べないで。余計に惨めな気分になるわ」
「どうして、惨めなんだ? 失敗の一つや二つどうってこと無い。そんなことより、オレは君が挑戦する姿を見られて嬉しいのに」
ベイブはすっかり元気をなくしてしまっている。
首をかしげて、テオは彼女の涙を指でぬぐってやった。しょげかえった小さな子どもを、困ったように、でも愛おしげに見守る父親のようだ。
少し考えこむような仕草をして、テオは続けた。
「君はここに来てからずっと、色んなことを諦めていただろう? 呪いをかけられたことを理由に、どうせ無理だ、と何もしようとしなかった。君が達者だったのは、口だけだ」
優しい声だったが、辛辣な言葉はベイブの胸を刺した。
何も言い返せない。その通りだと思った。自分は、何もできない小うるさいだけのお荷物なのだ。なのに調子に乗ってしまっていた。ああ、ついに見限られてしまったのだろうか。
恐ろしさにゾクリと震え、ベイブは自分の体を抱きしめた。
震えるベイブの頭を撫でながら、テオはなおも低く静かな声で話し続ける。
「もちろん、白魔法の御札ことは忘れちゃいないし、掃除だってしてくれた。君はニコを元気づけたり慰めたり、オレを叱ったりけなしたり……いや、励ましたりしてくれた。君はもう、オレたちにとって欠かせない存在だよ。でも君は自分の運命に対して、常に受け身だったろう? まるで、お伽話のお姫様みたいに、王子様が助けに来てくれるのを待っている……」
非難しているわけではない。ただ、事実を言葉にしている、そんな感じだった。
「ひょっとして君は、まだ気づいてないのか? 自分の背が伸びているのに。キャットの呪いを解いたころから、四、五センチは伸びてるのになあ」
ふえっ? とマヌケな声を出してベイブが顔をあげた。
やっぱりな、とテオは苦笑する。
「君も呪いが少しづつ解けてきてるんだよ。体が元に戻ろうとしているんだ。アンゲリキの魔力が弱まっているせいだろう。君に自分で打ち破ろうって気持ちをもっと持って欲しいんだ。それが呪いを解く手助けにもなる。負けないという気持ちを強く持つことだ大事なんだ。料理だろうがなんだろうが、挑戦することはいいことだ。だから、オレは嬉しいし、これも喰う」
ニッと笑い、パクリとフォークを咥えた。
あっと、ベイブが声を上げる。さっきの黒い固まりを食べてしまった。
テオは少し眉をしかめたが、すぐにまた笑みが浮び頬が緩んできた。
「確かに、これは完全な炭だった」
ニカっと笑うと、歯が真っ黒に染まっていた。
思わず笑ったベイブの目から、ポロリと涙がこぼれた。
テオは、彼女の頭をくしゃくしゃとなでまわして、抱きよせた。
「説教くさかった? お前にだけは言われたくないとか思っただろう?」
「ううん」
ベイブは、テオの胸にコテンと頭を寄せた。
なんで彼はこんなに優しくするんだろう。そう思うと、胸がきゅうっと苦しくなった。
「本当のこと言っていいぞ」
「……結構じじむさいとこあるんだなあ、って思っただけよ」
「…………」
「年、ホントはいくつなの?」
「うるせー。サバを読んだことはねえぞ。生後三百三十ヶ月程だ」
「なによ、それ。わかんない」
「計算しやがれ!」
ピシっとベイブの額を指で弾いた。
痛くは無かったが、彼女はおでこをさすりながらテオを見上げた。
丁度その時、ニコが良い匂いのする皿を二つもってキッチンから出てきた。
「ハムが切れちゃったからね、卵とポテトのフライ。ベイブ、トースト運んでくれる?」
ニコに言われて、ベイブがサッと行ってしまうと、テオは左側のぬくもりが消えたのを惜しむように彼女を見送った。
「なんかいいムード、邪魔しました?」
「おう、邪魔されたな」
「なんの話してたんですか」
「呪いが解けてきてるって話してたんだ。どうせ、お前も気づいてなかったんだろう?」
「ええ! ほんとに?!」
ニコが大きな声を上げると、トーストをもったベイブが現れた。
「ねえ、ニコ。あたし背、伸びてる?」
ニコは首をひねる。言われてみればそんな気もするが、毎日みていると変化には気づきにくい。
テオは立ち上がり、ベイブを食器棚の側に連れて行った。
「ほら、初めはこの引き出しの下辺りだったのが、今は真ん中よりも上になってる」
棚と背比べなんてしたこと無いのに、よく気づいたものだと、ニコは感心した。
「元に戻ってきてるんですか?」
「ああ。でもこのままじゃ、完全に戻れるわけじゃない。呪いを解く鍵がまだみつかっていないからな」
「ねえ! あたしがもっとハムエッグを上手に作ったら、その鍵も見つかる?」
ベイブはピョンと跳ね上がって言った。
さっきまでの泣きべそが嘘のように、明るく笑う。
「なんのこと? ベイブ」
ニコは、わけがわからない。
が、ベイブは拳を握って気合を入れた。
「よし! がんばろう! 明日も作るわ! そしたら、きっと見つかるわ!」
「……いや、そういう問題では……」
嬉しそうにスキップするベイブを見て、テオは笑った。
*
大通りに面した家々の屋根の上を、キラキラ輝くものがひょいひょいと飛び移っていった。軽々とゴムまりのように屋根を飛んでいく。
少年だった。
勢いをつけて、大きな木にぱっと飛びつき、そこから聖堂の壁に取り付いた。そして、まるで猫のような身のこなしで上ってゆく。先日テオとビオラが訪れた屋上テラスよりも、さらに上のドーム型の屋根にまで登っていった。
風が吹き渡る。わたあめのような金髪が揺れた。ニコニコと楽しげに、彼は屋根のてっぺんに立ち上がった。
それは、人間に戻ったキャットだった。
眼下の町を眺めている。この聖堂よりも背の高い建物は王宮くらいだ。遮るものもなく、町を遠くまで見渡すことができる。
ぐるりと一周町を見渡し、ゆっくりと王宮に向き直った。
両手を広げ、気持ちよさげに大きく息を吸い、そして吐き出した。
「帰ってきたよ」
陽の光を受け心地よい風に吹かれて、髪がキラキラと輝く。そしてキャットの青い瞳が、奇怪な光を放ち始めた。
心臓の鼓動に合わせて、瞳孔が収縮と拡張を繰り返していた。黒目一杯に広がったかと思うと、次の瞬間には点のようにすぼまる。そして、また。
まるで魔物の瞳だった。
白い歯が、キラリと唇からのぞいていた。