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黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い  作者: 外宮あくと
第二部 謀略の獣 真実の名前
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9 ピクシー

 ベイブが眠気眼をこすりながら階段を降りてくると、リビングにはコーヒーの良い香りが漂っていた。ふんふんと鼻歌も聞こえてくる。ひょいとキッチンを覗くと、ニコが楽しげにサンドイッチを作っていた。

 昨日、テオの前ではむっつりとした表情を崩さなかったニコだが、やはり彼の帰還が嬉しくてたまらないようだ。


「おはよう」

「あ、おはよう、ベイブ」


 彼の為に朝食を用意しながら、はにかむようにエヘヘと笑うニコ。なんだか乙女チックだな、とベイブは苦笑した。いや、テオ一人の為ではなく、いつも通り三人分の朝食を用意しているだけなのだが。

 なんだか頬が赤らんで見えるのは自分の気のせいだろうか、とベイブは満面笑顔のニコを不安げに見つめ返した。

 テオを師匠として恩人として慕っているのだと承知しながらも、ちょっと危ない妄想をしてしまい、思わずドキリとする。冗談ではない、由々しき事態だ。

 ゴクリと唾を飲み、確認の為にニコをつついてみる。


「……ねえ、知ってた? 昨日テオが立ち話してた女の人、昔の彼女なんだって」

「ああ、そうだったんだ。うん、美人でしっかりした雰囲気で、確かにテオさんの好きなタイプ……」


 途中まで言って、ニコはハッと口を押さえた。ベイブを見る目が落ち着かない。口を滑らせた事を後悔している様子だ。

 ニコは、ベイブがまた拗ねてしまうのではと警戒しただけのようで、「昔の彼女」という言葉には動揺を見せなかった。

 じっと観察していたベイブは、腕を組んでうんうんとうなずく。


「大丈夫みたいね。良かった」

「……え? 何?」

「いいの、こっちこと」


 クスクス笑いながら、ベイブはキッチンの隅の椅子に腰掛けた。師匠の好みのタイプまで熟知しているとは、熱烈ファンここに極まれりだな、と笑い続ける。

 あらぬ疑いの目を向けられていた事など知る由もないニコは、肩をすくめてベイブに詰め寄る。


「何か言いたいことあるんだったら、はっきり言ってくれないと僕にはわからないよ」

「ごめんね笑って。何でもないのよ。ニコってホントいい子だなって思っただけ」

「ベイブ……年上ぶらないでよ。僕は子どもじゃない」

「ぶってるんじゃないわ。誰にでもこうなの」

「まあ、そうだね。テオさんにもタメ口だもんね」


 ニコは肩をすくめて笑みを浮かべると、またサンドイッチ作りを再開した。

 ベイブはそれを眺めている。やっぱりニコは楽しそうだ。


「ねえ……昨夜、訊いてみたのよ。あの女の人誰って。どう返事したと思う?」

「話、そらしたんでしょう?」

「違うの! ベラベラとこっちが聞いてないことまで喋っちゃって! もう憎ったらしいったら!」


 プンと膨れてみせる。ころころと表情を変えながら、彼女は昨夜の事を思い返した。







 ベイブはクーファンに寄りかかり、頬杖ついてテオを眺めていた。

 彼はベッドサイドの灯りの側で、黙々と本を読んでいる。


「ねえ、明るいと寝れないんだけど」

「カーテン、閉めれば?」

「閉めても暗くならないじゃない」

「ふーん」


 テオはほんの少しだけ光量を落として、本を読み続ける。ベイブもテオを眺め続けている。

 それきり、部屋はしんと静まりかえった。するといつもは聞こえない隣家の話し声が、コソコソと聞こえてくる。しかし、二人がずっと黙ったままでいるうちに、隣家の声も聞こえなくなってきた。

 と、不意にテオは本をバサリと放り投げた。


「訊きたいことがあるんなら、さっさと言えよ。待ちくたびれた」


 ベイブの方に向かって座り直す。呆れ顔で彼女を見ていた。


「な、何よ……」

「本当に何も訊くことが無いなら、オレはもう寝る。今のうちだぞ」


 腕を組んでニヤリと笑う様は、腹が立つほど横柄だった。

 ベイブは口を尖らせた。


「じゃあさあ! 昼間あんたが話してた人、誰よ!」

「おう、やっぱそれか。いいだろう教えてやるよ。彼女はドリスっていって、昔の恋人だよ」

「…………どストレートに答えたわね。珍しいこともあるもんだわ」

「別に隠すことじゃないからな。十年程前に、アインシルトのところで一緒に修行してたんだ。一年くらい付き合って、それからこっぴどくフラれた。いや~参ったよあの時は」

「それはご愁傷様」

「彼女、結構気が強くてね、よくオレをいい加減だとか自分勝手だとかズケズケ言ってた。オレも彼女も負けん気が強いからよくケンカしてたよ。でも、それが楽しかった。キツイこと言われるのがイイんだよな。なんかこう、ゾクゾクくる」


 ベイブはゲエっと顔をしかめた。誰だって聞いただけで、まさか付き合っていた当時の思い出話までされるとは思ってなかった。これはイラつく展開だ。

 しかも罵倒されて喜ぶとは、この男もしかして……。


「……変態?」

「気丈な女が好きなんだ。そういえば、君もかなりキツイような気がするな」


 ニタニタ笑いながら見ている。


「変態、否定しないんだ」

「上から目線の偉そうな態度や物言いは、ドリス以上だな。黒竜王を締め上げてやる、なんて勇ましいことを言えるのは君くらいだろうし」

「だ、だから何よ!」

「君も相当、気が強いって言ってるのさ」


 遠慮無くジロジロと視線を投げてくるテオに、イーッと歯を剥くとベイブはクーファンに潜り込んだ。こんなくだらない会話、やっていられないと憤慨している。

 灯りがすっと消えた。

 パチンと指を鳴らす音がすると、ふわりと空気が動いてカーテンが閉まった。そして薄布越しに声がかかった。


「おやすみ、ベイブ」

「…………」

「あれ? 返事もなし? 冷たい態度をとって変態の気をひこうって魂胆かな?」

「違うわよ! バカ!」

「ああ、イイね。もっと言って」

「バ…………。からかわないでもらいましょうか」

「本当だよ」

「あんたの好きなタイプの話してるだけでしょう」

「そうさ」

「き、興味ないわ!」

「それそれ、そういうの。好きだよ」


 テオの最後の一言に、ドキンと心臓が鳴った。ベイブは息が止まる気がした。

 自分の事を好きだと言った訳じゃない。勘違いしてはいけない。彼は、強気な言葉や態度をとる女性の事を言っているだけなのだから。小生意気なゴブリンのことを言ったのでは、決してない。


 それなのに、胸の高鳴りが止まらない。からかわれていると思うと悔しくてたまらない。もう! と声を上げ、窓際のチェストに飛び乗った。風に当たって頬を冷やさないことには眠れそうにもなかった。

 少しだけ開いた窓から、涼やかな風がゆるく流れ込んでくる。ホッと息を吐いた。

 月を見上げていると、テオのベッドが軋む音が聞こえて、カーテン越しなのに視線を感じた。とても気になる。これでは動悸が収まるどころではない。


 事実、彼は彼女を見ていた。月の光を浴びて、カーテンに映ったベイブの影を見つめていた。

 風が長い髪を微かに揺らすのを、ほっそりとした腕が気だるげに頬を撫でるのを、そして自分の方に振り返るのを、じっと見ていた。


「やっぱり、カーテン開けていいかな?」

「……ダメ」

「そう。じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」







 ニコが作ったサンドイッチをバスケットに詰めて、三人は迷霧の森の手前にある草原に来ていた。朝寝坊したテオがいきなり出かけると言い出し、急遽ピクニックとなったわけだ。ぐうぐうと鳴るお腹を抱えながら小一時間馬を走らせ、目的地に到着したのは朝食を取るには遅すぎる時間だった。


 草原には、キラキラと虹色に光るはねをもったピクシーが無数に飛び交っている。燦々と太陽の光を浴びフワフワと光の粒が漂う様を、ニコはうっとりと眺めていた。

 しかし、ベイブはお腹が空きすぎて機嫌が悪くなってきたようだ。ニコは笑いながらサンドイッチを差し出す。


「テオったら、一人だけ先にサンドイッチ食べてたのよ。馬の上で」

「オレはもういいから、後はお前たちで食べろよ」

「あったりまえでしょ! 三人分なのに半分以上食べておいて、何言ってんのよ」

「まあまあ」


 広げたシートの上でテオは寝転び、ベイブはサンドイッチを頬張り、ニコは笑っていた。久々に心から笑うことができた。こんな普通のことが、とても嬉しく思える。きっとこれが幸せということなんだろうと、ニコは思った。


 小さな妖精たちは花から花へ飛び回りながら、三人を見てクスクス笑っている。興味津々といった様子だ。そして食事が終わるのを見計らっていたのか、バスケットのフタを閉めた途端、ざぁーっと寄ってきた。

 あっという間に、大勢のピクシーにまとわりつかれて、ニコとテオは光に包まれてしまった。しかし、なぜかベイブにだけは近づいて来ない。


「マホウツカイ マホウミセテ ミセテ」

「ミセテ マホウ ミセテ」

「ああ、後でな。今日は君たちに聞きたい事があって来たんだ。教えてくれるかい?」

「イイワヨ」「ナニ」「イッテミテ」「オシエテアゲル」

「キョウハ キリハスクナイワ」「アシタモ ハレヨ」「モリノオクハ フカイキリ」

「ネコハ イナイノネ」「シンダノカナ」「イエデヨ」

「ヨルニナレバ マタキリガフカクナル」「イツモトオナジ」

「ゴブリンハニガテヨ」「コワイ」「ダメヨ」

「アタシ ヘビヲミタワ」「ソレナラ アタシハ ハヤブサヲミタワ」

「ネエ ナニガシリタイノ」


 口々にしゃべりだすピクシー達は、かなり迫力があった。ニコとベイブは圧倒されて、呆然と見ているほかなかった。

 ああとため息をついて、テオが両手をブンブン振ると、ふわりと彼女立ちは舞い上がった。


「ストップ! ストップ! 一斉にしゃべらないでくれよ。何言ってるかさっぱり分からん」


 普段は高飛車なテオも、おしゃべりな妖精には手を焼くようだ。

 腕を組んでむうと膨れていると、一人のピクシーがテオの肩に戻って来た。


「アタシガ ダイヒョウネ」

「ああ、君か。よろしく頼むよ」


 それは、以前、迷霧の森に入ろうとした時に、危険だと教えてくれたピクシーだった。

 彼女はエヘヘと嬉しそうに笑っている。


「最近、このあたりで魔女の気配は無かった?」

「ソコニアルワヨ」

「んあ?」


 驚いてピクシーの指差す方を見た。それはきょとんと首をかしげるベイブだった。

 テオは、ははと苦笑する。ニコも同様だ。ベイブの顔だけが険しくなる。


「彼女は魔女の呪いがかかっているからね。知りたいのは、それ以外のことなんだ」

「ホカニハナイワ。デモネ マホウツカイ。コノコモ マジョ。アンゲリキノニオイト オナジクライ ツヨイニオイガスルヨ。アタシタチニハ チョットイヤナニオイ」

「嫌な匂い? ベイブは癒しの魔法が少し使える程度だぞ。なのにアンゲリキと同じ位、匂いがするって?」

「ソウヨ ダカラ チカズケナイノ」


 なるほど、確かにベイブに周りにはピクシーは集っていない。わずかに数人のピクシーが頭や肩の上にチョコンと座っているだけだ。

 テオは、その頭に乗っかっているピクシーを観察した。自分にまとわりついているピクシーよりも、少し小柄だ。顔も幼いように見える。


「ソノコタチハ マダウマレタバカリダカラ」

「生まれたばかりのピクシーは近づけても、君はダメなんだ」

「ソウ シンジャウ」


 テオは眉をしかめた。ベイブに近づくと死んでしまうとは、穏やかな話ではない。

 ニコも怪訝な表情を浮かべて、テオとピクシーの会話を聞いている。

 テオはズリズリと移動して、困惑気味なベイブの隣に座り直した。そして、軽くポンポンと彼女の膝を叩いた。アンゲリキの動向を調べるつもりが、思いがけない話になってしまった。


「どうして死ぬなんて?」

「ダッテ ピクシーダモン」

「ソウヨ ピクシーダカラ」

「ピクシーハ シンジャウ」

「シンジャウ」

「シンジャウ」

「シンジャウヨー」


 また一斉にしゃべりだし、彼女たちはざざっと飛び立った。小さな翅が作り出す風がさわさわと髪を揺らすと、光の粒の集団は引き波のように、去っていった。

 高く舞い上がったかと思うと、ばっと散開して草原に広がっていった。


「妙な事を言う……。ベイブ、気にしなくてもいい」


 テオは、口を尖らせているベイブの頭を撫でてやった。


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