8 チョコレートブラウニー
テオが玄関を開けた途端、二人がじーっと見つめてきた。
思わず面食らって立ち止まる。ポリポリ頭を掻いて、遠慮がちに中に入ってきた。
「まあ、なんだ、町もずいぶん落ち着いてきたもんだなあ」
はははと笑って二人の前を通り過ぎる。
二階に逃げるつもりのようだ。
「待ちなさいよ!」
「……ん、なに?」
鋭いベイブの声にすっとぼけた返事を返すと、ニコがおみやげにもらったケーキの箱を目の前に突き出してきた。
すでにコーヒーとケーキのセットが三組、テーブルに用意されている。
「ゆっくりしましょうよ」
顔はにこやかだったが、目が全く笑っていない。そこに座れという無言の圧力を発している。言いたいことが山ほどある、そんな顔をしていた。二週間家を空けて何をしていたかはもちろんだが、あの激震の日のことも色々と聞きたいことがあるのだ。
ニコがこういう態度にでるのは初めてのことだ。普段、大人しい人物ほど、怒らせると怖いらしい。
テオは諦めて椅子に座った。
早速ベイブが口火をきる。
「今まで、どこで何してたのか話す気はないの?」
「手紙に書いたろ。オルガのところだ」
「何しに」
「久しぶりに顔を見に行ったんだよ」
「二週間も!?」
ベイブはグサリと勢い良く、ケーキにフォークを突き立てた。
「――――!」
テオは、反射的にビクリとのけぞる。フォークを刺されたのが、まるで自分であるかのような反応だ。
ベイブは彼にイーっと歯をむき、そしてモグモグとケーキを頬張った。
ニコは静かに問いかける。
「また、魔法がらみなんでしょう? キャットを探してたんですか。それとも双子の魔法使い達ですか」
「へ? ああ、ははは……」
とりあえず笑ってみせたが、冷たい視線が突き刺さっただけだった。
二人がかりの攻撃に、テオは少々たじろいでいる。ニコは笑顔の下で沸々と怒っているし、ベイブ至ってはわざとバンダナを外して、四つ目でキリキリとにらんでいるのだ。
「キャットの居所はわかったんですか?」
テオはニコと目を合わそうとしない。いや、合わせられない。ニコが怖い程の圧力を放っているせいだ。
テオとしてはまだベイブの方がましなのか、出来るだけニコを視界に入れないようにして、ケーキをむさぼる彼女を眺めるのだった。
ファニーの店のチョコレートブラウニー。
アソーギの店はまだ再開できる状態ではない。これは、オルガの住む港町の姉妹店で買ってきたものだ。
ファニーの店は行列の絶えない人気店で、テオはご婦人方に混じって三十分待って手に入れたのだ。
さっきまでむっつりしていたベイブが、目の色を変えて夢中でケーキを食べているのを見て、テオはくすりと笑った。並んだかいがあったというものだ。
「テオさん! 聞いてますか?」
「……ああ、いや、全く見つからない」
どうも調子が出ないなと、テオはむず痒さを感じていた。
ニコに強気に迫られると、なぜだか弱腰になっていしまう。
「拐われたんでしょうか」
「いや、そうじゃない。自ら痕跡を消している。オレたちに探して欲しくないようだな。あいつも魔法が使えるんだ」
「魔法を……。どうして出て行ったんだろう」
「さあな。猫は気まぐれだから」
「……人間です」
ニコはぶつくさつぶやいた。
キャットが自分で痕跡を消したことは、テオならすぐに解ったに違いない。ならば、二週間という時間は、何の為に使っていたのだろう。
やはり、アンゲロスを追っていたのだろうか。ニコは炎の魔物の恐ろしさが骨身にしみている。あれを相手にするのに、何も言わず一人で行ってしまったことが腹立たしい。
魔力を使い果たして倒れてしまったくせに、意識を取り戻したらすぐさま行ってしまうなんて、無茶がすぎる。せめて、自分にも手伝わせて貰いたかった。
役に立たないかもしれない、でも少しくらい何かできることがあるはずだ、テオのためならなんだってやれる、そう思っていた。
しかし、テオが絶対に自分を当てにしないことも解っていた。悔しいが、彼にとって自分はまだ被保護者でしかないのだ。
ニコは重苦しい息を吐いた。話題を転じてみる。
「……黒竜王に会いましたよ」
「へえ……」
テオはチラリとニコを見ただけで、コーヒーに口をつけた。そして香りを楽しむ。ニコが身を乗り出してわざとらしく顔を覗きこんでも、コーヒーを味わい続けている。無関心なフリを装っているだけだと見抜かれても、装うことをやめるつもりは無いらしい。
さっさとケーキを平らげたベイブが口を開いた。
「あの王様とどういう関係? あなたのペンダントを持ってたのよ。それ、ドラゴンの鱗だったのね。召喚に必要なアイテムだから、貸してあげたの?」
「まあな」
三つあったペンダントトップのうち一つはニコに与え、もう一つは召喚に使用され、最後の一つが今もテオの胸で揺れている。
「六年前、ドラゴンを呼び出したのは黒竜王でしょう。今回だってそう。なのに、どうしてあなたが鱗を持っているの?」
ベイブが注意深く尋ねる。
ドラゴンと契約を交わしているのは、黒竜王のはずだ。それなのに召喚に必要なアイテムは、別人が所有しているというのはどういうことなのだろう。
ベイブはいぶかしがっていた。
テオはカップを皿に戻した。
「元々オレの物なのさ。昔、アインシルトと賭けをして手に入れた。召喚は鱗の所有者で無くたって誰でもできる。ニコ、お前だってやりたきゃやってもいいんだ。もっとも今のお前じゃ、まだ無理だとは思うが」
「僕の話はしてません。話をすり替えないでください。わざわざ王に貸さなくても、テオさんが召喚すればいいじゃないですか」
ニコはテオにも、同じことができるのではないかと思っていた。
いやむしろ、ドラゴンの鱗を所有しているのはテオなのだから、できるのが当然な気さえするのだ。できると言って欲しい。なんだか、黒竜王にイイとこ取りされているような感じで、気分が悪いのだ。
冥府の王を退けた時の、黒竜王の勝ち誇った顔が思い出される。あの笑みを浮かべるのは、本来テオだったのではないかと嫉妬してしまうのだ。
無論、王は命がけで戦ったのだから、非難するのは筋違いなのかもしれないが。
「……別に誰が召喚しようが結果は変わらんだろう? ドラゴンの能力に差が出るわけでもなし。第一ただでは済まない。代償が必要だ、となれば危険なことは人任せが一番さ」
ニコの思いとは裏腹に、テオは興味なさげに答える。
「嘘だ。人任せにできないから、王宮に行ったくせに」
空々しいテオを、ギンと睨みつける。
あの日、ニコとベイブを守りたいと言った彼の言葉は本物だった。これは使命ではなく、私情からなのだとも言った。だからこそ、曇りのない真実だと信じられた。
高みの見物を決め込むつもりなら、あんな風には言わないだろう。ふんと荒い鼻息を吐いて、ニコは横を向いた。
要するに、テオはドラゴンや黒竜王についていちいち説明する気はないということなのだ。
それでもベイブは食い下がる。
「結界の要だとか魔力の源だとか、よくわかんないけど、利用されてるだけなんじゃないの? だからあんた、王様のこと嫌いなんでしょう?」
ベイブもニコと同様に、不満を感じていた。
いつか彼が捨て石にされるのではないか、という不安もある。先の件でも、完全に王の道具扱いだったと思うのだ。
ベイブが外したバンダナを指でくるくると回して、テオは投げやりに言った。
「嫌いだなんて、いつ言った?」
「思いっきり、態度にでてるわよ」
「…………」
「師匠には、平気で逆らうのにね。大嫌いな黒竜王には従うなんて不思議。あんたらしくないわ。どうしてなの」
本当は解放されたがっているんでしょうと、テオの瞳に問いかける。
彼は地位や名誉になど頓着していない。本当に欲しいのはきっと、何のしがらみもない気ままな生活のはずだ。そんな彼の望みを、王は砕いてしまうかもしれない。なぜもっと抵抗しないのだろうと思う。
「やっぱ、黒竜王が相手じゃ怖いからかな。いやー怖い、怖い」
ふざけたもの言いだ。バンダナをポイと投げると、再びコーヒーカップに手を伸ばす。
全然、怖がってないじゃないの、とベイブの頬が引きつる。
テオは余裕でコーヒーを飲んでいる。まともに答える気は無いようだ。
ニコもため息をついた。
テオは王の前で、どんな態度をとっているのだろうと考えた。彼のことだから、きっといつも通りなのだろう。とらえどころのない笑みを浮かべて、堂々と立っているのだろう。そして黒竜王も同じ笑みをたたえて、彼を見つめている。そんな想像をした。
「噂ほどに恐ろしい人ではなかったですよ。……あの仮面を取ったら、案外……」
「案外?」
テオはふと真顔で、ニコの目をじっと覗き込んだ。
「友達になれるかも」
「ぶぶぶぅはぁぁーーーー!!」
テオは遠慮無く派手に吹き出し、ニコの顔面がコーヒーまみれになった。
「――――!! な! なにを……」
「い、いや、すまん。お、お前が、ブハハ! い、いきなり妙なこと言い出すから!」
テオはゲラゲラと笑っていた。腹を抱えて顔を真赤にし、バンバンとテーブルまで叩いた。
呆気に取られたベイブだったが、つられてくすくすと笑い出す。
「テオ、態度悪すぎ! 行儀悪すぎ!」
「君のケーキの食べ方だって、相当だ」
「放っといて」
ベイブは、さっとバンダナでニコの顔を拭いてやった。
可哀想な見習い魔法使いは、茶色い液体でずぶ濡れだった。ベイブからバンダナを受け取り、目が合うと苦笑し合った。
二人の顔がやっと優しくなった。
「あーもう……ひどいですよ」
口を尖らせて文句を言う。
テオはまだ笑っている。笑いながら、彼の頭をくしゃくしゃとかき回す。そして立ち上がった。
「オレの分のケーキ、やるからさ」
ウインクしてみせる。ケーキ一つで、この仕打を許せというつもりなのだ。
さすがは俺様だ、とニコは妙に感心した。
「あ、でもちょっとだけ味見」
そう言ってテオは、身を乗り出してきた。
テーブルを拭いていたベイブのほっぺたを、不意にぺろりと舐めた。チョコレートが付いていたのだ。
キャッと小さな悲鳴をあげ、のけぞったベイブはテーブルから転げ落ち、ニコの膝の上にストンとおさまった。耳まで赤くなっている。
「うん。美味い。ゴブリン風味だ」
言った時にはもう、階段に足をかけていた。そして、トントンと軽やかに登っていく。鼻歌が聞こえてくる。
うまく追求から逃げ切ることができて、満足そうだ。
「……バカ」
見えなくなった不躾者に、ベイブがつぶやく。
「なにするのよ……。いくらなんでも自由すぎるでしょ」
「本当、自由人だね。あの人を僕ら二人でとっちめようたって、無理な話だったかもね」
ベイブはヨイショと、テーブルに腰掛けた。
まだ顔が赤いのを隠すように、斜に構えている。
「あたしはまだ諦めてないわよ。いつか、ぐうの音も出ない目にあわせてやるんだから!」
ニコは、あははと笑った。
自分には無理でも、ベイブならできそうな気がした。
「話変わるけど、ニコ、黒竜王と友達になりたいの?」
「はあ?」
きょとんと首をかしげる。
「さっき言ったじゃない。友達になれるかもって」
「ははは、違うよ、僕じゃなくてテオさんがだよ。あの二人は案外、気が合うかもって思ったんだ。ベイブも似てるって言ってたろ?」
顔の前で大きく手を振るニコに、ああそういうことかと、ベイブはうんうんと肯いた。
しかしすぐに、腕を組んでむむと考えこむ。
「……うん、言ったけど。でも、テオは王を拒絶することを止めないと思う。絶対に相容れない……そんな感じしない? 友達だなんてあり得ない」
「そうかなあ」
「ニコの方が、確率高いかもよ」
「確率? もしかして、黒竜王と友達になれる確率?」
「ええ。テオで慣らされてるから、ちょっとやそっとのことじゃへこたれないし。友達候補に立候補してみる?」
「……いや、遠慮しとくよ」