7 過去と未来
「せっかく美しい街並みが戻って来たのにな……。また一からやり直しだ」
さっと風が吹いて、テオの髪を揺らした。しばらく切っていない前髪が、うっとおしく目にかかっている。その髪をぐしゃぐしゃとかきあげて、町を見下ろしている。
頑丈な作りのおかげか奇跡的に倒壊を免れた礼拝堂の屋上に、ビオラと二人立っていた。
日差しはジリジリと強かったが、空気は爽やかで風が心地いい。季節はすっかり夏に変わっていた。
「そうね。前よりもひどいわ。復興にかかる時間と費用を考えると、気が遠くなりそう」
「王宮の調度品や美術品を売り払えばいい。国外の金持ちに高く売りつければいいんだ。溜め込んだ金銀もたんまりあるはずだろう?」
テオは、事も無げに言う。
黒竜王の乱の後、新政権は不当に財をなした貴族たちから、その莫大な財産のほとんどを没収していた。魔女の手先になっていた者ヘの制裁の一つだった。それを使えばいいと、テオは言う。
ビオラは首を振った。
「リッケン様がおっしゃるには、既に当時の復興費用に充ててしまっているから、残っている分だけでは今回はとてもまかいないきれないそうよ。シュミット大臣が費用の捻出に頭を痛めてらっしゃるって。ミリアルドからの鉱山発掘権利の譲渡をあてにしていたのに、王が勝手に、あ! いえ、お考えあってお断りになったそうだから……」
「…………ふーん。金かあ。悩ましい問題だな。んー、じゃあ、借りれば?」
「相変わらずあなた軽いわね。そりゃ、そうするより他ないでしょうけど。――他にもあるのよ。悩ましい問題が」
ビオラはテオに向き直り、真剣な表情を見せた。
「私達魔法使いにとっては、大問題よ」
「さっさと言えよ」
「最近、何人もの魔法使いが魔力を封じられていっているの。日に日に能力が劣化して、ついには何の魔法も使えなくなる。何者かの呪いなのか、未知の現象なのか。テオ、あなたは大丈夫? 使えなくなってる魔法とかない?」
「特に変化はないと思うがな」
「そう、良かった。私は……だめ。何も使えなくなってしまったわ」
ビオラは寂しそうにつぶやいた。
「アインシルト様は、アンゲロスの仕業と疑って、ユリウス様と一緒に行方を探っていらっしゃる。なのに、私には何もできることはないの。こうして、危機を知らせることくらいしかできない」
ビオラは、まるで大海に一人投げ出されたような不安に包まれていた。
魔力を失う事で、こんなにも喪失感を味わうことになるとは思いもしなかった。今まで魔力を失うなどということを、考えたこともなかった。この頼りなさはなんだろう。自分というものが、根底から揺るがされていた。
ビオラは物憂げに髪をかき上げる。
ふと視線を落とすと、礼拝堂の足元で水の配給が始まっていた。
二人はその様子をじっと見つめた。長い列ができていたが、皆きちんと並び、混乱もなくスムーズに配給はすすんでいる。
「生きていくのに水は必要不可欠だが、魔力は無くても生きていけるさ」
テオは、大きなタンクを抱えて歩く人たちを眺めながら言った。
「大抵の人間は魔法なんて使えないんだから」
「……アインシルト様に可愛がられている、あなたには解らないのよ。他に何の才能も取り柄もなくて、魔法で身を立てるしかない者の気持ちなんて……。なのにその魔力も大したものじゃない上に、失うなんて」
ビオラの声には力がなかった。
いつもの闊達さはかけらもなかった。
「取り柄がないなんて言うなよ。君はとても聡明で勇敢じゃないか。その上、とても美人だ」
「……魔力を失うのは、魔法使いにとって死活問題だって言ってるのよ」
「それはまあ、そうだが」
ふうとため息をついて、空を見上げた。
雲ひとつなく、青く澄み渡っている。
心の中も、こんな風に澄みきることがあれば良いのにと思う。
「生き方は一つじゃない。……歩いてきた道は一本でも、これから進む道は無数にあるんだから」
もうじき七年になる、とテオは思った。
あのクーデターの夜から七年。
自分はどんな道を選ぼうとしているのか、まだ解らなかった。
*
テオは聖堂を出るとビオラと別れ、一人で帰途についていた。
右に左に視線を向けて、通りの様子を観察しながらゆっくりと歩いている。
そして一組の母子とすれ違い、はたと彼は足を止める。振り返り、女の後ろ姿を見つめた。
「ドリス!」
女が立ち止まる。子供が驚いた顔でテオを見、そして母を見上げた。
「ママ、誰?」
尋ねる娘の手を握ったまま、彼女はゆっくり振り返った。
長い髪を結い上げぴんと背筋を伸ばした、涼し気な雰囲気をもった女性だった。眉はきりりとして、意志の強さがあふれている。
「気づかないフリしようと思ったのに……久しぶりね、テオ」
「ああ、ドリス! 懐かしいなあ。それにしても、相変わらず手厳しい……無視しようとするなんて」
テオは片眉をしかめて、大げさな仕草でショックをアピールしてみせる。
しかし、直後にはニコニコと笑っていた。過去のいきさつはどうあれ、今は再会が素直に嬉しかった。
「やあ、こんにちわ。オレはこのブロンズ通りで魔法使いをやってるテオだ。ママとは古い友だちだよ。よろしくね」
女の子の目の高さにしゃがんで、にっこり笑って手を差し出した。
少女はテオの指先だけ摘んで握手した。
「こんなとこにいるなんて驚いたわ。てっきりアインシルト様と一緒に……まあ、その話はいいっか」
ドリスはふうと息を吐いて、ようやく笑顔を見せた。
「君こそ、どうしてアソーギに?」
「夫の両親がいるの。ゴーガシャーの私達の家にくるように説得に来たってわけ。ここで暮らすのは、今は大変でしょう」
「なるほどね」
二人が話始めると、少女は道端の石を蹴って遊びはじめた。
「何か力になれることはあるかい? この先にオレの家があるんだ、少し寄って行ったら?」
「遠慮しとく。あなたにはもう、関わらない方がいいから」
ドリスのそっけない返事に、テオはまた大げさに肩を落としてみせる。
「ああ……、なんだってこんなに嫌われっちまったんだか。何か君を怒らせるようなことしたかい? 今さら、十年前の事をほじくり返しても仕方ないけど」
納得がいかないというふうに、眉をしかめる。
フラれた理由は、今でも解らない。
もちろんこの十年ずっと悩み続けたはずもなく、ぽっかり忘れていたわけだが、夢を見た後での再会とあってはちょっと気にもなる。
「オレは本当に君のことを好きだったのに。結婚したって聞いた時は、ショックだったなあ」
「やめてよ。昔のことじゃない。……失恋した相手と、こんな話したくないわ」
「君がオレをフッたんじゃないか」
フラれた理由を知ったところで、今となってはどうにもならないし、彼女との関係をどうこうしようという気も更々ない。でも、一応つついてみないと気がすまないのは、性格の悪さゆえかもしれない。
「あら? 認識にズレがあるようね。あなたは何でも自分に都合のいいように解釈するんだから。まあ、好きなように言えばいいけどね」
「君のそういう冷徹な物言いが、たまらなく好きだった。今でも、気の強い女性は大好きなんだ。変わってなくて嬉しいよ」
「やめてって言ってるでしょう。そんなこと言って心は痛まないの?」
ドリスはムッとして睨みつける。
「なんで?」
「白々しい人ね!」
「……君がなんで怒るのか、当時も今も全くわからないんだが。説明する気は無い?」
しつこく絡んでくるテオに、彼女はうんざりと溜息をつく。
「今さら?」
「せめて、今怒っている理由くらいは知りたいな」
テオは人懐っこい笑顔で、ドリスの目を覗きこんでいる。
人をからかって楽しんでいるときの顔だ。少年の頃のままではないかと、呆れてドリスはぷいと横を向いた。ムキになるのが馬鹿らしくなった。
「……多分、懐かしいからよ」
テオの口から、へっと間抜けな声が零れる。そして、ポリポリと頭をかきながら苦笑した。
「懐かしいって言って、怒られてもなあ」
「もういいじゃない」
観念したのか、やっとドリスも微笑みを浮かべた。
*
ニコとベイブはテオの帰りを待って、家の前でそわそわとしていた。
「遅いわね」
「……まだ三十分だよ」
ニコが通りの端をぼんやり見ていると、行き交う人垣の向こうに長身の影が見えた。
「ベイブ! ほら!」
ニコは小さな彼女にも見えるように、抱え上げてやった。
ベイブの顔がさくら色に輝く。
が、目にしたものは、立ち止まり女性と話し込んでいるテオの姿だった。一瞬、わっと喜んだ二人だったが、思わず固まってしまった。
「……また、女の人ね」
と一オクターブ低いベイブの声。
「う、うん。そうだね。まあ、たまたまなんじゃ?」
*
ドリスはテオに背を向けて、王宮を振り仰いだ。
三人で、魔法の習得に励んだ日々が懐かしくよみがえる。あの頃は本当に楽しかった。
十三歳でアインシルトに弟子入りした時、テオとユリウスが自分を迎えてくれた。よろしくと手を差し出し、にっこり笑ったテオの顔は今でもよく覚えている。その笑顔のおかげで、不安が一瞬で消し飛んだのだ。
ユリウスも前年に弟子入りしたばかりだったから、一番古株のテオが彼とは同い年のくせにいつも偉そうにいばっていた。
テオはいわゆる天才肌で、教えられたことはすぐに身につけて応用まで効かせてしまう。ずっと前から知っていたことを、もう一度なぞっているだけのように見えてしまう程だ。
一方ユリウスは努力型の秀才で、最初はテオに一歩遅れるもののコツコツと練習し研究を重ねて、理論建てて身につけてゆく。そしてテオに優るとも劣らない結果を出すのだった。
ドリスはあっという間に二人に魅了された。彼らに憧れ、負けぬようにと日々修練をつんだものだった。
二人共、妹のように可愛がってくれた。
アインシルトの出した課題が出来なくて困っていると、手伝おうかと声をかけてくれるのは決まってテオだった。しかし、彼のアドバイスは大雑把すぎて役に立たず、結局、懇切丁寧に最後まで面倒を見てくれるのはユリウスの方だった。
テオはそれを見て、よくふくれていた。自分がさっき教えてやったのに、なんでまたユリウスに教えてもらっているんだと。
思い出は生き生きとして、昨日のことのように鮮明だった。
ドリスは唇をほころばせた。テオは当時と変わらぬ笑顔を見せてくれる。苦い恋も、優しい思い出に変わってゆくような気がした。
少女の頃、彼に恋をしていた。他のものは何も見えなくなるほど、彼のことだけを思っていた。彼は応えてくれた。幸せだった。
しかし、彼の心は別のところにあった。彼自身がまだ気づいていなかったあの人への思いに、ドリスの方が気づいてしまったのだ。切なさに身がちぎれてしまいそうだった。だから別れを告げたのだ。
ドリスはふううと大きく息をついた。そしてテオに振り返る。
「アインシルト様とユリウスは元気?」
「ああ、二人共元気さ。特にじじいの方は、不死身の妖怪かってくらい元気で、困ったもんだ。まだまだお迎えは来そうにないな」
「本当、相変わらず口が悪いわ」
困ったものねとドリスは肩をすくめる。
カラカラとテオは笑った。




