3 目覚め
扉がぎぎぎぃと低い音をたてて開いた。
王の居室にリッケンが入ってきた。
「アインシルト殿、陛下のご様子はいかがですか?」
アインシルトは立ち上がり、王の眠るベッド脇から離れ、薄いカーテンをくぐって出てきた。
彼はずっと王に付き添ってその目覚めを待っていたのだった。
「……一向に、お目覚めになる気配もなくての……」
心配げに彼は言った。
薄い布地越しに見える王は、ピクリともせずに横たわっている。まるで人形のようだった。アインシルトとリッケンははじっと王を見つめた。
「そうですか……。で、ブロンズ通りの方へは行ったのですか?」
「これから、様子を見にゆこうと思うておりました」
「大事なければよいのですが……あちらには私がまいりましょうか」
「いや、わしが行こう」
黒竜王は、冥府の王を退けた直後から、ずっと眠り続けていた。
今日で三日目になる。
王の寝室には、アインシルト以外の立ち入りは禁止され、王の異変は内密にするようにと大臣たちは厳命されていた。
王宮で働く者達は、アソーギ復旧のために奔走しており、王が姿を見せないことに注意を向ける暇もなかった。
しかし、大臣たちは違っていた。
こういう非常の場合、黒竜王ならば必ず自ら指示を下すであろうに、それが出来ないほど重篤であるのかと、不安に思っていた。
ことに内大臣を務めるシュミットの狼狽は激しかった。元来、神経質で心配症の彼は、王がこのまま目覚めなかったらこの国はどうなるのかと考えあぐね、死人のように青白い顔で痛む胃をさする毎日であった。
*
アインシルトは下町の通りを歩いていた。
ブロンズ通りの魔法使いの住む家を目指していた。
瓦礫の撤去がすすみ、食料や水の配給も始まり、わずかながらに落ち着きが見え始めている。しかし、復旧するまでにはまだまだ時間がかかるだろう。
扉をノックした。
ニコが驚いた顔で、老魔法使いを出迎えた。高名な王宮付き魔法使いアインシルトが、わざわざこんな下町に訪ねてくるとは思いもしなかったのだ。
「テオドールはどうしているかの?」
「あの後からずっと高熱が続いていて、今日もまだ下がらないんです」
ベイブと交代しながらテオの看病をし、また食料の調達、家の修復とニコは休む暇がなかった。テオの熱は引かないし、キャットは帰ってこない。心労も重なって、ニコはげっそりとしていた。
アインシルトは、そんなニコの背を軽く叩いて奥に入っていった。
「少し様子を見せてもらっていいかの」
「どうぞ」
もともとはニコの部屋だったが、今はそのベッドにテオが眠っている。
とてもではないが完全に脱力したテオを、二階にまでは連れて行けなかったのだ。それに、台所やバスルームに近いニコの部屋の方が、看病する側にとっては何かと便利だった。
ベイブがテオの額のおしぼりを交換しているのが、リビングから見えていた。
アインシルトは、ホッとしたように唇をゆるめた。そして、ベッド脇に立つと、テオの顔を静かに見下ろした。
ベイブが場所を譲り、椅子を勧める。
「すまんの」
アインシルトはテオの頭に手をかざした。
目には見えなかったが、彼が温かい力を注ぎ込んでいると、ベイブは感じた。
ニコもうなずいていた。これで、きっとテオは元気になるはずだ。二人は笑みを浮かべた。
「だいぶ、無理をしたようじゃのお……」
そう老師がつぶやくと、その声に反応したのか、テオの目がしっかりと開いた。
あっ、と小さな声を上げて、ニコとベイブは彼の枕元に飛びついた。
「……ヤツを取り逃がした。魔女も死んでいない。まだ、終わってないんだ」
長い眠りから覚めたばかりなのに、テオの意識ははっきりしているようだ。
これまでも時折目を開けたり起き上がったりすることはあったが、いつも苦しげで朦朧としていた。今は、瞳の輝きがまるで違っている。
ニコとベイブは満面の笑みを浮かべて、良かったと繰り返した。
テオは自分を取り囲む三人の顔を順繰りにみつめ、唇をほころばせた。
「今は休め。ユリウス達も直に戻ってくる。心配せんでもいい」
アインシルトの声は優しかった。
夢のつづきでもみるかのように、テオは目を細める。
「ユリウスか、もう何年も会ってないな。……アイツがいれば、アンゲロスを逃がすことも無く、もっと楽な戦いになっていただろうな。……戻ってくるってことは、王女の捜索は諦めたのか?」
「諦めた訳ではないがの、一時中断じゃ。ミリアルド王には悪いがな」
「悪いなんてことあるもんか。この国の一大事なんだから。もっと早くに、とっとと切り上げてりゃ良かったんだ」
一国の王女が行方不明になっているというのに、冷たい言い草だった。
少し具合が良くなったと思ったらこれか、とニコは苦笑できることを嬉しく思った。
テオは以前クレイブから、王女捜索に加わるように依頼されたことがあった。しかし、彼は無下に断っている。興味がないようだった。多くの魔法使いが、捜索に駆り出されたことも、あまりよく思っていない。
人員をさきすぎだと、不満気に言っていたのをニコは覚えている。
ユリウスという人物をニコは知らないが、どうやら力のある魔法使いで、王女の捜索の指揮にあたっていたようだ。王女探しがなければ、テオの言うように彼も黒竜王と共に戦っていたことであろう。
ベイブはずっと静かに、話に耳を傾けていた。
「そうもいくまいて。ヴァレリア王女は我が国王陛下の后になられるお方なのだから」
「もう、とっくに死んでんじゃないのか?」
いつもの意地の悪い顔で、笑ってみせる。
「これ! やめんか。お前はすぐそのような憎まれ口を……。生きておられるのは確かなのじゃ。ミリアルドにある王女の守り石は、まだ輝いておるそうじゃからな」
「まあ、オレには関係ない話だ」
「王女が見つかれば、すぐにでもお輿入れ頂くことになるじゃろう」
よほど王の事が気に入らないのか、テオは王にまつわる話題を嫌う。
しかし、彼がうざったそうな顔しているのにもお構いなしで、アインシルトは王女の話を続ける。どうやら彼は、この縁談にかなり積極的に関わっているようだ。
「……全く、本人たちの意志は完全無視で、勝手なことを言いやがるじじいだ。王はともかく、政略結婚の餌食にされる王女が気の毒だ。なあ、お前もそう思うだろう、ニコ」
「え?」
不意に、話をふられてニコは戸惑った。
以前ジルに聞かされた話は単なるうわさどころか、既に決定事項のようだ。そんな今知ったばかりの事実に、いきなりコメントを求められても困るというものだ。
何と答えようかと、ニコは迷う。
「あ、まあ、そうですね。無理矢理ってのはイヤですよね。恋愛して結婚ってのがいいと思います」
政略結婚というのは、あまり幸せなイメージがしない。もしも自分がそんな立場にあったら、逃げ出したくなるだろう。そう、やっぱりお互いに愛し合って結婚というのが理想だ。
ちょっと照れくさくなって、ニコはポリポリと鼻をかいた。
「へえ……。恋愛、したことあんの?」
テオがにやーっと笑っている。
無いだろうと言いたげだ。
「か、からかうのはやめて下さい」
ニコがむっとして横を向いてしまうと、次にテオはベイブの方に向き直った。
今度はベイブがどきりと赤くなる。
「王女は黒竜王を嫌がって逃げたんだと思わないか? 探さない方が彼女のためだと、オレは思うがな。君ならどう? 会ったこともない男と結婚出来るかい?」
ベイブの手を取ると、気取ってその甲に軽くキスした。
手も唇もまだ熱い。でも朝ほどではないことに、ホッとする。しかし、ベイブはパッとその手を振り払う。じろりとテオをにらむと、ゴシゴシと手の甲をタオルで拭いた。
それを見て、あんまりだというふうにテオが顔をしかめる。
「したくないわ。……そうね、シラーさんの娘が結婚直前で行方が分からなくなったのは、そういう理由かもしれない。でも、一般市民と王族は違うわ。公人であることが優先されるんだから」
つんと澄まして答えた。
アインシルトはここぞとばかりに、言葉を継いだ。
「その通りじゃ! 結婚は王族の努めじゃからな……、国益が優先じゃ。じゃが、ヴァレリア王女は美人で聡明、気さくで闊達な方だというし、国王陛下好みの女性なんじゃないかと思っとるのだがのお。案外上手くいくとは思わんか?」
お前もそう思うだろう、と同意を求めるようにテオの顔を覗き込んだ。
ニコは首をかしげる。
王のプライベートに触れる話を、平気でテオとするアインシルト。こんな話を自分が聞いていても大丈夫なのだろうかと思った。
テオは、ケッと悪態をつく。
「んなこと、オレに聞くな。結婚するのはオレじゃねえ。ボケたか、もうろくジジイめ」
「ほう、暴言を吐く元気は戻ったようじゃな。良かった。良かった」
うんうんと、嬉しそうにアインシルトはうなずいた。
それを見て、テオはげんなりと目をつぶった。
「…………あんたの顔を見てたら、また気分が悪くなってきた。もう、帰れよ」
無礼にも、師匠にしっしと手を振るのだった。